目次
- 1 森喜朗ってどんな人?
- 2 森喜朗の失言・迷言傑作選!
- 1 森喜朗の発言に注目【大事な時に必ず転ぶ】
森喜朗(もり よしろう)さんは、1937年7月14日生まれの日本の政治家です。
出身は石川県で、第86代の内閣総理大臣としても活躍しました。チーズの事件がきっかけでヤオ森さんと呼ばれていたり、「森 元総理」から森元さんとも呼ばれているようです。
森喜朗さんは、石川県立金沢二水高校を卒業。早稲田大学第二商学部の出身で、ラグビーのスポーツ推薦で入学したそうです。しかし、胃炎によりラグビー部を退部しています。
その後、方向を転換して政治家を目指すことなった森喜朗さんは、69年の衆議院選挙で初の当選を果たします。83年には文部大臣に入閣して建設大臣・通商産業大臣・政務調査会長・自民党・総務会長・幹事長などをつとめて、内閣総理大臣に就任しました。
現在森喜朗さんは清和会の最高顧問をつとめています。森喜朗さんはアフリカの外交や日中韓の連携を重要視していて、「世界へ貢献する日本」を信条にしていました。過去には日韓議員連盟会長もつとめています。
また、ラグビーが好きな森喜朗さんは、日本ラグビーフットボール協会の会長もつとめています。出身校の金沢二水高校では、創立記念日に生徒を集めて講演を行ったりしています。城の中にあった金沢大学のキャンパスを山の中に移転させたことも有名になりました。
数々の迷言・失言で有名な森喜朗さんですが、名言も残しています。2008年12月7日にはニコニコ動画で森喜朗チャンネルを開設して当時行っていた外交政策や政治の裏話などで人気を集めています。
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森喜朗の発言はいつも話題になる?
引用: Pixabay
森喜朗さんは、引退した後も「イット革命」や「大阪は痰壺」などの数々の迷言で注目を集めてきました。スポーツに関しての発言も注目されていて、森喜朗さんの発言は多くの人の注目の的になっています。
森喜朗の失言・迷言傑作選!
その中にはいくつかの名言も存在していて、そちらの発言も注目されています。この記事では、そんな森喜朗さんが残した失言や迷言、さらには名言を紹介しています。
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東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長をつとめる森喜朗さんは、2月26日夜に放送されたフジテレビの番組で、フィギュアスケート女子の浅田真央選手について、講演上で「大事な時には必ず転ぶ。」と発言しています。
森喜朗さんは、ソチ・オリンピックで浅田選手が前半のショートプログラムで16位になった後の、団体戦の出場に疑問を感じてこのような発言をしたそうです。
この発言に対する意見に、森喜朗さんは、「浅田さんは最後の五輪になるかもしれないので、余計に神経を使わせない方がいいと思った。」と話していて、「思い正しく伝えられなかったことは残念です。反省している。」と語っています。
また、森喜朗さんの孫は浅田真央選手の大ファンだそうで「孫を含め、娘からも怒られている。」と話しています。オリンピックで浅田選手は、後半のフリーの演技で完成度の高い演技を見せて6位に入賞しました。
帰国後、浅田さんは森喜朗さんの発言についてコメントを求められると、「森さんが後悔しているのではと感じています。」とコメントしていて、それに対し森喜朗さんは、「後悔はしていない。」とコメントしています。
2 新国立競技場計画の白紙撤回に対して。
引用: Pixabay
東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場になる新国立競技場の整備費が、当初は1300憶円の見込みだったのに対し、今では2倍の2500憶円にまで膨れ上がって、注目を集めています。
見直しの決定がずれ込んだ理由に注目が集まる中で、森喜朗さんへの気兼ねがあったことも要因だと言われています。
森喜朗さんは、19年のラグビーワールドカップの日本誘致に協力した経緯もあり、新国立競技場でのワールドカップ開催にも意欲を示しています。しかし、建設の計画を見直すとなるとその開催が間に合わなくなるかもしれません。
安倍総理大臣は2回にわたり森喜朗さんに直接の説得を試みました。その後森喜朗さんは、組織委員会の事務所で「国がたった2500憶円も出せなかったのかね。」と発言をし、世間からの注目を集めました。
3 IT産業を盛り上げるための発言。
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引用: Pixabay
IT革命(アイティーかくめい)は、ソフトウェアやコンピュータ、データ通信回線などの情報技術の発展と普及にともなって、社会の側面に急激に押し寄せる不可逆でありながら巨大な変化のことです。2000年は爆発的にインターネットの普及が広がって、IT産業は大きな革命をもたらしました。
森政権の下でもその影響力は強く、森喜朗さんはIT革命をさらに盛り上げようと、「イット革命」と発言して注目を集めました。
4 ゴルフ場での記者団に対しての発言。
引用: Pixabay
アメリカ・ハワイのオワフ島沖で2001年2月9日(日本時間の10日)に、愛媛県立宇和島水産高校の実習船である「えひめ丸」(35人乗り込み、499トン)が緊急浮上した原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突されて沈没する事件がありました。教員2名・生徒4名・船員3名が亡くなりました。
05年にアメリカの運輸安全委員会が公表した調査報告書によると、乗組員の間での意思疎通の欠如や、体験として搭乗していた民間人が安全確認の妨げになったことが事故の原因として指摘されています。
また、当時首相であった森喜朗さんは、沈没事故が発生した時に休暇でゴルフを楽しんでいました。ゴルフの最中に事故の一方が入りましたが、その後もゴルフを続けていたことが問題視されて記者団が駆け付けたところ、「ゴルフが悪いことなのか!」と発言したそうです。その発言もあってか、森喜朗さんはその後内閣総理大臣を辞任しています。
・「えひめ丸」衝突事故について。
引用: Pixabay
日本時間の平成13年2月10日にハワイ州のオアフ島沖で発生した事件です。愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船で35名が乗船できる「えひめ丸」が、緊急浮上したアメリカの原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突されて沈没しました。乗員35名のうち9人(高校生は4名)が行方不明になりました。
事件を受けアメリカ側は、ブッシュ大統領より森喜朗首相に、パウエル国務長官より河野外務大臣に対して電話で謝罪をしました。そして大統領特使であるファロン海軍大将が大統領親書を持参して2/27~3/1まで来日し、2/29日に愛媛県も訪問しました。アメリカはこの事件に関してあらゆる面での責任を認めています。
5 「神の国」発言
引用: Pixabay
森喜朗さんの代表的発言と言われているのが、「神の国」発言です。この言葉は、森喜朗さんが首相をつとめていた時代の2000年5月「神道政治連盟国会議員懇親会」(ホテルニューオータニで開催。)の結成30周年記念の祝賀会で飛び出したものです。
そもそも「神の国」という森喜朗さんの言葉は、戦争中に「日本よい国、きよい国、世界に一つの神の国」として、天皇国家を賛美する言葉として使われていました。
そんな側面もあったからか、森喜朗さんの「神の国」発言は「戦争の歴史を反省していないんじゃないか。」「政教分離や主権在民に反している。」という意見がありました。神道政治連盟は神社本庁に関係している団体で、発言の中に出ていた村上正邦という人は、日本会議の「生みの親」とも言われている人物です。
これらの名前を頼りに今日も森喜朗さんの発言が取り上げられていることを味わい深いと感じる人もいるようです。そして森喜朗さんは、東京の首相官邸で自らの発言に対して釈明会見を行いました。
しかし、森喜朗さんの「神の国」という言葉は、面白おかしく消費された面もあります。「全文を読めば、戦前の神国思想とは違うことが分かる。」「憲法に矛盾しているわけではない。」「そもそも日本は八百万の神様の国じゃないか。」などの肯定的な意見もありました。
『日本は「神の国」ではないのですか。』という論集まで発売されて、世間から注目を集めました。森喜朗さんは、2007年に刊行された『森喜朗 自民党と政権交代』で、「神道政治連盟の会合での発言だから多少のおべんちゃらは必要。」と発言しています。
引用: Pixabay
他にも
・2019年日本で開催予定だったラグビーワールドカップがオリンピック会場でやることが急遽決まり、間に合わなくなったことへの森喜朗さんの発言。
「クラウンくらいの車に乗っていたら、後ろからセンチュリーが来て、乗せてあげると言われたので乗せてもらったらパンクして、降ろされて追い越されて、笑い話にもならない。」
・日米首脳会談の時に、英語が話せない森喜朗さんに、「How are you(ご機嫌いかが?)Me too」とだけクリントン大統領に対して言うようにアドバイスされていたが、実際には異なった発言で注目を集めました。
「Who are you?(あなたは誰ですか?)」と聞いたようです。
・この森喜朗さんの言葉に対しクリントン大統領はユーモアだと受け止めて、「I’m Hillary’s husband(ヒラリーの夫です。)」と答えましたが、森喜朗さんは、
「Me too」と答えたようです。
しかしこの森喜朗さんの発言は、メディアによっては「あんた誰?」という解釈があったようで、のちに森さんを追っていたマスメディアは「古くからあった東洋人のジョークを当てはめたもの」と説明しているようです。
・坂田元議員に対しての発言。
「亡くなられた坂田さんから、『人を先に、私はあとに。』という言葉の方がわかりがいいよと言われました。」と発言し、これを奥様と一緒に見ていた坂田さんは、
「おい、俺死んだことになってるぞ。」と森喜朗さんに対してコメントしました。
・党京都府連のパーティーでの森喜朗さんの発言。
この時森喜朗さんは、京都府民へのリップサービスとして
「大阪は痰壺。金儲けだけを考えていて、公共心のない汚い町。」と発言したようです。
・ロシアのナホトカ号から重油が流出したことについての森喜朗さんの発言。
「重油は山口や九州の方に流れていけばいい。」と発言したそうです。
引用: Pixabay
また、森喜朗さんの【名言】も注目されています。
名言①
「重要なのはその人の懐に入ること。まずは相手を信じ、そのかわりに自分も人間として信用してもらう。」
名言②
「政治家というのは自分のことは後回しにして人のために、世のために尽くす仕事。」
名言③
「私も政治家になったが、決して無理せず、流れのままの自然体でやってきたつもりだ。ポストも求めないでコツコツなってきたら、小淵恵三首相が病気で倒れたことから後継のお鉢が回ってきたということだった。運命に似たというのも生き方の1つだろう。」
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名言④
「ラグビーでリバウンドしたボールが自分の手元に来る確率は100分の1以下と言われている。人生がどのように展開していくかわからないのに似ている。」
名言⑤
「政治などの重要な話をする前に役人が書いた原稿ではなく、まず信頼関係を築いておく。そのためには、最初に疑問に思っていること、前から訊きたいと思っていることをズバリ聞く。そうすることで胸襟を開くことができる。」
名言⑥
(復唱してた父の言葉で)よく覚えているのは、「お父さんはお前らのために帰ってきたのではない。多くの戦友、多くの部下を死なせた。その人たちのために日本を再建しなきゃならんし、この地域も再興させていかなきゃならん。そのために頑張るんだ。」と言われたことです。
親父はこの時、「滅私奉公」という言葉を使いました。この言葉は、私の座右の銘にもなっています。滅私奉公とは、ラグビーでいう「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」の精神です。などの名言もあり、【迷言・失言】ばかりが注目されているわけではないようです。
特に最後の名言は、政治家として活躍していた中でも軸にしていたことを表しています。森喜朗さんの名言だけをまとめたページもあるので、興味があればぜひ1度チェックしてみてください。さらに面白い名言があるかもしれません。
森喜朗の発言に注目【大事な時に必ず転ぶ】
引用: Pixabay
森喜朗さんの数々の発言やコメントを見ると、批判が集まりそうなものもたくさんありますが、ネットではこのブラックユーモアな発言が大人気です。政治家であり首相もつとめたことのある森喜朗さんの、思ったことをそのまま口にしたような毒のある発言がネットでは好評になっています。
東京オリンピック・パラリンピックに関する発言でまたまた注目を集めている森喜朗さんですが、「だいぶ、えらい目にあった。」といっています。
しかし、「メディアは組織委員会のあら探しばかりしている。大いに注意し、激励してもらうのはありがたいが五輪そのものが動かなかくなったらどうにもならない。みんなで協力して成功させなければならない。」と協力体制を訴えていたり、森喜朗さん自身についても「今は78歳で五輪の時には83歳。83歳まで元気に歩けるか一生懸命歩行練習している。」と健康面でのコメントもしています。
東京オリンピック・パラリンピックに向けては様々な問題がありますが、森喜朗さんも成功させようと熱意ある思いを残しているので、成功に向けて頑張りましょう!
失言・迷言を含め森喜朗さんの名言にも注目です!