加藤智大の家族の現在!母親・父親・兄弟などの末路&鬼畜名言まとめ

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加藤智大の生い立ちと経歴

 

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2008年6月8日に起きた最悪の通り魔事件「秋葉原通り魔事件」

事件を起こした時まだ25歳の若者であった加藤智大死刑囚がトラックで秋葉原の通行人をひき、ナイフで切りつけて多くの人の命を奪いました。

この異常な行動が社会に与えた衝撃はとても大きく、連日のようにこの事件は報道されました。この事件が報道されるにつれて事件の真相が明るみになってきました。そこで

・日本の犯罪の歴史に残る加藤智大という凶悪犯はどんな人物なのか。

・なぜこのような悲惨な事件を起こしてしまったのか。

・加害者家族として生きる加藤智大の家族は現在どのような生活をしているのか。

・あれから10年以上たった今、「秋葉原通り魔事件」はどのような影響・意味を持つのか。

彼の生い立ちや経歴・犯罪動機に加えてその家族の現在の状況も合わせてご紹介します。

 

加藤智大は青森県出身


 

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加藤智大は青森県青森市で加藤家の長男として生まれました。

その後弟が生まれ、4人家族でした。

 

母は完璧主義の教育ママ


引用: Pixabay

加藤智大という人物像をとらえる中で、子どものころに加藤智大が受けた母親の厳しすぎる教育が彼の歪んだ性格の一端を作り上げたといわれています。

母親は地域の教育アドバイザーをしていたこともあって地元でも有名なほど教育熱心な母親で、子どもの加藤智大に徹底した英才教育を行っていました。学問だけでなく運動にも力を入れさせ文武両道の、どれをとっても完璧な子どもになってほしいと思っていたようです。

そんな願いからか加藤智大に対して少しのミスも許すことなく、時には親の支配ともいえる行き過ぎた行動をとってきたのは有名です。

 

小学生時代には習い事の日々

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引用: Pixabay

小学生時代の加藤智大は一週間にびっしりと詰まっていた多くの習い事をこなしていました。

水泳や珠算、学習塾などに通っており、自由に使える時間が少なかったことや友達の家に行くことを禁止されていたこともあって友達と遊ぶことはあまりできなかったそうです。

 

中学生時代は成績優秀でスポーツ万能だった?

引用: Pixabay

そんな教育を受け続けてきた加藤智大は中学時代、テストでは常に上位に入り、部活で行っていたテニスでは県大会で3位に入る実力を持っていました。

それにより学校では成績優秀かつスポーツ万能な生徒となり、クラスでは一目置かれた生徒でした。クラスの女の子からの人気も高く2人との交際経験もありました。

事件を起こした当時は、報道内容から「友達も彼女もいない、冴えなくてネットに依存しているオタク」といったマイナスなイメージが濃い印象を感じられましたが、実際は比較的輝かしい中学生活を送っていたようです。

しかし、家の中では母親に逆らえず虐待ともいえる仕打ちを受けていました。

中学一年生の時、食事中に母親が加藤智大が食べるのが遅いという理由で激怒し廊下に新聞紙を敷き詰め、その上にご飯やみそ汁などのその日の食事をばらまき「そこで食べなさい」といったそうです。

それを見ていた父親や弟は母親の異常な行動に対して何も言わず、彼をかばうこともしなかったようで加藤智大は泣きながら床にばらまかれた食事を食べていたそうです。

学校ではクラスの注目を浴びていても家庭では孤独で肩身の狭い思いをしていたのでしょうか。

 

高校は名門県立青森高校に進学?

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引用: Pixabay

学歴を重視する母親の期待に応えるためか加藤智大は名門県立青森高校に進学しました。

しかし進学校ともなると周りは優秀な生徒だらけであるため徐々に成績不振になり、落ちこぼれてしまうようになってしまいました。ここが加藤智大の人生が大きく変わったきっかけとなりました。

成績の振るわない加藤智大に対して母親は期待を持たなくなっていたそうです。そこで兄よりも出来がいい弟に力を注ぐようになったといいます。

それをきっかけに自分はもう必要な人間ではないと解釈したのか今まで従順にしていたのとうってかわり、母親に厳しい教育を押し付けられてきたことを理由に反発しだしました。

自分の部屋の壁に穴をあけたり、母親に対して暴力を振るうようになっていたそうです。さらには学校の窓ガラスを割ったり、問題行動をたびたびとり始めました。

高校卒業時に残した生徒会誌に「ワタシはアナタの人形じゃない。赤い瞳の少女(三人目)」と書き残していました。これは人気アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に出てくるヒロイン・綾波レイが司令官の命令を拒否するシーンで使われたセリフです。

これは綾波レイに自分を、司令官に母親を投影して書いたものでしょう。

 

大学は岐阜の短大に進学?

引用: Pixabay

高校に進学した当初北海道大学工学部を第一志望にしていました。しかし卒業後進学したのは岐阜県の短期大学でした。

成績が振るわなかったとはいえ、進学校に在籍していたなら四年制大学に行けるチャンスはいくらでもあったと思われます。その中で短期大学に進学したのは学歴を重視し続けた母親への反発心があったからだそうです。

 

卒業後は宮城県で1人暮らし

引用: Pixabay

短大卒業後は宮城に移り、そこで独り暮らしをしていたようです。

後に警備会社に就職しました。警備員の仕事は加藤智大に向いていたのか、100人もの警備員を統括するなど活躍をしていました。

同僚や後輩に恵まれて、慕われてもいたそうです。このころは友達も多く、共通の趣味を持つ人たちと多く交流していました。

 

職場を転々としていた?

引用: Pixabay

加藤智大は仕事でうまくいかないことがあるとすぐに仕事をやめてしまう人であったようです。

上記にある警備会社でよいスタートを切れていたのですが上司との意見が合わず、仕事で正当な評価が付かないことや仕事のモチベーションを維持することが出来ないという理由で3年ほどで辞めてしまいます。

警備員の仕事を辞めたあたりから、携帯のネット掲示板にのめりこむようになっていきました。

次に埼玉県の自動車工場に転職しました。このころからアニメオタクを自称し始めており、同僚からあだ名で「電車」と呼ばれていたそうです。

しかし、そこもやめてしまいます。理由は正社員に仕事の提案をすると「派遣は黙ってろ」といわれてしまったことが原因でした。

次に転職したのは茨城県の住宅メーカーの木材加工(派遣社員として入社)でした。このころから人と関わることをしなくなっていき、3か月でやめてしまいます。

その後青森に戻ったのですが2006年8月の末に車でトラックに正面衝突をして自殺を図るが未遂で終わりました。

その後母親はそんな加藤智大を見て自分の今までの行動を反省し、謝罪をしました。加藤智大は実家で普通の家族としてやり直したいと思っていましたが両親はその当時離婚を考えていました。そのため加藤智大はネットの中の人間関係を家族同然に考えるようになったのではないかといわれています。

そのあとは青森県青森市でトラックの運転手をしていたが、約半年で辞めました。

その後事件直前まで勤めていたのは静岡県の自動車工場で派遣社員として働いていました。

 

秋葉原通り魔事件の概要と詳細

引用: Pixabay

秋葉原通り魔事件の概要と詳細は次のようなものです。

一つずつ紹介していきます。

 

秋葉原通り魔事件の概要

 

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2008年6月8日午後12時30分ごろ、JR秋葉原駅の近くで事件発生。

元自動車工場派遣社員である加藤智大(当時25歳)が運転していた重さ2トンのトラックが歩行者天国の横断歩道に突っ込み通行人5人をはねました。さらにその後、車から降りた容疑者が持っていたダガーナイフで次々と通行人を殺傷しました。

その後駆け付けた警官に取り押さえられ現行犯逮捕されました。この事件で7人が死亡、10人が重軽傷を負う大惨事となったのです。事件当時は日曜日であったために多くの観光客が歩行天国には集まっていました。

そんな中で引き起こされた秋葉原通り魔事件は社会を恐怖に陥れました。加藤智大は「とにかく人を殺したかった」「誰でもよかった」と語っており、この事件は秋葉原無差別殺傷事件ともいわれました。

 

トラックで歩行に突っ込み?

引用: Pixabay

東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、加藤智大が運転する2tのトラックが西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはね飛ばしました。

トラックはそのまま走り続けたが交差点を過ぎて対向車線で信号待ちしていたタクシーと接触して停車しました。トラックは前日のうちにレンタルして用意していたといいます。

当時その周辺にいた人たちはあまりにも突然のことだったため、単なる交通事故ではないかと思ったそうです。

 

ナイフで次々に人を刺した?

引用: Pixabay

トラックが止まった後加藤智大は車を降り、道路に倒れこむ被害者の救護に駆け付けた通行人・警察官らに所持していたダガーナイフで立て続けに切りつけました。

さらに加藤智大は奇声を上げながら次々に周囲の通行人を刺して逃走しました。それらにより7人もの人びとの命を奪いました。手元にはこれ以外に5本ものナイフを所持していたそうです。

 

警察と揉め合いの末、逮捕

引用: Pixabay

事件発生後まもなくして近くの万世橋警察署秋葉原交番から駆け付けた警官が加藤智大を追跡し警棒で応戦、最終的には拳銃を加藤に向けてナイフを捨てるように警告しました。

それに応じてナイフを捨てた加藤智大を警官らが取り押さえました。ここまでは5分から10分ほどの出来事であったといいます。

 

秋葉原通り魔事件の被害者は?

引用: Pixabay

事件の被害者の方については、以下の通りです。

【死亡者】

中村勝彦さん(74)左背部を刺され死亡 当時は無職で元歯科医

藤野勝倫さん(19)腹部打撲により死亡 当時は大学生

小岩和弘さん(47)背部を刺され死亡  当時は無職

川口隆裕さん(19)腹部打撲により死亡 当時は大学生

宮本直樹さん(31)胸部にナイフが貫通し死亡 当時は会社員

武藤舞さん(21)多量出血により死亡  当時は大学生

松井満さん(33)背部を刺され死亡   当時は調理師

【負傷者】

男性(53)胸部損傷・重症 当時は警察官

女性(24)肺腎臓を損傷・重症

男性(53)腰部損傷・重症

男性(43)脊髄損傷・重症

男性(27)背部を刺された・軽症

女性(30)腹部を刺された・重症

男性(54)右胸を刺された・重症

男性(28)右腕を刺された・軽症

男性(20)腰部打撲・軽症

男性(19)刃物があたり擦過傷・軽症

 

事件直前には2chに書き込みを残していた?

引用: Pixabay

加藤智大は事件当日直前にネットの掲示板で30もの投稿をしていました。ここでは彼の事件直後の書き込みの一部をご紹介します。

午前5時21分に秋葉原で人を殺します」というタイトルで

「車で突っ込んで、車がつかえなくなったらナイフを使います/みんなさようなら」

5時44分に「途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな」

11時45分に「秋葉原ついた」「今日は歩行者天国の日だよね?」

12時10分に「時間です」

加藤智大が短大卒業後に勤めた警備会社で仲が良く、彼が転職後も連絡を取り合っていた親友の男性はこの書き込みに対してこう述べています。

最後の投稿「時間です」という言葉は、「止めてくれ」という意味に感じると。

 

秋葉原通り魔事件の当時の反応は?

引用: Pixabay

事件当初はあまりにも悲惨な事件であったため加藤智大は死刑に処されるべきだといった批判的な意見が報道などで報じられていました。

しかし一部のネット上で加藤智大を神聖化・共感する声が相次いでいました。例えば

・「犯人は神」

・「格差社会の英雄」

・「勝ち組に対して事件を起こすことで一矢を報いた」

などの投稿もあったそうです。

格差社会に押しつぶされ、自らの存在価値を見失っていた人たちが加藤智大に自らの境遇を重ね合わせていたのでしょうか。

しかし裁判で加藤智大が自らの犯行動機をネット掲示板での嫌がらせに対して怒りを覚えたからだと述べてからはこうした彼に対する共感は次第に薄れていきました。

それだけでなくこの事件は社会問題として取り上げられることが多くなりました。

たとえば、この時の若者世代に対して「理由なき犯罪世代」として語られました。理由としては加藤智大が1997年に起こった神戸連続児童殺傷事件の犯人である酒鬼薔薇聖斗(逮捕時14歳)や2000年に起こった西鉄バスジャック事件の犯人(逮捕時17歳)を始めとする少年犯罪で「キレる17歳」と呼ばれた世代と同じ年齢であったからです。

ほかにも西鉄バスジャック事件でインターネットによる犯行予告がされていて今回の事件と共通する点があったことも理由の一つです。

このほかにも一部のマスコミは加藤智大の犯罪動機には日本の非正規雇用などの格差社会の問題を取り上げていました。加藤智大は派遣社員として搾取され続けて、悲惨な生活を送っていたのではないか、こうした事件が起きた原因は社会が彼を追い詰めてしまったことではないかという内容でした。そこで格差是正の声が広がっていったのです。

こうして社会の様々な問題意識が芽生えるきっかけともなっていたのです。

 

加藤智大の逮捕後

引用: Pixabay

加藤智大の逮捕後の様子はこういったものでした。

 

一審の判決は死刑

2011年3月に行われた一審判決では死刑判決が出されました。

理由としては加藤智大は7人もの人命を奪い、10人に重軽傷を負わせたためでした。弁護側は事件当時加藤智大は心神喪失状態であったと主張し、死刑判決の回避を試みたのですがその訴えは退かれました。

 

二審の判決は死刑

第一審判決を支持する形で死刑判決が出されました。

当時弁護側は「加藤智大には完全責任能力はなく死刑判決は重すぎる」と主張しましたが、検察側は上告棄却を求めていました。

 

最高裁へ上告するも死刑確定

引用: Pixabay

最高裁は判決で犯行当時の被告について「派遣社員として職を転々とし、孤独感を深めていたなか没頭していたインターネットの掲示板で嫌がらせをうけて、派遣先の会社でも嫌がらせをうけたと思い込み強い怒りを覚えていた」と指摘しました。犯行動機としては嫌がらせをした者たちにその行為が重大な結果をもたらすことを知らしめるためと認定しました。

そのうえで動機や経緯に酌量の余地はない、社会に与えた衝撃は大きく遺族たちの処罰感情も峻烈だとして死刑はやむをえないと結論付けたのだそうです。

被告側は被告が子どものころ母親から虐待ともいえるような育て方をされていたことを挙げ「人格形成に多大な影響をおよぼし、犯行の重要な要因となった」などと指摘しました。さらには加藤智大被告が利用していた携帯サイトの掲示板で「被告の偽物が現れ、家族同様だった掲示板での人間関係が壊されたと思い強いストレスを受けた。事件当時は急性ストレス障害だった」とも指摘していました。

「被告は事件当時、心神喪失もしくは心神耗弱だった疑いがある。完全責任能力を認めた1,2審判決は誤りだ。よって死刑は重過ぎる」と減刑を求めていました。検察側は「完全な責任能力を認めたうえ判決に誤りはない」と死刑維持を求めていました。

 

加藤智大の犯行の動機は?

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被告が法廷で語った犯行動機は「ネット掲示板で自分に成りすました偽物や荒らし行為があった。事件を起こすことで、嫌がらせをやめてほしいと伝えたかった」と述べていました。

また「現実はタテマエ社会だが、ネットはホンネ社会。『これを言ったら嫌われるかも』と気にせずに発言できた。掲示板の人間関係は家族同然だった」と発言をしており、加藤智大にとって世界はネット掲示板の中にあったのです。

最高裁は判決で犯行当時の被告について「派遣社員として職を転々とし、孤独感を深めていたなか没頭していたインターネットの掲示板で嫌がらせをうけて、派遣先の会社でも嫌がらせをうけたと思い込み強い怒りを覚えていた」と指摘しました。犯行動機としては嫌がらせをした者たちにその行為が重大な結果をもたらすことを知らしめるためと認定しました。

彼の生い立ちを知っている人の中には彼を擁護・共感するかのような発言も多々見られ子どもの時の悲しみやそこから生じた現実社会の中でうまく立ち回ることが出来ないことへの絶望から事件を起こしてしまったのではないかという声がある中で、法廷で加藤智大が語った犯行動機は予想外だと感じられる内容であったでしょう。

 

加藤智大の鬼畜名言まとめ

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ここでは加藤智大が事件前にネットの掲示板に乗せていた鬼畜名言をご紹介します。

・「ちょっとしたことでキレる」幸せな人がよう言う。ギリギリいっぱいだから、ちょっとしたことが引き金になるんだろ。

・「死ぬ気になればなんでもできるだろ」死ぬ気にならなくても何でもできちゃう人のセリフですね。

・顔が良くても性格が悪かったら長続きしない?その通りだよ。不細工は始まりすらしないんだよ。

・まだ始まってないけど、終わりでいいや。

・「無事故で帰ろう。あなたを待っている人がいる」安全標語だそうで。バカにされてる気分です。待ってる人なんて居ない。俺が死ぬ   のを待ってる人ならたくさんいるけど。

・俺にとってたった一人の大事な友達でも、相手にとっては100番目のどうでもいい友達なんだろうね。その意識のズレは不幸な結末になるだけ。

・人を救うのは人。救ってくれる人を得るのには金がいる。結局、人を救うのは金。

この発言からは強い劣等感や自己卑下が感じられ、社会にうまく溶け込めない若者の心の叫びのようにも感じられます。実際この発言に対して共感できるといった人も多く、加藤智大が自分たちの気持ちを代弁してくれていると好意的な書き込みをする人もいました。

 

加藤智大の母親の教育がやばい?

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加藤智大があのような悲惨な事件を起こしてしまうきっかけとして母親の行き過ぎた教育にあったともいえます。

母親は完璧な教育をしようとしたためか自分の理想の子ども像を追い求めていたのか加藤智大に対して虐待ともいえる異常な仕打ちを度々行っていました。実際に加藤智大に対して行われていたエピソードがこちら。

・小学生のころ、母親を怒らせてしまうと薄着で外に立たせられていたことがしばしば近所の人に目撃されていた。時には、雪の上を裸足で立たせていたこともあったそうです。

青森はもともと極寒の地であるため、精神的苦痛だけでなく肉体的苦痛も与えられていたことになります。

・学校の成績は常に優秀でなくてはならないと母親は考えていたために学校の課題は常に母親の検閲を通してからではないと提出できなかったといいます。そこでも虐待ととれる異常なエピソードがあります。

母親の検閲には「10秒ルール」というものがありました。加藤智大が作文をを書いている横で母親が監視しており、ふいに「この熟語を使った意図は?」と質問を投げかけます。

そのあと母親は「1.2.3….」とカウントを始めたといいます。10言い終わる前までに答えられなかった場合にはビンタをするといった行動を母親はしていました。

・泣くことも許されなかった。厳しい母親のしつけに加藤智大は泣くこともあったと思われますが、泣くと母親はひどく激怒しタオルを口の中に押し込み、ガムテープでぐるぐる巻きにした後屋根裏部屋に放り込まれたそうです。こんなことをされ続けていたら、恐怖でますます感情を抑制してしまうでしょう。

・加藤智大は小学生のころになかなか九九を覚えられなかったようで母親はそんな息子の出来の悪さに腹を立て、お風呂の水の中に頭を沈めたといいます。

・男女交際禁止 中学のころ付き合っていた2人の女の子がいたが無理やり別れさせました。加藤智大宛てに届いた女の子からの年賀状を見せしめのように冷蔵庫に貼られていたそうです。

・雑誌・漫画を買うことや読むことはもちろん、テレビ番組は唯一「ドラえもん」と「まんが日本昔ばなし」しか見せてもらえなかったそうです。

・加藤智大は小学生のころから数多くの習い事をさせられていて友達の家に遊びに行くことや友達を家に呼ぶことは禁止されていたそうです。

 

加藤智大の母親のその後は?

引用: Pixabay

事件後、母親は罪の意識からかマスコミのしつこい追及に耐えられなくなったのか精神に異常をきたして精神科に入院していたことがあったそうです。

退院後は実家に身を寄せていましたが、祖母はすぐに体調を崩してしまい他界してしまったようです。

現在は離婚して市内のアパートで独り暮らしをしているそうです。昼も夜も明かりを付けず、ひきこもる生活を続けているといいます。

 

加藤智大の父親のその後は?

加藤智大の父親は自宅の前で報道陣を前に母親と並んで詫びる姿がテレビで放送されました。

「息子が重大な事件を犯し、社会に与えた不安もかなりあり、本当に申し訳ございませんでした。」といった謝罪をしていたのですが、この父親の発言をあまりにも機械的すぎる、まるであらかじめ用意されていた文章を読んでいるようだ、心がこもってないなどの批判が相次ぎました。

事件のことが原因で当時勤めていた信用金庫をやむを得ず退社し、離婚した後は実家に帰りひそかに一人で暮らしているそうです。

父親は近所付き合いを一切することはなくカーテンを一日中閉めているようです。夜でもほとんど電気をつけていないようでろうそくを灯して生活しているそうです。

 

加藤智大の弟のその後は?

加藤智大の弟は事件後、度重なる取材で兄に対してこう述べていました。

「音信不通で、何をしているのかさえ分からなかった犯人は、私にとって家族ではなく他人にしか思えません。」

加藤智大に対して「犯人」「他人」呼ばわりをしていることから、彼に対して批判的な気持ちを強く持っているように感じられます。

弟は事件後に度々加藤智大に手紙を送っていたようですが、一度も返事が来たことはなく、面会も拒否されていたといいます。

事件当日、父親から兄が事件を起こしたという知らせを聞いたそうです。すぐに今いる場所から離れなければならないと感じ、その日の深夜に退職届を書いたそうです。理由はマスコミなどがきて、会社に迷惑をかけたくなかったからだそうです。

報道が落ち着いてきた3か月後に当時住んでいた東京のアパートを引き払い、東京から離れました。そのあとは身分を特定されないように隠れて生活をしていました。しかしどこに行ってもマスコミは追いかけてきたため、職と住居を変え続けていたといいます。

こういった生活をしていた弟はこのように話していたといいます。「引っ越して、住民登録を済ませると、一か月も経たないうちにマスコミの人が来るんです。インターフォンが鳴り、ドアが乱暴に叩かれる。なんでわかるんだろうと恐怖を覚えるとともに、やっぱり逃げられないんだな、とあきらめのような感情が湧きました。」

2014年に彼は自殺しています。そこには愛する人と結ばれなかったことが大きな原因のようです。

日陰の生活を強いられていた弟は事件後に心から信頼できる女性と巡り合いました。その女性は彼が秋葉原通り魔事件の実の弟と知っていたが「あなたはあなただから関係ない」といい、彼を受け入れていました。

弟は彼女と結婚することを望んでいたため、仕事に力を入れてやっとの思いでアルバイトから正社員になりました。しかしいざ結婚に踏み切ろうとしたところ、相手の両親に加藤智大の弟という理由で猛反対にあってしまいます。

そのあともその女性とは交際を続け、同棲をするようになったのですが、幸せは長くは続かなかったのです。二人の住まいに押し掛ける記者たち、親の反対。そして将来への不安。

大きなストレスを抱えるようになっていった女性は次第に弟に対して「あなたが犯人の弟だから」「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は」と口にするようになっていました。弟にとっては事件後、心を許せる唯一の存在であった彼女にこう言われたことで生きる力を失ってしまいました。

「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだなと思い知りました。加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。僕は生きることをあきらめようと決めました。死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください。」そう言った一週間後、弟は自殺しました。当時まだ28歳でした。

 

秋葉原通り魔事件の犯人、加藤智大

 

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世間を揺るがした日本の犯罪史上最悪の事件「秋葉原通り魔事件」

加藤智大は多くの人の命を奪い、社会を恐怖に陥れた残酷な犯罪者です。しかし彼の生い立ちや経歴、事件の詳細が明らかとなってからは彼の家庭の問題に対して共感・同情の声もあがっています。この事件では教育や虐待の問題注目を集めた一面もあります。

10年以上の月日が経った今でも彼の事件によって苦しんでいる被害者・加害者家族の問題は解決されていないのです。2014年に彼の弟が事件の影響で命を絶つ結果を招いてしまったことには被害者家族に対してそして社会に対して加害者家族はどのように生きていくべきなのかが問われているように感じられます。

加藤智大の死刑はいまだ未執行であり、これからも被害者家族の苦しみは続いていくのでしょうか。

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