市橋達也の現在や生い立ち!天才的な逃走劇や家族・実家の末路まとめ

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市橋達也を知っていますか?

 

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市橋達也は2007年3月25日に起きた、英会話学校講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)が千葉県市川市のマンションで遺体となって発見された事件で、死体遺棄容疑で指名手配、のちに殺人容疑で逮捕・起訴された人物です。

事件が発覚してから961日間の逃亡に成功しています。

 

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市橋達也の生い立ちと経歴

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さっそく生い立ちと経歴を見ていきましょう。

 

【生い立ち】


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市橋被告は、昭和54年(1979年)1月5日に岐阜県羽島市に生まれ、医師の父親と歯科医の母親と、同じく医師として働く1人の姉がいます。

比較的裕福な家庭に育ち、大切に育てられてきたそうです。

 

【幼少期】

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幼い頃から勉強もでき、絵を描くのが好きだったと言われています。

小学校中学年の頃の将来の夢は「総理大臣」、そして小学校卒業時の卒業文集には「夢はオリンピックに出ること、生まれ変わるなら秀才になりたい」と記しています。

 

【学歴】

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市橋被告は羽島市立竹鼻中学から岐阜県立羽島北高校を卒業後、両親が医者ということもあり、将来は医師になりたいという夢を持ち医学部を目指しますが、4浪の末に横浜国立大学の二部を1年程で中退、そして千葉大学の園芸学部へ入学し、卒業します。

卒業後は就職はせず、庭園デザイナーの勉強のため海外留学を目指していました。

その間、父親が所有する千葉県市川市内にある(のちに事件現場となる)マンションで生活し、親から送られる毎月15万円の仕送りで生活をしていました。

 

【性格】

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物静かでIQが高く、絵を描くのがとても上手です。

中学では生徒会役員をしたり、バスケ部の副キャプテンを務めたりなど、目立つ存在だったそうです。特に運動神経は抜群で、高校では陸上部に所属し、学年1の足の速さを持っていたそうです。

大学では空手愛好会に所属し、有段者で黒帯を所有しており、練習や道場の掃除など休むこともなく真面目な性格の持ち主であったと言われています。

また、母親の証言によると、市橋被告は筋を通したがる性格で、神経が細く怒りっぽい性格も持ち合わせており、何かおかしいとか裏切られたりするようなことがあると、感情を抑えられなくなることもあったそうです。

 

【彼女】

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事件が起こった当時、市橋被告には交際中の彼女がいました。

事件前日の夜中まで市橋被告と会っていたようで、彼女が「泊まりに行きたい」と伝えたところ、「今日はスポーツジムへ行って疲れたから一人で寝たい」と言われたそうです。そして事件が起こった直後の3月25日の夜には、市橋被告の自宅に電話をしていますが、電話に出なかったと言います。

そして日付が変わった3月26日の深夜12:38頃、市橋被告から「◯◯(彼女の名前)へ 達也です。電話くれた?これから1週間ぐらい部屋にこもって勉強します。◯◯には悪いけど、1週間電話を取らない。でも信じてください。メールは構わないです。ではでは」とのメールが届きましたが、普段からこもって勉強することはよくあったので、彼女はこの連絡に対して不審には思わなかったそうです。

そして事件が発覚したあと、市橋被告は自家用車を持つ彼女と共に逃亡することを考え、公衆電話から彼女に連絡をしていますが、通話中であったため実現しませんでした。最終的には彼女と共に死ぬつもりだったと供述しています。

 

リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件概要

 

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2007年3月25日、英会話学校「NOVA」の講師で英国出身女性リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)が、自宅に帰らないことで同居人から警察に連絡がありました。

捜査員がリンゼイさんの自宅を調べたところ市橋達也(当時28歳)が描いたと見られるリンゼイさんの似顔絵と、自身のものとみられる名前と連絡先が書かれたメモを発見し、千葉県市川市にある市橋容疑者の自宅マンションを訪ねます。

市橋容疑者は自宅にいて、捜査員が部屋の中に足を踏み入れた途端に捜査員を押し退けて逃走します。そして、容疑者の自宅ベランダに置かれた浴槽から、土に埋められた状態のリンゼイさんが遺体で発見されました。

事件が起きた3月25日午前9時、容疑者とリンゼイさんは英会話レッスンを行うたため行徳駅前の喫茶店にいました。その後、レッスン代を忘れたので取りに行くと言う口実で、容疑者の自宅マンションへ2人で向かいます。

そして容疑者はリンゼイさんが自宅に入った途端、玄関で彼女を押し倒し、結束バンドで手足を拘束して強姦します。そして失禁したリンゼイさんの身体を洗おうと、浴室に移動させようとしたが抵抗されたので、取り外し可能なバスタブを和室に起き、リンゼイさんをバスタブに入れて監禁しました。

被害者の死因は窒息死で、遺体は翌日午前2-3時頃、ベランダに移動させたバスタブに全裸様の前傾座位で土と共に完全に埋められました。捜査員に遺体が発見されたのは同日3月36日の午後10時頃です。

 

市橋達也の天才的な逃走劇を紹介!

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市橋達也は天才的な闘争をしていたのです。一体どのようなものであったのでしょうか?

 

事件発覚直後、捜査官からの逃走に二度も成功

引用: Pixabay

3月26日午後9時40分頃、千葉県市川市にある市橋容疑者の自宅マンションに生活安全課と刑事課の署員数人が踏み込みました。

容疑者は部屋から出てきてマンションの共用廊下で応対しましたが、捜査員が部屋に入ろうとした途端に逃走しました。その際、とっさに捜査員が容疑者の腕を掴みましたが、素早く上着を脱ぎ捨てて裸足のまま非常階段を駆け下りてマンションを出て行ったとされています。

東京メトロ東西線行徳駅方面に逃走し、そこから行方がわからなくなってしまいます。

あらかじめ逃走を防ぐ為に非常階段などにも捜査員が配置されていましたが、容疑者は逃走に成功しています。さらに、マンションを出た後の逃走中に探索中の捜査員に一度発見され、羽交い絞めにされたものの、ここでも逃走することに成功しています。

 

指名手配

 

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市橋達也は死体遺棄容疑で全国指名手配されました。

逃走の翌日、千葉県警行徳警察署は、警察犬を投入して臭覚追跡を行ったところ、行徳駅付近で容疑者の足取りが途絶え、同駅付近において市橋容疑者が着用していたと見られる靴下が落下しているのを確認しました。

捜査本部は当初100人体制で捜査にあたっていましたが、その後150人体制に捜査強化し、手配ポスターが約3万枚も作成されました。そして「公的懸賞金制度」の適用を受けて、市橋達也は懸賞金100万円の賞金首となります。

これを受け、2007年6月29日、被害者遺族が駐日英国大使館において記者会見を開催し、容疑者逮捕に向ける情報提供を広く訴求するとともに、新たに製作された手配ポスター約6000枚を配布しました。その結果、最終的な報奨金額は1000万円まで引き上げられることになります。

事件から約1年が経つ2008年3月13日、捜査本部は容疑者の茶髪で眼鏡をかけた姿や女装姿のイメージ画像を掲載した手配ポスターを新たに公開しましたが、行方はわからないままでした。

 

逃走生活開始から自己整形手術

 

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市橋容疑者は逃走開始直後に靴と靴下、上着を脱ぎ捨て、ゴミ捨て場からサンダルと上着を入手しています。当初の所持金は5万円程度であったそうで、移動手段は自転車や徒歩、電車など様々です。

逃走初日は放置自転車や電車を利用し、市川市から上野経由で秋葉原まで移動し、途中立ち寄った東京大学医学部附属病院の障害者用トイレで、人相を変えるために鼻翼を左右から縫い縮めたり、下唇を小さくするためにハサミで切るなどといった自己整形手術を行っています。

 

北関東から青森を経て四国へ

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埼玉・群馬・茨城などの北関東周辺を放浪した市橋容疑者は、熱海から静岡県の駿河湾付近まで南下した後に青森県を目指します。

容疑者は事件前、福岡県に住む知人に「近々遊びに行く」という内容のメールを送信しており、警察に南方への逃亡が察知される危険性を考えたため、北へ向かうことを決めます。そして東京〜新潟を経て青森まで移動したのち、青森駅前公園で1週間ほど寝泊りします。

その後、働いて生活するために大阪市西成区の公共職業安定所を訪れましたが、ここでは職に就かずにすぐに岡山県を経由して四国に移動しています。

四国での滞在で、香川県高松市から徒歩で徳島県~高知県~愛媛県とお遍路を歩いており、これには贖罪の意味があったそうですが、途中でやめています。

もっとも、「逮捕されればさらしものになる」「指名手配者は自首しても刑は軽減されない」と考え、自首は考えていなかったそうです。

 

資金調達

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行く先々で自分の手配写真が掲載されているのを見て、逮捕されるのは時間の問題と悟った容疑者は、無人島での生活を考え始めます。

高知の図書館で無人島について調べ、滞在地として沖縄県のオーハ島を選択します。お遍路を途中で止め、松山港からフェリーで別府港に移動し、その後鹿児島県を経て沖縄に渡りました。

初回のオーハ島生活は準備不足で1週間ほどで頓挫し、資金が尽きた市橋容疑者は、資金調達のために沖縄本島の建設現場で偽名を使用して働き始めます。その際の経験で、オーハ島と大阪での住み込み労働を繰り返す生活スタイルを考案し、再び大阪を目指します。

大阪にたどり着いた市橋容疑者は、西成区にある職業案内所で神戸にある住み込みで働ける会社を見つけ、名前や年齢、出身地、などは適当に書いて仕事を得ます。

日当1万円で業者や職人の下っ端として黙々と働いたそうです。仕事は肉体労働で大変だったが、何よりもまともな食事が食べられるのがうれしかったそうで、夜勤は日当が高くなるので仕事があれば昼でも夜でも働いたそうです。

住み込みでの仕事は解体現場や建設現場を選び、それ以外の職種は全て断っていたそうです。勤務態度は良好であったが、警察らしい車両が止まっていたりすると、身近に捜査が及んでいるのではないかと疑い、所持物を部屋に残したまま逃げ出すことを繰り返しました。

1ヶ月で25万円ほど稼ぎ、3ヶ月で80万円を貯めた市橋容疑者は、2008年10月23日、24日に名古屋の形成外科にて眉間の形成手術を受けています。

 

無人島生活スタート

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市橋容疑者は、沖縄県の島尻郡久米島町のオーハ島に4回滞在しており、最長で3ヶ月ほど滞在したそうです。

最初の滞在では海岸近くの岩場に潜伏しましたが、2回目以降の滞在は海岸近くのコンクリートブロック造りの小屋で生活をします。オーハ島は海水浴スポットとしては人気があったそうですが、当時居住していたのは70歳代の男性が1人であったそうです。

1回目の滞在中に隣の久米島で仕事を探しましたが適当な仕事がなく、自給自足の生活をしていたそうですが、準備不足で魚釣りも満足にできず食料調達に失敗して1週間で頓挫したそうです。

この際、オーハ島から沖縄本島に戻る際にフェリーの代金が足りず不正乗車をして職員に捕まっていますが、指名手配者の市橋容疑者とは察知されずに放免されています。

2回目以降の滞在では図書館でサバイバルに関して勉強し、魚やヤシガニを食べたり、野菜などを栽培して生活したそうです。

飲料水は奥武島に泳いで渡り、1週間分の飲料水をペットボトルに詰めて持ち帰り、燃料となる薪は流木が豊富に得られたので困ることはなかったそうです。

 

市橋達也の逮捕後~現在

引用: Pixabay

市橋達也の逮捕後から現在の様子を見ていきましょう。

 

美容整形外科からの通報

引用: Pixabay

2009年11月5日、名古屋市内の美容形成外科医院が、患者カルテの顔写真を整理していた際、ほくろの除去手術を受ける男性は珍しく思い、不審に感じた病院スタッフは報道されている市橋容疑者との一致部分を確認して、警察に通報しました。

県警は骨格などから市橋と断定し、整形後の顔写真を公開しました。整形後の市橋容疑者は、一重まぶたから二重になっており、鼻が高く、下唇は薄くなっており、指名手配の顔写真は同院が提供した整形後の顔写真に差替えられました。

同院は、手術前にすでに市橋容疑者が自己整形していた後だったために、実際の施術の際には気付かなかったとしています。

 

建設会社からの通報

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市橋容疑者の手術後の指名手配写真を見て、2009年10月頃まで大阪府茨木市の建設会社にて市橋容疑者であろう人物が住込みの土木作業員として働いていたとして、雇用主の建設会社が警察当局に通報しました。

市橋容疑者は2008年2月29日〜6月26日までの間、偽名を使用し神戸市の建設会社で勤務、同年8月20日〜10月10日までは大阪府茨木市内の建設会社で勤務していたそうで、会社の寮で生活していたが無断で退去していました。

同建設会社は市橋容疑者を雇用する際、あいりん地区に社有車を派遣して求職者を募集し、その場で雇用したという経緯から、当初は市橋容疑者であるとは気付かなかったとしています。

そして市橋容疑者はこちらの報道を福岡のホテルに滞在中に知り、雲隠れするためにオーハ島へ向かいます。鹿児島を経由して移動するつもりでしたが、警察の警備を恐れ、神戸からのフェリーで沖縄に移動することを選択しました。

この過程で警察官より職務質問を受けていますが、またしても逃走に成功しています。

 

フェリー乗り場からの通報、逮捕へ

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同年11月10日、神戸市東灘区の六甲船客ターミナルにて、客船の従業員が沖縄行き航路に搭乗しようとしていた乗客の中に市橋容疑者に似た不審な男性を発見しました。

当日は、神戸発・沖縄行きの航路は欠航であったため、同日も同航路に就航していた大阪南港発・沖縄行き便を案内すると、市橋容疑者と思われる人物が乗船のため大阪南港に向かう旨の発言をし、不審に思った切符売り場の担当者は警察当局と大阪南港担当者に通報しています。

グレーのスエットのような上下にサングラスで顔を隠した市橋達也容疑者(当時30歳)はニット帽で顔を隠すなど不審な様子で、切符売り場の担当者はニュースで見た鼻の傷や長身に気付いたそうです。

そして午後5時半頃、大阪南港に到着した市橋容疑者はターミナルの待合室に待機しており、グレーのニット帽を深くかぶり、サングラスで顔を隠した不審な男を確認した南港フェリー会社社員は、同6時45分頃、「市橋容疑者に似た男がいる」として警察に通報します。

そして、南港フェリーターミナルに先回りして待機していた警察官により市橋容疑者は身柄を確保され、移送された大阪府警住之江署において死体遺棄容疑で逮捕され、東海道新幹線を経由して千葉県警行徳署に移送されました。

 

起訴

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2009年12月2日、千葉地検は死体遺棄罪で市橋容疑者を起訴。同年12月3日に、現場に残された精液が市橋容疑者のDNAと一致したことから、千葉県警行徳署は、殺人ならびに強姦致死容疑で再逮捕し、同年12月4日付、千葉地検あてに市橋容疑者を送検しました。

逮捕後、市橋容疑者は数日間にわたって絶食していましたが、同年11月24日に初めて食事をとり、以後は毎日食事をとっているそうです。

取調べに対しては、当初「何も話したくありません」と黙秘を続けていましたが、食事摂取開始に前後して具体的な供述を開始し、千葉地検は同年12月23日に市橋容疑者を殺人と強姦致死の罪で追起訴しました。

 

公判

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千葉地方裁判所における初公判は2011年7月4日に行われ、市橋被告は、殺人罪・強姦致死罪・死体遺棄罪の罪に問われました。

被害者の両親とリンゼイさんの姉妹の計4人が被害者参加制度を利用し、裁判に参加しました。

検察側は市橋被告が事件の発覚を恐れて殺害に至ったと訴えましたが、市橋被告・弁護側は強姦と監禁、死に至らせた事実は認めましたが、殺意については否認しており、殺人罪と強姦致死罪ではなく、傷害致死罪と強姦罪だと主張しました。

公判中の市橋被告の発言は以下の通りです。

 

【公判内容】初公判にて強姦・殺人に至った経緯が明らかに

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2011年7月4日に行われた初公判で、事件の詳しい詳細や、リンゼイさんが死に至るまでの経緯、そして当時の市橋被告の心境が明らかにされました。

「私はリンゼイさんに対して殺意はありませんでした。しかしリンゼイさんの死に対し、私にはその責任があります。私はその責任は取るつもりです」「リンゼイさんを姦淫したのは私です。怖い思いをさせて死なせてしまったのは私です。本当に申し訳ありませんでした」などと、涙声で語る市橋被告は、沈黙混じりで裁判長の質問に答えます。

 

①殺意や強姦についての質問

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市橋被告は、「リンゼイさんの死は、自分の行為によって死亡したことを認めるがあくまで殺意はなく、強姦した動機は自分の欲求に負けてリンゼイさんを押し倒してしまった」と答えています。

リンゼイさんが部屋に入ってすぐに、市橋被告は手を伸ばしてリンゼイさんの後ろから抱きつきました。玄関の廊下へと強引にリンゼイさんを仰向けの状態で押し倒した後、抵抗するリンゼイさんの手足を押さえつけて服を破いたと言います。

そのとき、リンゼイさんの抵抗する力が強く、手足を拘束しないと姦淫できないと思った市橋被告は、コードをまとめるために以前に購入していた結束バンドを玄関の棚から取り出し、なかなか抵抗をやめないリンゼイさんの手足にはめたそうです。

そして市橋被告はリンゼイさんを姦淫し、行為が終わった後に罪悪感が芽生え、彼女をいたわるつもりで冷たい床と彼女の間にテンピュールを敷いたと語っています。

しかしリンゼイさんは失禁してしまったので、彼女の身体を洗おうと浴室へ運ぼうと試みますが、『私を殺すつもりね』と自分の死を予感したリンゼイさんは浴室に行くことを強く拒否したそうです。

なので、市橋被告はリンゼイさんを和室へ運び、リンゼイさんの手足にはめた結束バンドを外します。それは、裸のリンゼイさんに衣類を着させるためだったとし、失禁していたので彼女の着ていた服を着せると汚れてしまうため、自分の上着などを着せ、再び手足に結束バンドをはめます。

そして再び失禁してしまった際に床を汚さないために、取り外し可能なバスタブを和室に移動させ、リンゼイさんをバスタブへ入れます。姦淫した後の気持ちを問われた市橋被告は、「リンゼイさんに悪いことをしたと思いました」「再び姦淫するつもりはなく、なんとかして許してもらいたいと思った」と答えています。

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しかし、こんなにひどいことをして許してもらえるとは思っておらず、なんとか彼女に話しかけて人間関係をつくれば、許してもらえるのではないかと考えたそうです。なのでバスタブに入れて監禁したリンゼイさんにキング牧師や宗教の話などの質問を投げかけ、しばらくの間会話を交わしたそうです。

そして、『手首の結束バンドが痛いので外して欲しい』と言うリンゼイさんの要求を受け、手首の結束バンドを外します。

その後、リンゼイさんからの『足首の結束バンドも痛いので外して欲しい』という訴えには「できない」と答え、『タバコが吸いたい』という訴えに対しても「できない」と答えたそうです。

ここで市橋被告は、リンゼイさんとの人間関係をつくりたいがために彼女の要求を全て聞いてあげたいが、全てを受け入れていると彼女は逃げてしまうというジレンマに陥り、彼女に対して苛立ちが芽生えたと話しています。

苛立つ感情が抑えられなかった市橋被告は、リンゼイさんの顔を2度殴ったそうです。姦淫に加えて暴力もしてしまったことでもう穏便には済まされないと考え、リンゼイさんに逃げられてはいけないという気持ちがさらに強まったと言います。

市橋被告は、初めは彼女に悪いことをした気がしたので、許してもらえたら彼女を帰したい気持ちがあり、人間関係をつくって早く帰そうと思っていたそうです。

事件前に市橋被告は、リンゼイさんに電話番号や似顔絵を書いて渡しており、長時間リンゼイさんを拘束してしまうと連絡が取れないことを不審に思われ、すぐに自分に結びつくだろうとわかっていたからです。にも関わらず、リンゼイさんを殴ってしまったことで出来た彼女の顔痣が、今すぐ家に帰せない理由となってしまったそうです。

『警察や誰にも言わないから家に返してほしい』と何度も訴えられましたが、リンゼイさんの目の下の黒い痣が、そうはさせないだろうと思ったそうです。仮にリンゼイさんが警察に行かなくても、リンゼイさんの同居人や周囲の人たちは必ず痣に気が付いて警察に通報するだろうと考え、痣が治るまで監禁することを考えます。

 

②リンゼイさんが死に至るまでの経緯についての質問

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一旦眠りについた市橋被告は3月26日午前2-3時の間に目を覚まし、バスタブの中のリンゼイさんの様子を確認すると、手の結束バンドが外れていることに気がつきます。その瞬間、リンゼイさんは市橋被告の左こめかみを殴り、市橋被告は頭を壁にぶつけたそうです。

何が起こっているのかわからない状態の中、大きな物音がしたのでリンゼイさんを探すと、バスタブが倒れており、リンゼイさんはうつ伏せの状態でバスタブの外へ出ていたそうです。

大きな声を出しながら床を這って外へ逃げようとするリンゼイさんに、市橋被告は追いすがります。下の住人にリンゼイさんの声が聞こえないように、そして逃げてしまわないように追いすがったと話しています。

覆いかぶさったものの、リンゼイさんは大声を出すのをやめず、市橋被告は彼女の顔を巻くように左腕をさらに伸ばしたそうです。それでも前に進もうとするリンゼイさんを全然押さえ込めていられなかった市橋被告は、身体を前に倒してリンゼイさんに覆いかぶさったそうで、リンゼイさんの後頭部は市橋被告の胸下にある状態だったそうです。

その際も左腕は伸ばしたままにしており、リンゼイさんの身体のどの部分を締め付けているかはわからなかったとしています。

しばらくするとリンゼイさんは声を出すのはやめましたが体は暴れていたため、逃げるのを諦めるまで覆い被さろうと思ったそうです。そしてリンゼイさんが動かなくなったと感じた市橋被告は、リンゼイさんを仰向けに起こすと、両目は開いたまま焦点が合っていない状態だったため、リンゼイさんの意識が無いことに気がつきます。

そして慌てて人工呼吸や心臓マッサージを行ったそうですが、リンゼイさんの意識が戻ることはありませんでした。

そこで弁護人から、「死んでしまうかもしれないとは考えてなかったのか、死んでしまってもいいと思っていたのか」と問われ、市橋被告は「決して死んでもいいと思っていなかったし、自分の左腕がリンゼイさんの首を圧迫しているかもしれない、ましてや死んでしまうかもなどとは考えていなかった」と答えています。

3時間にも及ぶ初公判の間、市橋被告は微動だにせず、肩をすくめたまま時折泣いている様子で絞り出すように質問に答えていたそうです。リンゼイさんの家族は通訳を通して弁護人と市橋被告のやり取りを聞き、顔を覆って泣いたり、被告を睨みつけたり、首を横に振ったりしていたそうです。

 

【公判内容】第3回公判でリンゼイさんとの出会いが明らかに

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市橋被告が、リンゼイさんを初めに見かけたのは、最寄り駅(千葉県市川市の東京メトロ行徳駅)の改札前広場でした。見かけた瞬間に市橋被告は、”数ヶ月前に洗濯機の水漏れを直してあげ、代わりに英語の個人レッスンを頼んだ若い白人女性に似ている”と思ったそうです。

そして彼女がもし、そのときの若い白人女性ならもう一度レッスンを頼もうと思い、リンゼイさんに声をかけます。「突然、話しかけてすいません。少し話してもいいですか」と言うと、リンゼイさんはうなずき、市橋被告は「私のことを覚えていますか」と尋ねたそうです。(全て英会話)

リンゼイさんは「違うと思います」と答え、自転車に乗って通りの方に走っていったが、市橋被告はリンゼイさんを追いかけたそうです。そして、団地のような場所の街灯のところでリンゼイさんが自転車を降りているところを見つけた市橋被告は、「また怖がらせてごめんなさい。どこの国からきましたか」と再び声をかけます。

リンゼイさんは「イングランドから」と答えると、「私は海外で風景建築、公園設計、広場設計を学びたいので、英語を教えてくれませんか。教えてくれれば、もちろんお礼をします」と市橋被告は話したと言います。するとリンゼイさんは笑ってくれて、「何か飲む?」と聞いてきてくれたそうです。

リンゼイさんの部屋には、リンゼイさんの他に若い白人女性2人がいて、うち1人は同居人であったそうです。市橋被告に対し、同居人たちが歓迎モードではないことを察して、市橋被告は場を和ませようとリンゼイさんの似顔絵を描いたそうです。そして、似顔絵と一緒に自分の名前と電話番号、メールアドレス、日付を書き、リンゼイさんに渡すと、受け取ってくれたそうです。

その後、リンゼイさんとメールのやりとりを数回交わし、1時間3500円で英会話の個人レッスンを承諾してくれたと言います。その数日後の3月25日の午前9時、2人は行徳駅前のコーヒーショップでレッスンをし、市橋被告の自宅に向かうことになります。

初めから自宅に連れて行くことが目的だったのではないかと検察側に問われますが、市橋被告は否定しており、今後もレッスンを受けたい一心でお金を払わなければと思っていたとしています。

しかし次の予定に急いでいたリンゼイさんを一緒にタクシーに乗せ、急いで自宅に向かったそうですが、タクシーをそのまま待たせておくことができず、やむおえなくリンゼイさんも一緒に自宅の前でタクシーから降ろされてしまったので、市橋被告の部屋までついて行くことになってしまい、これが悲劇の始まりとなってしまったのです。

 

【公判内容】第4回公判で市橋被告の事件後の行動や心境が明らかに

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リンゼイさんの意識がなくなった後、彼女が死んでしまったと理解した市橋被告はしばらく気を失い、意識がなくなって行ったそうで、意識が回復したのは約12時間後の同日午後2時〜3時の間であったそうです。

目が覚めた時、外が明るくなっていることに気づき、これまでの出来事が夢なのか現実なのかわかっていなかったそうです。ただ夢であってほしいと強く思い、現実がわからなくなっていたそう。

 

03. 検察官からの尋問

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警察官が来た際なぜ逃げたのかと問われると、「玄関から出ると警察の方がいました。警察官に囲まれ、『リンゼイさんのことを知っているか』と尋ねられると、私がリンゼイさんにしたことが頭に浮かんできました」と答え、「そのときリンゼイさんが(監禁中の会話の中で)言った『私の人生は私のもの』ということが分かりました。

急に怖くなりました。私は卑怯(ひきょう)にも逃げ出しました。申し訳ありませんでした」と涙声で答えていたそうです。

 

【公判内容】第5回公判でリンゼイさんへの気持ちを明かす

引用: Pixabay

この法廷で、市橋被告がリンゼイさんにあてて書いた手紙が弁護側の証拠として読み上げられており、その言葉に加えて市橋被告は被害者や遺族への言葉を語っています。
そして、加えて伝えたいことはあるかと聞かれ、市橋被告は「リンゼイさんの最期の気持ち、苦しくて、怖くて、つらかったと思います・・・」とはじめ、徐々に涙声になっていき、言葉を絞り出すように語ります。

「リンゼイさんの気持ちを考えると、苦しくなり、周りの壁が迫ってきます。呼吸ができなくなります・・・。でもそれをやったのは私です。私はリンゼイさんの気持ちをこれからずっと考えていかなければなりません・・・。」

弁護人からの、「あなたの一番の罪は何?」という問いに対しては、「一番の罪・・・。リンゼイさんに、怖い思いをさせ、苦しませ、死なせてしまったことです」と答えており、リンゼイさんのご両親が『最高に思い罪』を希望していることに対しては、「私はそれを重く受け止めなければいけないと思います」「自分でどういう罪が相当かどうかは考えたことはありません。私は裁かれる身です。裁判で何があったか話をすることだけ。あとは裁判所にお任せします。それ以上考えるべきではないと思っています」と語っております。

そして、「一生かけて罪と向き合っていくか」という問いには「はい」と答えました。

そこで弁護人から、「事件のとき本当にそう思っていたなら、少なくとも警察に連絡したり、逃げたりしなかったのではないか」「2年7カ月、もっと早く出頭すべきだったのでは」と矛盾を問う質問に対しては全て「そうです」と返しており、なぜ自主出来なかったのかと聞かれると、「私の中は自分勝手であふれています。

私がリンゼイさんにした行為に向かい合うということをしませんでした。リンゼイさんにした行為の責任を取ることが怖かった。だから、『誰だって逃げる。誰だって逃げるんだ』と言い聞かせて逃げていました。本当に卑怯(ひきょう)でした」と答えています。

 

04. 弁護人から説き伏せられる市橋被告

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「被害者に部屋に入ってもらってハグを拒否された時点で止めればよかったし、強姦しておいて人間関係をつくろうなんてごまかしである」と言われ、市橋被告は「逃げです」と返し、「自分のしたことに向かい合わないから殴ってしまうし、1週間自宅に帰せない結果になったのもごまかしである。

そのつど、やったことに責任を取らないから、最悪の結果を招く」と指摘されると、「はい」と答えています。

自分の行動に責任を取らないから、こういう形で自分の人生がめちゃくちゃになってしまった市橋被告は、もう責任から逃げるつもりはないかと聞かれると、声が出せないのか身体を震わせながら頷いたそうです。

そして被害者に1点でも落ち度は無いとし、今後責任転換はしないという気持ちで全て証言したことを誓いました。

 

05. 今後どのようにして責任を取るか

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市橋被告は、公判で刑事責任を取り、リンゼイさんの気持ちや家族を考えて生きていくことで道義的責任を取りたいと主張しました。

そして、自身の手記で入る印税912万9885円を被害者への弁償金としてご遺族に申し出ますが、リンゼイさんのご遺族は1円も受け取るつもりはないと断っています。

その気持ちを知り、市橋被告は「本当に申し訳ありません。私はリンゼイさんの家族の立場を考えなくてはいけないと思っています」と伝え、手記の印税を受け取ってもらえない場合については、市橋被告は手を付けるつもりはないことを説明しました。

受け取ってもらえない印税は、弁護士の先生に相談して何か社会に役立ててもらおうと思っていると主張し、「私は、人間以下の行為をしました。でも、よい人間になりたかった。実際には悪でした」と語っています。

そして今日まで、自分の親と会ったり、連絡をとったりしたことはあるかと聞かれると、「ありません。リンゼイさんが両親と会えないようにしたのは私。その私が両親と連絡を取ることはできないと思いました」と答え、自分の親に対しては「事件を起こすまで、たくさんのチャンスをくれました。でも、感謝することができなかった。ただ、迷惑をたくさんかけました。その迷惑を考えるといえることはありません」と答えていたそうです。

 

実刑判決

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検察側は、市橋は非常に強い力で3分以上にリンゼイさんの頚部を絞めており殺意は明らかで、蘇生措置をしたというのは被害者の肋骨に損傷がないことから信用できないと主張しました。

また、被害者の遺族は、市橋の発言は刑の軽減を意識したパフォーマンスで、反省が見られないとして死刑を求めましたが、検察は市橋に前科がなく犠牲者が1人のことから死刑は躊躇せざるを得ないと無期懲役を求刑しました。

2007年3月のリンゼイさん殺害からおよそ5年の月日が経った2012年4月25日に無期懲役が確定しました。

 

市橋達也の家族・実家の末路は?

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市橋達也被告の家族はどうなったのでしょうか?

 

1】両親の現在

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事件直後、市橋被告の父親は脳外科医の医師を辞め、ずっと自宅に籠っているそうです。

市橋被告の母親の証言によると、息子の犯罪を知ってから母親は歯科医を辞めて家に籠っていたそうで、その母親をケアするように市橋被告の父親はずっと家にいてくれているのだそうです。

市橋被告の母親は、「息子を教育したのは私。主人は真面目な人間で、息子も主人を慕っていたし尊敬していた。私に逆らうことはあったが、主人に逆らうことはなかった。息子が悪いことをしたのなら責任は私にあります」と、市橋被告との親子関係や責任問題について語っています。

 

【2】市橋被告逃亡中の母親の証言

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市橋被告の母親は、市橋被告の逃亡生活を援助しているのではないかというインタビューに対し、以下のように答えています。

ー逃走資金を提供したことは?
「むしろどこから資金を手に入れたのかはこちらが聞きたいくらいで、資金提供なんてあるわけがない。あの事件があってから何の連絡もありません。むしろ生きていたことに驚いた。

“ホームレスになっている”とも言われていたが、お風呂も入れず、食べ物も拾って食べるような生活力はあの子にはなく、そんな状況になるくらいなら死を選ぶと思っていた。なのでもう自殺してしまっているだろうと諦めていました」

ーもし連絡があればどうする?
「もちろん、私が警察に引き渡す。

ー整形した顔を見てどう思ったか
「そんなことをしてまで逃げるのかと思うととてもショックでした。ただ、整形後の写真に写された男性の目元を見てすぐに息子だと思いました。

むしろ整形前に公開された指名手配写真のほうがイメージと違っていて、こんなつり上がった目をするのは怒った時だけ。普段はもっと明るい表情をしていましたので、素顔は整形後の写真のほうが近いですが、こんなにすっきりした顔をしているから、この整形後の写真が本人なのかが疑わしいと思いました。

これは逃亡犯の顔じゃない。2年半も逃げ回って、こんな穏やかな表情ができるのだろうか?」

ーなぜ逃亡中、出頭を呼びかけなかったのか
「呼びかけると逆に反発して、こちらに連絡を寄こさないのではないかと思いました。

遺族の方から何度も要請がありましたが、こちらの考えをお伝えすると納得していただきました」

ー今、市橋容疑者に言いたいことは?
「本当にやったのなら、出てきて罪を償ってほしい。きちんと真実を明らかにしてほしい」

ー今、どんな気持ちですか?
「息子は本当に卑怯だと思います。死刑になってもおかしくないし、腹立たしくも感じる。

しかし、いけないことだとはわかっていても、息子が生きていたんだというところに思うところがある。遺族に申し訳ないとは思うんですけど、母親として、(逃亡中に)死んでいなかったんだという気持ちが揺れ動いて、なんと表現していいのかわからない」

 

【3】市橋被告の姉の現在

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市橋被告の姉は、市橋被告が逃亡中に嫁ぎ先から離縁され、弟の犯した罪のせいでひっそりと息をひそめて暮らしているそうです。

 

市橋達也から今後も目が離せない?

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今後も注目の市橋達也。逮捕後の様子や現在はこうなっていました。

 

逮捕後、市橋達也応援サイトが設営される

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市橋被告の逮捕時に撮影された、フードを深く被り身柄を確保されている姿がイケメンだと話題になりました。

その後、市橋ギャルや市橋ガールズと呼ばれるような信者が存在し、市橋被告を応援するファンクラブや、市橋被告の刑を軽くするよう呼びかけるといった、不謹慎なコミュニティが誕生し、世間では話題となりました。

当時流行っていたソーシャルネットワーキングサービスのmixi内での、市橋達也の応援コミュニティでは「市橋達也『公式』ファンクラブ」と題し、コミュニティの説明には「超イケメンな市橋達也さんを応援しましょう!」とし、「☆我々は市橋達也さんの無罪を心から信じています☆無罪であってほしいです・・・☆ 逃げろ市橋。完全無罪なのだわーいわーい。警察のでっちあげに負けるな。でもイッチーの健康が心配です・・・」と記されています。

実際には1000人を超える参加者がいたそうです。

確かに、高身長で頭も良く、スポーツ万能で、犯罪に手を染めていなければモテていたかもしれませんが、実際に他人の人生を奪った悪人であることには変わりありません。

「顔が良ければ罪を犯してもいいのか」「モラルがなさすぎる」「被害者や遺族の気持ちが考えられないなんて人間じゃない」「日本の恥」などと世間からは辛辣なコメントが寄せられました。せめてでも、ご遺族の耳に入らないことを祈るばかりです。

 

仮釈放はいつ?

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性犯罪の罪を犯した受刑者は、仮釈放の間に起こす再犯率がとても高く、どんなに刑務所内での態度が良くても最低30年は仮釈放されないのではと言われています。

それに何度も逃走に成功している市橋被告ですから、万が一で仮釈放されたとしても、保護観察員からの目は厳しく、世間からも注目されることは明らかです。

また万が一、以前のように市橋ガールズが誕生してしまっては、再びご遺族の方が傷ついてしまう結果を招いてしまうでしょう。

二度と凶悪犯を野放しのしないためにも、今後の市橋達也被告からは目が離せません!

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