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2017年7月4日、19歳のシングルマザー与島稜菜さんが、顔が別人になるほど殴られるなどして、死亡しました。
彼女と付き合っていたと主張する、犯人の伊藤英治郎(事件当時31歳)は、キックボクシングを趣味とするガタイの良い成人男性です。プロの格闘家とはいかないまでも、がっしりとした体格の大の男が、十代のか細い体つきをした女性に馬乗りになり殴っては足蹴にし続け、挙句の果てに死に至らしめたのです。
凶行!約1時間の暴行
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凶行に及んだ犯人・伊藤英治郎は、与島稜菜さんと交際関係にあったと主張しましたが、その相手の顔が別人になるほど殴り続けるといった酷い手段で惨たらしく死なせた、その理由はいったいなんだったのでしょうか?
女性の体に馬乗りになり顔が腫れ上がるほど殴り、死なせてしまうほどの長時間の暴行に及ぶ事情とはいったいなんだったのでしょう。与島稜菜さんが1時間近くも殴られるような事態は、なぜ起きたのでしょうか。
おぞましい事件の判決は
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逮捕された犯人である伊藤はすでに裁判にかけられ判決が出ています。
恋人だという女性を酷い手段で死に至らしめた男に、どんな判決が下されたのでしょう。その判決は果たして、伊藤英治郎の心に響いたのでしょうか。伊藤は後悔の気持ちや反省の言葉を口にしたのでしょうか。
東京地方裁判所で判決が出た日の様子、判決文の内容を振り返り、また判決後の伊藤英治郎の境遇まで見ていきましょう。
きれいな顔が別人になってしまうほど殴られるなどのひどい暴行を受けたうえ、たった19年しか生きられず亡くなってしまった与島稜菜さん。ご家族はどれほどの悲しみに打ちひしがれていることでしょうか。
厳しい判決を望むのも当然な、遺族の悲痛な声をお届けいたします。
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この凶行事件の被害者である与島稜菜さんは殴られるなどして、たった19年でこの世を去りました。
彼女はどんな生い立ちのどのような女性だったのでしょうか。裁判や判決文にも語られた与島稜菜さんの生い立ちとその短い人生を振り返ります。
またそもそも与島稜菜さんと伊藤英治郎は、本当に交際関係にあったのか、伊藤本人の主張や、与島稜菜さんの友人や関係者などの証言から、二人の関係を検証していきたいと思います。
与島稜菜さんはどんな生い立ちを辿り、伊藤英治郎と出会ったのでしょうか。凶行に及んだ伊藤英治郎はどんな生い立ちでどんな経歴を持った人物なのでしょう。
それぞれの顔画像を紹介しつつ、被害者の生い立ちと加害者の生い立ちを接点に至るまで辿りご紹介します。
生前の可愛い姿も!instagramにある?
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若くしてシングルマザーとなっていた与島稜菜さんは、キャバ嬢をしていた可愛らしい女性でした。
お気の毒にもきれいな顔が別人になるほど殴られるなどして亡くなってしまいましたが、彼女の可愛らしい写真がinstagramに残っているとの噂も出回っています。
与島稜菜さんの生前のきれいな写真や噂のinstagramも検証していきましょう。
伊藤英治郎の犯行内容が残虐すぎる!
事件は伊藤英治郎が経営するキャバクラ『ブルーハニー』で起きました。東京新橋にあるキャバクラ店で、今はもうなくなっていますが、当時、与島稜菜さんはここにキャバ嬢として勤めていたのです。
犯行があった当日、伊藤英治郎は『ブルーハニー』の営業時間中に友達を連れ込んで、店内の席でどんちゃん騒ぎをしていました。伊藤本人の酒癖が悪いせいもあってか、他に入っていたお客さんに迷惑が掛かるほどの大騒ぎになっていたそうです。
入っていたお客は皆眉をひそめていましたが、経営者の狼藉に、ほかの従業員たちが何も言えずにいたところ、与島稜菜さんがひとり、伊藤英治郎を諫めるような行動を起こしました。「ミナミは英治郎さんを咎めたんです」と、当時の状況を店のスタッフは語ります。
ミナミとは、与島稜菜さんの店での源氏名ですが、店の経営者が壊した店の雰囲気を戻すため、19歳の女の子が果敢にも行動に出たというわけです。お陰で騒ぎは収まり、他の客も平穏に過ごすことができるようになりました。
事件が起きたのはその日、店にいた客がすべて帰ったあとでした。店のスタッフは「伊藤さんはミナミをロッカールームに連れ込みました」と証言しています。その後、1時間近くも殴られる蹴られるなどの暴行を加えられ続けた与島稜菜さんは、意識不明の重体で病院へ運ばれた末、亡くなったのでした。
ロッカールームからは彼女の悲鳴や殴られるような鈍い殴打音が響いていたそうです。キックボクシングを趣味とする大の男に、細い身体の与島稜菜さんが1時間近くにも渡って殴られるなどされ、きれいな顔が別人のように腫れ上がる事態となりました。
店や客のために行動を起こした与島稜菜さんの正義感は、男の凶行によって吹き飛ばされてしまったのです。
か細くきれいな女性のたった一言に、狂ったように激高した伊藤英治郎は、何かを発散するかのように1時間近くも与島稜菜さんの顔を殴り続け踏み付け続け、ぼこぼこに膨れ上がって普段と顔が別人のようだったそうです。
スタッフがロッカールームを覗き込んだとき、伊藤は懸命に抵抗する与島稜菜さんの髪を掴み、その細い身体に馬乗りになって殴り続けていたそうです。殴られるか細い女性は、その力ではうまく抵抗もできず、助けられることもなくさらに殴られる、そんな時間が続きました。
酒に酔った男による際限のない暴行が、与島稜菜さんの体を痛めつけ続けたのです。踏みつけられる、殴られる、などして顔が別人のように腫れ上がり、病院へ運ばれたときには意識不明の重体となっていました。
家族が対面したときには、与島稜菜さんだとわからないほど、きれいな顔が歪んでしまっていたそうです。顔が別人のように成り果て、母親は「娘だとわからないほどだった」と、呆然と語りました。
犯人の伊藤英治郎の経歴は?
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2018年11月30日、伊藤英治郎へ判決を下した東京地方裁判所は、判決文の中で「一方的で執拗に暴行し悪質だ」と語っています。
これほどの凶行を起こした伊藤英治郎は、いったいどんな人物だったのでしょうか。どのような生い立ちを経て、事件を起こしたのでしょうか。また、東京地裁での判決はどれほどの重さで伊藤をさばいたのでしょう。
過去の生い立ちに傷害の前歴あり
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今回、暴行死事件を起こした伊藤英治郎は、過去にも暴行事件で逮捕され、刑務所に入っていたことがあるそうです。
その生い立ちは詳しく語られていませんが、体中に刺青を入れており、「暴力団関係者ではないか」との噂をたてられることもあったとか。とはいえ、31歳の事件当時には、前述したキャバクラ『ブルーハニー』の経営をしていました。
趣味でキックボクシングをかじっており、喧嘩の腕自慢が出場する地下格闘技に出ていたとの話もありましたが、プロのライセンスなどは持っていなかったそうです。
普段からあった暴行癖
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港区新橋にあったキャバクラ店『ブルーハニー』を実質経営していた伊藤英治郎ですが、その店の護衛替わりにキックボクシングを習っていたとの話もあります。
そのため、並の成人男性よりはがっしりとした体格を誇っており、さらに部下を殴るような暴行癖もあった伊藤英治郎は、店の従業員にも怖がられていたようです。
全身に刺青を彫っては見せびらかし、キックボクシングというよりは喧嘩を趣味とする経営者に、周囲の人間は普段から「殴られるかも、暴力を振るわれるかも」と怯えを持って対峙していたかもしれません。
このように恫喝、暴力などで伊藤に支配された店では、スタッフたちも彼に逆らうような行動はとれなかったのでしょう。ほかにも、酒を飲むと暴れ癖があったということも周知の事実でした。
そんな状況の中で事件は起き、凶暴性の高い伊藤英治郎の凶行に、一人の前途ある女性が命を落としたのでした。
尋常ではない執着と行動
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この事件で、伊藤英治郎は傷害致死の罪で逮捕されましたが、取り調べでは与島稜菜さんへの異常な執着と執拗な行動が明るみになっています。
伊藤英治郎は、与島稜菜さんへ金銭援助をしており、生活の面倒を見ていたと主張しました。与島稜菜さんを見せの寮に住まわせて友人との接触を断ったり、経営者の立場を利用してシフト管理を自分勝手に組んでは恋人になるよう迫っていたそうです。
この異常な執着が、与島稜菜さんを顔が別人になるまで殴り続けるような執拗でおぞましい行動を呼んだのでしょうか。伊藤英治郎は裁判で「記憶にないので、ひどいことをしたとしか言いようがないです。
ずっと思い出そうとしていますがわかりません」などと語っています。
求刑12年に対し判決は?
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検察側は「何の落ち度もない相手に暴行を加え死に至らしめた。被害者の恐怖は想像を絶し無念は量り知れない」と指摘して懲役12年を求刑しました。
伊藤英治郎の弁護側は「記憶が無くなるほど酒を飲み、当時、神経耗弱状態にあった」と主張しましたが、東京地裁裁判長は「執拗で強烈な暴行は悪質性が高く、動機に酌むべき事情もない」として懲役11年6ヶ月の判決を言い渡しました。
与島稜菜さんには3歳の子供がいたこともあり、判決文を読み上げた裁判長は、伊藤英治郎に対し「被害者は幼い子供を懸命に育てようとしており、子供は(母親という)大事な存在を失ったのだということを十分に理解してほしい」と説諭しています。
被害にあった与島稜菜の経歴は?
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この事件で、顔が別人になるほどぼこぼこに殴られるなどして、駆け付けた両親に「娘とはわからなかった」と言われた姿で亡くなってしまった与島稜菜さん。
これまでお伝えしているように、与島稜菜さんはそんな死に方をしていいような女性ではありませんでした。悲運にも命を落とした与島稜菜さんの生い立ちを辿ってみましょう。
その生い立ちは?若くして妊娠・出産
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与島稜菜さんは、前述しているように一人のお子さんを育てているシングルマザーでした。両親ともに健在で、その生い立ちに暗いものはありません。
そういった生い立ちを経て、まだ学生時代、16歳のときに子供を産み、結婚はせずに子供を育ててきました。まだ十代ですが、きちんと乳飲み子の面倒を見てきた、芯のしっかりした女性です。
与島稜菜さんの生い立ちを知り支援していたNPOの男性は「いつも愛情深く子供優先の、優しいお母さんだった」と語っています。
同じく与島稜菜さんの生い立ちを知る助産師さんは、優しく根性のある稜菜さんに「看護師になったらいいよ」と薦めていたそうです。そして、産婦人科で、無資格で働ける看護助手をしていましたが、妊娠中絶を行う仕事が辛く、亡くなる1年前に辞めてしまいました。
自立心旺盛な女性
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前述の与島稜菜さんの生い立ちを知るNPOの男性は「自立心が強い子で、親に頼らない生活を望んでいた」とも語っています。
学校を中退した十代の女の子が、たった一人で一生懸命一人の子供を育てるために、生き抜くために必死で夜の仕事に就くことにしたのでした。
子供の父親である同級生とともに親子三人暮らしていた時期もありましたが、結局自分の力で子供を育てていくことにしたのです。与島稜菜さんの父親はがん闘病中だったため、何としても両親に迷惑を掛けられない、という思いもあったのかもしれません。
後に事情を知った両親が、孫を引き取り、娘にも実家に戻るよう促していましたが、与島稜菜さんはキャバクラ嬢として勤めた『ブルーハニー』で、伊藤英治郎に出会ってしまっていたのでした。
伊藤英治郎の裁判判決では、与島稜菜さんは「若いながら懸命に子育てをしていた」と好意的な評価が読み上げられました。世間一般的には風当たりの強いこともあったでしょうが、そんな中、裁判長が評価したように若くしてしっかりと自分の人生を歩んでいたのです。
人生のステップアップを図った矢先
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キャバ嬢として働いていた与島稜菜さんは、さらなるステップアップを望むように転職を考えていたそうです。
現状に甘んじることなく前向きで責任感のある彼女は、両親にも友人にも同僚にも愛されていたようでした。ご両親は、可愛い娘と孫をことのほか愛がっていたようです。
与島稜菜さんは、学校を中退していますが、自分で勉学を重ねて高卒認定(大学入学資格検定)を取ったという、たいへんな努力家でした。キャバクラ嬢として勤めお金を貯めたら、勉強をして、正式な看護師になりたいと知人に語っていたそうです。
そんな前向きな与島稜菜さんの明るい未来を、伊藤英治郎は引き裂いてしまったのでした。
彼女の生前のinstagramが残っているとの噂がありましたが、残念ながら現在はアカウントを確認できませんでした。
伊藤英治郎と与島稜菜の関係は?
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与島稜菜さんを死に至らしめた伊藤英治郎は、与島稜菜さんと交際していたと言っていますが、実際のところはどうだったのでしょうか?
伊藤英治郎は「与島稜菜さんの面倒をみていた」と警察の取り調べなどで語っていますが…伊藤側だけでなく、与島稜菜さん側からの見方も入れて、双方の証言をまとめて検証してみましょう。
「面倒をみていた」というが
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伊藤英治郎は、与島稜菜さんを店の寮に住まわせて資金援助をしていたと言っています。それで伊藤自身は「面倒をみていたし、頼られていた」思っていたのかもしれません。
実際、仕事のシフトを管理して友人との交際に口を出すような伊藤の行動は、キャバ嬢を雇う経営者というよりはまるで彼氏気取りでした。
ところが、与島稜菜さん側の証言をピックアップすると様子が違ってきます。
食い違う証言
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与島稜菜さんの知人は、彼女が店のオーナーである伊藤から交際を迫られて困っていたと話しています。
強引に結婚を迫られたような話も出ていて、与島稜菜さんからすると、完全な伊藤の独り相撲だったことがわかります。
与島稜菜さんは、自分が勤める店の経営者から、連日のように食事に誘われたり無理強いをされたりなどして、非常に困っていたのです。ときに与島稜菜さんが無理矢理キスをされたりしてとても嫌がっていた、という証言も残っています。
思い込みの激しい男による一方通行な関係
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そして伊藤英治郎の暴力に辟易した与島稜菜さんは、その粗暴さを避けはじめ、伊藤から距離を取るようになっていきました。
また看護師を目指すという目標があった与島稜菜から、キャバクラ嬢を辞めたいという申し出があったとき、伊藤はたいへんな怒りをあらわにしたようです。
事件間近のLINEでのやりとりだったそうですが、加えて与島稜菜さんは「好きな人ができた」というような告白もしていて、伊藤の怒りの火にはさらに油を注がれたのかもしれません。
そして事件は起きた
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事件当日、ロッカールームでは、男の「やっぱり金が目当てだったのか」というような叫びが聞かれたそうです。もちろん、伊藤英治郎の一方的すぎる愛情は与島稜菜さんの心に届いていたはずもありません。
経済力や暴力を嵩にきて一方的な関係を周囲に押し付けてきた伊藤英治郎の、悲痛な叫びだったのでしょう。
酒に酔いながらわめく男に、与島稜菜さんは殴られる踏みつけられるなどの暴力を振るわれ続けて、顔が別人のように膨れ上がり、意識不明の重体となった状態で駆け付けた警察官に発見されたのでした。
与島稜菜の父親の悲痛なコメント
亡くなった時、与島稜菜さんは19歳でした。
つまり、翌年は20歳になる成人式の年だったのです。母親によると、与島稜菜さんの父親は「来年は娘の成人式で、孫は3歳になる七五三の年」と、ダブルでお祝いできるのをとても楽しみにしていたというのです。
ご両親にとっては天使のように可愛い娘さんの惨たらしい最期は、とても正面から受け入れることのできないものだったでしょう。
病院に駆けつけたご両親が、はじめて与島稜菜さんを確認するとき「顔が別人のようになっていてわからないかもしれない」と言われたそうです。実際、母親は、その顔が別人のようで一瞬娘だとはわからず、指を見て「娘の好みのネイルだ」とようやく気付いたそうです。
大の男の力で殴られるなどして顔が別人に変わり果てていた娘は、その指まで太くはれ上がってしまっていたそうです。母親と揃いのお気に入りの指輪もひしゃげてしまっていたのだとか。
亡くなるまでの間、母親は顔が別人のようになった娘のあちこちを、丁寧に拭っては話しかけていたそうです。普段の3倍ほどに膨れ上がった凄まじくも悲しい姿でした。
与島稜菜さんの葬儀では、3歳にも満たない稜菜さんの娘が、桐の箱を撫でながら「ママ、痛かったでしょ」と語りかける姿は、皆の涙を誘ったといいます。
伊藤英治郎の現在
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伊藤英治郎は現在、服役生活を続けています。
「傷害致死」として殺人の意図はなかったとされて懲役11年6ヶ月の判決が出ましたが、それにしては残虐性が高く、被害者や残された遺族に与えた影響が大きすぎるために、いまだに批判の声は上がっています。
また与島稜菜さんを慕う人々やご両親から悲痛な声、責める言葉が上がるのも当然のことです。裁判では「憶えていない」と主張する伊藤被告と弁護側の訴えがありましたが、与島稜菜さんのご両親は「堂々と自分のしたことを認め、充分に反省して刑に服してほしい」と涙ながらに語っています。
与島稜菜さんにも、周囲にも、暴力で自分を押し付けてきた男は、自分の我がままを押し通すために、最終的に一人の女性の命を奪うに至りました。与島稜菜さんの恐怖と苦しみ、ご遺族の痛みと悲しみは消えるものではありません。
消えない罪を背負った伊藤が、自分を見つめ直してきちんと償い続けることができるよう、判決が出た今はもう祈るしかありません。