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松山ホステス殺害事件の犯人であり、時効までの15年あまりの間に整形を重ね、7つの顔を持つ女として、ある意味有名になった福田和子について、生い立ちや経歴をまとめてみました。
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幼少期~少女期
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福田和子は、1948年1月2日に愛媛県松山市に生まれました。
1948年と言えば、終戦が1945年ですから、まだ日本がかなり貧しい時代だったといえます。両親は程なくして離婚。福田和子は、母親に引き取られました。シングルマザーとなった福田和子の母親は、愛媛県松山市から愛媛県川之江市(現:四国中央市)に移り住み、自宅で売春宿を営みます。
福田和子の母は仕事人間だったということですが、この売春宿がどの程度の規模のものかは不明です。ですが、羽振りが良く、福田和子の欲しがるものは買い与えてくれたそうです。
ただ、その母親は、彼氏とも同棲していたのか、その彼氏は母親がいない時に、女を作ってはその家でいかがわしいことをしているのを、幼少期の福田和子はよく目にしていたといいます。
もともと、売春宿が自宅というのもそうですが、教育上良くないことを幼少期から当たり前のように見せつけられていたのです。
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売春宿を経営していた母親は漁師と再婚して、再婚相手が住んでいた瀬戸内海に浮かぶ小さな島、来島に引っ越しをします。
この来島はとても小さく、よそ者に対してはとても厳しい環境であったため、島での生活に嫌気がさした母親と福田和子は、愛媛県今治市へ引っ越します。
福田和子は、今治市の高校へ通い始めるのです。高校では、同級生の彼氏ができました。しかし、この福田和子の彼氏は事故で亡くなってしまいます。
最愛の彼氏を失った福田和子は、失意のため、高校3年生の1学期で高校を中退してしまうのです。
初めての強盗
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高校中退後、最愛の彼氏が亡くなり、失意にいた福田和子ですが、彼氏はすぐにできてしまい、18歳になった頃には、その彼氏と同棲が始まります。彼氏はタイル工をしていました。
強盗事件を起こした動機は、生活費のためだったのかは定かではありませんが、福田和子と彼氏は、2人で国税局長の家に強盗を行い、すぐに逮捕。そして、松山刑務所へ収監されるのです。
服役中、反対に被害者に
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18歳で強盗事件を起こし、松山刑務所へ収監された福田和子ですが、この時すでに松山刑務所事件と言われる事件が起こっている最中でした。
この松山刑務所事件とは、1964年に起きた第1次松山抗争により、松山刑務所にはたくさんの暴力団組員が多く服役していました。服役中だった暴力団組員が刑務所内の看守を買収し、刑務官を脅迫するだけではなく、拘置所内を自由に歩き回り、飲酒や賭博、女性囚人を強姦するなど、拘置所内が無法地帯となった事件です。
実は、福田和子はこの事件で強姦に遭ってしまいます。少なくとも10回は犠牲になっているようですが、法務省に被害届の取り下げを強要されてしまうのです。
この事件後、被害にあった福田和子は高松刑務所へ移されます。この高松刑務所でも同じく被害にあってしまうのです。しかしながら、高松刑務所で起こった事件は表面化されることなく、終わってしまいます。
出所後、結婚
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強盗事件の罪を償い、福田和子は出所します。
出所後、ホステスとして働き、結婚をします。結婚後は、4人(息子1人、娘3人)の子供に恵まれます。犯罪歴のある人を妻として受け入れた夫の愛情とは裏腹に、福田和子は浮気をしており、愛人がいました。福田和子の愛人には、自分は裕福な家に育った娘だという嘘や、偽名までして付き合っていたのです。
子供が4人もいながら、夫からの愛情も無視して、他の男へ目を向ける福田和子。不倫相手に嘘をついたことで、裕福に自分を演出するべく、借金を重ねていきます。
また、家のローンを返済しなくてはいけないことから、水商売を転々とし、借金地獄となっていくのです。
松山ホステス殺害事件概要
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福田和子は幼少期から愛に飢えた生活をしてきたのかもしれません。
強盗事件で収監された刑務所でも強姦され、散々な人生を歩んできているのです。しかしながら、この松山ホステス殺害事件を起こしてから、時効になるのを待って、必死に逃亡をし続けるのです。
では、逃亡のきっかけとなった松山ホステス殺害事件についての真相を説明しましょう。
女の嫉妬か、お金のためか
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1982年当時、福田和子は、愛媛県松山市にあるクラブ「英国亭」でホステスとして働いていました。
このクラブは松山市でも1,2を争う程の高級クラブでした。このクラブで働いているホステスは、若くて美人ばかり。福田和子はそんなホステスの中では、主婦であることもあり、浮いている存在でした。
ただ、福田和子は美人とはいえるような感じではありませんでしたが、男性から放っておけない女性として見られていたこともあり、結婚してからも彼氏がいたほどだったのです。福田和子はその当時、34歳でした。
このクラブでは福田和子はNo.3の位置。福田和子は不倫相手についた嘘のお陰で、自分を飾ることで多額の借金を抱えていました。
当時、同じクラブでNO.1だったホステス(当時31歳)の高価な家具に目を付けた福田和子は、1982年8月19日に、突然、No1ホステスの家を訪ね、相談があると言って家にあがります。その相談とは、借金を工面してくれないかというものでした。No.1ホステスは、この相談には応じることはありませんでした。
その後、2人でお客さんからもらったお酒を飲み、No,1ホステスが酔っ払って寝ている間に、着物の帯締めで首を絞めて殺してしまうのです。
殺人を犯してしまった後
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No,1ホステスを殺してしまった福田和子は、事情を知らない夫を呼び寄せます。夫には、ホステス仲間が悪い男から逃げるために、夜逃げをするから手伝ってほしいと言って、呼び出しました。
夫がNo.1ホステスの家に着いた時、福田和子は口論となり、No.1ホステスを殺してしまったことを告白します。福田和子の夫は、福田和子に自首をした方がよいとすすめますが、福田和子は断固と拒否をするのです。
福田和子は、若い時に刑務所内で被害に遭っていたので、もう二度と同じ思いをしたくないと、自首することを拒み、逃走することを心に誓ったのでした。
福田和子は親戚の男にも、夜逃げ話を持ち掛け、来てもらい、福田和子と夫と親戚の男は、現金65万円と家具334点の総額951万円相当を運び出し、福田和子が愛人に頼んで借りたマンションへ運び込みます。その後、夫と2人で車に遺体を積み、松山市の山中に埋めるのです。
事件の翌日、荷物を運び出すのを手伝ってくれた親戚の男とその妻に、No.1ホステスの預金から約76万円をおろさせます。
警察からの電話
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事件の5日後、福田和子が自宅にいるときに、その親戚の妻から電話があります。
それは、親戚宅に警察と思われる人が来たという連絡でした。そして、その電話は福田和子の家にもかかってくるのです。福田和子はとっさに娘になりすまし、その場をしのぎますが、警察が自分のことを怪しんでいることを察知するのです。
その後、福田和子は荷物をまとめて家を出るのです。
その後、警察は、福田和子の自宅に行きます。福田和子の夫が白状したことで死体遺棄の容疑で逮捕となりますが、夫は福田和子が逃げていると警察へ供述したことにより、警察は福田和子を探し出すべく、全国指名手配を行うこととなるのです。
福田和子の逃亡劇まとめ!逃走中に事実婚や出産していた?
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松山ホステス殺害事件を起こした福田和子は、事件を起こした翌日から5459日間におよぶ逃走劇は始まります。
金沢市で事実婚
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事件の5日後に、福田和子は家に夫も4人の子供も置いて、逃走を始めます。
まずは、松山駅から急行電車と宇高連絡船で本州へと渡り、大阪経由で金沢へと渡ります。福田和子の逃走資金は、No,1ホステスの家から奪ったお金から59万円あまりでした。
金沢に着いた福田和子は34歳でしたが、年齢を30歳と偽り、石川県金沢市内で求職活動を行います。飲食関係店からことごとく採用されませんでした。
不採用となった住み込みのスナックへ飲みに行き、京都の料理屋の娘で家出してきたと言ったり、親が決めた相手と結婚したなどと嘘をついていましたが、情が深い経営者により採用となり、このスナックで働きだしたのです。
逃亡から6日後、1回目の整形を行います。整形を行うために東京に上京するのです。整形をした後、すぐに金沢に戻り、このスナックで勢力的に働き始めます。
金沢で逃亡するためには、自分の住むアパートが必要でした。でもアパートには自分の身分の証明できるものが必要でしたが、それがない福田和子は、スナックのお客さんを言葉巧みに誘い、他人名義でアパートを借りてもらうよう頼んだのです。
そのようにしてアパートも契約し、順風満帆にホステスをしていた福田和子は、金沢でトップクラスのホステスまで上りつめました。この頃、全国で指名手配をされていたため、福田和子の写真が全国各地で見かけるようになりました。
しかし、福田和子は整形していたので、誰からもバレることがなく生活することができたのです。
ある日、福田和子が働いていたスナックに、金沢では知らない人がいないという能美根上の老舗和菓子店の3代目の若旦那が来店します。福田和子はこの若旦那に、自分は京都の料理屋の娘だと嘘をつきながらも猛アタックをし、老舗和菓子店の若旦那をものにしてしまうのです。
逃亡5年目にして、老舗和菓子やの若旦那にも、若旦那の母親にも気に入られた福田和子は、もともと若旦那と結婚していた奥さんとも別れさせ、この老舗和菓子店で内縁の妻として働き始めるのです。
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元々福田和子は明るく、元ホステスであったため、接客も上手だったので、老舗和菓子店は繁盛します。内縁の妻でしたが、この老舗和菓子店の女将として働きました。この頃、福田和子は何を思ったのか、危険を冒します。
夫の実家に引き取られていた息子に電話をかけ、今治で会うのです。今治で息子に会い、そして、息子をこの老舗和菓子店へ呼び寄せ、福田和子の甥っ子として同居させ、見習いとして働かせます。
老舗和菓子店の若旦那である事実婚上の夫は、よく働く福田和子に、再三再四、結婚しようと伝えますが、福田和子は自分の素性がバレてしまうので、結婚を拒み続けるのです。結婚を拒み続けるうちに、老舗和菓子店の若旦那の親戚から、福田和子を怪しむようになります。
そして、若旦那が町内会の旅行で道後温泉へ旅行をしている時に、福田和子の指名手配写真を見たことにより、自分の内縁の妻は、福田和子ではないかと気付いてしまうのです。
福田和子だと疑惑を持った老舗和菓子店の家族は、警察に通報します。ちょうど老舗和菓子店のお客さんのお通夜を行うために、公民館でお通夜の準備をしていた福田和子は、スーツ姿の警察官が来るのを察知し、その場から逃げて、近くにあった自転車にのって、逃亡を図るのです。
この逃走は成功します。運よく警察に捕まることなく逃走することができてしまいます。
福田和子は自転車で逃亡しましたが、この和菓子店に残された息子はこの後、和菓子店を去り、夫の実家へと帰ります。
転々と放浪する日々
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石川県金沢市から着の身着のまま、自転車で名古屋市までやってきた福田和子は、ラブホテルで住み込みの清掃員として採用されます。ここでも偽名を使って、真面目には働きます。
でも、福田和子は同じ土地に3ヶ月といませんでした。それは警察からの追っ手を逃れるためです。福田和子は偽名を使い、また整形を幾度と行い、転々と全国各地をさまようのです。
名古屋市を出た福田和子は、一宮市、大垣市、大阪市、千葉県大多喜町など、転々とすればするほど、逃亡生活は難しくなり、売春婦やついには浮浪者にまでもなっていくのです。
福田和子はなるべく人にかかわることを避けながら、15年という時効の日を待ち望み、暮らしていくのでした。
15年逃亡するも時効成立直前に逮捕!【松山ホステス殺害事件】
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福田和子の逃亡劇の最終地は福井市でした。
福田和子はビジネスホテルの非常階段近くの部屋を借り、偽名を使いながら、多くのパトロンを持ち、金沢にいたときのような華やかさを持っていました。
時効まであと9ヶ月…福田和子の気持ちが少し緩み始めてきたころかもしれません。ビジネスホテルにはカレンダーに時効となる日にしっかりと丸をつけて、時効となる日を待ち望んでいたのです。
おでん屋の常連に
三知世 michiyoさん(@kaomei777)がシェアした投稿 – 2019年 6月月9日午前2時11分PDT
ある日、福井市の商店街にあるおでん屋に立ち寄ります。
そのおでん屋は、一人の女将が切り盛りをするおでん屋でした。女性一人でおでん屋に来ている人などおらず、大体は中年男性の常連客が多くいるようなお店です。
福田和子がこの店に来た瞬間、この店にいた男性は轟きます。福田和子は100人の男がいれば100人の男に魅了されると自分で言っていますが、その通りで、このおでん屋においても中年男性を魅了させてしまうのです。
福田和子は、いい気分になったのか、このおでん屋に出入りするようになります。
テレビの報道番組がきっかけに
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時効寸前となる1997年の夏、テレビで全国指名手配されている福田和子について連日、テレビや雑誌で報道が行われるようになりました。警察も懸賞金を出すなど必死だったのです。
ある時、この報道番組を見たおでん屋の女将と男性常連客が、いつも来ている女は福田和子ではないかと疑うようになります。時効寸前ということで、この女将と常連客は警察に相談するのです。警察は証拠をおさえるため、福田和子の指紋の提供を伝えます。
女将と常連客は、福田和子の来店を待ちました。今まで常連のように来ていた福田和子がぱったりと来なくなったのです。そんな時、7月27日に、女将が商店街で買い物をしていた時に女将は福田和子とばったりと会うのです。そこで女将はおでん屋に来るよう、福田和子を誘うのでした。
女将は福田和子が殺人犯だということに気付いてしまっていたので、意識しすぎて福田和子といつものように話せません。それに気付いた福田和子は女将を怪しむのです。
翌日7月28日、福田和子は約束していた通り、おでん屋に現れます。女将と常連客は指紋を入手するために、女将はビールを、そして常連客はカラオケに使うマラカスを渡すのです。
福田和子がおでん屋を去った後、女将は警察に福田和子の指紋のついたビール瓶とマラカスを渡すのです。警察は指紋を調べ、おでん屋に出入りしている女は福田和子だということを明らかにします。
次の日、7月29日に、福田和子はおでん屋にやってきます。いつものようにビールを飲み、カラオケに興じるのです。その時、おでん屋に1本の電話がかかってきます。
その電話は警察からでした。警察は、昨日提供した指紋は福田和子のものだったと女将に伝えるのです。それを聞いた女将は福田和子が今おでん屋に来ていることを警察に伝えます。
警察は、おでん屋の前で福田和子を待ち伏せします。福田和子は、おでん屋でお腹いっぱい食べ、気分よく飲んだ後、おでん屋をあとにするのです。おでん屋を出た時、警察が駆け寄ってきます。福田和子は、時効成立となる21日を前にしてとうとう逮捕されてしまいました。
これをもって、福田和子の逃亡生活は終わりました。
福田和子は服役中に脳卒中で死亡?【松山ホステス殺害事件】
時効が開けたら、自由になれると思っていた福田和子はとうとう警察に捕まります。
福田和子は逮捕当時、オレンジ色の上着に白色のタイトスカート、そして小物入れのバックを持っていました。ゴールドとシルバーのネックレスを2本付け、赤茶色に染めた髪には、白いバンダナを巻いていたそうです。約15年にわたる逃亡劇でしたが、逮捕された時には、指名手配写真よりも痩せてはいましたが、逃亡生活に疲れてやつれるほどではありませんでした。
福田和子は、逮捕された翌日に、福井署から松山東署に身柄を移し、大阪でNO.1ホステスの通帳から現金を引き出したり、殺人後に家財を運び出すことをしたことから、強盗殺人容疑として容疑を切り替えられ、追跡調査が始まるのです。
追跡調査の結果、時効直前の1997年8月18日に殺人罪で起訴となります。公訴時効まで11時間という時効直前の起訴でした。
1997年10月27日に松山地裁で第一回公判が開かれます。テレビでの話題性からか、2000人をも超える人が傍聴券を求めて集まりました。裁判で福田和子は、刑期を少しでも短くしたいと、この事件の計画性を徹底的に否定しました。
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何度も裁判を行いましたが、最終的に2003年11月に無期懲役が決定してしまうのです。
強盗殺人罪で服役中だった福田和子ですが、2005年2月に収監先の和歌山刑務所で倒れ、和歌山市内の病院へ搬送され、緊急手術を行いますが、意識は戻ることなく、3月10日にくも膜下出血を起こして死亡してしまうのです。
福田和子が57歳の時でした。
福田和子の夫が語る彼女の性格とは?【松山ホステス殺害事件】
福田和子は約15年にわたる逃亡生活を送ってきましたが、男が絶えることはありませんでした。
また、逃亡生活をしている中で、かかわりをもった人たちは皆、福田和子のことを悪くいう人はいませんでした。
福田和子という女の性格について、事実婚上の夫であった老舗和菓子店の三代目若旦那が後にこのように話しています。
明るくて人懐っこい
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福田和子は性格が明るかったと言います。また人懐っこい性格でした。
ホステスであるときも、新規のお客さんに対しても、明るく人懐っこく接するので、福田和子目当てで来るお客さんも多かったといいます。それゆえ、何人もの愛人がおり、スナックで愛人同士が鉢合わせしてしまうこともありました。
要領が良い
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スナックで愛人同士が鉢合わせしてしまったとしても、福田和子の明るさと人懐っこさで、それぞれの愛人が怒らないよう上手く対処してしまうのです。
人の心を読み、要領よくやっていたからこそ、愛人ごとに偽名を使っていたりと、上手くこなしていたのだと思います。
企画力がある
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福田和子が老舗和菓子店の女将となってからも、元ホステスという性分を活かして、お客さんへ上手く対応することにより、売上を伸ばし、店の中の雰囲気がとてもよくなります。
福田和子はお客さんが喜んでもらえると思うことを次々とこの老舗和菓子店で行っていくのです。
例えば、和菓子セットにならずに残ってしまった和菓子であっても、今まではそのまま売っていましたが、新しい商品のみを売るようにして、残り物の商品は、商品を購入したお客さんへのサービスとして渡していました。
また、ひな祭りの時にはひな祭りの飾り物をしたり、夏には縁台を出して店の前で食べられるように工夫をしたり、また新商品の開発までもするなど、老舗和菓子店では行ってこなかったことを行うことにより、福田和子は三代目若旦那の家族からも信頼されるようになるのです。
夜の生活も欠かさない
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福田和子は整形を重ねていきますが、そこまで美人とはいえません。
でも逃亡生活の中で、男を絶やすことなく続けていけたのは、夜の生活が上手かったのかもしれません。ワンパターンになることなかったと言います。
福田和子は男に甘えながらも、自分からも攻めていくなど、男性を飽きさせなかったそうです。
子供には優しい母親
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子供に対して、手抜きをするということはありませんでした。
もともと4人も子供がいて、夜の仕事もしていたのにもかかわらず、料理はいつも凝った手料理であったり、老舗和菓子店の女将となってからも前妻との子が嫌がる中でも誕生日には手作りの誕生日ケーキを作ってあげるなどをしていました。
いくら自分が殺人犯だとしても、自分の子供に対しては良い母親でいたいという気持ちが強かったと思います。
福田和子は、女として母親として、いつでも100%を出し切り、いつも一生懸命に生きていたのかもしれません。
福田和子の子供の現在は?息子は和菓子屋を経営していた?
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福田和子には4人の子供がいました。息子1人に、娘が3人です。
その中で、福田和子は長男である息子のことを一番可愛がっていたといいます。これは、老舗和菓子屋店の女将として働いていたときに息子だけを自分の元に呼び寄せたことからも言えることでしょう。
福田和子の子供が現在どのような生活を送っているのかを紹介します。
息子・長男
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福田和子の長男については、福田和子の裁判の際に発言していることから、よく知られています。
福田和子の長男は、福田和子が金沢へ逃亡していた時に、老舗和菓子店へ呼び寄せて、甥っ子と偽り、一緒に生活をしたのが長男です。福田和子がこの長男には無性に会いたくなり、連絡をたびたび取っていたといいます。
この長男は、福田和子が逃亡している間も何度も会っています。長男もたびたび転校したりしていますが、その場所その場所で、親が福田和子であることを正直に話しても、いじめられることはなく、周りの優しい人々に支えられ、生きていくのです。
福田和子が長男を老舗和菓子店へ呼び寄せ、見習いとして働くのですが、腕は良かったため、とても重宝がられました。ただ、福田和子が自転車で金沢を後にし、逃亡してから、この老舗和菓子店を辞め、また松山へ帰ったといいます。
福田和子の長男が松山に戻った後、婚約者ができます。福田和子に婚約者を紹介したいと、連絡をとり、福田和子と京都で会うのです。福田和子は、長男が優しい子であるから、これからもよろしく頼みたいと婚約者へ託し、2人のもとを去っていくのです。
福田和子の長男は、自分の母親が福田和子だということを正直に話し、婚約者はそれを受け入れ、結婚するのです。その頃、福田和子の長男は鉄工所で働いていました。福田和子が逮捕された時もいつものように鉄工所にいたのでした。
福田和子が逮捕され、松山東署へ移送された後、面会した時に、母親の福田和子に、自分の子供が出来たことを伝え、また、福田和子が出所したら一緒に住もうと誘うのです。
また、福田和子が和歌山刑務所で倒れ、和歌山市内の病院へ運ばれてからも、献身的に母親のそばにいたのも、この長男でした。
長男は、殺人犯である福田和子について、母親とは良い思い出しかないと言っています。福田和子は母親として、長男には多くの愛情を注いでいたからこそ、長男も母親をそのように思っているのかもしれません。
娘たち
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実は、福田和子の娘たちについて、詳細な情報はありません。
やはり、母親が福田和子ということで、いじめられたり、嫌がらせを受けるであろうと想定して、母親が福田和子であることを隠して生きているものと思われます。
今は、長男以外の子供たちは、どこで、どのように生活しているのか、結婚しているのかなどの情報はないのです。今、娘たちの居場所などを追跡しても、その子供や他の人にまで影響があるかもしれないので、このままにしておいた方がよいのでしょう。
福田和子という女の生き様。【松山ホステス殺害事件】
福田和子は、松山ホステス殺害事件でNo,1ホステスを殺害し、現金や家財道具を運びだし、山中に遺体を捨てるという悪事をしてしまいました。
18歳の時に強盗で逮捕され、刑務所内で強姦された過去と同じようなことはされたくないという動機から、逮捕されることを恐れ、時効が成立するまでの15年におよぶ逃亡生活を送るのです。
この15年におよぶ逃亡劇は、福田和子が逮捕される前であっても、整形をして7つの顔を持ち、20もの偽名を使って、数多くの男と奔放に遊びや暮らしを行いながらも、警察からの追っ手を逃れて逃亡生活を続けるという、ドラマティカルであったことから、国民から多く関心がもたれるようになり、この事件についての書籍が発表されるだけではなく、大物有名女優を使ったテレビドラマまで放送されるのです。
福田和子を演じた女優を挙げると、藤山直美さん、大竹しのぶさん、藤澤オリエさん、鈴木ひろみさん、河合美智子さん、寺島しのぶさん、佐藤仁美さんと多くの大物有名女優の方が名を連ねています。この大物有名女優が演じている福田和子は全てにおいて好演で、本物の福田和子を見ているようだと言われているのです。
それほどに国民から興味をもたれた福田和子は、女としても、妻としても、母親としても、いつでも100%全力で生きていました。逃亡してからは、いつも時効を待ち、時効になったら自由になれることを信じて生きてきました。
そして、逮捕された後には、息子から出所後は一緒に住もうという言葉を信じて、無期懲役ではありましたが、希望はあったと思います。
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今、現在の日本は、街中に防犯カメラが多くあることから、福田和子のように15年におよぶ逃亡生活を送ることは難しいと思います。いくら整形を重ねていても、逃亡資金から整形資金を作るのも難しいですし、SNSなどにより本人が知らないところでも似た人を見たということで拡散され、逮捕されることが多々あるのです。
今のようにインターネットやSNSが日常でなかった、この時代だったからこそ、福田和子という人物は逃亡することができ、また逃亡先でも疑われることなく、人の中に入ることができたといえるでしょう。
逃亡するために、夫も捨て、子供も捨て、そしてすべての現実を全て捨ててまで行った福田和子は、他人を魅了する力を持ち、鋭い直感を持ちながら、全力で生きていました。
この福田和子という女の生き様はすごいとしか言いようがありません。