パリ人肉事件・佐川一政の現在!異常性癖と鬼畜過ぎる犯行の全容

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パリ人肉事件の概要

引用: Pixabay

皆さんは、パリ人肉事件という事件をご存知でしょうか。

今回はこのパリ人肉事件、そしてその主犯である佐川一政、彼の現在や、鬼畜とも呼べる犯行、異常性癖などについてご紹介致します。

あまりに犯行内容が鬼畜なため、心臓の弱い方は閲覧注意となりますので、Uターンすることをお勧めします。それでも見たいという方だけ続きをご覧ください。

まずは、現在、パリ人肉事件についてご存じでない方の為に、こちらの概要についてご紹介致します。

パリ人肉事件とは、1981年6月11日、フランスのパリで、当時32歳で日本人留学生だった佐川一政によって起こされた一連の事件です。

佐川一政は、友人のオランダ人女性(当時25歳)を自宅に呼び出して、背後からカービン銃を使用し、殺害します。その後佐川一政は、服を脱がせ屍姦をします。ここまででも十分異常性癖であり、かつ鬼畜極まりない犯行であると言えます。

しかし、それだけでは終わりません。何とその後、佐川一政は死体の一部を生のまま食べるという更なる異常性癖を見せ、食後に死体を解体し、撮影。そして、今度はフライパンで調理して食べるという、もはや異常性癖と片づけることすらはばかられる鬼畜な犯行に及びました。

2日後の6月13日に残りの遺体をブローニュの森へ遺棄するところを目撃され、その後、佐川一政は逃亡。しかしそのさらに2日後の6月15日に現地警察に逮捕されています。

佐川一政は、このパリ人肉事件の犯行に及ぶ前にも、日本にて、近隣に住む女性を食人目的で襲撃し、逮捕されています。佐川一政は幼少の頃よりこういった食人に興味を持つなどの異常性癖、すなわちカニバリズムがあったとも報じられています。

そして逮捕後、佐川一政はパリ人肉事件において、心身喪失状態により不起訴処分となります。これだけの鬼畜な犯行をしておいて一切罪を問われないとは驚きを隠せません。

その後、佐川一政はフランスの精神病院に入院となり、翌年、東京都立松沢病院にも入院しました。この時、日本では心神喪失は認められないのでもう一度刑事責任に問われるべきだとし、物議を醸しますが、フランス側が一度不起訴になった佐川一政の捜査資料を貸与することを拒否しました。

そのため、現在においても何の罪にも問われることはなく、のうのうと生きています。

 

カニバリズムとは?


引用: Pixabay

ここで、さらに上述の異常性癖「カニバリズム」についてご説明致します。

簡単に言うと、人間が人間の肉を食べる行為や、習慣を指します。このカニバリズムという言葉は、「食人俗」や「人肉嗜食」など呼ばれることもあるようです。

カニバリズムの歴史は古く、先史時代より、ヨーロッパでは一部の部族により、食人行為が好まれ、その中でも特に子供の肉が非常に好まれていたという記述があります。日本では、主に戦や、戦争などの緊急時にカニバリズムが行われていたようです。習慣としてのカニバリズムはあまり見られませんでした。

また、世界各国で、単なる習慣などではなく、薬用として人体の一部が食されていた記述も多く見られました。現在は倫理観の問題等から少なくなっているようです。

しかし、佐川一政による鬼畜な犯行であるパリ人肉事件の場合、当然のごとく、薬用でカニバリズムを行ったわけではなく、その歪んだ性的嗜好、異常性癖によってこのカニバリズムを実行したと言わざるを得ません。

では、佐川一政の異常性癖であるカニバリズムはいつから現れたものなのか。また、パリ人肉事件当時の佐川一政はどんな人物だったか。さらに佐川一政は現在どうなっているのか。

次項では、そういった部分を生い立ち、経歴などから紐解いていこうと思います。

 

犯人、佐川一政の生い立ちと経歴

 

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ここまででご紹介したパリ人肉事件の主犯佐川一政は、カニバリズムを中心とする異常性癖をもち鬼畜な犯行に及んだおおよそ人間とは思えない人物でした。

この項では佐川一政がいったいどこで生まれ、どんな時間を過ごし、いつ鬼畜になっていったのか、なぜパリ人肉事件を起こしてしまったのか、現在は?など、その答えを探るべく、その生い立ちと経歴をご覧いただきたいと思います。

それでは、本編をどうぞ。

 

佐川一政の生い立ちと経歴【1】生誕


引用: Pixabay

後にパリ人肉事件を起こすこととなる佐川一政は、1949年4月26日に兵庫県神戸市にて、伊藤忠商事勤務の父親と、専業主婦である母親の下に生を授かりました。単純計算で現在ちょうど70歳です。

また、佐川一政の祖父は朝日新聞論説委員を務めており、叔父は歌手で、俳優の佐川満男という非常に優秀な家族、親族に囲まれています。家庭も裕福だったようです。

生誕時の佐川一政は、父親の手に乗るほどの未熟児だったようで、1歳になるころ腸炎を患い、生死を彷徨います。その後、何とか一命は取り留めたものの入退院を繰り返すような虚弱体質で、両親も「あと何年生きられるか」と心配するほどだったようです。

その影響かどうかは分かりませんが、佐川一政は成人後も150センチしか身長がありませんでした。成人男性の中ではかなり小さな部類に入ると思います。本人もコンプレックスだったと語っているようです。

もしかするとそういったコンプレックスがパリ人肉事件を引き起こす遠因になっている可能性があるのかもしれません。

 

佐川一政の生い立ちと経歴【2】幼少期

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引用: Pixabay

その後、佐川一政は虚弱体質だったこともあり、やや内向的な性格の少年となりましたが、無事成長を遂げます。

少年時代、内向的な性格だった佐川一政は芸術に深く傾倒するようになります。文学ではエミリー・ブロンテの「嵐が丘」やトルストイの「戦争と平和」などの他シェークスピアなどに興味を持ち、音楽はベートーベンやヘンデルを愛していたようで、外国の芸術が興味の中心だったようです。

ここから、佐川一政の外国への憧れがやや見て取れます。パリ人肉事件や、その前に自身が日本で起こした食人未遂事件の被害者は両者ともに外国人女性であったことから、佐川一政の外国人女性への深い執着心はこの頃既に生まれていたのかもしれません。

ただ、日本文学にも興味を持っていたようで、白樺派に特段傾倒しており、志賀直哉の「暗夜行路」にインスパイアされ、短編小説を書いたり、また、武者小路実篤にアポなしで会いに行ったこともあるそうです。

その際、武者小路は佐川一政と玄関先で1時間ほど会話したそうです。このように、佐川一政の行動力はものすごいものがあります。一旦それを考え始めると、実行しないと気が済まないのでしょう。

この性格もパリ人肉事件を起こした遠因であると言えます。自身の異常性癖であるカニバリズムを満たすためにそれを行動に移してしまい、結果鬼畜な犯行が行われたのです。

さらに、少年時代の佐川一政に叔父はこんな話をします。「幼い子供を誘拐しては鍋で煮込んで食べる魔法使いの話」です。この話を佐川一政は何度も聞かされていたようです。

このことから佐川一政は小学生の頃、すでに人肉を食べることに興味を持っていたといわれ、カニバリズムが佐川一政の異常性癖として芽生えていったきっかけと言えるでしょう。これはパリ人肉事件を語る上では非常に興味深いエピソードと言えます。

このように、外国への執着や、目的達成のための異常な行動力、カニバリズムへの目覚め等、佐川一政は幼少期にはすでに、後にパリ人肉事件を起こす要素をたくさん持っていたと言えるでしょう。

 

佐川一政の生い立ちと経歴【3】青年期

引用: Pixabay

その後成長した佐川一政は、聖ミカエル学園、神奈川県立鎌倉高等学校を経て、和光大学文学部人文学科へ進学します。

その間、佐川一政は高校の過程でも、やはりカニバリズムという異常性欲を抑えきれず、医師に自ら相談しに行きましたが、相手にされず、門前払いを食らってしまったようです。

そして、上述の通り、異常性癖を抱えたまま大学に進学しますが、ここでパリ人肉事件の序章ともいうべき事件を佐川一政は起こします。

なんと、近隣に住んでいた中年のドイツ人女性宅に食肉目的で侵入したのです。幸いなことに女性に被害はありませんでした。この事件については、父親が示談金を支払ったことで告訴は取り下げられたようです。

しかし、一歩間違えば、第一のパリ人肉事件ともいうべき鬼畜な犯行が佐川一政の手により、ここで行われていた可能性が十分にあります。また、この事件は、この後のパリ人肉事件の発生を十分示唆しているとも言えます。

その後、佐川一政は1976年に関西学院大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程を修了しています。そしてこの時点でもまだ十分にカニバリズムを中心とする異常性癖は残っていたどころか、増幅している過程だったと思います。

「いつか人肉を食べたい」ではなく「必ず人肉を食べなければ」に佐川一政の中でどんどん思考が膨らんでいったのでしょう。

 

佐川一政の生い立ちと経歴【4】パリ人肉事件直前

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引用: Pixabay

その後、佐川一政は、1977年にフランスへ留学します。

やはり幼少期の頃から、外国への憧れがあったのでしょう。ついにその思いを形にし、1980年にはパリ第3大学大学院比較文学専攻修士課程を修了させています。パリ人肉事件のおよそ1年前となります。

それから、同大学院にて博士課程に在籍していた1981年の6月11日にパリ人肉事件は起こります。ずっと本文にてご紹介してきたパリ人肉事件という鬼畜の所業ともいうべき犯行がついにここで行われてしまうのです。

ここでついに佐川一政の中でカニバリズムという異常性癖と共に膨らんだ欲望が爆発してしまいました。生誕からパリ人肉事件までの生い立ちと経歴は以上です。

簡単にここまでをまとめると、佐川一政は幼少期に芽生えたカニバリズムという異常性癖をずっと抑えきれず、青年期で食人未遂、膨らんだ欲望がパリ人肉事件という形で爆発したということになります。

 

佐川一政の生い立ちと経歴【5】パリ人肉事件後

引用: Pixabay

パリ人肉事件後から現在については下記の別の項にてご説明しているので、概要だけご紹介することに致します。

その後、パリ人肉事件を起こした佐川一政は、不起訴処分となり、現在までにパリ人肉事件に対する罪を一切問われていません。事件後、一旦フランスの精神病院に入院しますが、強制退去という形で、日本へ帰国します。そして日本でも精神病院へ入院します。

その病院や、警察において佐川一政をパリ人肉事件の主犯として逮捕することが画策されますが失敗してしまいます。退院後は、パリ人肉事件の詳細を聞くために集まったマスコミにより引っ張りだこになり、時代の寵児となります。

そして佐川一政はパリ人肉事件のことをネタに小説家、コメンテーターなど様々な仕事をしますが、世間の人々の興味も何十年もパリ人肉事件に惹きつけられるわけはなく、現在は仕事がほとんどない状態で、借金まみれになっていた時期もあるようです。さらに現在は体調を壊し入院しているそうです。

ざっとこれだけ見てもパリ人肉事件について現在に至るまで反省している様子はなく、佐川一政の鬼畜性、異常性がお分かりいただけるかと思います。

 

佐川一政の異常性癖エピソードまとめ

引用: Pixabay

佐川一政の生い立ちと経歴はいかがだったでしょうか。

パリ人肉事件を起こす要素は幼少期に生まれ、そのまま異常性癖を抑えられなくなってパリ人肉事件が起きてしまったのです。本項では、佐川一政がパリ人肉事件を起こす引き金の一つであると言える、異常性癖についてまとめてみました。

それでは、ご覧ください。

 

異常性癖エピソード【1】カニバリズム①

引用: Pixabay

こちらについては、今回のテーマであるパリ人肉事件における佐川一政の異常性癖エピソードとして最も関連性が高いものとなっています。

パリ人肉事件を起こした佐川一政はその後、一旦部屋を出て、ナイフを購入しに出かけます。戻った佐川一政は女性の死体から一部をそのナイフではぎ取って食べました。続いて、乳房をそのナイフで切り取り、フライパンで調理し、塩コショウで味付けまでして食したそうです。

その味に本人は大満足し、「匂いのない、マグロのトロのようだった」とコメントしています。これを見る限り、佐川一政の異常性癖は本当に鬼畜の一言だと思います。

 

異常性癖エピソード【2】カニバリズム②

引用: Pixabay

さらに、パリ人肉事件における異常性癖として挙げたいエピソードがこちらです。

佐川一政は前日の食事だけでは満足できなかったのか、なんと、翌朝の朝食にも女性の死体をチョイスしてしまいます。生で脚を食べた後に、陰部も切り取り、調理して食べたようです。

その後も、鼻、口、舌など次々に死体の部位を佐川一政は食していきました。その時の様子や、感想を佐川一政はこう語っています。

「鼻は軟骨そのままのこりこりした噛み心地。唇は意外に固くて生では食べられなかった。舌も同様だが、苦心して噛みくだこうとしているときふと、鏡を見ると、舌と舌とが絡み合っているのが見えた」

もう鬼畜すぎて言葉も出ません。

 

異常性癖エピソード【3】屍姦①

引用: Pixabay

佐川一政は、パリ人肉事件の際、カニバリズムによる食人行為だけでなく、それを行う前に、女性の死体の服を脱がせ、自分の衣服も脱ぎさり、犯しているのです。

それだけではなく、その様子を写真に何枚も撮影しているというから驚きです。

一体佐川一政という人間はどういう精神構造をしているのでしょうか。異常性癖がカニバリズムの他にもあってそれが屍姦だなんて。死者を愚弄する最低の鬼畜行為であると言えます。

 

異常性癖エピソード【4】屍姦

引用: Pixabay

屍姦という異常性癖エピソードに関してはまだあります。

それはパリ人肉事件の翌日、鼻、口、舌を食べる前のことです。何と、佐川一政は、彼女の手を使い自慰行為に及んでいたというではありませんか。しかも複数回ということから、その佐川一政の異常性癖の異常さが見て取れます。

鬼畜の所業とはまさにこのことで、こんな犯行に及んだ佐川一政が何の処罰もされぬまま今も生きていると考えると本当に胸糞が悪くなります。

 

異常性癖エピソード【5】弟・純の性癖

引用: Pixabay

佐川一政の異常性癖を調べているうちに、佐川一政には純という弟が存在することが分かりました。

これは厳密に言うと佐川一政の異常性癖ではないのですが、弟の佐川純も異常な性癖を持っていることが判明しました。

それは、自分の腕を有刺鉄線等でぐるぐる巻きにし、痛めつけるというものでした。マゾヒストなのでしょう。「二の腕の特に内側は心臓に近いから気持ちいい」などとインタビュー等で発言していました。

一概に一括りにしてしまうのはどうかと思いますが、性癖は親族間の遺伝が影響しているという噂を聞いたことがあります。佐川家は普通に見た場合、かなりアブノーマル、つまり異常性癖を持っていることが分かりました。

それよりも何よりも、時間が経ったとはいえ、兄である佐川一政がパリ人肉事件という鬼畜的犯行を行ったのにも関わらず、のうのうと世間のインタビューに答えていることに驚きと怒りを禁じえませんでした。

 

佐川一政、鬼畜過ぎる犯行の全容

 

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前項では、佐川一政のカニバリズムを中心とする異常性癖についてパリ人肉事件のエピソードと共に見ていきましたが、いよいよ、そのパリ人肉事件の鬼畜ともいえる犯行の全容をご紹介していこうと思います。

それでは本編をどうぞ。

 

鬼畜すぎる犯行の全容【1】パリ人肉事件発生前

引用: Pixabay

まず、パリ人肉事件発生前からですが、先述の通り、当時32歳だった佐川一政の抑えきれないカニバリズムを中心とする異常性欲は爆発寸前でした。

「必ず人肉を食べなければならない」そういった思想が佐川一政の中でぐるぐる巡っていました。

これは、もはや、強迫観念に近いものでもあったと言えます。そして、その鬼畜的犯行は佐川一政の中で場当たり的にどんどん計画されることになっていきます。そしてパリ人肉事件の発生へとつながっていきます。

 

鬼畜すぎる犯行の全容【2】パリ人肉事件発生(殺害まで)

引用: Pixabay

1981年6月11日、佐川一政はその計画を実行するために、ある一人のオランダ人女性を自宅に招きます。

彼女の名はルネ・ハルデヴェルトと言いました。佐川一政と同じ大学院に通う当時25歳のオランダ人留学生でした。

そして、その後まもなく、ルネは佐川の鬼畜的犯行、パリ人肉事件の犠牲者となり、凌辱されてしまうこととなります。

佐川一政は「大学の教授にドイツ語の詩の翻訳を頼まれたから手伝って欲しい」と言葉巧みにルネを誘い出すことに成功します。

彼女は佐川一政の言葉を信じ自宅に訪れ、作業を手伝いました。本当の目的は彼女を殺し食べることとはもちろん知るはずもありません。

黙々と翻訳作業を手伝うルネ、その背後から佐川一政は近づきカービン銃の引き金をルネに向けて引きました。もちろん至近距離から銃撃を受けてしまったルネは、凶弾に倒れ絶命してしまいました。

これがパリ人肉事件として佐川一政が行った最初の鬼畜的犯行でした。

 

鬼畜すぎる犯行の全容【3】パリ人肉事件(屍姦)

引用: Pixabay

パリ人肉事件のここまでは、佐川一政にとって「準備」にしかすぎませんでした。

ルネ殺害後、佐川一政が初めに取った行動は自身の服を脱ぐことでした。目的は自身の異常性癖を満たすための鬼畜的犯行「屍姦」を行うためでした。

佐川一政は、彼女の頭から噴き出る血液を止め、ふき取った後に、服を脱がせました。そしてまだ温もりの残る体を隅々まで愛撫した後に屍姦を行いました。そして屍姦中や、その後写真を何度も取ったそうです。

パリ人肉事件での殺害に続く佐川一政による2つ目の鬼畜的犯行がこの時行われたのです。しかし、佐川一政にはまだ最大の目的である人肉を食べるという行為が残っています。

 

鬼畜すぎる犯行の全容【4】パリ人肉事件(食人行為①)

引用: Pixabay

このパリ人肉事件における佐川一政最大の目的である「人肉を食べる」ということを達成するために、屍姦後、すぐ彼女の臀部にかじりつきました。

しかし、思っていたよりも臀部の肉は硬く、噛み切ることができませんでした。そこで、佐川一政はキッチンの包丁を使用し、切り分けることを試みましたがこれもうまくいきません。

佐川一政は次の行動に移します。なんと一旦部屋を出て、専用のナイフを購入しに出かけたのです。

その間に死体が見つかったらなんてことは考えなかったのでしょうか。佐川一政の頭の中は人肉を食べたいという異常性癖でいっぱいだったのでしょう。

帰宅後、佐川一政はバスルームへ彼女の死体を運び、購入したナイフで彼女の肉を数枚切り落とし、生のまま食しました。

それだけでは飽き足らず、佐川一政は乳房を切り取りフライパンで調理後、塩コショウで味付けまでして再度食しました。この異常性癖に基づく食人行為こそパリ人肉事件における第3の鬼畜的犯行であると言えます。

ここまでが、パリ人肉事件の1日目の様子となります。

 

鬼畜すぎる犯行の全容【5】パリ人肉事件(食人行為②)

引用: Pixabay

パリ人肉事件発生の翌朝、6月12日、佐川一政は目覚めると、昨日の人肉の味が忘れられなかったのでしょうか。朝食にまた人肉を食べることを選びます。

朝食で食された部位は、脚と陰部でした。

脚は生のまま、陰部はフライパンで調理し、食したようです。そして、その後、佐川一政は死体の手を使って何度も自慰行為に及んだりした後、3回目の人肉料理を食すことになります。

次に選んだ部位は、鼻、口、舌でした。それを食した後、鏡の前で切断した頭部をもって叫んだりもしたそうです。カニバリズムという異常性癖が満たされたことによって興奮したのだと思います。

これがパリ人肉事件で佐川一政が行った4つ目とも取れる鬼畜的犯行です。

この前日、そして翌朝、その後と3度に渡る佐川一政の食人行為によって、この事件が後にパリ人肉事件という名前で呼ばれることになった所以になります。

 

鬼畜すぎる犯行の全容【6】パリ人肉事件(死体処理)

引用: Pixabay

パリ人肉事件はまだ続きます。残るは死体の処理です。

佐川一政は死体の残りの部分を、当初冷蔵庫で保管するつもりで詰めていきましたが、全ては詰めれませんでした。さらに6月という季節もあり、腐臭が目立ち始めます。

佐川一政は、泣く泣く死体を解体し、遺棄することを選択します。本人はこのパリ人肉事件における鬼畜的犯行をもちろん隠したかったのもあったでしょう。しかし食べたかったけど仕方なしにというのが本意だったようです。

何とか、佐川一政は浴室で死体を切り分け、2つのスーツケースに分けて詰め込みました。なお、最初に身に着けていた彼女の衣服は近所のゴミ箱に捨ててあったそうです。しかし、下着だけは大事に保管していたと言いますから本当に鬼畜です。

そして死体遺棄の目的地へ向かうために佐川一政はタクシーを呼びます。目的地はブローニュの森です。この時タクシーの運転手は佐川一政を不審がり、「中に死体でも入っているのでは」と尋ねました。

すると、佐川一政は「本が入っている」と切り抜け、そうこうしているうちにブローニュの森へたどり着きました。

ブローニュの森へたどり着いた佐川一政は何とか水辺まで、スーツケース2つを運びます。そして、水辺に映る景色などを眺めていると、置いていたスーツケースに知らない男が手をかけていました。

男が「このスーツケースの所有者か」と佐川一政に尋ねました。佐川一政は一瞬気が動転したのか否定し、「違う」と言うと、男がスーツを開けてしまいました。

当然中には、佐川一政の鬼畜的犯行によって欠損した死体が見つかり、「人殺しだ」と大騒ぎになったようです。佐川一政はすぐにその場から逃走しました。ここまでがパリ人肉事件発生から、3日目に当たる6月13日の出来事です。

 

鬼畜すぎる犯行の全容【7】パリ人肉事件の終焉(逃走、そして逮捕)

引用: Pixabay

こうして、パリ人肉事件の主犯として目撃証言などから佐川一政が挙がります。そして現地警察は逃走した佐川一政の自宅に逮捕の為、張り込みをします。

パリ人肉事件発生から、5日後の6月15にパリ人肉事件の犯人として佐川一政は逮捕されます。その際一切抵抗する様子はなかったようです。

その後取調べの際の自供により、佐川一政の自宅からはフライパンから人肉の肉片や、冷蔵庫へ保存していた死体の部位が見つかり、パリ人肉事件の鬼畜的犯行が行われた決定的な証拠として回収されたようです。

こうして、パリ人肉事件という鬼畜的犯行は一旦終焉を迎えることとなりますが、当時フランスでこの鬼畜的犯行が報道されるとパリ市民のほとんどがパリ人肉事件という事件を知ることとなり、恐怖に怯えました。

また、日本でも、日本人佐川一政が起こした鬼畜的犯行としてこのパリ人肉事件が報道される次第となり、多くの人がこの事件を知るところとなりました。

 

鬼畜すぎる犯行の全容【8】パリ人肉事件終焉後

引用: Pixabay

結果、フランスだけでなく、日本でも多くの人が知るところとなったこのパリ人肉事件ですが、佐川一政はその後、心身喪失状態とされ、不起訴処分となっています。そしてパリの精神病院に入院することとなりました。

ですので、一切罪には問われていないのです。あれだけの鬼畜的犯行であるパリ人肉事件を起こしておいてです。

1年の入院後、佐川一政は日本へ強制帰国という形で帰ることになりました。以上がパリ人肉事件の犯行の全容です。

 

佐川一政の現在

引用: Pixabay

ここまで、パリ人肉事件の主犯である佐川一政の鬼畜ともいえる犯行の全容を見ていただきましたが、ではその後、佐川一政はどういった人生を送ったのか。そして現在は何をしているのかについてみていこうと思います。

まず、佐川一政の現在についてご紹介する前に、前項の日本へ戻ってきた時から現在に至るまでをご説明したいと思います。

パリ人肉事件の後、パリの精神病院に入院し、その後日本へ帰国した佐川一政は日本の精神病院、東京都松沢病院へ再度入院させられることとなりました。

その際に副院長はこのようなコメントを発表しています。「佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないか」

これには警察も同様の考えを持っており、やはり、パリ人肉事件に対し、何らかの刑事責任を問うべきだと考えており、それに対し動き始めます。

しかし、このパリ人肉事件による逮捕計画は失敗に終わります。主な理由として、フランス側がパリ人肉事件で不起訴処分とした佐川一政の捜査情報を日本警察へ譲渡することを拒否したからだと言われています。

そして、病院を退院した佐川一政を待ち受けていたのはマスコミでした。日本でも広くパリ人肉事件は知られており、マスコミは格好の餌として佐川一政に過剰報道を仕掛けます。

本人もまた、パリ人肉事件のことを馬鹿正直に答えたため、その被害は家族に及びます。世間はパリ人肉事件の親ということで猛烈にバッシングを開始。

パリ人肉事件の主犯の親というのはどうしても付きまとい、父親は退職を余儀なくされ、母親も神経症になってしまいます。そして母親は「ルネさえ息子の前にいなければ」といった趣旨の発言をしています。

一体何を考えているのでしょうか。失礼ですが、この親にして、この子ありという感じです。

その後、佐川一政は小説家となります。その書籍の中には自身が犯したパリ人肉事件を題材としたものや、そうでないものもあります。

また、宮崎勤が事件を起こした際は、同列の精神異常者として、たくさんのコラムを持っていたそうで、月収も100万円あったという噂もあります。これを聞くとパリ人肉事件の被害者ルネが本当に浮かばれない気持ちになります。

そして1993年には白人女性達と何度も海外旅行に出かけたりしていたようです。彼女たちは佐川一政が起こした、パリ人肉事件を知っていたのでしょうか。知っていたら、普通自身もパリ人肉事件のようになるかもと思い、近づかないと思います。知らなかったのでしょう。

そしてどうやら、彼女たちは佐川一政を金づるとしか見ていなかったようで、実際旅行では佐川一政がほとんどの費用を負担していたようです。最後はパリ人肉事件が彼女たちにばれてしまいやはりあえなく絶縁となってしまったようです。

しかし、そんな生活も長くは続きません。パリ人肉事件の主犯として一瞬時代の寵児となっただけですから、人々の興味はパリ人肉事件から急速に転移し、どんどん佐川一政の仕事はなくなりました。

人々はパリ人肉事件の主犯が書いた本が読みたいだけで、そこから興味が引いてしまうとこうなるのは自明の理だったように思えます。

そこで佐川一政は生活苦の為に、AVやギャグビデオといったものへの出演をして生活をしのぎます。

そのビデオの内容もやはり、パリ人肉事件に寄せた内容が多く、すぐに飽きられました。もはやパリ人肉事件だけで食べていくのは不可能に近くなっていきました。2001年にはほとんどの仕事がなくなったと言われています。

さらに、2002年ごろには糖尿病と痛風が悪化し、一切の肉を食すことができなくなりました。また、その影響もあってか、生活保護を受けていたようです。こうしてパリ人肉事件の主犯、佐川一政はどんどん落ちぶれていきます。

そして、そんな中でも、佐川一誠はまだ、白人女性への執着をやめませんでした。恐らく現在もやめていないと見られています。湯水のごとく借金を重ね、家族から金を無心し、闇金にまで手を出してしまったのです。

そんな佐川一政に苦しめられた両親は2005年に相次いで亡くなっています。母親は現在までに後追い自殺をしたという情報もありましたが、実はデマだということを弟の純が現在までにインタビューで語っているようです。

パリ人肉事件の主犯、佐川一政の親として、世間から批判されたことも疲弊する大きな要因だったことは間違いなさそうです。佐川一政は本当に親不孝者だと思います。

肝心の佐川一政の現在ですが、まず、存命であるようです。しかし入院しており、現在は、弟の純がその介護や、身の回りの世話をしているようです。

そして、時々、パリ人肉事件のネタでコメントを寄せたり、コラムを書いたりして細々と過ごしているようです。そして、弟の純もパリ人肉事件をネタに小銭稼ぎをしているようです。

本当に残念極まりません。パリ人肉事件の鬼畜性、残虐性を考えたら普通は現在もこんな堂々とできないはずです。反省や自責の念を持ち慎ましやかに生きるのが普通だと思います。

現在まで反省するどころか、パリ人肉事件を起こし、日本帰国後も余すところなくパリ人肉事件をネタに生計を立て、白人女性に貢ぐなどしていた時期もあり、稀代の鬼畜人間と言えると思います。

 

パリ人肉事件・佐川一政

 

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いかがでしたでしょうか。

パリ人肉事件の主犯、佐川一政の現在ということで、前項はご紹介いたしました。では最後に、パリ人肉事件、佐川一政というキーワードを中心にここまでのまとめを見ていきたいと思います。

●パリ人肉事件とは、1981年に佐川一政が起こした殺人、屍姦、食人、死体損壊事件で、現在までに、国内外問わず、多くの人間を震撼させた猟奇的事件であり、その内容は鬼畜的犯行と言わざるを得ない。

●佐川一政は、幼少期に外国芸術へ傾倒し、叔父がした「人を食べる魔女の話」が影響して「カニバリズム」を中心とする異常性癖に芽生え、また、外国人女性への憧れもこの頃生まれたと思われる。

●青年期に、パリ人肉事件の序章ともいえる事件を起こしていて、カニバリズムを中心とする異常性癖は治るどころか、膨張してしまっていたと言える。

●実際に起きたパリ人肉事件では、カニバリズムなどの「食人行為」等の異常性癖に加え、屍姦などの異常性癖も見せており、鬼畜極まりない犯行が行われた。

●日本へ帰国後、現在に至るまでの行動を追跡すると、佐川一政は全くパリ人肉事件について反省しておらず、それどころか弟までもが、パリ人肉事件をネタに生計を立てている。

●両親はそのことを病み、現在では他界してしまっている。

今回、佐川一政やパリ人肉事件について調査しましたが、そのパリ人肉事件もさることながら、佐川一政がそれをネタにし、現在まで生きてきたことが判明し、その異常性などが垣間見えたのではないでしょうか。

普通に考えたら、あれだけのことをして、反省する様子ぐらいはありそうなものですが、現在におけるまで欲望のまま生きており、全くしおらしい様子も見受けられなかったので、正直怒りを覚えました。

佐川一政は救いようのない鬼畜というべきでしょう。

昨今、現在に至るまで、悲しい事件はたくさんあります。少しでもそういった事件が減るように、皆が思いやりを持てる世界になればいいなと切に願います。

佐川一政が起こしたパリ人肉事件は本当に残念で救いようがないですが、この記事を反面教師とし、皆さんが何か現在や未来にプラスになる思考をしていただけるヒントにることを祈っています。

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