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未成線とは、元々の意味では鉄道路線において未だ完成していない路線の事を示していました。
これが鉄道愛好家の間では、完成を目指して建設計画が建てられたが工事途中で打ち切られた路線や廃線となった路線を含めて未成線と呼ばれるようになったのです。廃線跡巡りや未成線巡りが鉄道愛好家の中で行われています。
もし、この未成線が完成していたらどんな路線図になっていたのだろう?そんな想像が鉄道愛好家の中で話題にあがって楽しまれているのです。未知の路線図を描いて楽しむのっていいですよね。
ここでは夢の路線図である未成線について紹介して行きたいと思います。
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未成線の種類
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・路線図の構想のみ存在する路線
鉄道会社や鉄道事業に新規参入しようとする企業、公的機関として運営しようとする自治体などが大まかなルートや規格、施設等を構想し仮の路線図を描いているだけの状態の路線です。
簡単なルートを想定した路線図を空想しているだけであるので、官民を問わずに多くの仮路線図が存在していました。
しかし、計画を実際に詰めていくと、他社との競合により免許が下りないとか、運営するうえで予算を詰めていくと採算が取れない、着工資金が調達できない、土地が確保できないなど多くの理由により仮路線図の計画だけで立ち消えになることがおおいのです。
自治体が路線図を計画した三重新幹線構想は東海道新幹線がすでに飽和状態にあるためJR東海によって計画が却下されたりといたように実現出来ない無茶な路線図が計画されたりしていたのです。
・路線図が決められ計画段階に至っている路線
仮の路線図から具体的に計画が進み、現実的なルートや施設が構想され仮の路線図から計画性のある路線図になり、路線工事の着工を視野に入れられた段階にある未成線。レールの敷設免許を獲得したり、敷地用地が買収された路線がこれに該当します。
しかし、計画途中で資金不足、用地買収トラブル、敷設計画の変更などの理由により着工前にレールの敷設免許が失効した計画などが数多く存在していたのです。
・計画路線図に沿って路線計画が着工されたが途中で中止となった路線
計画路線図に沿って実際に用地取得など計画が進められ、路線工事が開始されたが、自治体の政治家が計画推進派から反対派に変わったとかの政治的理由や資金的問題、戦争の終結のようなその計画路線をとりまく状況の変化、地震や津波などの天災などの理由により着工途中で中止となってしまった未成線。
着工途中で残されたトンネルや橋などは道路に転用されている場所もあればそのまま工事途中のまま放置されている場所もあります。
・計画路線図の一部区間だけが開業している路線
資金や時間、地域の情勢などの事情により、計画された路線区間の一部区間が未開業となっている未成線です。九州新幹線や東北新幹線が全線開通に至るまでの平成14年から平成23年がこの状態にありました。
また、在来線や私鉄の路線の未完成区間について状況の変化により着工の可能性が皆無となってしまっている未成線路線も多くあります。これらの未成線区間は国鉄時代の支線に存在する盲腸線と呼ばれる片方の駅のみが幹線に接続しており、終着駅が鉄道が連絡していない路線によく見られる傾向にあります。
これらの路線はもはや廃線を待つばかりで延伸されることはないと思われます。
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未成線が大量に量産された背景には、交通インフラが鉄道からバス・トラックの車へと移行していった高度経済成長期の時代の流れがあったとされます。
さらに、未成線を多く生み出した原因は私鉄に多く見られ、鉄道を創りたいという鉄道にかける人の思いが先行し、需要を無視し計画が破綻したり、計画途中で資金難に陥り計画の進行が出来なくなってしまったケースが多く見られるのです。
なかでも首都である東京は、巨大な鉄道利権を巡る思惑が交差した事により、鉄道計画だらけになるという状況があったのです。関東大震災によって破壊された都市を立て直す過程で東京都の都市圏が一気に広がりを見せたのです。
それに伴い、首都圏の私鉄各社は東京市内と郊外のベッドタウンを結ぶ路線にビジネスチャンスを見出し、競い合うように鉄道建設に着手し、1920年代には明治時代に起きた鉄道敷設ブームに続く第二の鉄道敷設ブームが来たのだと言えます。
その鉄道敷設ブームが続くと思われたのですが世界恐慌が起こるのです。そのあおりを受けて日本でもオイルショックが発生、私鉄各社の経済状況は一転し悪化をたどったのです。資金調達ができなくなった鉄道各社は鉄道建設を中止せざるを得ない状況となったのです。
特に郊外への人口拡張を見込んで計画された郊外鉄道は、期待していたほど郊外に移住する人が増えることなく、採算が見込めなくなり仕方なく鉄道計画を中断せざるを得なくなったしまうケースも多かったのです。
未成線が量産された理由には利権の問題も絡んでいたのです。実際に作るかどうかを別問題にして鉄道会社間で「とりあえず免許だけでも確保しておこう」と路線計画のみが数々とたてられていた背景があるのです。
原内閣の成立以降、政治の世界では政党政治が本格化し、与野党の攻防が激しくなったことが鉄道の利権争いに拍車をかけたのです。鉄道免許の認可を巡って、暗躍する天下り官僚や、政治家への贈収賄事件も発生したのです。
水面下で鉄道利権を争って熾烈な戦いが繰り広げられていたのです。この鉄道免許の乱発が無数の計画路線が現実性のないまま倒れて行ったということなのです。こうした経緯により、無数の鉄道計画が生まれては消えて行ったのです。これらの未成線は1000件を越えるとも言われています。
未成線を徹底紹介!
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全国に多く存在する未成線、これらの未成線は過去の遺物と言うわけではないのです。
現在においても未成線予備軍となる「未完成の路線計画」は全国各地で量産されているのです。東京都内においては、大田区が中心となって東急多摩川線を地下に埋設し、東急蒲田線と京急蒲田駅をつなぎ、京急羽田空港線と接続して羽田空港まで乗り入れを行う路線計画が進行中です。
東京都内では他にも江東区や中央区でも鉄道の延伸や新設の計画路線図が進められているそうです。
東京都内で進められている路線計画で比較的進められている計画の一つに、都営大江戸線の大泉学園以西へと進む路線図の計画があります。
この計画路線図は現在、練馬区の光が丘駅まで整備されている都営大江戸線の路線を、大泉学園町経由で、JR武蔵野線の東所沢駅まで延伸するという路線図を描いており、鉄道空白域の改善につなげようとする計画になります。
東京都の都営大江戸線の延伸計画で描いている路線図計画では、住宅地を貫いた形で鉄道路線を敷設しようと、練馬区が熱心に計画を進めています。しかし、用地買収や予算化がうまくいかず、計画は足踏み状態になり、未成線となってしまっている状態です。
近年の経済環境の変化により、計画路線図通りに鉄道を敷設するための建設費の捻出は年々難しくなっています。さらに、少子化により人口減少が進み、東京都内においても人口の分布に差が出てくることが予想されます。今後は計画路線図は立てられるものの計画途上で放棄されてしまう未成線が増えてくるものと考えられます。
未成線の計画路線図を見ていると、「こんなルートで鉄道を走らせる路線計画があったんだ」「この路線図が実現したらどうなっていたのだろう」と、色々想像することが出来て面白くなってきます。大正から昭和にかけての時代背景や、交錯する政治家や行政の思惑、鉄道にかける男たちの夢と打算。
幻の路線図の痕跡をたどりながら、未成線への想像の翼を広げて未成線の持つ歴史に思いを馳せるのも未成線を楽しむ方法の一つであると言えます。
未成線を楽しむ方法は机上の路線図での鉄旅だけではありません。未成線跡を所有する各自治体では、未成線の跡地を観光資源として活用して地域活性に役立てようとしているところもあるのです。
福岡件の旧国鉄の炭鉱跡では、未成線の跡地に線路を敷きトロッコを走らせることで観光客を誘致する試みがされています。島根県の浜田市では、旧国鉄今福線で、未成線跡を歩いて回るウォーキングイベントが企画されています。
奈良県五条市でも、旧国鉄の未成線をテーマにした地域活性化のシンポジウムが開かれたりもしています。未成線を観光資源として有効活用できるように観光資源に乏しい地域において未成線の観光資源化の取り組みが進められています。
私鉄では未成線の跡地は活用されているところが多いのに対して、旧国鉄の未成線跡については遺構として残されている場所も多く、未成線跡地がそのまま残されているのです。廃線跡巡りのブームをあり、未成線を新たな鉄旅のジャンルとして推進しようとする自治体も出てきているのです。
未成線が新たな観光の目玉として、有効活用されるようになるとすばらしいと思います。
未成線50選①完成していたら路線図はこうなっていた!?【東京編】
【1】東京の未成線:国立線
未成線となってしまったが国立線として東京都内の府中~国立間を結ぶ路線図が京王関連の鉄道計画として計画されていました。
この路線が未成線になった原因は国立周辺の都市開発計画をライバル会社である西部鉄道が握っていたこと、分倍河原と谷保が京王とJRの共同使用駅になっていたため、その間に鉄道を通すことが難しかった。
この2駅がJRとの共同使用ではなく京王が管理することになっていれば、分倍河原~谷保で通過特例が設けられた可能性がり、開通できた可能性があった。採算を考えると都心部に直通できる交通手段として需要があり、モノレールの開業までは立川への最短アクセス手段として高い需要があった未成線になります。
【2】東京の未成線:蒲田線
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@toy_andがシェアした投稿 – 2019年 3月月24日午前6時37分PDT
未成線となってしまったが蒲田線として、京王電鉄の前進である武蔵電気軌道株式会社により、蒲田~調布~立川間の計画が考えられていました。
この路線が未成線となってしまった理由は多摩川を挟んで神奈川県側を平行に走る南武線存在があります。当時、競合関係にあった南武線は新性能化が早く進み、新車両によって京王電鉄の参入をけん制していたのです。
当時は車両の標準化がまだ進んでいなかったため、車両の標準化をいち早く行った南部線に負けたのです。蒲田線計画は採算を見直しせざるを得ず競争に負けた結果未成線となってしまったのです。この蒲田線の計画路線図次第では東急多摩川線の存在に大きな影響を与えていたと思われます。
【3】東京の未成線:両国線
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未成線となってしまった東京の路線として両国線があります。その路線図は新宿~神楽坂~飯田橋~九段下~東京~日本橋~浜町~両国という路線計画になっていました。
この両国線の計画は新宿より先の計画が都営新宿線とまるかぶりしており、未成線となってしまいました。しかし、この路線が開通していた場合、東京駅直結の計画路線だったため、同じく未成線の千葉県営鉄道北千葉線の計画ももっと具体的に進められた可能性があります。
また、中央快速線に対抗するために快速ライナー線の投入が早まっていた可能性もあります。
【4】東京の未成線:東京山手急行線
現在存在する在来線の京王井の頭線は、以前は帝都電鉄という路線でしたが、さらにその前身は山手急行、渋谷急行という2つの私鉄路線でした。
渋谷急行の路線部分はそのまま井の頭線に以降しましたが、山手急行の方はその計画された路線図は大井町~洲崎までの50kmを越える大型鉄道路線計画として計画されていました。
オイルショックや鬼怒川水力電気の分離などの影響を受けて、この路線計画は資金難に陥り計画だけで実行されることはありませんでした。この路線図が現実になっていたら、山手線の外郭に第二の環状路線として役立っていたと思われます。
この未成線となってしまった山手急行線が実現されていたらこんな事が起きていたと想像されます。
・接続する鉄道路線が多いので重宝される路線となっていた。
・接続駅における他社鉄道路線の扱いも変わってくる。
例えば、駒澤大学駅に田園調布線の急行が停車する。梅が丘駅に小田急線の急行が停車。江古田駅に西武線の準急と快速が停車。大山駅に東武東上線の準急と急行が停車などといった対応が取られていた可能性があるのです。
・井の頭線と明大前で同一平面乗り換えが可能になる。
井の頭線の明大前駅付近を地図でみると、複々線のスペースがとってあることがわかります。このスペースは山手急行線の接続のために確保されていたと考えられます。大井町発渋谷行きとか吉祥寺発北千住行きなどの路線が可能になっていたのです。
・想定される車庫は大井町、駒沢公園、東陽町あたりが見込まれていた。
・路線図が東陽町から先、豊洲や晴海、品川辺りまでルートを伸ばす計画も考えられいた。
・路線図が東部西板線と関係するルートになるので、浅草か亀戸までの直通運転、また伊勢崎線と東上線の連絡路線となることができ利便性が向上する。
【5】東京の未成線:京成上野駅から京王新宿駅区間
レール幅が同じ規格であった京王電鉄と王子電気軌道との合併計画に伴って想定されていた計画。
路線図まで描かれていた計画であったが合併計画の消滅とともに未成線となった路線です。この合併計画では飯田橋駅で東京駅経由両国駅までの路線計画もあり同時に未成線になっています。
この路線計画が実行されていたならは都営地下鉄大江戸線の北側の路線は確実に別の路線に変更されていたと考えられます。また、飯田橋駅の重要性が増し、後楽園ホール、東京ドーム、などに行くのに便利な私鉄沿線となっていたので、利用客も多く望めて採算がとれていたと思われます。
ジャイアンツとタイアップした記念乗車券や規格乗車券などが売られていたかもしれません。
【6】東京の未成線:京成浅草線京成曳舟~浅草区間
未成線となっている計画として京成電鉄の浅草駅えの相互乗り入れ計画がありました。実際には東武鉄道のみ浅草に乗り入れを行っており、京成の乗り入れ計画は消滅してしまっています。
もし、この未成線区間が実現していた場合は、京成押上線が本線になっていて、京成上野~青砥間の路線は存在してなっかたと想定されます。また、京成電鉄の乗り入れによって東部鉄道の路線計画も修正されていたはずで、東武伊勢崎線の路線図は上野~北千住~伊勢崎となり、東武亀戸線の路線図は北千住~亀戸となっていたと想像されます。
さらに言うと、浅草駅は地下駅となり、都営地下鉄浅草線の終点は浅草駅になっていた可能性があります。
【7】東京の未成線:京急五反田線
jyunya.suさん(@jyunya.su)がシェアした投稿 – 2018年12月月1日午後10時53分PST
京浜急行線における計画倒れした未成線路線になります。路線区間は蒲田~五反田~田町を計画されていました。
この路線が実現していたら東京の路線図はこんな風にかわっていたかもしれません。東急池上線に急行が生まれていた、京浜急行線は泉岳寺まで延長されることなく、浅草線へはこの路線が直通線として使用されていた。
この路線が未成線になっていなければ大田区には個の路線用にもう少し駅が増設されていたかもしれません。
【8】東京の未成線:京急青山線
マイケル ナイトさん(@snc2741)がシェアした投稿 – 2019年 2月月27日午前4時37分PST
京浜急行線における計画倒れした未成線路線になります。詳しい路線区間の計画は立てられていない構想段階の未成線になります。この青山線は千駄ヶ谷から先の路線で新宿まで延長を考えられていた路線です。
この未成線が実現していた場合は、東急東横線やJR湘南新宿ラインと激しい競争になっていたことでしょう。その競争の中で羽田空港への乗り入れもされてくると思われます。
また、泉岳寺止まりとなっている快速がそのまま乗り入れてくることも考えられます。そうすると京浜急行の東京での重要度があがり、京浜急行の地位が向上して影響力が上がっていたと思われます。
レールの軌間が1372mmのまま進められていたら、京王線及び都営新宿線との相互乗り入れが可能になり、都営新宿線が都営浅草線の路線区を補っている状態の路線図になっていたのです。この未成線が存在していたら他の未成線である池上電気鉄道の品川延長計画も実現していた可能性が高いです。
また、都営線の区間が大幅に増えることで都営線の路線になっていた可能性すらあるのです。
【9】東京の未成線:京急本線の延長計画
京浜急行線における幻の本線延長計画の未成線区間になります。計画された延長区間は品川~赤羽橋~南佐久間町~大手町の区間になります。
この未成線区間が実現していたら並行して走るJRとの競争がさらに激しくなっていた。お互いに乗客を奪い合い採算が取れなくなっていた可能性もあります。赤羽橋駅の名前が東京タワー前という駅名がつけられていたかもしれません。
【10】東京の未成線:西武新宿線の新宿駅までの延長計画
ミヤケンさん(@miya1836)がシェアした投稿 – 2019年 8月月10日午後7時51分PDT
西部新宿線が新宿駅まで延長されていたらという計画です。新宿駅と西部新宿駅は微妙に距離があって不便ですよね、あれが一緒になっていたら色々な面で変わっていただろうなという計画です。
もし、西部新宿線が新宿駅までの未成線区間が実行されていたら、西武新宿駅ではなく普通に新宿駅と名乗っていたでしょう。
JR線だけでなく小田急線、京王線、東京メトロ各線と多くの路線が乗り入れしてる新宿駅に西部新宿線が直接乗り入れてきていたら、ただでされ人の多い新宿駅の利用者がさらに増えていたことは間違いないでしょう。
うまいこと会社間の交渉がされれば小田急との相互乗り入れが実現可能になり川越から箱根までが一本の路線でつながっていた可能性すらあるのです。
【11】東京の未成線:西部村山線
この未成線の計画は、東村山~箱根ヶ崎を結ぶ鉄道計画でした。
この未成線が実現されていた場合、武蔵村山市の交通のインフラが良くなり、人口増加が見込まれます。また、この路線の影響により多摩都市モノレールの上北台から先の延伸はなくなっていたでしょう。村山貯水池工事の資材運搬にも利用されていたかもしれません。
【12】東京の未成線:西部多摩川線の新宿駅接続計画
多摩川線は西部鉄道入りした後、他の西武鉄道路線と接続計画が存在しており、戦後間もない時期には武蔵境から西部新宿線の武蔵関駅への路線建設免許が申請されたこともありました。実現まであと一歩というところまで進められていた未成線でした。
この未成線区間の西武新宿線との接続計画が実現していたら路線図はこう変わっていたかもしれません。
接続は上石神井~小平間のどこか駅で行われていた、申請されたのは武蔵関駅でしたが。多摩川線のワンマン運転化は避けられていた可能性がある。中央線の高架化の際には中央線が高架で西部多摩川線をまたぐかたちになっていた。
自社路線で検査車両を所沢工場に回送することが可能になっていたので、中央線との連絡船は廃止されていた。多摩ニュータウンへの延伸が現実的な計画になっていた。
【13】東京の未成線:池上電鉄新奥沢線
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この未成線は旧池上電鉄が計画していた路線計画です。池上電鉄の消滅とともに計画も頓挫することになった未成線です。
この路線についてはどう考えても池上線もろとも東急に吸収される運命にあったとしか言いようがありません。完成していたら自由が丘近辺より二子玉川まで大井町線と平行する路線になっており、平行区間は複々線の路線になっていたと思われます。
成城学園辺りは小田急線の天下となっていますが、この路線により三鷹、調布などの多摩地区は東急の路線地域となっていたと考えられます。そして路線名が東急国分寺線のようになっていたでしょう。等級の路線になっていたとしたら意地でも大井町線への乗り入れを計画しており、雪が谷大塚~自由が丘間の路線はローカル線化していたことでしょう。
この未成線路線にほり蒲田~国分寺がつながれば、南武線、横浜線と並ぶ東海道線と中央線を結ぶための環状線として期待が出来ていました。
【14】東京の未成線:東急泉岳寺線
padaさん(@pada8682)がシェアした投稿 – 2019年 7月月11日午前2時15分PDT
この未成線区間の東急泉岳寺線が実現していたら路線図はこう変わっていたかもしれません。
浅草線は泉岳寺止まりのまま延伸されなかった。池上線の地下化の計画路線が延伸されて、池上線の地下化の延長路線という扱いになっていた可能性もあります。泉岳寺方面ではなく、品川方面に路線延長を狙っていたかもしれません。
【15】東京の未成線:東横線渋谷~新宿間
東横線の新宿まで延伸する計画が存在していましたが未成線となりました。新宿への乗り入れは副都心線との乗り入れ運行で実現されました。
東横線は品川、羽田空港方面への進出をもくろんでいたことがあり、渋谷から明治通りをさらに南下して品川へ向かう路線計画が存在していました。羽田空港への計画は京浜急行により阻止されました。
この路線が実現していたら品川駅がさらに大きくなっており、東武東上線、西武池袋線から品川へのアクセスが格段に向上して利便性がアップしていたことでしょう。
執着駅は新宿になっていただろうが、当初の計画では現在の京王新宿駅が東急の駅になっていた予定だったそうなので、京王側の影響が大きく出ていたと想定されます。
未成線50選②完成していたら路線図はこうなっていた!?【大阪編】
【16】大阪の未成線:近鉄堺線
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近鉄堺線の未成線区間で古市~堺区間、布忍~堺区間の路線が計画されていました。この未成線が完成していたら大阪の路線図はこう変化していたでしょう。
堺市の交通の利便性がアップしインフラ整備が加速していた。しかし、これに伴いLRT計画は構想されることはなくなっていた。ヘッドタウンとして松原市、藤井寺市などが発達し、通勤、通学に使用する乗客が見込めていた。
現実より堺市とのつながりが濃くなり、平成の大合併において美原町とともに松原市も堺市に統合されていたかもしれません。JR阪和線もしくは南海線に乗り入れが計画され、関空、飛鳥、吉野を直結する構想が出来る。
【17】大阪の未成線:近鉄四条畷線
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近鉄四条畷線の桜ノ宮~額田区間を計画された未成線路線です。この未成線が完成していたら大阪の路線図はこう変化していたでしょう。
当初、天満橋筋4丁目~額田区間が開通したのち、梅田~額田区間となっていた。近鉄バスの阪奈生駒線は存在しなかった。梅田にも近鉄急行が走っていた。
【18】大阪の未成線:近鉄観心寺線
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大阪の河内長野~観心寺区間の路線を計画されていた未成線になります。この未成線が完成していたら大阪の路線図はこう変化していたでしょう。
河内長野駅が現在2番線のみ使用されているところを、島式ホームの両方が使用されていた。千早赤阪村方面への延伸が計画されていた。
【19】大阪の未成線:京阪森ノ宮線
この未成線が完成していたら大阪の路線図はこう変化していたでしょう。
・大阪市営地下鉄中央線は架線式でパンタグラフが存在していた。実際はレールから電源を取っているためパンタグラフはない。
・京阪中之島線は存在しなかった。こちらの路線が未成線になっていたかもしれません。
・中央線経由で出町柳~コスモスクエアの直通電車が計画されていて、大阪万博の京都方面からのメインアクセス手段として利用される見込みになるでしょう。
・東大阪市付近まで京阪の管轄エリアが広がっていた。
・大阪モノレールの門真市よりも南のエリアへの延伸計画は頓挫していた。
【20】大阪の未成線:京阪交野線生駒方面延伸計画
京阪交野線は牧方東口~生駒区間を走る計画の路線として、信貴生駒電機鉄道で計画が進められていましたが、私市~生駒区間が建設されることなく未成線となったのです。
建設されていた牧方東口~私市区間は京阪神急行電鉄に吸収合併され、京阪電鉄の路線となりました。この路線が完成していた場合大阪の路線図はこうなっていたでしょう。
・路線名は京阪生駒線と呼ばれていた。
・四条畷東武や生駒市北部はこの路線により交通アクセスが良くなり、住宅開発が早期から進められていた。
・この路線により京阪電鉄が奈良県まで進出していた。
【21】大阪の未成線:阪急新大阪線
@rokkolinerがシェアした投稿 – 2019年 8月月11日午前1時08分PDT
この路線計画が実現していた場合、大阪の路線図はこう変わっていたかもしれません。
・京都線の淡路~南方~十三路線は廃止されていた。おそらく、一端は支線となり延命工作が行われるが乗客数の減少に歯止めは利かずやがては赤字路線として廃線の憂き目にあっていた。
・神宝線列車も新大阪までの直通運転を行っていた。
・行楽シーズンに行楽列車として臨時列車が運行されていた可能性が高い。「京トレイン」が確実に導入されていた。
・新大阪が新幹線との連絡駅だけではなくなるため、梅田や難波、天王寺に次ぐターミナル駅として開発が進み発展していた。
・阪急京都線、千里線の利便性が増し、乗客が増え沿線の人口が増えていた。沿線の開発も進んでいたと想定されます。
【22】大阪の未成線:阪急千里線南千里~桜井区間
この路線計画が実現していた場合、大阪の路線図はこう変わっていたかもしれません。
・北大阪急行電鉄は存在していなかった。
・千里ニュータウンの開発が進まず、箕面市の開発が進み人口増加が見込めた。
・新大阪線、曽根新線と合わせることにより、北大阪に環状線が作られていたかもしれません。
【23】大阪の未成線:阪急曽根新線
ji_sanさん(@pinama9873)がシェアした投稿 – 2019年 8月月9日午後6時47分PDT
この未成線は神崎川~曽根間を結ぶ路線の計画でした。この路線計画が実現していた場合、大阪の路線図はこう変わっていたかもしれません。
・京阪本線のように急行と各駅停車に分離されていた。
・曽根新線には日生エクスプレスを含む特急と急行のみが運行し、宝塚線に準急と各駅停車が運行されていた。
【24】大阪の未成線:南海柏原線
この未成線は平野~柏原区間で計画された路線になります。この路線計画が実現していた場合、大阪の路線図はこう変わっていたかもしれません。
・平野線が廃線とならずに、恵美須町天王寺駅前~柏原区間で継続して運行されていた。
・大阪市営地下鉄谷町線は整備されることがなかった。
・八尾市や柏原市においてお南海電鉄による開発計画が進められていて、市内では南海バスも運行されていた。
【25】大阪の未成線:南海八尾線
引用: Pixabay
大阪の堺~八尾を結ぶ路線計画が未成線になったもの。この路線計画が実現していた場合、大阪の路線図はこう変わっていたかもしれません。
・八尾市から松原市と経由して堺市に向かう路線が確立し、大阪の環状路線として機能していた。
・路線が重複するため、大阪モノレールの堺方面への進出はなかった。
・大泉緑地へのアクセスが良くなって行きやすくなった。
・河内エリアにおける南海電鉄の影響が強まり、南海平野線の八尾・柏原方面への路線拡張も見込めていた。
未成線50選③完成していたら路線図はこうなっていた!?【神奈川編】
【26】神奈川の未成線:京王電鉄動物園線橋本延伸計画
この未成線は神奈川県の多摩動物公園~京王多摩センター~橋本区間を結ぶ路線計画が立てられていました。
この未成線が完成していたら神奈川県の路線図はこう変わっていた。
・多摩都市モノレールの高幡不動から南の路線は計画されなかった。
・この路線が実現しても、京王多摩センター~橋本区間は相模原線に直通する電車ばかりになり、採算が微妙なラインに。
【27】神奈川の未成線:京王線相模原延伸計画
この未成線は京王線の拡張計画であり、橋本~相模中野区間は実際に免許を取得しており、道志経由で都留私にまで路線を伸ばす構想が存在していました。
この未成線が完成していたら神奈川県の路線図はこう変わっていた。
・相模原市内に駅が増設されていた。
・道志経由の路線になるため、道志線と呼ばれていた可能性があります。
【28】神奈川の未成線:京浜急行武山線
この未成線は日本軍が建設を働きかけていた路線だが、終戦とともに計画は立ち消えになった路線です。
この未成線が完成していたら神奈川県の路線図はこう変わっていた。
・金沢八景~横須賀中央区間のどこかで京急本線と接続するようにし、孤立路線とならないように計画されていた。
・終戦後、軍の駐屯地へのアクセスとしてしばらくの間存続されていたが、その後沿線開発により利用者が急増していったという経緯がある。
・平行するバス路線がないため、交通インフラとして重宝されていた。
【29】神奈川の未成線:京急線逗子線延伸計画
この未成線は京急線の新逗子~葉山~三崎口を結ぶ路線計画でした。
この未成線が完成していたら神奈川県の路線図はこう変わっていた。
・三浦半島をぐるっと1周できる環状路線になっていた。
・逗子線内にも通過運転する快速特急が設定されていた。
・油壷方面へも路線が拡張していたら、三崎口駅は2面4線の大型の駅へとなっていた。
【30】神奈川の未成線:京急鎌倉線
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この未成線は金沢八景~鎌倉八幡を結ぶ路線計画で、神奈川県の南側をつなぐ路線となっていました。
この未成線が完成していたら神奈川県の路線図はこう変わっていた。
・金沢八景駅への接続路線が増えることで金沢八景駅の重要度が増し、駅周辺の開発も進んでいた。
・鎌倉八幡駅の名称が京急鎌倉とかに変更されている。
・鎌倉八幡駅の直前より地下化を行い、JR鎌倉駅に接続する路線計画が存在していた。
【31】神奈川の未成線:箱根登山鉄道御殿場線
この未成線は箱根登山鉄道の強羅~宮城野経由~御殿場までの区間を拡張する計画だった未成線路線です。
この未成線が完成していたら神奈川県の路線図はこう変わっていた。
・乙女峠をどう超えるかというルート選択しだいでは、3線軌道になりあさぎりの乗り入れが行われていたかもしれません。
・仙石原の開発計画が早期に進められていた。
・御殿場線を小田急が買い取りに出ていた可能性が出てきます。
【32】神奈川の未成線:鎌倉急行電気鉄道
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この未成線は渋谷~藤沢~鎌倉に至る神奈川県を縦に横断する私鉄路線計画です。計画立案後、免許を取得しどこかの鉄道会社に買い取ってもらう事を目的とした営利鉄道計画路線です。
この未成線が完成していたら神奈川県の路線図はこう変わっていた。
・単独で路線を開通させた場合、しばらく独立路線として営業を続けるが、戦時の合併により東急に吸収される。
・ルートは横浜を通らず神奈川の中央を横断するルートになっていた。
・湘南新宿ライン、小田急線と競合する路線となっていた。
・第三京浜のルートがこの路線の計画のものであったため、この路線が存在した場合第三京浜道路は存在していていない。
【33】神奈川の未成線:神奈川東部方面線
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この未成線は神奈川県の新横浜~川崎区間を結ぶ路線として計画されていました。
この未成線が完成していたら神奈川県の路線図はこう変わっていた。
・川崎市営地下鉄が生まれていた。
・川崎市から新横浜へのアクセスが改善されていた。
【34】神奈川の未成線:川崎~羽田を結ぶ路線計画
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この未成線は神奈川県の川崎市と羽田空港を鉄道で結ぼうという計画でした。バブル期にこの路線計画が生まれましたがバブル崩壊とともに頓挫したそうです。
この未成線が完成していたら神奈川県の路線図はこう変わっていた。
・神奈川県側からも羽田空港にアクセスできるようになっていた。
・京急大師線の連続立体交差化を計画に含められていたため、路線は標準軌とされ、運営は京急に委ねられていた可能性が高い。
【35】神奈川の未成線:相武電気鉄道
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この未成線が完成していたら神奈川県の路線図はこう変わっていた。
・田園都市線は存在していない。
・横浜市営地下鉄が聖マリアンナ医学大付近まで拡張されていた。
未成線50選④完成していたら路線図はこうなっていた!?【関東編】
【36】関東の未成線:東京大宮電気鉄道
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この未成線は東京~大宮を結ぶ鉄道を作るという計画でした。東京と北関東を結ぶ路線として期待されていた。
この未成線が完成していたら関東の路線図はこう変わっていた。
・路線がかぶるため、埼京線は生まれていない。
・新宿への支線が建設されていた場合、湘南新宿ラインと競合していた。
・須賀もから三田線への乗り入れが行われていT.
・京浜東北線は赤羽線の混雑緩和に役立っていた。
【37】関東の未成線:埼玉鉄道
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この未成線は埼玉県内を走る路線として計画されました。久喜~鴻巣間を結ぶ予定の路線でしたが1915年に敷設免許が失効して未成線となっています。
この未成線が完成していたら関東の路線図はこう変わっていた。
・東武の路線に吸収されるか、JRに買収され土飯線計画に取り込まれる。
・八高線方面への拡張計画が進められる。
・埼玉の東と西をつなぐ路線となっていた。
【38】関東の未成線:東京西北電気鉄道
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池袋~新座~越生へと至る関東北部と東京の接続路線計画。計画誕生当初は東京青梅電気鉄道と名乗り、越生~青梅区間の路線計画も予定されていました。
この未成線が完成していたら関東の路線図はこう変わっていた。
・この路線を巡り西武と東武が対立していた。
・独立を保った場合、東武東上線、西武新宿線と競合し乗客の奪い合いが発生していた。
・三芳町が鉄道空白地帯になることなく、交通のインフラが改善されていた。
【39】関東の未成線:加波山鉄道
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この路線は関東北部の未成線路線で計画されていました。路線としては高浜~柿岡~福原区間で計画されていました。一部完成していた区間である高浜~柿岡間は恋瀬川自転車道へと転用して運用されています。
この未成線が完成していたら関東の路線図はこう変わっていた。
・もし、無事に開通していた時にはカバがゆるキャラとしてマスコットになっていた。
・高浜~柿岡までしか開業できなかった。
【40】関東の未成線:霞ヶ浦鉄道
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北関東の未成線路線で玉造町~延方区間を結ぶ路線計画でした。
この未成線が完成していたら関東の路線図はこう変わっていた。
・鹿島鉄道ともども関東鉄道に吸収され関東鉄道の霞ヶ浦線となっている。
・JRに買収されている場合は本線各として扱われるだろうが、買収されない場合は鹿島線を生かすために分離されるか廃線の憂き目にあっていた。
【41】関東の未成線:関東電気鉄道
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この路線は北関東の古河~岩井~谷田部を結ぶ路線計画でした。
この未成線が完成していたら関東の路線図はこう変わっていた。
・坂東市は鉄道の無い鉄道空白地域にならずにすんだ。
・戦時中に国鉄に吸収され、土浦への拡張工事が行われていた。
【42】関東の未成線:関東鉄道
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この路線は北関東の佐野~古河を結ぶ鉄道路線で計画された未成線です。現在存在する関東鉄道とは別の会社になります。
この未成線が完成していたら関東の路線図はこう変わっていた。
・国鉄か東武鉄道による買収の対象となっていた。
・貨物列車の路線で使用されたり、バイパス路線として利用される路線となっていた。
【43】関東の未成線:那須電気鉄道
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この路線は北関東の黒田原~那須湯本区間を結ぶ路線として計画されました。
この未成線が完成していたら関東の路線図はこう変わっていた。
・JRが運行していた場合、大宮支社の扱いになる。
・那須街道沿いの路線が現実化していた。
未成線50選⑤完成していたら路線図はこうなっていた!?【関西編】
【44】関西の未成線:阪急伊丹線尼崎~宝塚区間
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関西の未成線で阪急伊丹線の拡張計画になります。
この未成線が完成していたら関西の路線図はこう変わっていた。
・同じく未成線となる宝塚尼崎電気鉄道が存在していたら、激しい競争が起きていた。
・尼崎市と伊丹市北部の鉄道の利便性が増し、都市開発が進められていた。
【45】関西の未成線:山陽電気鉄道相生線
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関西の未成線で山陽綱干~山陽相生区間を結ぶ鉄道路線が計画されていました。
この未成線が完成していたら関西の路線図はこう変わっていた。
・相生市が今よりも発展していた。
・山陽姫路と山陽相生を結ぶ直通電車が計画されていた。
【46】関西の未成線:神戸復興線構想
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阪神大震災により破壊された都市計画を立て直すべく関西地区の復興計画の一部として関西の路線見直しが検討された路線です。
この未成線が完成していたら関西の路線図はこう変わっていた。
・震災後に乗客がJRに偏ることは無かった。
・事実上、阪神国道線の一部区間の復活計画となっていた。
【47】関西の未成線:京阪六地蔵線
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関西にある未成線路線になります。この路線計画は関西をつなぐ路線として大阪~大津を結ぶ最短ルートとして建設が予定されていたものです。
この未成線が完成していたら関西の路線図はこう変わっていた。
・大津直通特急びわこ号がこの路線を利用していた。
・京都市営地下鉄東西線の建設に影響が出ていた。
・醍醐時の近くを通る路線になっていたため、関西の花見客の輸送に活躍することが期待できた。
【48】関西の未成線:京鶴鉄道
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関西の未成線路線です。路線区としては関西北部の京都と舞鶴を結ぶ鉄道として計画されました。
この未成線が完成していたら関西の路線図はこう変わっていた。
・嵐電と叡電は京都電燈の解散時にこの路線に移行していた。
・関西の財界でも力を持つ存在になっていた。
・戦後、天橋立方面への拡張計画の存在した。
【49】関西の未成線:近鉄御所線五条延伸計画
関西の未成線路線区です。
この未成線が完成していたら関西の路線図はこう変わっていた。
・五条市の発展が進んでいた。
・五新線が運行開始し、関西を横断する大阪阿倍野橋~新宮区間の直通線が実現していた可能性がある。
【50】関西の未成線:南海和歌浦線
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関西の未成線路線区です。築港町~和歌浦区間で計画されていた路線です。
この未成線が完成していたら関西の路線図はこう変わっていた。
・和歌浦地区の開発が進んでいた。
・和歌山軌道線の寿命が史実よりも早くなっていた。
・観光列車の運行が期待できていた。
未成線まとめ!
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ここまで東京、大阪、神奈川、関東、関西と分けて未成線を紹介してきましたがいかがだったでしょうか?
未成線は全国で存在しておりここで紹介していない路線がたくさん存在しています。関東、関西圏にしてもまだまだ多くの未成線があり、紹介しきれてはおりません。自分の住んでいる地域においてどんな未成線が存在しているか調べてみるのも面白いかもしれませんね。
未成線の跡地を巡るのも面白い体験ができるかもしれません。
未成線に興味を持っていただけたら幸いです。