鈴木沙彩(三鷹ストーカー事件)の生い立ちと経歴まとめ!犯人との関係は?

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三鷹ストーカー事件とは?

引用: Pixabay

三鷹ストーカー事件とは、2013年10月8日に当時高校3年生であった鈴木沙彩さんが、元交際相手のトラック運転手、池永チャールストーマスによってストーカー被害に遭った後に、刺殺されたという東京都三鷹市で発生した事件のことを指します。

当時、逗子ストーカー殺人事件の発生による教訓に基づき、対策を強化した改正ストーカー規制法がこの三鷹ストーカー事件の5日前に当たる2013年10月3日に施行された矢先に起きたこと、

そして、犯人の池永チャールストーマスによって被害者の鈴木沙彩さんのリベンジポルノがネット上に流出し、リベンジポルノ被害防止法が成立するきっかけになったことなどから非常に当時の社会の関心を集めました。

今回は、この三鷹ストーカー事件について、その概要そして鈴木沙彩さんはなぜ被害に遭ったのか、さらに鈴木沙彩さん、犯人である池永チャールストーマスの経歴、その犯行動機や、現在について徹底調査致しました。

それでは、本編をご覧ください。

 

三鷹ストーカー事件の概要まとめ!

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ここでは、三鷹ストーカー事件の概要についてまとめていきます。

どうぞご覧ください。

 

三鷹ストーカー事件【1】交際


引用: Pixabay

三鷹ストーカー事件には、そもそも事件発生前にバックグラウンドが存在します。それは、三鷹ストーカー事件の犯人となる池永チャールストーマスと、三鷹ストーカー事件の被害者となる鈴木沙彩さんが交際していたことです。

2011年頃まだ高校1年生だった鈴木沙彩さんと、三鷹ストーカー事件の犯人となる、池永チャールストーマスはSNSを通じて交際を開始しました。この時、池永チャールストーマスは有名私立大学に通う大学生であると自分の身分を偽っていました。

交際は、関西に住んでいる池永チャールストーマスが東京にいる鈴木沙彩さんに会いに上京するというスタイルだったようです。

当初交際は順調でしたが、鈴木沙彩さんが、海外留学を前にした2012年に池永チャールストーマスに別れを告げ、破局することとなってしまいました。

 

三鷹ストーカー事件【2】ストーカー行為の始まり


引用: Pixabay

三鷹ストーカー事件とこの事件が呼ばれることになった「ストーカー」行為は、鈴木沙彩さんが、海外留学から帰国した2013年3月から始まります。

鈴木沙彩さんの帰国当初、池永チャールストーマスは復縁を迫ります。しかし、鈴木沙彩さんはこれを拒否しました。そこから池永チャールストーマスの執拗なストーカー行為が開始されます。

具体的には、「写真を送れ。送らないと俺は死ぬ。」や、「自分と付き合わないと、交際していた時の写真を(沙彩さんの所属している芸能事務所などに)配る」などとLINEを鈴木沙彩さんに送ったり、Facebookに書き込んだりしていたようです。

2013年6月には見るに見かねた鈴木沙彩さんの父親が、池永チャールストーマスに会わないよう、連絡をしないように要求します。しかし、諦めきれない池永チャールストーマスはついに三鷹ストーカー事件という行動に起こします。

 

三鷹ストーカー事件【3】犯行直前

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引用: Pixabay

2013年9月末に、池永チャールストーマスは上京し、吉祥寺の量販店で鈴木沙彩さんを殺害するための刃渡り15cmのナイフを購入します。

その後、10月1日、4日には、鈴木沙彩さんを殺害する為、登下校の時間を狙い、待ち伏せしていたと言います。と同時にこの頃から、池永チャールストーマスに「殺す」と何度もLINEで脅されていたため、鈴木沙彩さん及び、親族は学校に2度相談していたようです。

さらに、鈴木沙彩さんが3回、池永チャールストーマスに電話するも出なかった為、警察に相談もしています。10月8日午前に鈴木沙彩さん及び、親族から相談を受けた警察は、3回電話しても出なかった為、池永チャールストーマスの留守電に「警察に折り返すように」という旨の伝言を残したそうです。

この直後、三鷹ストーカー事件という悲劇が鈴木沙彩さんの身に起こることになってしまいます。

 

三鷹ストーカー事件【4】犯行時

引用: Pixabay

10月8日の午前に警察へ相談した直後、三鷹ストーカー事件が発生してしまいます。

この日の昼に池永チャールストーマスは鈴木沙彩さんの自宅へ侵入、そして、鈴木沙彩さんの部屋のクローゼットへと息を潜め身を隠します。

間もなく、帰宅した鈴木沙彩さんは池永チャールストーマスに、刃物で襲われました。鈴木沙彩さんは力を振り絞り、外へ逃げ出しますが、路上で何度も池永チャールストーマスに首や腹など、数か所を刺され瀕死の状態に陥ります

そして、三鷹ストーカー事件発生後、池永チャールストーマスは逃走、駆け付けた警察、救急車によって鈴木沙彩さんは病院に搬送されました。その後、同日の午後6時半頃、三鷹ストーカー事件の犯人として池永チャールストーマスの身柄は確保され、逮捕されます。

しかし、程なくして午後7時に鈴木沙彩さんは息を引き取ることになってしまいました。ここまでが、三鷹ストーカー事件の概要となります。

 

鈴木沙彩はなぜ被害にあったのか?【三鷹ストーカー事件】

ここからは、なぜ、鈴木沙彩さんが三鷹ストーカー事件の被害に遭ってしまったのかについてご説明していきます。

鈴木沙彩さんが三鷹ストーカー事件の被害者となってしまった要因はいくつかあるのですが、その一つとしてまず、鈴木沙彩さんが池永チャールストーマスという人間というよりも男性に対し、軽い気持ちで考えていたことがあります。

もちろん鈴木沙彩さんに落ち度はないし、悪くもありません。しかも、年端もいかぬ高校生です。憎むべきは、三鷹ストーカー事件の犯人である池永チャールストーマスで間違いないのです。しかし、男性の中にはまともな人が大半ですが、一定数犯人のような粘着質な人間もいたりするわけです。

だから、もう少し、男性、鈴木沙彩さんの場合は池永チャールストーマスについてその素性や性格などについてリサーチしてから付き合うべきでしたし、SNSのようなお互い偽り放題の世界で出会い、安直に交際してしまったのも一つの原因だったのではないでしょうか。

しかし、それは後付けで何とでもいえることで、鈴木沙彩さんが三鷹ストーカー事件の被害者となってしまった一番の要因と言えるのが、警察側の対応の不手際です。

相手は、刃物を持って殺しに来ていることまである程度警察側も把握していたはずです。そして、鈴木沙彩さんが相談に訪れた段階ではまだそこまで行動には移していませんでした。

ここから、三鷹ストーカー事件の犯人である池永チャールストーマスはまだ、対応によってはその凶行を実行しなかったかも知れませんし、実行に及ぶまでに少なからず迷いも生じていたと考えられます。

その相手に向かって「警察に折り返すように」と言ったのですから、恐らくこれが鈴木沙彩さんを救うどころか、三鷹ストーカー事件実行の最後の後押しになったに違いありません。

「俺はもう警察にマークされているから、どうせ捕まるのなら殺してしまえ」とでも思ったのでしょう。事実、三鷹ストーカー事件直前や、事件直後、不安定な言動をLINE上に残しています。

警察が三鷹ストーカー事件のダメ押しをしてしまったことは、鈴木沙彩さんが三鷹ストーカー事件の被害者となってしまった一番の要因といっても過言ではありません。

 

鈴木沙彩の生い立ちと経歴まとめ!【三鷹ストーカー事件】

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ここからは、三鷹ストーカー事件の被害者となってしまった鈴木沙彩さんの生い立ちと経歴についてまとめていきます。

 

鈴木沙彩さんの生い立ち・経歴【1】生誕~幼少期まで

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引用: Pixabay

1995年6月22日に東京都にて鈴木家の一人娘として生誕します。鈴木家は近所に多くの土地を所有する資産家です。

また、鈴木沙彩さんの大叔父に有名脚本家の倉本聰や、曾祖父に美術家の高松次郎などがおり、他にも、一族には画家やグラフィックデザイナーなど芸術家が多くいます。

このように芸術に長けた一族でもあり、資産家でもある家庭のお嬢様として鈴木沙彩さんは育つことになります。

そして自身も、学業の傍ら、そのキュートなルックスを生かし、小学生の頃より芸能活動を行うようになります。かと言って学業を決しておろそかにするわけではなく、鈴木沙彩さんは通っていた国立の小学校でも成績は常にトップだったと言います。

そして中学校は中高一貫の私立の中学に進学しました。その間も鈴木沙彩さんは芸能活動を続行しており、また、成績も小学生時代同様にトップクラスで英語が特に得意だったと言いますから、まさに才色兼備の女性へと成長していたといっても過言ではないでしょう。

 

鈴木沙彩さんの生い立ち・経歴【2】高校時代~事件まで

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そのまま、エスカレーターで私立の高校へ進学した鈴木沙彩さんは、中学時代から得意だった英語の実力をさらに伸ばすこととなります。

そして、この高校生時代に、後に三鷹ストーカー事件の犯人となる池永チャールストーマスと出会ってしまい交際がスタートします。

その後、上述の通り、鈴木沙彩さんの海外留学を機に池永チャールストーマスとは破局します。そして得意の英語の能力を生かし、海外留学を果たした鈴木沙彩さんはその頃、将来海外で活躍できるような人間になりたいと夢を描いていたようです。

しかし、鈴木沙彩さんのそんな夢は三鷹ストーカー事件が起きたせいで果たせぬままになってしまいました。三鷹ストーカー事件により命を落としてしまった鈴木沙彩さんはその時18歳という若さでした。

鈴木沙彩さんの人生は余りにも早すぎたと言えます。

 

犯人の池永チャールストーマスの経歴は?

次に、三鷹ストーカー事件の犯人である池永チャールストーマスの経歴についてご紹介します。

 

池永チャールストーマスの経歴【1】生誕~幼少期まで

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後に三鷹ストーカー事件の犯人となる池永チャールストーマスはフィリピン人の母と日本人の父の間に生を受け、マニラで誕生します。

その後、1歳10か月で父の故郷である日本へ渡ることとなります。そこからが大変だったようです。実の父である日本人男性は池永チャールストーマスを虐待し始めます。そして半年後に行方をくらましています。

一方母親の方も貞操観念が非常にだらしなく、様々な男性と関係を持っていて、その中には暴力団関係者などもいたそうです。

そして、母親の彼氏であり、家に出入りしていたアル中男に池永チャールストーマスは虐待されます。また、母親は池永チャールストーマスに対し、育児放棄をしており、彼は何度か児童相談所の世話にもなっていたようです。

さらに、金銭管理が下手な母親のせいで、家賃や光熱費の支払いが滞り、小学校時代から中学校時代にかけて7回も居を移したそうです。

こういった悲惨な幼少期を池永チャールストーマスは送っていたようです。

 

池永チャールストーマスの経歴【2】高校時代~事件まで

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その後成長した池永チャールストーマスは京都府の府立高校に通いながら、近くのスーパーでアルバイトをして生活していました。

卒業後、自衛隊に入隊したこともあったようですが、健康上の理由により除隊処分となっています。それからは、京都の実家を飛び出し、大阪で一人暮らしをしていたようです。

しかし、彼は定職に就くこともなく、コンビニのアルバイトなどを転々とします。そしてその転々とした職業の一つトラック運転手の仕事に従事している際に、鈴木沙彩さんと出会い、交際がスタートします。この時、彼は「立命館大学の学生である」と嘘をついていたようです。

そして程なくして鈴木沙彩さんの海外留学を機に破局し、帰国後に鈴木沙彩さんに復縁を迫るも、拒否された為、三鷹ストーカー事件を起こすこととなってしまいました。

こうして池永チャールストーマスは、三鷹ストーカー事件の犯人として逮捕されることとなります。

 

犯人の池永チャールストーマスの犯行動機は?

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ここからは、三鷹ストーカー事件の犯人である池永チャールストーマスの犯行動機についてまとめていきます。

三鷹ストーカー事件の犯行動機についてはいろいろと語られてきたようですが、一番有力なのは、上記に書いてある2人の経歴の圧倒的な差による怨恨であったと言われています。

鈴木沙彩さんは、上述の通り、両家のお嬢様で、三鷹ストーカー事件が発生するまで何一つ不自由なく育ってきました。また、学識も高く芸能活動などもしていたりと才色兼備と言える女性で、まさに勝ち組と言える人生でした。

一方、三鷹ストーカー事件の犯人である池永チャールストーマスの経歴は凄惨たるもので、幼少からの貧困、虐待に加え、成長後も学識はなく、定職もない。まさに、何一つ満たされることのなかった負け組と言える人生です。

交際当初はそんなこと忘れていたでしょうが、ある日、鈴木沙彩さんから海外留学を機に別れを一方的に告げられることになります。

鈴木沙彩さんという存在はこれまで満たされることのなかった池永チャールストーマスの人生のまさに華でした。

ようやく満たされたと思った人生が、また満たされなくなってしまう。しかも、自身のコンプレックスである経歴の圧倒的な差によってです。補足ですが、どこかのタイミングで、鈴木沙彩さんの母親が「あなたとは身分が違うから諦めて身をひくように」といった旨の発言を彼に行ったとの証言もあります。

ここで、逆恨みした池永チャールストーマスは鈴木沙彩さんのこれまでの華麗な人生をめちゃめちゃにしてやると考えたようです。こうして三鷹ストーカー事件は起こってしまいます。

つまり、三鷹ストーカー事件の犯行動機の最初の最初は別れへの未練だったのでしょうが、自身の人生と照らし合わせた時に余りに明確な明と暗があったため徐々にその部分への怨恨が動機のメインへ遷移していったということです。

事実、三鷹ストーカー事件の裁判で「愛してはいませんでした。」「彼女が好きなので、彼女が直面したであろう恐怖や苦しみや痛みを味わってみたい。共感してみたいなど法廷で遺族を侮辱するような発言も行っています。

これは、自身と真反対の経歴をもつ、鈴木沙彩さんやご遺族に対する挑発とも取れます。

 

犯人の池永チャールストーマスの現在は?

いかがだったでしょうか。今回は三鷹ストーカー事件について徹底調査してみました。以下に簡単にまとめておきます。

●三鷹ストーカー事件とは元交際相手の池永チャールストーマスにより、当時高校3年生だった鈴木沙彩さんが執拗なストーカー行為にあった後、殺害された事件である。

●三鷹ストーカー事件の被害に遭ってしまった大きな要因の一つとして警察側の対応の不手際が挙げられている。

●三鷹ストーカー事件の被害者である鈴木沙彩さんは良家に誕生し、お嬢様として非常に大切に育てられた。また、学業と芸能活動の2足の草鞋を履いていたが、どちらかをおろそかにすることはせず、両方そつなくこなせる才色兼備の女性だった。

●三鷹ストーカー事件の犯人の池永チャールストーマスの経歴は鈴木沙彩さんとは対照的に、貧困・虐待など凄惨なものであった。

●三鷹ストーカー事件の犯行動機の一つとして当初は彼女に対する未練が中心だったが、後に自身の経歴と彼女の経歴を比較したことによる怨恨が中心になっていった。

以上がまとめですが、三鷹ストーカー事件の犯人である池永チャールストーマスは現在何をしているのでしょうか?

彼は三鷹ストーカー事件後裁判にかけられることになりました。最初の求刑は25年でしたが、下った刑罰は懲役22年というものでした。ですから、今も三鷹ストーカー事件の犯人として刑務所で服役しています

この刑を最適とするかどうかは事件の見方によって変わるでしょうが、どんな刑が下ろうとも、悲しいことに三鷹ストーカー事件で命を落とした鈴木沙彩さんはもう二度と戻ってはこないのです。

池永チャールストーマスは経歴を見る限り、確かに同情せざるを得ない部分もありますが、世の中には、彼のような不遇の目に遭い、そこから這い上がり成功を収めている人たちがたくさんいることも事実です。

やはり、他人と自分を比べてはダメです。経歴なんてちっぽけなものです。それにそんなもので他人と比較するような人間とは距離を取るべきです。

自分という存在はこの世に1人しかいないかけがえのない存在です。だから、自分に自信をもって生きていってほしいと万人に対して願うばかりです。そうすることできっと幸せになれます。

そんなことを今回の三鷹ストーカー事件の記事から皆さんが汲み取っていただけると幸いです。

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