世田谷一家殺害事件の真相!犯人は韓国人?【未解決事件】 | ToraTora[トラトラ]

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世田谷一家殺害事件とは、平成12年(2000年)の年の瀬、12月30日午後11時ころから翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の閑静な住宅地で起きた残虐な殺人事件のことで、正式名称「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」です。

世田谷一家殺害事件の犯人の特定・逮捕には至っておらず、現在も世田谷一家殺害事件は未解決事件となっています。

世田谷一家殺害事件で殺害された被害者は、会社員の宮澤みきおさん(当時44歳)、妻の泰子さん(41歳)、長女・にいなちゃん(8歳)、長男・礼君(6歳)の一家4人全員です。幼い子供までもがめった刺しにされるという残虐な事件であり、また犯行後に犯人は長時間現場に留まった形跡があり、犯人の行動からもとても謎の多いことで知られるのが世田谷一家殺害事件となっています。

世田谷一家殺害事件は、2007年12月に捜査特別報奨金制度対象事件に指定されており、事件の解決、犯人の逮捕に結びつく有力情報の提供者に最大300万円の懸賞金が支払われます。2014年には私的懸賞金が増額され、世田谷一家殺害事件の報奨金の額は現在最大2000万円が支払われることとなっています。

また、世田谷一家殺害事件の犯人が捕まることなく時効が迫る中、2010年4月に「時効見直し法案」が異例の即日施行され、世田谷一家殺害事件の時効は無くなりました。世間の犯人逮捕への期待は高まりましたが、残念なことに世田谷一家殺害事件の犯人は、現在に至るまで特定されていません。

しかし2chを含めた巷の噂では、韓国人が犯人ではないのか?と言われています。その真相はどうなのでしょうか。どうして韓国人が犯人だと言われるようになったのでしょうか。

韓国人が犯人という証拠があったのでしょうか。根強い韓国人犯人説はどこからきたのでしょうか。本当に警察は現在でも韓国人を追跡しているのでしょうか。

犯人が韓国人か否かを含め、世田谷一家殺害事件を改めて検証してみましょう。

世田谷一家殺害事件の概要

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世田谷一家殺害事件の被害者である宮澤みきおさんは、外資系の経営コンサルタント会社社員で、妻の泰子さんは自宅で「公文式」の学習塾を経営していました。

宮澤さんの家の場所は小田急線「成城学園前駅」と京王線「千歳烏山駅」のちょうど中間地点にあたる場所で、上祖師谷3丁目にありました。家は2棟続きになっており、隣には泰子さんの母親と姉夫婦が住んでいました。

それでは、世田谷一家殺害事件の概要を見てみましょう。

【1】事件当日の被害者の行動

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世田谷一家殺害事件の事件当日の30日午後6時頃、小田急線成城学園前駅で一家4人が買い物をしている姿を目撃されており、午後6時半頃には一家の車が被害者宅の車庫に無かったことを近所の人が確認しています。その後、京王線千歳烏山駅付近に寄り、帰宅したとみられています。

同午後7時頃、隣に住む泰子さんの母親が、泰子さんと電話で会話しています。また長女・にいなちゃんが、隣に住む泰子さんの母親の家に訪れています。同午後9時38分頃、長女・にいなちゃんのパソコンでテレビ番組を視聴した形跡が残っていました。

【2】犯行時刻前後の大きな物音

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隣家に住む姉は、30日午後11時30分頃に被害者宅から「ドスン」という大きな物音を聞いています。犯人が2階踊り場にあった屋根裏部屋へハシゴを上げた音とされている。

これは実際に実験を行うなど検証をしたことで判明したことです。姉は翌午前1時過ぎに就寝したが、その他には特に変わった物音は聞こえなかったそうです。

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2000年12月31日午前10時50分ころ、隣に住む泰子さんの母親が一家に内線電話をかけても応答が無い為、不審思いスペアキーを使って家に入ったところ、無残な4人の遺体を発見しました。

【4】被害者らの状況

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宮澤みきおさんは1階の階段下で外出着(片足が裸足)、妻・やすこさん、長女・にいなちゃんは2階階段踊り場付近、長男・礼君は2階の子供部屋でそれぞれジャージなどの寝間着姿で発見されました。

【5】事件現場の状況

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世田谷一家殺害事件発覚時、1階の電気は付いていたと報じられています。

新聞配達員が31日早朝に新聞の朝刊を配達した時には、被害者宅の玄関の電気は消えていたが、第一発見者の母親が現場を訪れたときには電気が付いていたということです。

なお読売新聞の情報によると、未明には被害者宅の電気が消灯していたという通行人の証言も出ており、犯人は新聞が配達された後から母親が訪れる前の時間に現場から逃走していた可能性もあります。

世田谷一家殺害事件の現場状況

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世田谷一家殺害事件の犯人は、たくさんの手がかりを残して現場を離れています。

多くの手がかりは犯人を捜すのに有利と思われましたが、その反面、より捜査を混乱させることになります。世田谷一家殺害事件当日の現場状況と近隣状況を確認しながら、世田谷一家殺害事件の犯人の行動を考えてみましょう。

事件現場の状況

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世田谷一家殺害事件の犯人の入出経路は、被害者宅裏(公園側)にある2階の浴室窓とみられますが、侵入口は玄関であった可能性も指摘されています。

浴室の窓は開いており、網戸は外にはずれ落ちていました。また、窓の真下の地面辺りから犯人の靴跡とよく似た大き目の足跡が発見されており、同じく窓の真下の公園フェンス付近の木の枝も折れていました。

世田谷一家殺害事件の発見時に、玄関の扉の鍵は閉まっていました。また玄関のドアのノブなどから犯人の痕跡(指紋や血痕)も発見されいません。これは世田谷一家殺害事件が発生する前に、宮澤さんが犯人を招き入れた可能性もあるということです。

世田谷一家殺害事件の犯人は、宮澤さん一家を殺害した後、浴室窓から逃走したことも考えられます。

近隣の状況

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世田谷一家殺害事件の被害者である宮澤さん一家が、この場所に越してきたのは1990年6月。

当時はこの住宅地のある場所には30軒ほどの家が並んでいたが、公園用地拡張事業による整備が進んだため、他の住民は次々と引越していきました。そのため、世田谷一家殺害が起こった時は、宮澤さん宅のある場所には数軒しか家が建っていなかったそうです。

すでに土地売買契約を済ませていた宮澤さん一家も、2001年4月までに埼玉県内に引っ越しをする予定だったそうです。

2chの情報などで世田谷一家殺害事件は、住宅地がある場所で土地買収が行われており、うまく買収が行われなかった為、土地売買のトラブルが関係しているのでは?と言われていますが、宮澤さんはすでに土地売買契約を済ませていたので、2chの噂の真相はわかりません。

また近隣トラブルについても、隣の場所に住んでいるのは親族でありトラブルも無く、その他の近隣トラブルも無かったようです。

犯行が行われた状況

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宮澤さん宅に侵入した世田谷一家殺害事件の犯人は、まず浴室すぐ隣の子供部屋に寝ていた長男・礼君に布団をかぶせて首を絞め窒息死させました。

1階の書斎の場所で仕事をしていた宮澤さんは物音に気付き、犯人と鉢合わせたと思われ、宮澤さんは階下で亡くなっていました。最後に犯人は3階の場所にあるロフトで寝ていた妻・泰子さんと長女・にいなちゃんを襲ったとみられます。

階段の踊り場付近で倒れていた泰子さんはメッタ刺しの状態だったようです。

世田谷一家殺害事件の犯人は?

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世田谷一家殺害事件の犯人は、長時間にわたり殺害現場である場所に滞在していた形跡があります。

一般の殺害事件の犯人は、犯行後はなるべく早くその場所を離れて逃げようとするものです。世田谷一家殺害事件の犯人は、なぜ長時間にわたり殺害現場になるその場所に滞在し続けたのでしょうか。

世田谷一家殺害事件の犯人の、謎の行動ついてさらに見てみましょう。

犯人の行動

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世田谷一家殺害事件の犯人はタンスやクローゼットのある場所を荒らしまわり、必死に何かを探したかのように思えます。月末で集まっていたであろう学習塾の月謝20万円相当が紛失していたが、キャッシュカード、貴金属類は手付かずでした。

2階の浴槽には、切り刻まれた書類(宮澤さんの仕事のものや学習塾のもの)が入れられていました。書類を一枚一枚目を通して選別していたように見られます。浴槽には財布(現金抜き)やバッグも投げ込まれ、世田谷一家殺害事件の犯人が止血に使ったとされるタオルや生理用品、その他アイスのカップなどが散乱していました。

このことから世田谷一家殺害事件の犯人は、家の中を物色して不必要な物を浴槽に捨てたことが考えられます。世田谷一家殺害事件の犯人は、1階の納戸がある場所から書類が入っていたと思われる引き出し1段を、わざわざ浴槽のある場所に運び物色し、それから再びその引き出しを2階のトイレ前まで運んでいます。

また世田谷一家殺害事件の犯人は妻・泰子さんのハンドバッグ2個を2階トイレに持ち込み、便座に座って用を足しながら物色したようです。世田谷一家殺害事件の犯人は最後にトイレの水を流すことなく、大便を残したままトイレから出ているのです。

2階居間にはソファにも手帳、運転免許証、カード類が並べられていました。戸棚や机などのほとんどの引き出しが、下から順番に開けられて物色された形跡があり、これは空き巣特有の手口でもあります。世田谷一家殺害事件の犯人は手慣れた空き巣?もしくは同等の犯罪に慣れている人物だったのでしょうか。

世田谷一家殺害事件の犯人は1階書斎の宮澤さんのパソコンでインターネットに繋いでいます。接続したのは2回で、最初に午前1時18分、2回目は10時2分と、泰子さんの母親が内線電話をかける直前までです。世田谷一家殺害事件の犯人は約11時間もこの場所にいたことになります。

インターネットの接続履歴から「劇団四季」のページを見ており、メールもチェックしています。「劇団四季」のサイトは宮澤さんが元々「お気に入り」に登録していたものだったが、世田谷一家殺害事件の犯人はそこから舞台のチケットを購入しようとしていたこともわかっています。世田谷一家殺害事件の犯人はインターネットを使い終えるとコンセントを抜いていました。

4人を殺害した後に、世田谷一家殺害事件の犯人が被害者宅の冷蔵庫からペットボトルのお茶(麦茶)やメロン、アイスクリームを4個取り出して食べた形跡が残されていました。アイスの容器は2階の浴槽と居間の座布団の上からそれぞれ1個づつ発見され、1階のパソコン脇にあった2個は食後に重ねられていました。

世田谷一家殺害事件の犯人はパソコンをしながら冷蔵庫から取り出したアイスを食べていたとみられ、スプーンを使わず、カップを握りつぶすようにして食べていたようです。

それから台所にはお茶を飲むのに使った、世田谷一家殺害事件の犯人の唾液が付いたコップが残されていました。また、世田谷一家殺害事件の犯人は被害者宅の物色中にガムを噛んでいたことも分かっています。一方で冷蔵庫にあったビールや冷蔵庫横のコーラ10本には手を付けておらず、世田谷一家殺害事件の犯人は飲酒をしない人物である可能性もあります。

被害者の状況

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宮澤みきおさん、妻・泰子さん、長女・にいなちゃんは全身を負傷していました。

長男・礼君は手で首を絞められたことによる窒息死とみられており、その時にできた圧迫痕や鼻からの出血以外に傷らしいものや犯人の血痕などは見つかりませんでした。みきおさんの頭部に柳刃包丁の破片が残っていたという報道もあります。

泰子さんとにいなちゃんは顔や首を中心に上から切りつけられていたが、みきおさんは足(太もも)や尻なども切りつけられていました。女性被害者は何度も刺されていたという情報もあり、被害者の性別によって殺され方が異なっていた可能性もあります。

女性被害者は死後も執拗に何度も刺していることが明らかになっています。

犯人の特徴

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世田谷一家殺害事件の犯人は、現場になった場所に残った血痕から血液型A型だと分かっています(世田谷一家殺害事件の被害者にA型の人間はいない)。同じく血液型から男性であることも分かっています。血液型から、たばこを吸わない人物であることも判明しています。

世田谷一家殺害事件の被害者の傷跡などから、犯人は右利きの可能性が高く、犯人の指紋は渦状紋でした。服装などから身長は170センチ前後の可能性があり、ヒップバッグのベルトの長さから、胴回り70~75センチのやせ型と推定されています。

犯人のDNA

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世田谷一家殺害事件の現場に残れていた血液のDNAから、父系がアジア系民族、母系には欧州系(地中海)民族が含まれることが判明しています。

「日本人に少ない型」とする専門家の声もあるそうです。母系を示すミトコンドリアDNAのハプログループは、アドリア海や地中海の南欧系民族に見られる「アンダーソンH15型」で、この型はアジア民族には見られません。

父系を示すY染色体は日本人よりもその他のアジア系民族に多い「ハプログループO2a2b1(O-M134)」であることが判明しています。このO2a2b1は、日本人(東京)の約33人に1人、中国人の約10人に1人、韓国人の約5人に1人であるそうです。

この結果を見ると、韓国人の可能性が高くなるということで、2chでは韓国人が犯人では?と噂になったようですが、O-M134はシナ・チベット語族系ですので韓国人が犯人とは限りません。また、日本国内においても地域差があるので33人に1人はあくまで東京での結果です。

世田谷一家殺害事件の犯人についての証拠はあるが…

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世田谷一家殺害事件の現場には多くの証拠となる物が残っていました。

これだけ多くの証拠がありながらも世田谷一家殺害事件の犯人は今現在も特定されていないのです。そういったことから2chでは、証拠をもとに色々な仮説をたてて犯人探しが行われています。

2chの噂を鵜呑みにすることはやめ、状況を整理するために、世田谷一家殺害事件の現場に残された証拠を見てみましょう。

証拠1:トレーナー(長袖Tシャツ)

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世田谷一家殺害事件で事件現場にこのされていたトレーナーは、見ごろ部分が薄い灰色で両袖が薄い紫色のラグラン袖Lサイズ。

販売期間は、2000年(平成12年)8月~12月までの間で、現在では販売されていません。販売範囲は、北は北海道、西は兵庫まで。都内では10枚しか販売されておらず、事件当時都内で販売されていたのは、カジュアル服の専門店のみです。

証拠2:ジャンパー(エアテックジャケット)

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世田谷一家殺害事件の現場に残されたジャンパーは黒色、Lサイズ、ユニクロ製のものでした。

2000年(平成12年)の10月ころから事件発覚日の間に全国で82000着が販売されたものです。(都内10194着)販売価格は3900円~5900円)販売先はユニクロ直営店(通販、ネット販売あり)。

ジャンパーのポケットから検出された砂は、三浦半島の砂ということが判明しています。

証拠3:マフラー

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世田谷一家殺害事件の現場に残されたマフラーは、緑色に赤・黒・オレンジ・濃緑色の格子柄でした。

小さいタイプのマフラーで長さ130センチ、縦30センチ。機械編みの最低価格の商品とみられており、100円ショップでも売られている可能性のあるものです。製造元は現在でも不明です。

証拠4:防寒手袋

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世田谷一家殺害事件の現場に残された手袋は、エドウィン社製の内側にボア付き、外側は豚革、サイズ26センチ(フリーサイズ)黒色でした。

1998年(平成10年)~2000年(平成12年)の間に10755ペア製造されたもので、当時の価格で1980円位で販売されていました。主な販売先は株式会社ジーンズメイト、株式会社マルフル(M/X)等です。

証拠5:運動靴(テニスシューズ)

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世田谷一家殺害事件の現場になる場所に残されたテニスシューズは、日本サイズ27.5センチ(韓国人サイズ280)。

メーカーはイギリスのスラセンジャー(Slazenger)。韓国人の企業で韓国・でプサンにある会社がライセンス契約を結び、韓国で製造されていました。1998年(平成10年)~2000年(平成12年)11月の間、韓国人向けに韓国内で4530足製造されました。

日本でも4000円前後で販売されましたが、同サイズは韓国人サイズ280で、日本では販売されていません

証拠6:柳刃包丁

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世田谷一家殺害事件の現場に残された包丁は、商品名は「関孫六・銀寿」というものでした。

刃体21センチ、柄の部分を含めた全長34センチ。福井県内の業者が2000年(平成12年)6月に1500本製造したものでした。関東地区46店舗では1丁3500円前後で販売されました。

証拠7:黒いハンカチ

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世田谷一家殺害事件の現場になる場所に残されたハンカチは、株式会社良品計画の「無印良品」製、2枚の黒いハンカチでした。

1枚は凶器の柳刃包丁を包むための物で、中央付近に約3センチの切込みが残されており、この切込みに凶器の包丁を通して使用したようです。もう1枚のハンカチは覆面として使った可能性があるそうです。

1995年(平成7年)~2000年(平成12年)の間に販売されたもので、綿製、縦横45センチの正方形。販売価格は1枚300円です

証拠8:香水

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世田谷一家殺害事件の犯人が、凶器を包んでいたハンカチから香水が検出されました。

香水はフランス製の「ドラッカーノワール」です。1982年にフランスのギ・ラロッシュから販売された香水です。価格は30ml入りボトルで約3000円です。

証拠9:ヒップバッグ

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世田谷一家殺害事件の現場に残されたバッグは、ベルトの長さ83センチメートル、腰回り70から75センチ、深緑色、大阪の業者が2850個製造したものでした。

販売期間は1995年(平成7年)9月~1999年(平成11年)1月の間で現在は販売されていません。関東地区のディスカウント店等で2900円で販売されました。バッグの中には砂が残っており、この砂を調べたところ、カリフォルニア州の砂の可能性が高いことが分かりました。

証拠10:帽子(クラッシャーハット)

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世田谷一家殺害事件の現場に残された帽子は、灰色、毛糸織り、黒色ライン入りでした。

1999年(平成11年)9月~2000年(平成12年)11月の間、日本全国で3465個販売さされていました。販売価格1900円前後です。(シールタグから平成11年9月21日以降に販売されたもの)関東圏内の主な販売先は、株式会社マルフル(M/X)、株式会社ユニーク、株式会社大三ブラックです。

目撃情報やその他の情報

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世田谷一家殺害事件には、いくつかの目撃情報らしきものや、不審な点があります。

近隣の場所からの情報や、他県からの情報もあり、世田谷一家殺害事件当初は事件に関係がないと思われていたことも、現在までの調査で重要な情報の可能性が出てきました。目撃情報の中に韓国人がいたのか?今現在分かっている世田谷一家殺害事件の目撃情報や不審な点をまとめました。

吉祥寺の男

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世田谷一家殺害事件の犯行に使われた柳刃包丁は、都内では武蔵野市、練馬区、杉並区で2000年に10本ほど売られていました。

事件前日の12月29日、吉祥寺で犯行に使われた包丁を1本だけ買った男がいたそうです。この男は年齢30歳代と見られ、身長170センチ、黒いジャンパーを着ていたそうです。男の行方は現在でも不明です。

黒い服の男

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世田谷一家殺害事件の事件当日の11時30分、車を運転していた主婦が、宮澤さん宅の前の場所で、路地に飛び出して小走りに道路を横断した男を目撃しています。

身長175センチ~180センチくらい、痩せ型、長髪で毛糸の帽子をかぶり、黒っぽい服装をしていたそうです。この黒い服の男は現在でも行方が分かりません。

アオキという男

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世田谷一家殺害事件が起こった年の2000年8月15日、「アオキ」と名乗る男が、埼玉県内の興信所に電話をしたそうです。「宮澤さん宅とその家族」についての調査を依頼したそうです。

しかし「アオキ」から銀行振込が無かったので調査は開始されませんでした。10月26日再び「アオキ」から興信所へ電話があり、宮澤さんの現住所及び住民票を請求したそうです。翌日「アオキ」は事務所に現れ、住民票と引き換えに謝金を渡したそうです。

10月28日に再度電話で連絡があり、宮澤さんの戸籍謄本を依頼しました。しかし、その後の連絡は無く現在に至ります。

栃木県日光市の男

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栃木県日光市の東武日光駅で、世田谷一家殺害事件があった日の12月31日、午後5時20分着の電車から降りた男が右手から出血しており、駅員からケガの原因を尋ねられ「電車の中で包丁を落として手を切った」と言ったそうです。しかし電車内に血痕は確認されませんでした。その後、男の行方は現在でも情報がありません。

年齢30歳年後、身長175センチ、黒いダウンジャケットにジーンズ姿。この情報は世田谷一家殺害事件から年明け初めには捜査本部に届いていました。しかし当初警察は、世田谷から場所が離れていることから、世田谷一家殺害事件の犯人と関係がないと判断し、捜査対象の情報とはしませんでした。

主婦の見た男

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世田谷一家殺害事件の前日午後3時頃、現場近くの場所で主婦が、世田谷一家殺害事件の犯人が着ていたものと似たデザインの長袖Tシャツを着た男とすれ違っていました。

12月にしては薄着だったので覚えていたそうです。この男もまたヒップバッグと「スラセンジャー」によく似たタグ付きのシューズを履いていたそうです。この男の行方は現在でも不明です。

世田谷一家殺害事件の犯人について様々な仮説が!

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世田谷一家殺害事件には現在でも様々な仮説があります。

とくに2chでは、多くの人が現在でも韓国人説を立てて、犯人の推測をしています。本当に韓国人が犯人なのでしょうか。しかし2ch情報のどれも決定的な証拠となるものは無く、2chで流れる多くの仮説は噂の域を超えません。

2chにある世田谷一家殺害事件の噂のどれが真実か、はたまた2chの情報はどれも噂にすぎないのかは分かりませんが、2chで現在も世田谷一家殺害事件の大きな噂となっているものを紹介します。

仮説1:韓国人説

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2chを含め多くの世田谷一家殺害事件の噂は、犯人は韓国人であるということです。

2chでは、世田谷一家殺害事件の犯人が残した証拠の中に、日本では販売されていないサイズで韓国人サイズの韓国製シューズがあることと、世田谷一家殺害事件の犯人の血液から採取されたDNA型から韓国人ではないかと浮上したようです。

2chでは世田谷一家殺害事件の韓国人の犯人が犯行後に出国していて、世田谷一家殺害事件の犯人は現在、日本に居ないと噂しているようです。

2chで韓国人説は有力とされましたが、なぜ韓国人の犯人が宮澤さん一家を襲ったのか動機が不明です。そしてなぜその韓国人の犯人が、これまで残虐な犯行をしなければならなかったのか?韓国人の犯人は誰なのか?2chでも謎になっています。韓国人犯人説はあくまで2chの噂であり、真相は分かりません。

2005年7月、警視庁成城署特捜本部は世田谷一家殺害事件の韓国人犯人説を否定しています。

しかし特別捜査本部では現在、世田谷一家殺害事件の犯人は「アジア系含む日本国外の人」または「混血の日本人」である可能性も視野に入れて捜査しており、「犯人が純粋な日本人である可能性も否定せずに、国内でも幅広く捜査する」としています。

仮説2:宗教がらみ説

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2chによると、世田谷一家殺害事件の被害者・宮澤みきおさんは、某宗教団体に入っていましたが、事件が起こる前に脱会されているそうです。

2chによると、脱会直後に世田谷一家殺害事件に巻き込まれたことで、宗教がらみ説が2chで浮上しました。この2chの噂によると、宮澤みきおさんは某宗教団体の熱心な信者だったそうで、脱退したことで恨みを買い、世田谷一家殺害事件に発展したというのです。

2chの噂では、その宗教団体は韓国に本部があり、韓国人の教祖がおり、韓国人の信者も多くいるそうです。2chでは、日本にいる宗教関係者が韓国人の殺し屋を使って犯した事件だと噂されています。

そして2chでは、組織的な犯罪の為、世田谷一家殺害事件の捜査は現在でも難航を極めているのではないかと言われています。

仮説3:スケートボーダー説

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2chでは、世田谷一家殺害事件の犯人はスケートボーダーではないかと噂されています。

世田谷一家殺害事件の事件現場の場所に隣接する祖師谷公園には、スケートボードをする若者の姿がよく見受けられており、その中の1人が宮澤さんと揉めていたという目撃情報があるのです。また、世田谷一家殺害事件の犯人の服装は、若い人の服装で、スケートボーダー風にも見えます。

世田谷一家殺害事件の現場に残された遺留品のバッグからは、カリフォルニア州の砂が検出されており、カリフォルニアはスケートボード発祥の地です。

またヒップバッグから検出された砂は、三浦半島のもので、三浦半島にある「うみかげ公園」にはスケートボーダーが集まる場所があり、大会も頻繁に行われています。このことから2chでは、世田谷一家殺害事件の犯人がスケートボーダーという噂がされたようです。

この2chのスケートボーダー説は、世田谷一家殺害事件に関係の無い人物が、まるで犯人かのように実名と写真付きで紹介され、2chの噂は拡散していきました。世田谷一家殺害事件の犯人が、スケートボーダーがどうかは判明しておらず、2chの噂は現在でも定かではありません。

世田谷一家殺害事件解決に向けての警察の奮闘

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世田谷一家殺害事件の当初、怨恨殺人ということで警察の捜査は開始されたそうです。

事件の遺留品も多いことから、犯人は早い段階で逮捕されると思い、捜査情報の多くを公開することもなく進められました。しかし今現在でも犯人は捕まること無く、皮肉にも残された多くの遺留品や現場の状況が捜査を攪乱させたのです。

情報公開が行われたころには既に月日は流れており、捜査は難航を極めました。現在でも警察が世田谷一家殺害事件の現場や付近の場所をを巡回しており、警察の奮闘がうかがえます。

世田谷一家殺害事件発生から100日目にあたる2001年4月9日の朝、「拝んでいる人がいる」との住民の通報を受け、警察官が駆け付けると、世田谷一家殺害事件の現場近くの歩道脇から対岸の場所で、宮澤さん宅に向かい両手を合わせるお地蔵様の姿がありました。

誰が何の為に置いたのかは謎で、警視庁は情報提供を求めています。見つかったお地蔵様は御影石製で、高さ60センチ、重さ20キロ。台座に「六」らしき文字が刻まれていました。比較的新しく、中国製か韓国製とみられたそうです。

当時この場所の辺りを24時間態勢で周囲を監視していた警察官は、このお地蔵様が置かれたことに全く気付かず、誰か置いたのか謎は深まるばかりです。

事件からちょうど100日目という区切りの日で、地蔵の顔も世田谷一家殺害事件があった場所を向いていたので、誰か事件を悼んだ人による「供養」の可能性もあり、聞き込みをしましたが、今現在のところ判明していないのです。

世田谷一家殺害事件は多くの謎を残したままで解決されず、今現在でも警察は捜査を続けています。この事件は、2010年改正刑事訴訟法施行の大きなきっかけになっており、即日施行された法律のおかげで時効を免れました。これにより、未解決の凶悪事件等、私たちが犯人逮捕を望む事件は、時効を気にすることなく現在でも捜査が続けられることになったのです。

また世田谷一家殺害事件は、事件の場所となった世田谷区にも大きな影響を与えます。この事件を機に、世田谷区成城署が街の防犯カメラや、緊急時に警察に通報できるスーパー防犯灯(緊急通報装置)の設置を促進しました。特に防犯カメラは、窃盗事件が減少するなどの効果が得られ、現在でも他の事件の解決に結びついています。

法や街の状況を変えるほど大きな影響を与えた世田谷一家殺害事件は、世間の関心も非常に高く、現在もなお捜査は続いていますが、現在その状況はどのようなものかは分かりません。このような痛ましい事件が二度と起らないためにも、一刻も早い犯人逮捕を多くの人が望んでいます。

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