ディアトロフ峠事件の真相!世界丸見えでも放送された話題事件のネタバレ | ToraTora[トラトラ]

目次

  • 1 ディアトロフ峠事件とは?
  • 2 ディアトロフ峠で起こった事とは?
  • 3 ディアトロフ峠事件死の真相とは?
  • 1 ディアトロフ峠事件まとめ!

みなさんは今から約60年前にディアトロフ峠で起こった事件を知っていますか?

約60年前に起こったディアトロフ峠事件はテレビ朝日の有名なテレビ番組「世界まる見え!テレビ特捜部」や、フジテレビの「奇跡体験!アンビリーバボー」でも紹介された雪山で起こった世界的なミステリーです。

いまだに事件が解明されていない、ミステリー、UMA好きにはとても有名な事件となっています。

原因は、イエティ説や先住民の襲撃説や軍の核兵器実験説、ヘアピン渦列説、痴情のもつれ、UFO(エイリアン)説など、多岐にわたります。

今回はそんなディアトロフ峠事件で起こった事件についてネタバレしていきます。

ぜひご覧ください。

ディアトロフ峠事件の被害者たち

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引用: Pixabay

イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ

リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナ

セミョーン・アレクサンドロヴィチ・ゾロタリョフ

ジナイダ・アレクセーエヴナ・コルモゴロワ

ユーリー・アレクセーエヴィチ・クリヴォニシチェンコ

ニコライ・ウラジーミロヴィチ・チボ=ブリニョーリ

ルステム・ウラジーミロヴィチ・スロボディン

ユーリー・ニコラエヴィチ・ドロシェンコ

アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・コレヴァトフ

生存者:ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディン

ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディンのみ途中でリタイアしたため生存。

2013年、2013年4月27日死去。

ディアトロフ峠で起こった事とは?

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引用: Pixabay

今から約60年前の、1959年2月2日の夜に男女合わせて9人のディアトロフ達一行がオトルテン山を目指している途中でホラート・シャフイル山のホチャフリ峠に建てたテントからメンバーが消え、テントの約1.5キロ先で全員が遺体となって発見されたという不可解な事件です。

ディアトロフ峠というのは、正式名称ホラート・シャフイル山をトレッキングをしていた、ウラル工科大学の大学生達とOB卒業生からなるスノートレッキングのディアトロフ隊リーダー、イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフの名前から取って名付けられました。

この登山はトレッキング2級の資格を持っている彼らがトレッキング最高位の資格3級を取り、

アスリートを育てる「スポーツマスター」という資格を全員が得るための最終試験だったのです。

パーティの全員が登山経験が豊富であり、山岳に詳しいためかこのトレッキング計画に反対する者はいませんでした。

ここからはディアトロフ達一行の痕跡を見ていきましょう。

1月25日、イヴデリにディアトロフ達が列車で到着。

その後、トラックでイヴデリから約80キロメートル北にあるヴィジャイ集落に向かう。

1月27日、ヴィジャイからオトルテン山へ出発。

1月28日、ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディンが足腰が痛いと訴えリタイアし、ディアトロフ達一行は9人になりました。

足腰の痛みによりリタイアしたユーリー・エフィモビッチ・ユーディン。

この事件の唯一の生存者となりました。

ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディンとトレッキングメンバーはこれが最期の別れとなりました。

ここから先は出会った人物がいないため、推測となります。

9名になったディアトロフ達一行が先住民族マンシ族と遭遇。マンシ族は「ホラチャフリ峠には気をつけろ。マンシ族の間では死の山と呼ばれている」と忠告します。ここで引き返していれば悲劇的展開にならずに済んだと思うと心が痛みます。

一行は猛吹雪で前が見えない中進んだため、オトルテン山から大きくそれてホチャフリ峠に到着してしまいます。

オトルテンとは、マンシ族の言葉でそこへ行ってはいけないという意味だそうです。

ホチャフリ峠はなだらかな丘だった為都合が良く、一行はテントを張りそこで過ごすことにしました。

まさかここが死の谷ディアトロフ峠となるということも知らずに。

ディアトロフから彼の所属するスポーツクラブへ電報がある予定となっていましたが、電報はありませんでした。ディアトロフ達から電報が届くことは無かったのにすぐ心配をされなかったのは、こうしたスノートレッキングでの電報は遅れるのが普通だった為でした。

しかし、下山予定日から8日経っても連絡が取れず、下山してくることも無かった為、

2月20日、心配したスノートレッキングメンバーの家族たちからの要請で、救助隊を送り、その後軍と警察が捜索に協力した事により救助活動は航空機やヘリコプターを使用した大規模な捜索になりました。

下山予定から8日と時間が経っている経緯はわかりませんが、スノートレッキングでは一週間以上遅れるのも普通だったのでしょうか。もう少しはやく気付いていればまた変わった展開もあったかもしれません。

2月26日、捜索隊がホラート・シャフイル山にて、ボロボロになったテントを発見。

ホラート・シャフイル山で発見されたテントは切り裂かれ、雪に覆われてボロボロになっていました。中はからっぽで誰もおらず、荷物はテントに置いたままになっていました。調べによってテントは内側から切り裂かれており、防寒具やブーツなどはそのまま残されていた事がわかりました。

捜索隊はテントから1.5キロ離れたところでディアトロフの遺体を発見。

捜索隊は1人そして数日後、さらに3人の遺体を発見しました。3人の遺体はそれぞれテントに戻ろうとした形跡が見つかりました。

不可解なのはその遺体のほとんどが何故か下着姿に裸足だということ。

残り4人の遺体は2ヶ月後、渓谷の中で4メートル下から発見されました。4人の遺体は他の遺体より温かい服装をしておりました。それは最初に亡くなったメンバーのものを着ているようでした。

原因が解明されていないディアトロフ峠事件。

9人中5人は低体温症で亡くなったということが分かりました。

しかし、後から発見された4人の死の原因はとても不可解なもので、争った形跡が無いのに4人のうち1人の遺体は頭部に激しい損傷、3人は致命傷が死の原因でした。

そのうち2人は肋骨を骨折していて、そのうち女性1人に至っては舌と眼球を失っており、低体温症で亡くなった5人とは全く違いました。交通事故のようなとても強い力がかかったとされています。

また、放射性物質が発見されたり、遺体には黒く変色していたり、白髪になっていたりととても不可解でした。

ディアトロフ峠事件死の真相とは?

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引用: Pixabay

ここからは死の谷ディアトロフ峠事件の学説をネタバレしていきます。

60年経っても未だ解明されていないディアトロフ峠事件には様々な憶測が飛んでいます。イエティ説、軍の核実験説、UFO説など。それぞれネタバレしていきます。

憶測を出ない理屈や想像なども出てきますのでそんな想像もできるのか、などディアトロフ峠事件を考えていただければと思います。

それではどうぞ。

雪崩説

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引用: Pixabay

まず雪崩説から考えていきます。雪崩説は数々の噂がされており、有力な説と呼ばれています。

雪崩説は夜テントに居たところ、雪崩に気付いたメンバー達が慌てて内部からテントを切り裂き脱出するも、衣服や靴を失ってしまい、低体温症で死亡したというものです。

テントが内側から切り裂かれていたこと、マイナス30度の中衣服や靴を履かず、下着姿で遺体が見つかったのもあり慌ててテントから飛び出したのは雪崩から逃げたのではないか、という説です。

しかし、テントはなだらかな地面に建てられており、雪崩が起きた形跡もありませんでした。

雪の中下着姿で飛び出したのは低体温症による矛盾脱衣のためだといわれています。

低体温症になるとその低い体温を上げるために体が熱代謝を良くし、体内から身体を温めるため非常に寒い雪山でも体が暑いと勘違いをし、雪山でも服を脱いでしまうことを矛盾脱衣といいます。

マイナス30度の中、テントから飛び出し数キロ走るなんて雪崩じゃなくても何か慌てて飛び出すような事件があったのは確かなようですね。

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引用: Pixabay

イエティとは、ヒマラヤ山脈に現れるとされ、体が大きく、体が体毛で覆われているとされる未確認生物(UMA)です。

クマや狼、イエティなどの獣害説も考えられました。テントの明かりにクマや狼、イエティが寄ってきた可能性があるからです。

遺品のメモには「見たこともない大男がいた」との記述がありイエティなのかはわかりませんがイエティ説も有力ではないでしょうか。

女性の遺体の舌や眼球が失われていたのも不可解です。この付近のシカの遺体に舌が無いなど不可解なものもあったため

イエティが抜いたのではないかとも言われています。

マンシ族にも「メンク」と呼ばれるイエティのようなものの伝説があります。

ディアトロフ峠事件にイエティの噂はかかすことが出来ません。

雪山でのイエティの話題はつきものです。「見たこともない大男」との記述もあったためもしかしたらイエティは本当に存在するのでは?と思わされます。

しかし、獣や大きなイエティの足跡は無く、この説もはっきりとはしていません。

ロシア軍の核実験、UFO(エイリアン)説

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引用: Pixabay

つづいては軍の核実験説。

隊員たちの遺体には高い放射線濃度が確認されています。すごく高い放射線濃度という訳でも無いのですが、隊員たちの遺体が黒く変色していたことや髪が白髪になっていた事も気になります。

一説によるとテントのそばにクレーターがあったため、ミサイルが誤って雪山に落ちたという説もあります。

軍がディアトロフ峠事件の捜査をなかなか許可しないらしいという説もあり軍の捜査妨害、軍に都合が悪いことがあり、捜査を許可しないという話もあります。これも不可解です。

ロシア軍がミサイル実験に失敗し、それを隠ぺいするために様々な工作をした、その為様々な説を生み出している、なんて想像もできてしまいます。捜査を頑なに拒否するロシア軍の行為は奇妙です。

後ろめたいことがなければ許可は下りるはず。軍が様々な工作を行った結果、イエティ説やUFO(エイリアン)説、マンシ族の襲撃説などが出てきたと考えれば理屈が通ります。

秘密を知ってしまったディアトロフ一行を軍が殺害したなど推測の域を出ませんが想像しているミステリーファンも多いのでは。

また、その高い放射線濃度からUFO(エイリアン)の存在も噂されました。雪山でオレンジ色に光る謎の物体が目撃されていたからです。マンシ族もこの不思議なオレンジ色の光を目撃したといいます。

2008年にディアトロフ峠にて縦横90センチの金属板が発見されたというニュースはご存知でしょうか。これは核実験説に有力な情報ではないでしょうか。

ディアトロフ財団はこの金属片に死の谷の謎解明の期待を寄せています。

これから成分や製造年月日の調査をするということですがこの金属片の画像を見た研究者はロシアの大陸間弾道ミサイルではないかと推測しているようです。軍のミサイル実験にとても有力な物証が出てきましたね。

まだまだ秘密の多いディアトロフ事件。これからもさまざまな説が出てきそうですね。

マンシ族の襲撃説

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引用: Pixabay

当初先住民のマンシ族の襲来および殺害が推測されていましたが、現場にはディアトロフ達一行の足跡しか残されておらず、マンシ族の足跡はありませんでした。

また、先住民族のマンシ族はとても温和な先住民族で、ディアトロフ達一行が死の谷へ向かう際「ホラチャフリ峠には気を付けろ。マンシ族の間では死の山と呼ばれている」と忠告もしています。

現場にマンシ族の足跡は無く、こちらの説も考えにくいと言われています。

痴情のもつれ説

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引用: Pixabay

一人の美人隊員にディアトロフ隊長や他メンバー数人が恋心を抱いていたという説もあります。

女性をめぐる争いで喧嘩の末テントがパニック状態になり、テントから隊員が出て行ったという説。しかし、大変過酷な雪山。痴情のもつれでテントから飛び出していくなど普通は考えられません。

この説もちょっと考えにくいと思われます。

カルマン渦列説

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引用: Pixabay

最後は最近出てきた説のカルマン渦列説です。

カルマン渦列とは、

ヘアピン渦とも呼ばれ流れの中に障害物を置いたとき、または流体中で固形を動かしたときにその後方に交互にできる渦列を言う

引用:Wikipedia

山自体がカルマン渦列を起こしやすい環境だったため、低周波と轟音を引き起こし、メンバーが低周波によるパニックを引き起こし逃げたところでテントに戻ることができなかったというのです。

メンバーの絶望感を思うととてもいたたまれないです。

ディアトロフ峠事件まとめ!

mun.ulvs2さん(@mun.ulvs2)がシェアした投稿 – 2017年 3月月20日午前1時47分PDT

ディアトロフ峠事件のネタバレいかがでしたでしょうか。

様々な原因と説を紹介していきましたが、それぞれ全ての説に納得や疑問、不可解なことが多すぎて謎が深まるばかりです。

今回は雪崩説、イエティ・獣害説、UFO・軍の実験説、痴情のもつれ説、カルマン渦列説をご紹介いたしました。これ以外にも探せば謎の説がいくつも出てきます。

今後も調査で色々な物証、説が出てきそうですね。

2019年現在、ディアトロフ峠事件の再調査が始まったそうです。

ディアトロフ峠事件の生存者、ユーリ・エフィモヴィチ・ユーディンは残念ながら

2013年に亡くなってしまいましたが、調査の技術も60年前とは違い格段に上がっているため、謎が解明する日も近いかもしれません。

ミステリー好きには聞き流せないニュースですね。今後の情報に期待したいところです。

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