奥田愛基の経歴&2019年現在まとめ!SEALDs設立経緯や活動内容は?

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奥田愛基さんとは?

消費税増税、表現の不自由展の中止など、2019年の現在も国民の政治への声が反映されず、twitterなどネットを中心に多くの場所で議論を呼んでいます。特に、参議院選の投票率の低下など若者の政治離れは深刻な問題です。

そんな中、2015年に平和安全法制を巡ってSEALDsという学生団体が多くの若者を集めて国会前でデモ活動を行ったニュースを覚えていますか?

その中心人物となっていたのが、今回ご紹介する奥田愛基さんです。

奥田愛基さんの活動はtwitterをはじめとする各種SNSでも大きな話題となり、なんjなどのネット媒体に限らず、テレビや新聞などの多くのメディアから注目を集めました。

あれから数年が経ちSEALDsは解散しましたが、2019年現在では27歳になっている奥田愛基さん。

そんな奥田愛基さんは、2019年の現在では何をしているのでしょうか?就職先や現在の活動についても気になります。

そこで今回は、奥田愛基さんの経歴、SEALDsについて、当時のなんj・twitterでの反応を紹介するとともに、2019年現在、奥田愛基さんがどのような活動を行なっているのかについてご紹介します。

 

奥田愛基さんの経歴

引用: Pixabay

まずは奥田愛基さんの経歴についてご紹介します。

奥田愛基(おくだあき)さんは1992年6月24日生まれ、福岡県北九州市の出身です。奥田愛基さんの父親は協会の牧師で、ホームレスや貧困者などを救済する特定非営利法人「抱樸」の理事も務めています。

奥田愛基さんは、中学2年生の時に不登校となりますが、高校は島根県にあるキリスト教愛真高等学校に進学します。高校時代に海外の貧困問題を学んだことがきっかけとなり、高校卒業後は明治学院大学国際部に進学します。

大学入学直前に東日本大震災があり、被災地支援に関わります。この経験を元に監督として製作した映画『生きる312』が国際平和映像祭でグランプリと地球の歩き方賞をダブル受賞しています。

震災後、奥田愛基さんは震災後の政治運動について考える団体「the Temporary Autonomous Zone」(TAZ)の運営に関わります。

SEALDsを立ち上げる前から、政治や世界の情勢について関心が高かった奥田愛基さん。そこには家庭環境や高校で学んだことが大きく影響していたようです。

 

SEALDsの設立経緯とは?

そんな奥田愛基さんが所属したSEALDsとは一体どのような団体なのでしょう?

2013年、SEALDsの母体となる団体「Students Against Secret Protection Law」(SASPL)が立ち上がります。

この団体は、特定秘密保護法に反対する首都圏の大学生有志が中心となって設立した団体です。奥田愛基さんも、この立ち上げに関わったメンバーの1人でした。

2013年12月、特定秘密保護法の法案が可決された際、奥田愛基さんを含めた有志の数人で国会議事堂前のデモを見に出かけました。

奥田愛基さんは、帰りに寄った日比谷公園で「自分たちも国会前でデモを行おう」と一緒にいた仲間に呼びかけます。それがきっかけで生まれたのが、後にSEALDsの母体となる団体「SASPL」でした。

その後、SASPLは、特定秘密保護法に反対するデモを続けますが、2014年12月に解散します。

しかし、2015年5月に安倍首相の政権運営や憲法改正案に再び危機感を覚えた奥田愛基さんやそのほかのSASPLのメンバーが中心となり、改めてSEALDsを結成します。

SEALDsの名前の由来は「Students Emergency Action for Liberal Democracy s」です。英語のShield『盾』にも語源を得ており、その名前には「日本の自由と民主主義を守る『盾たち(シールズ)』になる」という意味合いも込められています。

奥田愛基さんをはじめとするSEALDsのメンバーは、権力の偏りないリベラルな政治を目指して欲しいという願いのもと、国会前に集合して6月に成立した安全保障関連法への反対する抗議デモを行いました。

また、SEALDsの活動は関東地方のみに留まりませんでした。

twitterなどでSEALDsの活動を知った学生を中心に、その動きは全国に広がります。就職や将来に不安を抱える学生たちが、SEALDsや奥田愛基さんのように自分たちも声を上げようと動き出したのです。

関西地方では「SEALDs KANSAI」、東北地方では「SEALDs TOHOKU」、沖縄では「SEALDs RYUKYU」、東海地方では「SEALDs TOKAI」など、各地方の大学生が中心となって、多くの政治団体が誕生しました。

それ以外にも、高校生が独自に有志を募って立ち上げた団体や、子育て中の母親を中心に活動する団体など、SEALDsの活動に影響を受けた多くの政治団体が随所で生まれました。

 

SEALDsの目的とは?

引用: Pixabay

国会前で精力的にデモを行うSEALDs。では一体、その活動目的は何でしょう?SEALDsの目的や、なぜ彼らがこんなにも注目されたのか、以下でご紹介していきます。

そもそもSEALDsは、自らの団体を「自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクション」として、公式HPでも紹介していました。

SEALDsの三大オピニオンは、「立憲主義の尊重」「生活保障の見直し」「対話と協調に基づいた外交・安全保障政策」です。

SEALDs固有の具体的な主張が存在するわけではなく、大枠で「憲法を守って欲しい」「戦争をしないで欲しい」といった政治に対する若者の思いを、きちんと国会に伝えたいというのが大きな目的でした。

SEALDsには代表者が存在せず、数名の「副司令官」と呼ばれるメンバーによって運営されています。

ここには一人ひとりの感覚や、個人の意見を大切にしたいという願いが込められており、この願いは団体名SEALDsの最後に複数形の“s”つけていることにも表れています。

SEALDsの活動の特徴は、なんと言っても「今までにないスタイルのデモ活動を行った」ことにあるのではないでしょうか。

メンバーのほとんどが10代後半から20代前半の大学生で構成されており、現場で声を挙げるデモ活動以外にも、フライヤーを作製する「デザイン班」など、幾つもの班に分かれてそれぞれの役割を担い運営していました。

SEALDsには、デモをしている様子を配信する「映像班」が存在し、国会前でのデモの様子をtwitterなど各種のSNSで積極的に情報発信することで、多くの若者の注目を集めました。

また、SEALDsの音楽やラップに合わせて意見を述べ斬新なスタイルは、いわゆる従来の社会運動やデモにあった“ダサい”印象を一新し、多くの若者が参加しやすい雰囲気がありました。

そのため、twitterやなんjでも話題に上ることが多く、メディアの注目を集めました。

何より、それまで政治に無関心なものとされてきた若者が中心となって構成されたSEALDsは、社会全体に大きなインパクトを与えました。

しかし、国会前でのデモの様子にもあるように、若者中心の独特のノリで運営される雰囲気から、twitterやなんjなどネット上では多くの批判を集めていたのもまた事実です。

SEALDsは2016年8月に、解散していますが、SEALDs RYUKYUは2019年の現在も活動を続けています。

 

奥田愛基さんの活動内容まとめ【SEALDs】

すでに紹介した通り、SEALDsには代表が存在しません。では、なぜ代表のいないSEALDsの中でこんなにも奥田愛基さんが注目されたのでしょうか?

ここからは奥田愛基さんがSEALDsを立ち上げるに至った思いや、SEALDs時代の活動内容をまとめていきます。

先述の通り、奥田愛基さんはSEALDsの母体となった団体SASPELの立ち上げに関わったメンバーでした。

奥田愛基さんはSASPELの立ち上げに関して、

「特定秘密保護法」(政府が防衛、外交、スパイ防止、テロ活動防止の4分野で、安全保障に支障を来す恐れのある情報を「特定秘密」に指定し、外部に公開しないよう規制する法案)

が可決された夜に、きっかけがあったと話しています。

奥田愛基さんは、「古舘一郎さんが“民主主義は終わりました”とニュースで言っていた」というtwitterを目にします。

これまでも色々な場面で政治や世界平和について話し合う機会があった奥田愛基さん。しかし、自分たちがどんなに考えても、今の日本では政治に国民の声が反映されていないと感じました。

奥田愛基さんは、政治や平和のあり方だけでなく、誰もが意見を発することができる民主主義の社会でありながら、声を発することのない若者の姿に疑問を感じていました。

それならば、デモというかたちでも、自分が声を挙げなくてはいけないと思ったそうです。

そこで、従来の「拡声器とヘルメット」というイメージの強いデモのスタイルを一新し、ラップ調のデモやデザイン性の高いフライヤーの作製などをSEALDsのメンバーに提案し続け、実現してきました。

またデモの中でも、「安倍は辞めろ」「バカか」など政権に対する不満をストレートな言葉で表現していました。

その姿が、就職前の多くのメンバーや、それまで政治に関心の薄かった若年層の支持を集め、次第にメディアからの注目も高まっていたのです。

奥田愛基さんはSEALDsで活動している期間中、デモ以外にも多くのインタビュー取材を受け、テレビに出演して意見を述べることもありました。また、イベントでのスピーチなどにも積極的に参加しています。

SEALDsの活動以外でも、2015年12月、奥田愛基さんは自らが代表理事となり、政党への政策提言などを行うための一般社団法人「ReDEMOS -市民のためのシンクタンク-」を設立しました。

参院議員会館前で設立に関する記者会見を行い、自らがSEALDsで長きに渡って国会前でデモ活動を行い続ける中で、「なぜ正式な形で異議申し立てができないのか疑問に感じた」ことをきっかけに設立に至った経緯を話しました。

このようにして奥田愛基さんは、SEALDsのデモ活動に始まって、国会でのスピーチや社団法人の設立など、瞬く間にその影響力を高めていったのでした。

 

奥田愛基さんは国会に招かれることも

SEALDsで勢力的に活動していた奥田愛基さん。実は、国会に招かれたこともあるのです。

2015年9月15日、平和安全法制を審議する参院特別委員会の中央公聴会でのことです。当時の民主党の推薦により、意見を述べることとなりました。

当日、奥田愛基さんは、それまで印象的であった茶髪の髪を黒く染め、普段のラフなTシャツからスーツ姿に身を包んで国会入りしました。

奥田愛基さんは、同じ席に最高裁判所の元判事や、有名大学の法学部で活躍する名誉教授が座る中、SEALDsのメンバーとして、1人の若者として、その存在感を示しました。

また、国会でのスピーチ冒頭でも「先ほどから寝ている方がたくさんおられるので、お話を聞いていただければ」など、現職の議員たちへストレートな意見を投げかけるなど、多くのメディアの注目を集めました。

奥田愛基さんの実際のスピーチでは、SEALDsの成り立ちや安保法制に対する反発の声、それに対して国会が不透明なまま議論を進めているのではないか、という疑問の提言を行いました。

また政治家ひとり一人に対しても、派閥に左右されずに個人として国政を考えてほしいことなどを述べました。

奥田愛基さんのスピーチは至る所で反響があり、若者の代表として国会で堂々と意見を述べる姿に多くの賞賛の声が集まりました。

一方で、批判の声も多く、twitterやなんjなどネット上では「中身が無くて感情的」「安保法案自体の理解が足りない」「国民の代弁者のような顔をするな」など、批判も多く飛び交いました。

 

奥田愛基さんがなんjで話題に?

引用: Pixabay

先述の通り、奥田愛基さんはその影響力から度々ネットで話題に上がりました。

当時のなんjでの注目度は非常に高く、一度奥田愛基さんがtwitterで何かを呟くとすぐにまとめが出来て炎上してしまうほどでした。

そもそも「なんj」とはどういったものなのでしょうか?なんjは、2ちゃんねるの板のひとつで、話題になっている事柄についての書き込みをまとめているサイトです。

奥田愛基さんも、このなんjで度々話題に上がっていました。

ここでの話題の中心は、SEALDsの活動への賞賛ではなく、SEALDsの活動への批判、奥田愛基さんがtwitterで呟いた英単語のスペルミスなど生活態度を揶揄したいわゆるネット右翼と呼ばれる層からの誹謗や中傷が多数を占めていました。

なんj以外のまとめサイトでも同じような板が多く設けられ、中にはtwitterで批判したアカウントに対して奥田愛基さん自身が反論するツイートが掲載されているなど、かなり炎上していた様子も伺えます。

2019年の現在では削除された板も多く、「なんj」で検索してもて閲覧できないものがほとんどです。ただ、なんjのコメント数などを見てみても、当時の奥田愛基さんへの注目度は非常に高かったことが予想されます。

 

奥田愛基さんの現在の活動は?

引用: Pixabay

では、2019年現在、奥田愛基さんはどのような活動をしているのでしょう?就職などしているのでしょうか?

2019年現在までの奥田愛基さんの活動を、まとめていきます。

2015年3月に大学を卒業、就職はせずに4月に一橋大学大学院に進学しています。ここでは、国民が政治に参加する方法を体系的に分析、研究するために政治学部に入学しました。

2016年には、アジアの民主主義や民主化運動の状況を話し合う若者団体の会議が初めてマニラで開催され、奥田愛基さんもSEALDsのメンバーと共に日本から参加しています。

同じ年、奥田愛基さんはフジロックフェスティバルにも参加していますが、これにはtwitterをはじめとするネット上で様々な賛否両論を集めました。

奥田愛基さんが参加したのは、2011年からフジロックフェスティバルで開催されていたアトミック・カフェです。

しかし、奥田愛基さんが出演すること対して、なんjでの炎上にもあるように奥田愛基さんやSEALDsに対してあまり良いイメージを持たない人々からの批判も多く上がりました。

フジロックファンの中にも、「音楽イベントに政治を持ち込むな」と、音楽イベントに政治色の強い奥田愛基さんが登場することに批判的な声をあげる聴衆がいたのも事実でした。

それでも奥田愛基さんは、自身のこれまでの活動に加えて、社会に対して声を挙げることの重要性についてイベント内で語りました。

これ以外にも、憲法記念日のイベントや立憲民主党の街頭演説など、SEALDsが解散してからも色々なところでスピーチをしている奥田愛基さん。

自身が発起人となって、2018年に渋谷で「音楽×アート×社会をつなぐ都市型フェス」をテーマにしたイベント「THE M/ALL」も運営しています。

近況について、積極的な情報発信は行なっていませんが、就職して社会人になった今も実名アカウントでのtwitterは継続しています。

2019年にもtwitterを更新していますが、最近の発信はリツイートや当たり障りのない内容のツイートがほとんどであるため、以前のようになんjで炎上することもありません。

ここで気になるのはその就職先です。2015年に大学院へ進学していますので、2019年現在はどこかに就職しているものと思われます。

とあるインタビューでは、就職や自分の今後について、大学院で勉強しながら1年間悩み続けたことを打ち明けていました。

就職先について、具体的な社名などは明かしていませんが、2018年のイベントで都内の広告会社に勤務していると話しています。

実際に就職し、自身も働くことで社会人でありながらデモに参加していて人たちの苦労を知ったそうです。

2019年の現在では、過労や働き方が話題となる中で、就職後もデモ活動のように社会に声を上げ続けるにはどのような仕組みが必要なのか、思案していることを明かしています。

 

奥田愛基さんの今後に注目!

いかがでしたか?今回はかつて国会前で多くの人の注目を集めたSEALDsの中心メンバー・奥田愛基さんのこれまでと、2019年現在の活動についてまとめました。

2019年、就職して社会人になった今でも、スケジュールの合間を縫って国会前などでデモに参加しているという奥田愛基さん。

大学院で政治学を学んでいくうちに、政治への関わり方はもっと広げていけるのではないか、と考え方が変わっていきました。

また様々な人との出会いや経験を積み、2019年現在の日本社会が抱える問題は、単に政権交代だけでは解決できないと感じるようになったと話しています。

就職してからも変わらずに政治への関心が高く、至る所でアクションを起こしている様子が伺えます。

奥田愛基さんを政治家に…という声も学生時代から多くありましたが、本人は2019年現在も政界進出にあまり興味がないようです。

奥田愛基さん自身はあくまで国民が政治に関心を持てる“カルチャー”を作る立場でありたい、とインタビューなどで話しています。数々の企画運営や、就職後の経験から、新しいかたちで社会へ主張していこうと奮闘しているのです。

SEALDsの結成からその規模の拡大、国会でのスピーチなどこれまでも多くの功績を残してきた奥田愛基さん。なんjなどのように批判的な意見も多くありますが、2019年現在も変わらず政治に対してメッセージを発信し続けています。

奥田愛基さんは、これから先の日本を変えるひとりとなっていくのでしょうか?今後の活動にも目が離せません。

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