六本木クラブ襲撃事件の概要!見立真一(関東連合)と木村兄弟の現在は? | ToraTora[トラトラ] – Part 2

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東京・六本木と言えばモダンで華やかな街、外国人の多く集まる夜の繁華街などをイメージしますが、2012年に、その六本木で恐ろしい凄惨な殺人事件「六本木クラブ襲撃事件」が起こったのを覚えているでしょうか?

当時はかなり大きな事件として連日ニュースにもなりましたが、実際の詳細についてはまだ分からない部分があったり、犯人の大部分は逮捕されて判決も出て現在服役中ですが、中心人物の主犯格が指名手配になりまだ逃走中であったり…とまだ何かと謎の多い事件です。

今回はその事件の全貌と、最近になって分かってきた情報、そしてこの事件のその後なども交えて、詳しく説明します。

六本木クラブ襲撃事件の発端

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この六本木クラブ襲撃事件を知るうえで、キーワードになるのが”関東連合”という存在です。

東京では暴力団だけではなく、渋谷・六本木・西麻布および新宿を中心に「半グレ集団」と呼ばれる暴走族から始まった暴力的犯罪を犯す集団が”地下社会”において幅を利かせていました。この六本木クラブ襲撃事件は、そういった勢力の軋轢が生んだ事件、ともいえるようです。

暴力的な犯罪に関わりのある”関東連合”とは

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まず簡単に説明しますと、元々暴走族の「ブラックエンペラー」「マッドスペシャル」「上町小次郎」「鬼面党」などと共に連合体として「関東連合」が1973年に結成されました。

最盛期の1970年代後半には関東地区で総員2000名もいたといわれるグループでしたが、時代の流れから衰退し1992年に25代総長の時期を以って実体の暴走族としての総本部は解散しています。

しかし、解散下においてもOB達の結びつきや上下関係は継続し2000年~2010年にかけて六本木周辺で起こる事件や騒動に関わっているとされる「暴力団ではない、暴力的な犯罪を行う集団」の一大勢力としての”関東連合”の名前が以後、何かとよく挙がってくるようになります。

実はその背景には、1990年代から暴力団への取り締まりが厳しくなり、東京での暴力団の影響力や勢力がだんだん低下していく中で、それに代わって断頭してきた暴力集団とも言われています。

また、同時期に”関東連合”とよく類似性を指摘される半グレ集団の「怒羅権(ドラゴン)」(東京首都圏を拠点とする、中国残留孤児2世・3世や中国人からなるが半暴力団的勢力)が台頭してきたことから、背景的にそういった地下社会的な勢力が拡大しやすい土壌が東京都内にあったようです。

”関東連合”が関わった有名な事件

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この六本木クラブ襲撃事件の前の2010年、”関東連合”の名前を一躍有名にしたのが1月16日に起こった「朝青龍傷害事件」で、元横綱朝青龍を引退に追い込んだ事件と言われています。

泥酔した朝青龍関に暴力を振るわれた知人の一般人男性と報道されましたが、この被害者である一般人男性は”関東連合”の元リーダー川名毅氏であったことが分かっています。

この時朝青龍が訪れた六本木の飲食店を任されていた川名氏が、泥酔していた朝青龍をたしなめたためにこの事件の被害者となってしまったようです。が、実はこの川名氏も”関東連合”のいろんな事件の背後に関係があることはわかっています。

そしてもう一つ有名な事件が、同じく2010年11月25日に起こった「11代目市川海老蔵暴行事件」です。こちらも泥酔した市川海老蔵さんがそこで飲んでいたに同じく”関東連合”の元リーダー絡んだため、そのリーダーの側近だった”関東連合”のメンバーに暴力を振るわれて、市川海老蔵さんは顔全体に大けがを負い全治二か月と診断されました。

こちらに関係した”関東連合”の元リーダーが石元太一受刑者(2019年現在受刑中)で、六本木クラブ襲撃事件の犯人の一人でもあります。また側近で直接暴力をふるったとされる伊藤リオン氏はこの件で1年4か月服役(2012年3月には出所済み)していました。

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東京を中心にその勢力を拡大していた半グレ集団”関東連合”ですが、”関東連合“を以てしても傘下にできなかったのは”新宿ジャックス”などを中心とする木村兄弟(兄・木村泰一郎、弟・木村孔次郎が率いる”反関東連合”でした。

2005年ぐらいからこの”関東連合”と”反関東連合”の反目が激化していきました。木村兄弟について詳しくは後述しますが、彼らは”関東連合”に対して宣戦布告をしました。

そして、彼らの名前が不気味なほど出てこない「西新宿事件」が起こります。この事件は、六本木クラブ襲撃事件が起こる原因となったものと言われています。

六本木クラブ襲撃事件の発端となった「西新宿事件」

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”新宿ジャックス”は元々、金村剛弘(韓国名:金剛弘)氏たちによって創設された暴走族グループでした。この金村氏は、昭和50年生まれの在日韓国人家庭に生まれました。

少年時代から喧嘩は負け知らず、新宿界隈でも有名で、地元の暴力団や不良グループとも密接な関係を持っていたそうです。ボディビルダーのような体つきで、「関東連合最強の男」と呼ばれていたそうです。

関東連合の元OBであり実際には暴力団(弘道会)にも所属していたらしいのですが、事件当時の表向きの肩書は父親の経営する韓国食材輸入会社の役員でした。

因みに金村氏は岡沢高宏氏(広末涼子さんの元夫・元モデル)の小学生からの大親友であったり、高岡蒼甫さん(宮崎あおいの元夫・俳優)の兄貴分だったり、付き合う女性も芸能人が多かった(西山繭子さん、高垣麗子さん、フェイレイさん…)などの芸能界との広い交友関係も持っていたそうです。

金村氏は”反関東連合”の幹部であったにもかかわらず、”関東連合”の幹部とも交流を持ち面倒を見ていたため、そのどちら付かずな態度を以前から木村兄弟らの反感を招いていたようです。

2008年3月初旬に、金村氏が”関東連合”と会食後に、”反関東連合”とのの小競り合いに遭遇して”関東連合”側としてふるまったことで、木村孔次郎氏(弟)から「”関東連合”に宣戦布告する」と金村氏宛に言ったのを、”関東連合”の石元受刑者が目撃したそうです。

そしてその後間もない2008年3月に、実家の西新宿で車を降りた際に数名の集団に金属の棒で襲われました。のちに病院にて金村氏は死亡が確認されました。

金村氏を襲った集団は逃走してしまい、警察は犯人を特定できませんでした。これが現状でも犯人不明で未解決の「西新宿事件」です。

半グレ集団と暴力団の関係

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暴力団を排除する警察の活動に伴い、暴力団の力が弱まってきた時に台頭した半グレ集団ですが、実は暴力団とも密接につながっています。

”関東連合”は以前から芸能界やIT業界などにも知己を広げ人脈を築いてきました。そこに目を付けた暴力団が、半グレ集団の後ろ盾になったり共闘したり…という図式は、この六本木クラブ襲撃事件でも見えてきました。

「フラワー」に襲撃に参加した人数は約10名です。そしてこの六本木クラブ襲撃事件で逮捕状が出たのは19名でした。そのうち、”関東連合”のはっきりと確認できたメンバーは5名でした。が残りの参加者は暴力団との何らかの繋がりを示唆されているようです。

実は前述の「西新宿事件」のきっかけとなった「”関東連合”メンバーとの会食後の、”関東連合”と”反関東連合”の小競り合い」には”反関東連合”側の山口組系暴力団が直接関わっていました。金村氏はその暴力団員の一人をその時一撃で倒しています。

そして「西新宿事件」当日となった”関東連合”の見立真一の誕生会に参加した際にも気を付けるようにとの忠告を受けて帰宅後の、惨事だったようです。

そして「西新宿事件」から「六本木クラブ襲撃事件」へ

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当時、金村氏の遺体の前で”関東連合”の見立真一容疑者(六本木クラブ襲撃事件の主犯格)は、敵討ちを誓ったと言われています。

また、それに同調したのが見立真一容疑者の”関東連合”での後輩格である、石元太一受刑者です。石元太一受刑者は「六本木クラブ種撃事件」と前後して格闘技ジムをオープンしていますが、その出資元は潤沢な資金を持つ”関東連合”の見立真一容疑者からでした。

この二人の結びつきから、「六本木クラブ襲撃事件」は始まっていったようです。公判で石元太一受刑者は、「(見立真一容疑者とは)年齢に関係なく、圧倒的上下関係にあった。」と語っています。

こうして見立真一容疑者と石元太一受刑者によって、「西新宿事件」後から名前は上がらなくても木村兄弟に対する復讐をする機会をうかがうことになっていくようです。

六本木クラブ襲撃事件の概要

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2012年の9月2日、六本木の雑居ビル「六本木共同ビル(ロアビル)」2階にあったクラブ「フラワー」では、当時は音楽イベントが行われており、大音響の中500名から600名ぐらいのお客さんがいたそうです。

「フラワー」が入る六本木の雑居ビルの東側の路地に、黒と白のワンボックスカー2台が停車しているのが、防犯カメラから確認されていたそうです。

2012年9月2日、午前3時40分ごろに犯行が行われた

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金属バッドを持った10名ほどの男性たちが、車から降りて「フラワー」に向かったようです。そして、VIP席に迷わず直行したそうです。

男性たちの半数は目出し帽をかぶっていたそうですが、かぶっていない5人は後日の映像で人物特定がされました。

その頃「フラワー」のVIP席には男性3人、女性2名でお酒を飲んでいたようです。金属バッドを持った10名ぐらいの男性たちが一気に乱入し、男性客の一人をめがけて約1分ほど無言で金属バットで殴り続けたそうです。集中して殴られていたその男性は死亡し、同席していた他の2名の男性客も軽傷を負いました。

当時「フラワー」での音楽イベントに参加していた他のお客さんの中では、その襲撃について気付いた人はいなかったそうです。

金属バットを持った男性たちは戻ってきて、先ほどの黒と白のワンボックスカー2台の車に分乗して、首都高などで東大和市方向に逃走し、そこを経由して埼玉県内に逃走したようです。

警察の捜査

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事件発生後の9月7日、警察庁から犯行時の防犯カメラの映像を公開しました。

この公開映像に寄せられた情報で、犯行に使われた車の一台が”関東連合”の元メンバーが役員を務める都内の会社の名義だったことが判明しました。すぐに殺人容疑でその会社の家宅捜査に入っています。

死亡した男性の死因は頭蓋骨尊称による失血死または脳幹部損傷となっていたようです。この状況が前述の「西新宿事件」と酷似したものだったため、警察も”関東連合”やそれに関わる暴力団の犯行では…という見方を早い段階で感じていたようです。

警察が車の名義の会社の家宅捜索を始めるのに前後して、今回の事件の事情を知っているとされるメンバーの一部が、ハワイ・フィリピン・タイ・カンボジア・韓国・中国などの国外に出国しているのが確認されています。

六本木クラブ襲撃事件の被害者

被害者・藤本亮介氏の経歴

六本木襲撃、首謀格の男を公開手配☆東京・六本木のクラブで飲食店経営藤本亮介さん(31)が殺害された事件で、警視庁は21日、殺人容疑などで、住所・職業不詳見立真一容疑者(33)を全国に指名手配し、顔写真を公開した。…クソがき観念しろ! pic.twitter.com/kMHzONAPcX

— まつやまえいじゅ (@matuyamaeijyu) February 21, 2013

この六本木クラブ襲撃事件で死亡した被害者の男性は藤本亮介氏は、当時31歳でした。藤本亮介氏は当時もうすぐ結婚間近だった、という事でした。

長野県出身で、高校時代はホッケー選手としてインターハイにも出場経験のあるスポーツマンだったそうです。藤本氏の近所では、一見強面だけど爽やかに挨拶する優し気な人だった、という評判だったようです。

大学中退後に、塗装関連の会社での営業職を経て、ガールズバーのボーイになり、その後は都内でキャバクラを複数経営するまでになりました。事件当時は東京都杉並区内でキャバクラを経営し、更に渋谷区内でガールズバーを兼ねた焼き肉店を経営するなどで、キャバクラ経営に関して長けていたようで商売は順調だったようです。

六本木「フラワー」には常連客と、していつも同じVIP席をよく利用していたとのことだったようです。

しかし、”関東連合”とのつながりなどは一切なく、当時どこかとトラブルを抱えていた、ということは特に無かったようでした。実は、藤本氏はこの六本木クラブ襲撃事件で「人違い」によって殺されてしまったようなのです。

何故、間違われたのか?

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「東南アジア系のハーフ」「単発に浅黒い肌」「はっきりとした目鼻立ち」「屈強な体格」「怪我が原因とされる、片足(右足)を引き摺ったような歩き方」というある人物の外観的特徴がフラワーの従業員に伝えていて、当日怪我によりちょっと足を引き摺った歩き方だった藤本氏を「人違い」で犯人集団に知らせたのでは、と言われています。

因みにフラワーの経営者と従業員8名は、六本木クラブ襲撃事件が起こった翌月に「店名を変えて不法営業した」ということで無許可営業容疑で逮捕されています。

誰と間違われたのか?

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「片足を引き摺ったような歩き方」の人物は、実は前述の木村兄弟の木村孔次郎氏(弟)だったようです。

”関東連合”の見立真一容疑者も石元太一受刑者も、金村剛弘氏を殺した敵は木村兄弟だと考えているようです。そのため、「西新宿事件」がいまだ犯人不明で未解決、という状況が遺恨を残している状態だったようです。

ただ、「人違いで殺人事件を起こして、木村兄弟に嵌められた」という、見方もしている部分も有るようです。ここで疑問に残るのは藤本氏は「常連客として、いつも同じVIP席を利用していた」点です。

従業員がスパイに入った時に似通った歩き方で藤本氏と木村孔次郎氏を「単に間違えたのか」、それとも藤本氏と知った上で「わざと間違えたのか」、木村孔次郎氏が自分の「身代わりに仕組んだのか」…謎は残ります。

犯人①見立真一(関東連合リーダー)の経歴【六本木クラブ襲撃事件】

見立真一の生い立ち

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現在、実行犯の一人である見立真一容疑者は指名手配中です。唯一海外逃亡をして、いまだ捕まっていません。

1979年に静岡県に生まれ、父親はタクシー運転手、姉が一人いて、家族仲も良いごく普通の家庭で育ったようです。小学生で東京杉並区に引っ越してきましたが、中学1年生まではIQも高く優等生で、東大も狙えるのではと言われていたほどに優等生だったようです。

中学二年生から急に不良グループに参加して、卒業までにはすでに鑑別所などにも入るなどまでに、落ちてしまったようです。都立永福高校に進学しますがたった2か月で退学し、わずか16歳で既に衰退して解散していた暴走族の「小次郎」「永福町ブラックエンペラー」など複数の暴走族を立て直したそうです。

そして、以前とは違った”関東連合”の形を復活させたんだそうです。

「残虐王子」と呼ばれた見立真一

ベイスドロップ・フリークスのフルコン画像を貼ってるつもりでツイートしたら間違えて見立真一の写真貼ってた pic.twitter.com/wKPq29Ggzq

— マニ山 (@maniyama) August 4, 2019

見立真一を強く印象付けるのは、その凶暴さです。中学二年生頃から近所で猫を殺したりなどの「サイコパス」行動が、その凶暴さを開花させたのではと言われています。更に早くから強姦の罪で刑務所にも入っていた経歴もあるそうです。

抗争相手や身内の後輩に対しても、一切手加減せず徹底的な暴行を行うばかりでなく、襲撃先では無差別に人を襲ったりもすることもあったそうです。とにかく、チーマーや大口をたたく不良相手にはとにかく徹底的に叩いて、リンチや暴行にも残忍を尽くしたものが多かったそうです。

戦意喪失させるだけではなく「植物人間状態」になるほどにまで追い詰めたこともあった、という噂が残っています。

包丁やナイフでのめった刺し、人間射的、放火と火あぶり、ピアス引きちぎり、鼓膜破り、耳削ぎ、果ては殺人まで…など聞くに堪えない残虐を極める拷問を相手に容赦なく行ってきたという逸話から、ニックネームが付けられたようです。

しかし近しい周辺からは「ワキガの王様」というニックネームでも呼ばれていたそうです。

見立真一の”関東連合”

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見立真一容疑者は、相手に恐怖心さえ植え付けるほどの残忍さと併せて、集まってくる不良を束ねる頭のよさもあったようで、復活した”関東連合”は更にその勢力を広げて行ったそうです。

以前は不良たちによる集会と暴走行為をする暴走族集団であり、大半は18歳で暴走族から卒業していくのが自然な流れでした。(その後は、暴力団に入るものもいれば別の人生を選ぶののも多かったようです。)

しかし、見立真一容疑者による復活後は、麻薬密売やクラブ経営、そして威嚇行為・喧嘩抗争・凌辱・拉致監禁・脅迫といった完全に異なる暴力による犯罪集団として、名前は同じでも以前とは全く別の”関東連合”となってしまったようです。

そして、10代から20代以降も「卒業無し」で引き続き”関東連合”に所属して様々な犯罪行為に関わっていく…といった、暴走族から半グレ集団への「エスカレーター式」が確立していたようです。また、芸能界や政界との関わりも広げ、六本木を中心としたIT関連の業界にも深く関わり、その資金力は莫大だったと言われています。

見立真一容疑者は、更に闇金融の分野にも手を広げ、多重債務者などを対象とした犯罪や様々な詐欺事件などにも深く関わっていたようです。2000年ぐらいからの振込詐欺事件では、木村兄弟の弟・孔次郎氏との競合が特に激しかったそうです。

犯人②木村兄弟の経歴【六本木クラブ襲撃事件】

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前述にも登場した木村兄弟は、「伝説の不良」と呼ばれ若いうちから頭角を現した頃に、”関東連合”からの傘下入りを断固として拒否し、当時の金村剛弘氏にも従わない、アウトロー的な存在だったそうです。

が、後に”関東連合”に共感しない不良たちが木村兄弟の元に自然に集まったことによって”反関東連合”という存在になっていったようです。

喧嘩の強さで美形の兄・木村泰一郎

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兄・木村泰一郎氏は、若い頃から喧嘩はめっぽう強く、東京では有名な不良だったそうです。弱い者いじめは一切せず、献花は売られればするが、自分からも仕掛けることはなかったと言われています。

木村兄弟の祖父がフィリピン系のクオーターだったらしく、泰一郎氏はかなりのイケメンでジャニーズかモデルのようなその容姿だったと言われています。「道を歩いていると、女の子が必ず振り返る」ほどの美形だったとの事です。

優しくてどちらかと言うとちょっと抜けのあるタイプだったそうですが、人望があり、彼の元に自然と人が集まっていったそうです。泰一郎氏自身は、本来はあまり集団でつるむのが好きではなかったらしいです。

見立真一容疑者が、当時16歳だった泰一郎氏を関東連合系のグループに誘った時、泰一郎氏が素っ気なく断ったことが、見立真一容疑者の面子を潰したということでその後長く遺恨を残し、”関東連合”から狙われることになったようです。

頭脳派で武闘派の弟・木村孔次郎

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一方、弟・木村孔次郎氏は、幼いころからかなりやんちゃで、やはり喧嘩が強くて生粋の武闘派だったそうです。

そして頭が良く策略家だったという噂です。孔次郎氏は、やはりハーフっぽい容貌をしていて、兄同様に美形だったと言われています。ただ、兄とは違って負けん気も強く、下から成りあがっていくタイプだそうです。少年時代から兄について”新宿ジャックス”に所属していたようです。

兄と共に”関東連合”から何かと狙われる存在になったのは弟の孔次郎氏も同じだったようですが、一度”関東連合”の幹部だった柴田大輔氏(見立真一容疑者の当時のコンビ)に狙われた際に返り討ちにした、という逸話が残っています。”関東連合”も恐れず、かなり強かったという証明のようです。

”新宿ジャックス”と木村兄弟

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木村兄弟はともに”新宿ジャックス”に所属していたそうですが、二人が先輩と認めていたのは初代リーダーの山崎正典氏という人だけだった、と周辺のメンバーは語っています。

駆け出しのころに木村兄弟の面倒を見てくれていた山崎正典氏に対してだけは、仁義を貫き従っていたんだそうです。同じく初期メンバーであった前述の金村剛弘氏に対しては、余り従うことはなく、むしろ金村剛弘氏のほうが木村兄弟を恐れていたそうだった、との周辺の噂でした。

”新宿ジャックス”では弟・孔次郎のほうが有名だったようで、5代目リーダーになっていたそうです。ギャンググループといった形態で、東京のイベント系サークルなどを采配しあの有名な「スーパーフリー」も傘下組織に合ったという噂です。

因みに弟・孔次郎氏は山口組系の暴力団にも何度か出入りし、「六本木赤札軍団」の中心メンバーになったりしながら、その後闇金と振込詐欺の大手グループで荒稼ぎしたそうです。その際にも見立真一容疑者と競合しその利権を巡り対立が激化し、再び因縁が再燃し目を付けられていたそうです。

2006年には、実は弟・孔次郎が軍用ナタで襲われる事件が起こっています。孔次郎氏自身は無事でしたが、孔次郎氏の古くからの盟友、暴力団員・武田修氏の両腕が切り落とされてしまいました。この事件は見立真一容疑者の指示で行われたことは明白だったようです。

木村兄弟の写真が少ないわけ

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兄弟そろって美形でイケメンだったという二人ですが、ネットや世間に出回っている写真が極端に少ないようです。

それには、木村兄弟があまり大勢でつるむことが好きではなかった事や、10代から”関東連合”やそのほかの不良や暴力団に常に狙われていたため、警戒して写真をあまり撮らなかった、という事から来ているようです。またその用心深さで、自分の所在や情報を極端すぎるほど明かさなかったらしいです。

見立真一(関東連合リーダー)の現在【六本木クラブ襲撃事件】

国際指名手配され、賞金が掛けられいる見立真一

あ~あ、見立真一が10人ぐらい家の前で寝ててくんねーかな(ズンイイオ) pic.twitter.com/f99zsrGlHQ

— るぴ (@renpipipip) November 29, 2017

見立真一容疑者は、現在はフィリピンに潜伏しているという情報があります。

実際に日本にいた時からフィリピン人女性との関係があり、一緒に潜伏した現地で結婚して子供が生まれている、とも言われています。また、整形で顔を変えて、現地のフィリピンマフィアに離島でかくまってもらっている、という説もありました。

潜伏資金源に関しては、”関東連合”のメンバーが秘密裏にフィリピンまで訪ねて手渡ししている、という話も聞かれています。実は”関東連合”は現在実質上崩壊しているのですが、そのプール金はまだ潤沢らしいという話です。

実際に、事件後「事情を知るメンバーの海外逃亡」で4か月間以上潜伏して捕まらなかったのはその資金によるものが大きかったらしいです。家宅捜査で、警察が逮捕時に当時の容疑者宅から7億円を発見した、というぐらいなのでそれを一部と見るとまだ物凄いプール金がある可能性が高いようです。

現在は、国際指名手配になって600万円の賞金も掛けられていると言われています。残念ながらフィリピンと日本の間に犯罪者の引き渡しができる条約がないため、日本から要請しても見立真一容疑者を日本に送致する手立てがないのが現状です。

見立真一容疑者は逃亡する前に、周囲に「目的を果たすまでは出頭しない」と言っていたと言われています。

木村兄弟の現在【六本木クラブ襲撃事件】

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木村兄弟は前述のように、徹底して自分たちの情報などを明かさなかったため、かなり以前からその所在は不明とされてきました。

が、兄の泰一郎氏については「万引きで捕まった」という噂や「死亡した」という噂が立ちましたが、どれも定かではないようです。

一方、弟の孔次郎氏は「大麻取締役法違反で捕まった」というニュースがあり、こちらは本当らしいです。逮捕時の姿が昔とあまりに違っていたらしく、そちらにも注目が集まっていたそうです。

六本木クラブ襲撃事件まとめ!

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この「六本木クラブ襲撃事件」には、その伏線となる殺人事件や傷害事件などの様々な犯罪がいくつも関わっていた、という根の深さに驚かされます。

この六本木クラブ襲撃事件によって、”関東連合”は実質崩壊したようです。

六本木クラブ襲撃事件では、18名が逮捕されました。しかし集団による犯行のため殺意の立証が困難とされ、結局懲役刑は8年から15年をそれぞれ言い渡されています。

準主犯格の石元太一受刑者は、判決で懲役15年を受けて現在服役中ですが、獄中から無罪を訴える本を出したり、余り反省する様子はないようです。そして見立真一容疑者は今も潜伏先で、潤沢な資金と共にまだ復讐の機会を狙っています。

ただ、事件後様々に流れる憶測の中でこの「六本木クラブ襲撃事件に木村兄弟の関与はなく、実は”打越スペクター”(八王子の暴走族グループ)が真犯人である」という説が元”関東連合”幹部より出ており、「木村兄弟犯人説は、見立真一による情報操作によるもの」という説もあるそうです。

この事件は、警察庁では新規定の「準暴力団」が設定されるきっかけとなりました。今後はこういった犯罪集団はできるだけ早い段階で摘まれることを願ってやみません。

面子を潰したことで何十年も命を狙われたり、大切な仲間を殺し合ったり傷つけあったり、人を人とも思わずに簡単にその命を奪ったりする、その狂気めいた心理は一般の人には理解できないものも多いでしょう。

何よりこうした犯罪組織間や犯罪者同士間での事件が、関係のない第三者にも多大なる被害を及ぼしているという事は大変悲しく悔しいことです。そして、その闇を支える資金源が、実は一般の人を苦しめている振り込め詐欺や様々な犯罪で賄われていることも、忘れてはいけない情報として覚えておき、そのようなことをできるだけ早く芽の段階で摘み取ることを心掛けたいものです。

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