大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件!小林正人・大倉淳・芳我匡由の現在は?

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件とは?

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今回注目するのは、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件です。

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件とは…1994年のわずか11日の間に、大阪・愛知・岐阜で4人の人がひどいリンチの末殺害されたという、実際に起きた恐ろしい事件のことです。

しかもこの大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件で捕まった犯人のうちの主犯格の3人はなんとまだ未成年でした。

小林正人・大倉淳・芳我匡由という当時様々な犯罪を起こしていたり暴力団に所属していたりしていた少年達が犯人だったのですが…大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件ではとても未成年とは思えないような凄惨なリンチを行い、4人もの人を殺害したのです。

そのためこの3人はその後行われた大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の裁判でも、死刑判決が確定することとなりました。判決が下った時は3人はとっくに30代となっていたのですが、未成年の時に起こした事件での死刑判決ということで未成年死刑囚となり、死刑囚としてそれぞれ拘置所に収監されるようになったのです。

ちなみに死刑判決が確定し、未成年死刑囚として収監されるようになったのは2011年と、ここ近年での出来事となっています。ですのでこの大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件は現在でも大きな話題に。

当時から大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件を知っていた人はもちろん。当時少年だった犯人達が未成年死刑囚になったということで、「一体どんな事件だったのか?」と興味を持つ人も出てくるようになり

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件は現在再び注目を集める事件となっているのです。

 

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の概要

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そこで今回はこの記事でも大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件に注目。大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の概要や犯行内容、未成年死刑囚となった犯人のことなど、様々な情報をご紹介していきたいと思います。

まずは大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の概要です。大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の内容は先程簡単にお話しましたが、一体いつどこでどのような犯行が行われたのか、より詳しい情報をまとめさせていただきます。

 

【01】大阪での最初の事件


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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件での最初の事件は、1994年9月28日に大阪で起こりました。

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の少し前、主犯格の1人となる小林正人は愛知県で強盗傷害事件を起こし大阪に逃亡してきていました。その後同じ主犯格となる当時暴力団の準構成員だった大倉淳や非行を繰り返していた芳我匡由と出会い親しくなり、恐喝や強姦など様々な犯罪に手を染めるようになっていたのですが…

9月28日にはこの3人と取り巻きの1人で、大阪市中央区で男性を強盗目的で拉致し、長時間リンチをした後殺害するという恐ろしい事件を起こしたのです。これが大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の第1の事件です。

この大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の最初の被害者は元寿司屋の店員で当時は無職だった26歳の男性でした。小林正人・大倉淳・芳我匡由とはまったく関わりのなかった赤の他人だったのですが、3人はただ金銭が欲しいがためにたまたま居たこの男性を拉致し、暴行。そして殺害し、遺体を高知県へと遺棄したのです。

しかも3人はその後道頓堀でも高校生数人相手に同じような事件を起こそうとしました。が、この時は逃げた高校生の親が通報をしそれによってすぐ警察が動いたので、大きな被害はなく高校生全員も無事に帰宅することができました。

しかし小林正人・大倉淳・芳我匡由はすぐに警察から逃走したため捕まることはなく…愛知県へと移動をしてしまうのです。こうして大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件は始まることとなってしまったのです。

 

【02】愛知県での第2の事件


引用: Pixabay

そして小林正人・大倉淳・芳我匡由は逃走先の愛知県で再び恐ろしい事件を起こしてしまうのです。それが大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の第2の事件でした。

この大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件第2の事件が起こったのは10月6日のことでした。この時、3人は同じ不良少年グループの仲間数人といたのですが、その中の1人の男性が女性関係のことで小林正人と言い争いになったのです。

それに怒った小林正人は大倉淳・芳我匡由、他にいた仲間の7人と愛知県尾西市にある木曽川の河川敷でその男性をまたもやリンチ。

この時も8時間という長い時間リンチを行い男性を激しく暴行し…そして最初の事件同様、最後にはリンチで瀕死状態にあったその男性を殺害してしまったのです。

これが大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件での第2の事件。愛知で起きた事件になります。

 

【03】岐阜での第3の事件

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引用: Pixabay

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件での第2の事件を起こした後、小林正人・大倉淳・芳我匡由らはすぐに愛知県から逃走することはなく、稲沢市へと移動しました。

しかしそこでも大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件、第3の事件を起こすこととなってしまったのです。

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の第3の事件が起きたのはなんと第2の事件を起こした翌日。10月7日のことでした。3人と他の仲間は稲沢市にあるボウリング場を訪れたのですが、これも金銭を奪えるカモを見つけたいという企図があってのことだったのです。

そして目を付けられてしまったのが被害者達。当時アルバイトをしていた19歳の男性と、会社員をしていた20歳の男性、大学生の男性の3人でした。

小林正人・大倉淳・芳我匡由らは同じく稲沢市のボウリング場に遊びに来ていた彼らに狙いを付けると、「目が合った」「笑われたような気がした」という理不尽な理由で因縁をつけ、駐車場に連れ出し金品を奪いそのまま拉致したのです。

その後車で岐阜県安八群輪之内町の長良川まで移動すると、再びリンチ。特に19歳と20歳の男性に対し長時間の激しい暴行をし…そして殺害してしまったのです。これが大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件での岐阜の事件となったのです。

ただもう1人、大学生の男性は同様にリンチを受け怪我はしたものの、殺されることはなく解放されました。どうやらこの男性は殺害されてしまった2人に比べあまり抵抗をしなかったため、それで暴行も軽く済んだようです。

しかもこの男性、解放前に脅されたにもかかわらず、その脅迫に屈しることなく警察できちんと証言もしてくれたのです。

そのおかげであらゆる証拠も見つかり、この後小林正人・大倉淳・芳我匡由らは逮捕。大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件は結末を迎えることとなったのです。

 

驚愕の犯行内容【大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人】

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こうして犯人も逮捕され、結末を迎えた大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件でしたが……ただこの大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件、あらゆる点で衝撃的なことが多く、この後も世間から大きな注目を浴びることとなりました。

その衝撃的な点の1つというのが…あまりにも凄惨で驚愕な犯行内容だったというところです。

先程概要でも見ていただいたとおり、この大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件はどの被害者も小林正人・大倉淳・芳我匡由ら複数による長時間のリンチの末殺害されていて、それだけでも十分ひどいと言えるのですが

その犯行内容を詳しく見てみると、さらに想像を絶するような残虐非道で恐ろしいことが行われており……社会により大きな衝撃を与えることとなったのです。

そこでここからはそんな大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の恐ろしい犯行内容についても詳しくご紹介をしておきたいと思います。中には痛々しい犯行内容なども含まれているので、苦手という方は注意をして読むようにしていってみてください。

 

【01】大阪の事件:殺害後に普通に食事をしていた

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件で最初に行われた事件は、小林正人・大倉淳・芳我匡由の3人と取り巻きの1人が、大阪で当時無職だった26歳の男性を長時間リンチした後殺害をするという事件でしたが…これも詳しく調べてみたところ、非常に恐ろしい犯行内容となっていました。

この大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の最初の事件の際、小林正人・大倉淳・芳我匡由らはこの26歳の男性を当時自分達が溜まり場にしていたビルへと連れ込んだのですが……この後なんと19時間という、想像を絶するような長い時間、男性に対してリンチを行ったのです。

それも男性をただ暴行するだけでなく、全裸にし両手両足を縛るという屈辱的な姿にしそれからリンチを行ったのです。しかしそうして長時間激しい暴行で男性を散々痛めつけ苦しめただけでは飽き足らず…最後にはベルトで男性の首を絞め、そして殺害までしてしまったんですね。

しかも…この犯行内容の中で最も衝撃的だったのはこの後の犯人達の行動でした。小林正人・大倉淳・芳我匡由らは男性を殺害した後、なんと1度遺体を放置し、犯行を行ったビルの1階にあった中華料理屋へ普通に食事をしに行っていたのです。

そうして何食わぬ顔で普通に食事をとった後で、また遺体のところに戻り、その後知り合いの暴力団員の助言を受け高知県へと遺体を遺棄しに行ったのです。ちなみにこの助言をした暴力団の男性というのは、この頃大倉淳が入っていた暴力団の1人ではないかと考えられています。

人を長時間暴行し殺害までした後で、平気で食事をすることができるだなんて…本当に信じられないような話です。小林正人・大倉淳・芳我匡由が人を傷つけることをいかに何とも思っていないか…その残酷な人間性がこの犯行内容から非常によく分かってきますね。

ただこの残酷な犯行内容の大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件、残念ながら…この後も続くこととなってしまうんですね。

 

【02】愛知の事件:痛々しいリンチを繰り返していた

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件で次に行われた事件は、小林正人が不良グループの仲間の1人だった男性と言い争いになったことがキッカケで、その男性を愛知でリンチ・殺害までしてしまったという事件でしたが…この犯行内容もとても痛々しく恐ろしいものでした。

最初は女性関係のことで小林正人とその男性が口論をしていただけだったのですが、言い争いが段々とヒートアップしていき、男性が「お前がしたことを警察に言ってやる」と口走ったことで小林正人が逆上しケンカへと発展。(お前がしたこと=大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の最初の事件のことでしょう。)

それに大倉淳・芳我匡由、そしてその時一緒にいた他の不良グループの仲間数名も加わったことで、ケンカは男性へのリンチへと変化していき…その後8時間もの長い時間、3人と仲間たちは男性に対して激しい暴行を繰り返したのです。

それも素手などではなく、鉄パイプで数百回以上も激しく殴打を繰り返したのです。さらに傷口をフォークで刺したり、その傷口にシンナーや醤油を垂らしたりなど、痛々しく凄惨な犯行まで……

そして最後には男性を木曽川の河川敷の堤防から突き落とすと、上からシンナーをかけ火をつけ殺害までしてしまったのです。これが大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の愛知の事件での犯行内容となります。

女性関係のことで元々揉めていたということですし、そこまで深い友情はなかったのかもしれませんが。しかし一応仲間であった相手にこんなひどい犯行ができるなんて、この犯行内容からもやはり小林正人・大倉淳・芳我匡由の残酷な人間性を窺うことができますね。

ちなみにこの時3人と一緒にいた仲間達も誰1人止めようとはせず、それどころか積極的に犯行に加わったとのことです。そう考えると、3人だけでなくこの仲間たちの人間性も恐ろしく思えます。誰か仲間だった男性をかばおうという気持ちを少しでも持った人はいなかったのでしょうか。

誰かが勇気を持って3人を止めていれば…大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の悲劇も途中で止めることができたかもしれなかったですよね。

 

【03】岐阜の事件:動かなくなった被害者達に卑劣な暴行

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件で最後に行われたのは、小林正人・大倉淳・芳我匡由らが金銭を奪う目的で3人の男性に因縁をつけ拉致。そして激しいリンチを行い2人を殺害、1人を負傷させるという岐阜での事件でしたが…これも本当にひどく恐ろしい犯行内容となっていました。

小林正人・大倉淳・芳我匡由らは金銭を奪うことが目的だったわけですから、ボウリング場で被害者の3人から金銭を奪った時点でもう目的は達成されたはずなのに、何故かその後3人をそのまま拉致。

そして大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の第1・第2の事件同様、複数人でひどいリンチを行いました。時間は約1時間とこれまでの事件に比べれば短いものでしたが、やはり鉄パイプで何度も何度も激しく殴打をし続けたのです。

特に19歳と20歳の男性に対しては抵抗をしてきたという理由で激しい暴行を繰り返しました。そのため最初は必死に抵抗していた2人も次第に意識が朦朧とするようになり、体も動かなくなっていったようですが…それでもリンチは止まることなく、ずっと繰り返し行われたのです。

小林正人・大倉淳・芳我匡由に至っては、被害者の男性達が死んだかどうかを確認し生きていたらまた暴行する、といった卑劣な犯行を何度もしていたようです。時にはタバコの火を押し付け追い打ちをかけるようなこともしていたのだとか。

そうして激しい暴行をずっと繰り返され…ついに2人は殺害されることとなってしまったのです。これが大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件、最後の事件での犯行内容となります。

動かなくなってしまった相手に対してずっとリンチをし続けるなんて…これも本当に残虐非道で恐ろしい犯行内容ですよね。ただ楽しくてそんなことをしてしまうのでしょうか。

いずれにしてもこんな犯行内容ばかりできる犯人達の意図・人間性は本当に信じられないものですし、ゾッとしてしまうほどです。大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件がどれもいかに残酷で怖い事件だったかというのが皆さんにもよく伝わったのではないでしょうか。

 

犯人は未成年だった。【大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人】

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こうしてあまりに残酷で恐ろしい犯行内容で、社会に大きな衝撃を与えることとなった大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件でしたが…この事件にはもう1つ衝撃的となったある大きな要因がありました。

それは冒頭でもお話したように…この大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件を起こした犯人の中の主犯格であった人物達、小林正人・大倉淳・芳我匡由の3人がまだ未成年だったということでした。

この大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件を起こした時、小林正人と大倉淳は19歳、芳我匡由は18歳という年齢だったのです。しかも大倉淳に至っては19歳で既に暴力団の準構成員にもなっていました。

そしてこのことが公表されると…このようなあまりに残虐非道な犯行内容をまだ未成年の少年達が中心になって行ったということで、当時世間の多くの人達もより大きな衝撃を受けることとなりました。

そしてこの少年達がどう罰せられるのか…と今度はそこに注目が集まるようにもなったのです。

実際、この後行われた大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の裁判でもこの主犯格の3人がまだ未成年であるという点が争点となり…その後裁判も繰り返し何度も行われ、何年も時間を要することとなりました。

しかしいくら未成年といってもやはりその犯行内容はあまりに残虐非道で許されるものではなく、結果的に裁判でも「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件は少年犯罪史上、前代未聞の凶悪事件」「酌量の余地はなく、矯正の可能性もない」という風に意見がまとまるようになっていきました。

そして被害者の遺族からの控訴・上告などもあり…2011年3月10日、ついに大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の判決が確定。小林正人・大倉淳・芳我匡由の3人の死刑が確定したのです。

2011年にはもう既に30代となっていた3人でしたが、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件を起こした当時は未成年だったということで、未成年死刑囚になることに。2011年9月からは大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の未成年死刑囚としてそれぞれ拘置所にも収監されるようにもなりました。

そして事件から判決決定まで約17年経ったものの…未成年死刑囚の誕生、しかも複数の未成年死刑囚ということで世間も再びこの大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件に注目をするようになりました。

中には当時の大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件を知らないのに、「どんな事件だったのか」「未成年死刑囚となった3人はどんな人達なのか」と現在になって興味を持って大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の情報を調べ直す人も見られたりするくらいなのです。

 

犯人①小林正人の経歴&現在【大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人】

では、この大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件という恐ろしい事件を起こし、未成年死刑囚となった3人は一体どんな人物なのか。ここまで読んできて、そこのところが気になってくる方も多いかと思います。

そこでここからはその大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の犯人達である3人について注目することに。大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件を起こした小林正人・大倉淳・芳我匡由の3人がどんな人物なのか、事件を起こす前はどんな人生を歩んできたのか、というところについてもご紹介をしていきます。(ちなみに上に載せたのが3人の犯人の顔画像になります。)

また経歴だけでなく、3人が大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の裁判で具体的にどのような判決を受け、そしてその後どのように過ごし…未成年死刑囚となった現在はどうしているのか。そこのところもまとめていくので、そちらにもぜひ注目をしていただければと思います。

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の犯人達、未成年死刑囚となった3人の真の人物像をここで知るようにしてみてください。

まずは大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の主犯格となった1人目、小林正人の経歴&現在からです。

 

【01】小林正人の経歴

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の主犯格の3人の中でもさらにリーダー格とされていたのがこの小林正人になりますが、実は小林正人は大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の現場の1つとなった愛知県の出身でもあります。

1975年に愛知県一宮市で生まれたのですが、母親は高齢出産だったため小林正人を産んだ時に死別。おまけに父親はその後すぐに小林正人を親戚に養子として預けてしまったため、小林正人は両親と一緒に暮らすことができず、母方の兄夫婦のところで育つこととなったのです。

しかしその兄夫婦の家も決して良い環境とはいえませんでした。養父は事業に失敗して破産し小林正人のことはまったく相手にせず、養母も小林正人に虐待まがいのことをするようになったのです。しかも養母にはヤクザをやっている3人の弟もいました。

そんな環境の中で育った小林正人は幼少期の頃からグレるようになり、素行の悪さも目立つようになっていきます。幼稚園に入る頃から既に盗癖がついていて、成長と共に窃盗・万引き・カツアゲなどを何度も繰り返し、中学の終わりには救護院にも入ります。

しかしそこで矯正されることはなく、その後も窃盗、さらには恐喝や強姦もするようになり…ついに少年院にも入ることとなります。

そして少年院を出た後、1994年8月には強盗傷害事件も起こし大阪まで逃亡。その逃亡先で当時暴力団の準構成員だった大倉淳や、同じように非行ばかり繰り返していた芳我匡由と出会います。

そしてその1ヵ月後の1994年9月、3人で大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件を起こすこととなってしまったのです。

 

【02】小林正人に出された判決

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その後大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件を起こし逮捕されることとなった小林正人は裁判にかけられますが、先程もお話したように主犯格である3人の中でもさらにリーダー格となる存在になっていましたし、事件以前に起こしてきた様々な犯罪のこともあり、裁判が始まった当初から重い罪を与えるべきだと考えられるようになりました。

そのため2001年7月9日、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件裁判の一審の際に出された判決も既に死刑となりました。その時大倉淳や芳我匡由には無期懲役の判決が下されたのに、小林正人だけはこの時からもう死刑判決が下されていたのです。

そしてその後も判決は変わることないまま、小林正人にはずっと死刑判決が出され続け…2011年3月10日にはついに死刑が確定することになります。

死刑が確定したことにより長くかかった大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の裁判もようやく終了。事件から約17年が経ち、小林正人は未成年死刑囚になることとなったのです。

 

【03】小林正人のその後と現在

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件での死刑が確定した後、2011年9月27日から小林正人は東京拘置所に移送され、未成年死刑囚として収監されることになりました。

その後、2011年12月16日付で名古屋高等裁判所に大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の再審をするよう請求もしました。犯行時、自分は隔離性障害で心神喪失状態だったという風に訴えたのです。

しかし2013年2月4日付でこの請求は棄却されました。そして結局死刑確定が変わることはなく、小林正人は未成年死刑囚のまま、拘置所に収監され続けることとなったのです。

そして2019年になった現在もまだ…死刑は執行されておらず、小林正人は変わらず未成年死刑囚として、東京拘置所に収監されている状態となっています。噂では現在も再び再審請求をしているとのことですが、それもまた棄却される可能性が高いと言われています。

お話したように、小林正人は3人の中でも犯罪歴が多く、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件においても特に罪が重いとされていますからね…今後いくら再審請求をしてもそれが叶うことはないのではないでしょうか。

死刑執行についても未だに詳しい予定は経っていないので、もうしばらくは未成年死刑囚として拘置所に収監され続けることとなりそうです。大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件が本当の意味で結末を迎えるのもまだ先となりそうですね。

 

犯人②大倉淳の経歴&現在【大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人】

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続いては、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の主犯格である2人目、大倉淳の経歴&現在です。

大倉淳も小さい頃から非行を繰り返したり、暴力団の準構成員になったりと…事件前から既に間違った道を歩んできたようですね。

 

【01】大倉淳の経歴

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先程の小林正人と同様に、大倉淳もまた大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の現場の1つである、大阪府の出身になります。生まれた年も小林正人と同じ、1975年。大阪府松原市で生まれ育つようになります。

しかし大倉淳の場合、家庭環境は小林正人の場合とはうって違っていて、両親に深く愛されるとても良い環境で育ちました。ただ…溺愛されていたからこそ叱られることがまるでなく、悪いことをしても許されたりと、甘やかされて育ってしまうのです。

そのため平気で非行もするようになってしまい、小学生の頃から万引きなどをするようにもなってしまいます。中学生の頃には一時期野球に打ち込むようにもなりますが、それもすぐにやめ…シンナーを吸引したり原付を窃盗したりと、結局また非行に走るようになってしまうのです。

そして高校は受験に失敗し定時制の工業高校に進むことになるのですが、これも1年も経たずに中退することに。その後大倉淳はホストクラブで働き出し、1992年からは暴力団の準構成員にもなってしまいます。

当時付き合っていた恋人を通じ暴力団に入っていたある男性と知り合い心酔するようになり、そのままその男性のいた暴力団へと入ることを決めてしまうのです。

両親もその頃は問題ばかり起こす大倉淳に手を焼いていたため、その暴力団の男性に大倉淳を完全に預けるという感じになっていたようで、暴力団に入るのも特に止めはしなかったとのことです。

そして大倉淳は暴力団に入った後も恐喝や強盗などを働き、1度は刑務所にも服役をするのですが、出所後も道を改めるということはなくそのまま暴力団としての生活を続けることに…

そしてそんな生活の中、1994年8月にはついに小林正人・芳我匡由と知り合うこととなり、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件という恐ろしい事件まで起こすこととなってしまうのです。

ちなみに先程もお話しましたが、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の最初の大阪の事件の際は、大倉淳と同じこの暴力団に入っていた男性から遺体の遺棄について助言があったとも考えられています。大きな関わりではないですが、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件には暴力団の人間も実は絡んでいたというわけですね。

 

【02】大倉淳に出された判決

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そうして小さい頃から非行を繰り返し、暴力団にまで入ってしまい…そして大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件という事件まで起こし逮捕されることとなってしまった大倉淳でしたが

実は大倉淳は大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の裁判の一審の段階ではまだ主犯格とは見られていませんでした。暴力団の準構成員で刑務所に入った過去もあるなど経歴は小林正人同様、かなり問題がある内容だったのに…

当時は証拠が足りず、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の際はただ小林正人の犯行を手助けしただけの従犯だという風に考えられていたのです。そのため一審の時は判決も無期懲役となったのです。

しかしその判決では不服だと被害者の遺族がその後控訴・上告をしたことで、事件についてもまた何度も見直されるようになり…そのことで大倉淳が積極的に犯行に加わってきたということも分かるようになり、主犯格という扱いになるようになったのです。

そして2005年10月14日の控訴判決ではついに大倉淳にも死刑という判決が下ることに。さらに2011年3月10日には死刑が確定することとなったのです。

こうして大倉淳も小林正人と共に、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の未成年死刑囚となり、拘置所に収監されることとなったんですね。

 

【03】大倉淳のその後と現在

引用: Pixabay

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の死刑が確定した後、大倉淳も未成年死刑囚として収監されることとなりました。しかし収監された拘置所は小林正人とは違う、名古屋拘置所となりました。

そしてその後2013年1月には小林正人と同様に、大倉淳も名古屋高等裁判所に大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の再審を請求したのです。その大倉淳の再審請求も2013年8月19日付で結局棄却され、死刑判決は変わることないままとなりましたが。

そして2019年現在…大倉淳もまた判決が変わることも未だに死刑が執行されることもなく、未成年死刑囚として拘置所に収監されたままの状態になっているのです。

2016年12月には、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の時はシンナーを吸っていて心神喪失状態だったという風に再び再審請求を行ったようですが、それもまだ結果が出ないままとなっていますし、実際に再審が行われる可能性もかなり低いという風に考えられています。

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の主犯格と認められるようになってしまった現在では、小林正人と同じくらい罪が重いと考えられているでしょうし、やはり大倉淳の場合も今後再審請求が叶うことはないのかもしれません。

死刑執行が決まるまでもうしばらく、大倉淳も未成年死刑囚として拘置所に収監されることとなるのでしょう。

 

犯人③芳我匡由の経歴&現在【大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人】

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最後にご紹介するのは、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の主犯格であるもう1人の人物、芳我匡由の経歴&現在です。

芳我匡由も先述した2人同様、学生の頃からかなりの非行を繰り返してきたようですね。また17歳の頃には驚くような経験をしていることも分かっています。

 

【01】芳我匡由の経歴

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芳我匡由も大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の現場の1つである大阪府出身です。1975年に大阪府西城区で生まれ育つようになりました。

ただ芳我匡由の家は7人兄妹という大家族でかなり貧しかったようです。父親は元暴力団員で芳我匡由が小さい頃には既に家におらず、母親もゲームセンターに入り浸るような人でほとんど放任だったとのことです。

そのため芳我匡由も寂しい家庭環境の中で育つこととなったんですね。小学校の頃には格好が汚いという理由でいじめにもあっていたようで、友達もいない様子だったようです。

そしてそうした寂しさのせいからか芳我匡由もその頃からグレるようになり、小学生6年生の頃からシンナーも吸引するようになっていたのです。その後も成長と共にシンナーや窃盗と非行を度々繰り返すようになり、何度も補導もされるようになってしまいます。少年院も出たり入ったりを繰り返すようになってしまうのです。

しかし…そんな芳我匡由は他の2人にはないある驚きの経験もしているのです。それは、結婚と父親になるということ。それも17歳の頃。その頃芳我匡由は当時交際していた彼女と同棲するようになっていたのですが、子供を1人授かり、その女性とも入籍を果たすこととなったのです。

が、芳我匡由は元々女性関係が派手だったようで、結婚後もそれが原因で夫婦関係が悪化するようになり…結局入籍からたった3ヵ月でその女性と離婚することになってしまうのです。

ちなみにそれが1994年5月頃のことなので、その数か月後に小林正人と大倉淳と出会うことになるんですね。そしてその後、芳我匡由もまた大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件という恐ろしい事件を起こす主犯格の1人となってしまったわけなのです。

 

【02】芳我匡由に出された判決

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こうして芳我匡由もまた大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件という事件を起こしてしまい、そして逮捕されることになるのですが…

実は芳我匡由も先程の大倉淳同様、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の裁判の一審の際は事件の主犯格とは見られておらず、従犯という風に考えられていたのです。そのため一審の判決も無期懲役という風になりました。

しかし先程もお話したように、その後被害者の遺族がその判決では不服だと控訴・上告をするようになり、それにより大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件について何度も見直されるようになったため…事件について色々分かることも出てきて、結果芳我匡由も積極的に犯行に加わった主犯格という風に見られるようになったのです。

そして大倉淳の場合と同じように、2015年10月14日の判決では芳我匡由にも死刑という判決が下るように。そして2011年3月10日には死刑が確定。

芳我匡由も大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の未成年死刑囚となり、拘置所に収監されることになったのです。

 

【03】芳我匡由のその後と現在

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の死刑が確定した後、もちろん芳我匡由も未成年死刑囚として拘置所に収監されることとなりました。場所は大倉淳と同じ、名古屋拘置所です。

そして芳我匡由も他の2人同様、その後精神鑑定などの理由で大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の再審請求をしたのです。その際判決には事実認定に誤りがあるとも強く主張したようです。しかしこの芳我匡由の再審請求もまた棄却されることとなったのです。

そして2019年現在…芳我匡由も判決が変わることなく、死刑が執行されることもないまま、未成年死刑囚として収監し続けている状態になっているんですね。

ただ調べたところによると、芳我匡由には大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件のことを1番反省しているような態度が見られているとのことです。裁判の一審の段階からキリスト教にも帰依し、独房では熱心に聖書を読むような姿も見られているんだそうです。

もちろんだからといって大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件での残虐非道な犯行を行ったという事実が消えるわけではありませんし、簡単に罪が許されるわけでもないので、この後死刑判決が変わるという可能性も低いでしょうが。もしかしたら現在3人の中では1番罪を後悔しているのかもしれません。

いずれにしろ芳我匡由の場合も死刑執行の予定は未だ立っていないので、しばらく未成年死刑囚としての収監が続くことになりそうです。

結局犯人達は3人ともすぐに死刑が執行されることのないまま、今後もしばらく大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の未成年死刑囚として拘置所で過ごすこととなりそうというわけですね。

以上が3人の経歴、裁判での判決、そしてその後と現在の状況になります。

 

少年犯罪問題【大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件】

引用: Pixabay

今回は1994年に起きた大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件に注目し、事件の詳しい概要・犯行内容や、未成年死刑囚となった犯人達3人の経歴・現在の状況などについてまとめましたが…いかがだったでしょうか?

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件…当時まだ未成年であった少年達がこんな凄惨で恐ろしい事件を起こしてしまった。そしてその少年達の死刑が確定し未成年死刑囚となることとなったという、本当に衝撃的な事件で驚愕でしたね。「少年犯罪史上、最も凶悪な事件」として当時社会が大きな衝撃を受けたというのも実に納得です。

ただ…この大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件、昔のことだからといって現在とはまったく関係ないかというと、そうでもないように感じられます。もちろん主犯格である3人が現在も未だに未成年死刑囚として収監されたままできちんと本当の意味で決着がついていないというのもそうですが…

近年は少年による犯罪が増えてきているというのも事実であり、現在もいつこういう大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件のような事件が起きてもおかしくない時代だという風に言えるからです。

確かにこの大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件は過去最大の少年犯罪と言えますし、これを超えるほどの少年犯罪というのは現在でも起きていません。しかし…近年も中学生が同級生を暴行したり、高校生が親を殺害したりと、そうした恐ろしい少年犯罪はたくさん起こっているのです。

そうした恐ろしい少年犯罪がこれからどんどん増加し過激化していき、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件のように、未成年死刑囚が生まれるような事件が起こってしまう可能性だって十分考えられるのです。

ですからこの大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件を過去の事件だからといって忘れ去ることはできません。大人も少年・少女達もこうした事件があったということを知り、その恐ろしさを理解し、現在そして今後このような悲劇が生まれることないよう、これから努力をしていく必要もあるんですよね。

簡単なことではないでしょうが…せめてこの犯人達3人のような、子供が傷つくような悲しい家庭環境を作らないよう。子供が非行に走らないよう、大人がしっかり見守れるよう。そんな社会をみんなで作っていけるようになるといいですね。

そして大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件のような事件が起こる可能性を少しでも減らしていければいいですね。

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