来年都知事選挙立候補の桜井誠と入れ替われよ! pic.twitter.com/AgAuUKp7nt
— 仁カルロ (@BGGKSWd2ZlmZzBs) August 22, 2019
桜井誠を知るには在特会を知る必要があります。
在特会を知るには在日特権に関してもある程度知る必要があるでしょう。そして何より桜井誠がなぜヘイトスピーチと言われるような過激な言動をとるようになったのか?
生い立ちや経歴も確認しておきましょう。
桜井誠の生い立ちと経歴【在特会】
来年都知事選挙立候補の桜井誠と入れ替われよ! pic.twitter.com/AgAuUKp7nt
— 仁カルロ (@BGGKSWd2ZlmZzBs) August 22, 2019
まずは桜井誠のこれまでの人生を簡単に振り返ります。
桜井誠がどこで生まれ、どのような活動を経て在特会を設立するに至ったのかを見ていきましょう。
【1】桜井誠の基本情報
引用: Pixabay
- 本名…高田誠
- ペンネーム…桜井誠
- 生年月日…1972年2月15日
- 年齢…47歳(2019年8月現在)
- 過去のハンドルネーム…konkon、Doronpa
- 出身地…福岡県北九州市
桜井誠は通名であり、本名は高田誠です。これは著書に記載した著作者名や、同名で行っていたネット上の活動が有名となり、通名の方が分かりやすいからという理由のようです。
【2】福岡県内の高校を卒業
引用: Pixabay
福岡県北九州市八幡西区出身の桜井誠は、福岡県立中間高等学校を卒業しています。
高校卒業後は大学や専門学校には進学せず、地元でアルバイトなどをしていたようです。このころはまだ特に思想的な活動は始めておらず、いわゆる普通の若者だったようです。
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引用: Pixabay
桜井誠は1997年25歳の時に上京し、特別区区役所の非常勤職員などの仕事に就き、東京での生活を始めます。この当時の日本は、ちょうどインターネットが普及し始めたタイミング。
インターネットはWindows95が発売された1995年あたりから一般家庭にも普及し始め、その後急速に発展。1997年頃には家庭にPCがあるのが珍しくなくなってきたころです。この流行に桜井誠も乗っていきます。
【4】ネット上で韓国に関心を持つ
引用: Pixabay
この当時、桜井誠がネットを通じて関心を持ったのが「韓国」です。この当時日韓関係を振り返ると、日本が韓国との未来志向の関係構築を目指して、一見弱腰とも思える外交を続けていた時期の直後になります。
- 1993年8月 河野談話発表(慰安婦連行における強制性を認め謝罪)
- 1993年11月 細川首相植民地支配を謝罪
- 1995年7月 「女性のためのアジア平和国民基金」設立(元慰安婦への賠償を行う団体)
- 1995年8月 村山談話発表(植民地支配及び戦争に関する謝罪)
こうした状況もあり、ネット上では日本人と韓国人が掲示板で口論になることもしばしば。韓国の事を学んだ桜井誠は、韓国を「知れば知るほど嫌いになる国」と評し、このネット上の口論に参戦するようになります。
【5】ネット上の口論から反韓ブログを開設
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引用: Pixabay
当時の桜井誠は、ネット上で韓国人及び韓国の言い分に理解を示す左翼的な思考の日本人と、毎日のように口論を繰り返すようになります。その時使用していたハンドルネームが「konkon」、「Doronpa」といったもの。
そして自身のブログ、「不思議の国の韓国」、「Doronpaの独り言」を開設し、ネット掲示板での主張と同じように、反韓国の意見を載せるようになると、出版界をはじめマスコミ空の注目を集め、テレビなどにも出演するようになります。
【6】2007年在特会設立
引用: Pixabay
そして2007年。志を同じとする同志数名とともに「在日特権を許さない市民の会(在特会)」を結成します。
在特会結成後に関しては、「在特会」の項目で詳しく解説していきましょう。
在特会とは?
現在沖縄入りしている「在日特権を許さない市民の会」元代表桜井誠氏は、昨年1月にも沖縄を訪れ辺野古の座り込み現場を襲撃。日本最大の「在日特権」である米軍基地の目の前で、座り込むお年寄りたちを罵倒するという恥知らずな行動に打って出た。 #日本第一党はテロ支援政党 pic.twitter.com/9IkJv1Abz9
— やんばるぐらし (@yanbarugurashi) April 14, 2018
ではここで桜井誠が設立した「在日特権を許さない市民の会」について簡単に説明しておきましょう。
【1】在日特権とは?
引用: Pixabay
まずはこの在特会が、何を許さないのかを知っておきましょう。
在日特権とは、「特別永住者」と呼ばれる在日外国人に与えられている(と言われている)特権であり、税金や犯罪、社会保障など多方面に広がっています。
代表的な特権と言われている物をまとめてみました。
【2】特別永住権
引用: Pixabay
まずは特別永住権という物を理解しないと、在日特権も分かりにくくなりますので、ここから解説しましょう。
第二次世界大戦前から朝鮮半島は日本の支配下にありました。この当時朝鮮人の国籍は「日本」であったことになります。そしてその中には日本国内に住む「日本人(朝鮮人)」も多数いたわけです。
しかし日本が第二次世界大戦に敗れ、サンフランシスコ講和条約が締結されると、朝鮮半島は日本の支配下から外れることになります。つまりそれまで日本人であった朝鮮出身の人たちの国籍も「朝鮮」に戻るわけです。ここで困ってしまうのが日本国内に住む朝鮮人たちです。
すでに生活の基盤も仕事も日本国内にあり、朝鮮には帰る場所がない人も多数いるわけです。そんな人たちにしてみれば、昨日まで日本人だったのに今日から外国人となってしまい、外国人になったからには日本国内にいられる期間には限度が発生してしまうことに。
こうなると日本在住の朝鮮人たちは困ってしまうわけです。そこで日本政府は在日朝鮮人や中国人に関しては、「特別永住者」と定め、朝鮮国籍でありながら、日本への永住を認める判断します。
さらにこの特別永住者たちは、「戦前から朝鮮国籍復帰まで非常に苦しい思いをしてきた。日本政府はある程度優遇すべきだ」と主張。この主張に沿って与えられたのが特別永住者への特権、つまり在日特権ということになります。
【3】住民税などの減免措置
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住民税などの減税・免税措置が発覚しているのは三重県の一部地域について。この一部地域では在日外国人に限り、市民税及び県民税を大幅に減額していた事実が発覚しています。
ただしこの特権に関しては2006年度で廃止で決定しており、現在は日本人同様に徴収されている「はず」です。
【4】個人事業主などによる所得税脱税行為
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朝鮮総連に加盟する在日朝鮮人の個人事業主は、納税に関する書類を税務署ではなく朝鮮総連に提出しています。
そして朝鮮総連では、日本での整理士資格を持たない職員が、何でもかんでも経費として認め、最終的に納税額がほぼゼロになるように調整して税務署に提出。結果、在日朝鮮人の個人事業主に関しては毎年ほぼ所得税の納税はゼロという状況になっています。
ちなみにこの方式に関しては、1976年に当時社会党の議員であった高沢寅男議員立会いの元、国税庁と朝鮮総連の間で「五項目の合意事項」で合意に至っており、現在でも運用されていると見られています。
【5】強制送還は実質ない?
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一般的に犯罪を犯した外国人は、日本の刑法で裁かれた上、母国に強制送還される決まりがあります。しかし特別永住者にはこの決まりは適用されません。
一応特別永住者も強制送還をされる刑罰は存在しますが、1976年からの約40年で強制送還された特別永住者はわずか30人ほど。ほぼ機能していなかったといっていいでしょう。
ただしこの特権に関しては2014年の入管法改正で是正されており、近年では一般外国人と同様に扱われるようになっています。
【6】通名の不正使用
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特別永住者には「通名」の使用が認められています。これは朝鮮人としての本名で生活していると、「特別永住者」ということが周囲に伝わり、場合によっては差別を受ける可能性があるためです。
通名はいわゆる日本名であり、この通名で日常生活を送ることが認められています。さらにこの通名は簡単な手続きで変更することができるため、それを利用した犯罪も多発していました。
それは公的な書類にも、この通名が利用できるのが理由です。例えば通名で多額の借金をした特別永住者が、その借金を踏み倒して通名を変えると、借金をした人物は日本から消えてしまいます。
これを利用して、借金をする特別永住者が多発しました。
他にも通名を使った政治資金の提供、犯罪をした特別永住者も通名で報道されるので、犯罪後通名を変えれば普通に生活ができてしまうなど、この通名を利用した犯罪や不正が多発しました。
ただしこの通名の不正使用に関しては、2009年の入管法改正により是正されています。
【7】国民年金の受給
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一般的に外国人には国民年金の受給資格はありません。しかし特別永住者に関しては、特例が認められており、日本において国民年金を受給することが許されています。
さらに、国民年金は20歳~60歳までの間に、最低25年間加入期間がないと支払われませんが、特別永住者の一部はこの規定から除外されており、加入期間が短くても支給されています。
これは加入期間と朝鮮国籍復帰のタイミングが重なっている人に限られており、現在の特別永住者には適用されません。
【8】この他にも
引用: Pixabay
この他にも自治体から朝鮮学校への、格安もしくは無料での土地提供や、朝鮮総連などの土地建物への固定資産税免除、生活保護受給率の異常な高さ(日本人の約5倍)なども在日特権と言われています。
さらに、ある特別永住者の告白によれば、朝鮮学校の生徒が日本人の学生に暴力を働いて警察に連行されても、そこに朝鮮学校の教師が現れ「我々朝鮮国民を強制連行した日本国が悪い」の一点張りで罪に問われなかったとか。
こうした小さなところでも在日特権はあったようです。
【9】在日特権について
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在日特権に関しては、明らかな事実や単なる噂など虚実入り混じっているのが実情です。ここで紹介した中にも、実は単なる噂や、現在ではすでに改善されている項目もあるかと思います。
「かつてはこんな特権があった」、「こんな特権があったという噂もある」という感覚でとらえて頂きたいと思います。
【10】在特会はこの在日特権の改善を目指す団体
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在特会はこういった在日特権を改善し、できれば日本国内から特別永住者を追い出そうという活動をする団体です。団体の活動は主に街宣活動やデモ活動になります。
このデモ活動において、徹底的に相手を攻撃するスピーチが「ヘイトスピーチ」と呼ばれるようになります。
桜井誠の在特会での活動まとめ
日本人へのヘイトも規制すべきと私も思います
ただ思うのは、
在日コリアン「日本人を皆ゴ●しにしろ!街を焼き尽くせ!」
こんなヘイトありました?? 私は聞いたことがありません
また、普通の日本人もヘイトをしていません
桜井誠らが余計なことをしなかったら法規制は無かったと考えます pic.twitter.com/INZVOUQfzE
— マイニチ仮面 (@mainichi_kamen) August 28, 2019
では、実際桜井誠が在特会で何をしたのか? 桜井誠が在特会に在籍時に起きた騒動をご紹介しましょう。
【1】京都朝鮮第一初級学校による公園不正使用騒動
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2009年12月、京都府にある京都朝鮮第一初級学校が、隣接する公園に備品を勝手に設置し、近隣住民を公園から締め出し、不法に校庭として使用している事が発覚。
これを知った在特会は、さっそくこの公園に出向き街頭演説を開始。同時に公園に設置した備品を学校に返却しようとすると学校職員と小競り合いに発展するという事件を起こしました。
【2】徳島県教組業務妨害事件
引用: Pixabay
2009年から2010年にかけて、日教組が「あしなが育英奨学金」に寄付するという名目で一般人などから募った寄付金を、「在日朝鮮学校に通う子どもへの修学支援事業」へ寄付することを発表。
この寄付金は、四国朝鮮初級中学校に寄付されることが決定すると、在特会京都支部のメンバーが、徳島県教組の事務所で街宣活動を開始。威力業務妨害で逮捕される事件を起こしています。
桜井誠と橋下元知事のバトルとは?
引用: Pixabay
ここまで見ていただいた通り、桜井誠は極端な右翼思想を持った政治活動家です。その過激なヘイトスピーチは、東京だけではなく大阪でも行われました。というより、特別永住者が多い関西地域での活動は東京より多かったかもしれません。
そしてこの在特会の街宣活動を快く思っていなかった、当時の大阪市長・橋下徹氏は、桜井誠との意見交換会を開催。ここでも当然のようにバトルが起こりました。
【1】きっかけは橋下徹氏の呼びかけ
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在特会を中心としたヘイトスピーチが社会問題になると、橋下徹氏は定例会見でこのヘイトスピーチに触れ、桜井誠を名指しして「大阪に来い」と意見交換会を提案します。
そして2014年10月20日。ついに1対1の公開討論会が行われることになりました。
【2】討論会開始前にマスコミにかみつく
引用: Pixabay
討論会が行われる大阪市役所を訪れた桜井誠は、討論会の前にマスコミ各社にかみつきます。
特に左翼系思想の新聞媒体である毎日新聞や朝日新聞、そして公共放送であるNHKにはしつこくかみつきました。そして橋下徹氏が会場に到着します。
【3】討論会はただの罵り合いに
当初30分予定されていたこの公開討論会は最初からヒートアップ。意見のキャッチボールは行われずお互い自分の主張をぶつけ合う、単なるドッチボールになってしまいます。
桜井誠の主張は、「自分は大阪でヘイトスピーチはしていない(していたのは在特会大阪支部の人間)」、「朝鮮人全体が日本にヘイトを仕掛けてきているのだから、それに対抗して朝鮮人全体にヘイトを仕掛けている」などなど。
対する橋下徹氏の主張は、「一個人に対する文句であれば法に訴えろ。民族や国家単位で一括りに考えるのは止めろ」、「主張すべきは特別永住者ではなくその決まりを作った日本の国会のはずだ」、「選挙に出て、民意を得て、決まりを変えればいい」など。
筋道が通っているのはやはり橋下徹氏という印象。これに対して一見正しいかに見える理屈で対抗する桜井誠という構図でしたが、討論は一切かみ合わず、結局8分ほどで終了しました。
桜井誠と選挙
桜井誠氏来年都知事選挙立候補期待したい! pic.twitter.com/GxJSOFL4ai
— 仁カルロ (@BGGKSWd2ZlmZzBs) August 15, 2019
桜井誠は橋下徹氏との公開討論の場では、「政治には一切興味がない」と言っていましたが、2016年に行われた東京都知事選に出馬します。
【1】無所属で出馬も
引用: Pixabay
桜井誠は自身で結成した「都政を国民の手に取り戻す会」を設立し、無所属として立候補。知名度ではそこそこ高い上、ネットに多い右翼思想の支持をどれだけ得られるかに注目が集まりました。
とはいえ、この注目も非常に限定的なものに。この都知事選では自民党に背いて出馬した小池百合子氏、自民党の推薦を受けた増田寛也氏(元岩手県知事)、野党共闘の推薦を得た元キャスターの鳥越俊太郎氏が大きな注目を集めていました。
【2】結果は惨敗も11万票を獲得
引用: Pixabay
結果、上記3人の後塵を拝し得票数は第5位。とはいえ約11万という得票数を勝ち取り、世間一般には「想定内ではあるが健闘」というイメージを残します。
この選挙結果に対し桜井誠は、「思想の近い田母神(俊雄)氏の2割も獲得できなかった」と反省を口にしています。田母神氏はこの前にあたる2014年の都知事選で、約61万票を獲得しています。
桜井誠の現在は?
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2014年には在特会を辞め、2016年には都知事選で惨敗した桜井誠氏はその後どうしているのか?
実は相変わらず元気にヘイトスピーチを繰り返しています。
【1】政治団体を立ち上げ
引用: Pixabay
都知事選で敗戦した桜井誠は、その敗戦から2か月後「日本第一党」という政治団体を立ち上げ、その党首に就任します。この団体は桜井誠の資金管理団体でもあります。
この政治団体の母体はもちろん、都知事選の時に結成した「都政を国民の手に取り戻す会」であり、都知事選の結果から政治の分野で戦えるという手ごたえを得ての結成と思われます。
【2】2018年には沖縄県でヘイトスピーチ
【メモ】4月14日の前後に、桜井誠ら #日本第一党 が沖縄に行くよう。#ヘイト行動情報 pic.twitter.com/I3hNlZqaHW
— channel__3 (@channel__3) February 22, 2018
2018年4月、桜井誠は沖縄県に出向き、辺野古基地建設に反対する人々に対しヘイトスピーチを行っています。
「こいつら全員ブチ殺せ!」と相変わらず過激な言動でさんざん現地をかき回し、桜井誠健在をアピールしていました。
【3】現在も活動拠点は街宣とネット
引用: Pixabay
2019年8月現在、桜井誠は相変わらず街宣活動を精力的に行っており、街宣活動のないときはネット上を中心に活動をしています。ネット上での活動の場は以下の3つ。
- 日本第一党HP
- 自身のブログ「Doronpaの独り言」
- インスタグラム
Twitterアカウントを探しましたが、日本第一党の公式アカウント以外は見当たらず、twitterによる宣伝活動などは行っていないようです。
【4】桜井誠の収入源は?
引用: Pixabay
時折ネット放送やラジオなどのメディア出演はあるようですが、現在の収入の中心は寄付によるもののようです。もちろん多数ある著作物による収入も多少はあるかと思います。
桜井誠はかつて、Abema TV!の公式チャンネルを「ヘイトスピーチがひどい」という理由で1日で閉鎖される騒動を起こしています。それ以降、ネットの動画投稿サイトは積極的には利用していない模様です。
桜井誠は再出馬するのか?
引用: Pixabay
恐らくどこかで出馬という意識はあるかと思います。
ただし、どのタイミングで出るかは難しいところ。2019年8月現在、日本と韓国の関係は最悪の事態に陥っています。恐らく桜井誠はこのタイミングで総選挙があれば間違いなく出馬していたでしょう。
一言で言えば右翼的思考の政治活動家です。長年にわたり反日的な個人、団体に対し街宣活動を繰り返し、その存在感を増していきました。結果、負けたとはいえ都知事選では11万票を獲得。都民全体の約1%の支持を得たということになります。
たかが1%と侮るなかれ。2019年に行われた参議院選挙で躍進した「れいわ新選組」の比例代表における得票数は約228万票、「NHKから国民を守る党」が約99万票です。
単純比較できるものではないかもしれませんが、日本国民の数を1億2000万人と考えると、「れいわ」支持は約1.9%、「N国」支持は約0.83%になります。この計算で行けば、日本第一党も1議席は獲得できる計算です。
これも桜井誠が再出馬するであろうと考える理由のひとつです。
桜井誠の街宣における言葉遣いは確かに過激です。過激というよりむしろ下品と言ってもいいでしょう。しかし桜井誠はこれまで実刑判決を受けていません。つまり、「法の範囲内」で活動していると考えることもできます。
桜井誠を過激派右翼ととらえる向きもありますが、正直過激ではなく「計算高い」、「賢い」という形容詞の方が似合うでしょう。
かつて桜井誠はヘイトスピーチについて、「過激にやればメディアが取り上げる。メディアが取り上げればこの問題が広く知られることになる。だから過激な言葉を使う」と計算ずくであることを認めています。
そしてこうして実績を積んで今や国会で議席が取れそうなところまで支持を広めました。これは賢い人間と言っていいでしょう。
選挙に本腰を入れるのであれば、重要なのは民意を得られるかどうかです。そう考えるといつまでも下品なヘイトスピーチを続けるわけにはいかないでしょう。
これからどのような形で自分の意見を主張していくのか? 今は静かに見える桜井誠が、今後何を仕掛けるのかに注目してみたいと思います。