@hef_psychopathがシェアした投稿 – 2015年 9月月10日午後9時21分PDT
現在の今でも日本史上最悪といわれているのが松永太の起こした北九州監禁殺人事件。
最も世の中を震え上がらせた恐ろしい事件を起こした彼は息子を持つ両親でした。そして当時、子供だった松永太と緒方純子の息子は現在Youtuberに転身?
皆さんも現在ご存知の最も凶悪で許し難い恐ろしい北九州監禁殺人事件。松永太とは他人を監禁し自分の支配下に置くことでマインドコントロールし、金銭を巻き上げ絞るだけ絞りとると次々に殺害していく恐ろしいサイコパスでした。自分の手は一切汚さず、それを他人にやらせていたのですから本当にさらにたちが悪く卑劣で残虐な人間です。
ではなぜ松永太はこのようなサイコパスになってしまったのでしょう?子供時代に何か特別な心の傷があり、それが大人になってから心の闇として心理的に行動として現れてきたのでしょうか。
松永太の現在とその過去にも触れてみたいと思います。松永太は1961年の4月28日に生まれ北九州市の小倉北区の出身です。実家は特に貧しくも裕福過ぎてるわけでもなく、至って普通の畳屋さんでした。
松永太が7歳の時に、松永太の両親が実家の家業を継ぐために柳川市へと引越しをしました。しかも松永太の子供時代はなんとも華やかで、責任感も強く学級委員長や生徒会役員になっていたそうです。周りからの信頼も厚い、いえば優等生だったそうです。
現在に至るまでの松永太の行動とは想像もつかないくらい、正反対な性格をしていますよね。なぜあんな北九州監禁殺人事件を起こしてしまったのか、謎が深まるばかりです。
中学校時代ではもっと華やかだったようで、校内で行われた弁論大会ではダントツの優勝を飾り、部活動ではキャプテンを努めるほどの優秀っぷりです。
しかし子供時代~中学校時代までは素晴らしい生き様だった松永太も、高校へ上がると今までの真面目さが爆破したのか急転落。「不純異性交遊」へと走りだしてしまったのです。
子供時代から高級の思春期になるまでずっと、優等生でいた訳ですからきっとこの時に、松永太の何かが心の変化を変えたきっかけになり北九州監禁殺人事件を起こしてしまう事になったのでしょうか。
松永太なそこからどんどん悪事への道へと真っ逆さまに向かい、社会人になってからは仕事を初めてはやめるを繰り返し、しまいには「悪徳商法」にハマっていってしまいました。そこからとゆうもの、父親の家業をつぎ株式会社として畳屋さんから布団屋さんに転換していました。
悪徳商法を初めた辺りから、松永太の感覚はズレ初め、気が付けば異常なほどお金に執着をするようになります。人様から巻き上げたお金は、およそ1億円くらいといわれています。この時から、松永太の虚言癖がはじまるようになります。
東大卒、京大卒、兄弟は東大卒のお医者様。ある時は予備校誌になり、またある時は物理学者であり、小説家志望。なとどいった嘘にぎれた生活を送り続けることとになります。
しかし、嘘が驚くほどに上手く、周囲の人からは魅力的に見え好感をもたれていたので綺麗に騙されていたそうです。
これから後々に人をマインドコントロールすることになり北九州監禁殺人事件が引き起こることとなりました。
北九州監禁殺人事件概要
引用: Pixabay
先ほど松永太は異常なまでにお金に執着するようになると述べましたが、この北九州監禁殺人事件の主な引き金となっているのが、人の弱みにつけこむことで他人を自分の支配下におき、金銭を巻き上げていくという「お金への執着」からはじまりました。
松永太は虚言癖があったので平気で、職業から身分から偽ります。その嘘の塊があまりに上手ぎること、口が達者で人を誘導出来ることによって、騙された女性や男性までもが松永太を尊敬し、魅力的な人だと思い込んでしまうのです。
なので初めはとてもいい人からはじまり、気が付けば一般社会との繋がりを遮断させ監禁を行い、自分しかいないと思い込ませるのが松永太のやり方でした。
監禁する事で一般社会との関わりを絶たせると、次第に暴力や虐待を行うようになります。酷いもので被害者同士でも虐待をさせ、相互不信を起こさせます。
エスカレートすると電気装着を使用したり、自らの爪を剥がさせたり、想像も出来ない恐ろしい鬼畜な拷問までも行い、そうして相手に恐怖心を煽らせ逃げれないように全てを自分がコントロールし支配するのです。
さらには関わりのない親戚ともコンタクトをとり、虐待してきた被害者も含め沢山の人達をかき集め宗教団体のようにピラミッド組織を作りあげました。必要の無くなった人間を、自分ではなく被害者に殺害させ死体処理までもさせていました。殺害された被害者は7人にものぼります。
こうした洗脳術で松永太はマインドコントロールをし猟奇な殺害を平気で行い、何人もの命を奪っていったのです。
あまりに残虐で鬼畜で悪質すぎる、最も恐ろしい北九州監禁殺人事件を起こしたにも関わらず最後まで無罪を主張。現在の人々を震え上がらせました。ここまで世の中を騒がせ名を残した松永太を世間は絶対に許すことはなく、死刑囚となりました。
しかし今現在もなお死刑執行を言い渡されにも関わらず無罪を主張し、現在は死刑執行がいつ行われるのか決まってはいないようです。
松永太には子供がいた?【北九州監禁殺人事件】
引用: Pixabay
今現在でも誰もが忘れてはいけない北九州監禁殺人事件。
どこまで卑劣で残虐なものだったのか、まとめていきます。
【1】緒方純子との出会いから結婚に至るまで
引用: Pixabay
松永太は高校時代の同級生純子と、20歳の時に緒方純子という女性と再開を果たします。
なんせ高校時代は緒方純子とは何の接点もありませんでした。以前に緒方純子に松永太は何度かデートに誘うも、何の興味もなかった緒方純子は断っていそうです。
しかし粘り強い松永太に3度目も誘われたことをきっかけに、ようやく2人は会うことになります。この時に既に2人は体の関係をもつこととなりました。緒方純子にとっては、これは初体験だったようでどんどん松永太に惹かれていったそうです。
だが実はこの時に既に松永太は結婚していたそうなので、不倫関係となることに。それでも諦め切れなかった緒方純子でしたが、昔、交際をしたいた男性の存在を知ることをきっかけに、次第に松永太はDVをふるいマインドコントロールしていきます。
この時に安全ピンと墨で緒方純子の太ももに松永太の「大」と入れ墨を入れさせ、完全に自分の監視下におくことになりました。現在も緒方純子の太ももにはこの入れ墨が入っていることでしょう。
当然、緒方純子の両親には交際を反対されたのですが、松永太は「婚約確認書」という書類を両親に見せ婿養子となる約束をとりつけたことにより、もう反対だった両親も考えを改め交際を認めました。しかしこの時に松永太の得意の話術で緒方純子の両親である母とも体の関係をもっていたらしいです。
緒方純子は次第に暴力のコントロールで心が病んでいき自殺未遂をおかします。このことをきっかけに緒方純子と両親を引き離すことにし、2人は新生活をスタートさせることになりました。その頃、松永太が結婚していた女性は上手くいかず離婚がこの時に成立しています。
そして緒方純子は両親から離れ2人の生活を始めると共に、松永太のマインドコントロールにより、両親や・知人・親戚などを悪徳詐欺商法へと引き釣りこみ、次々と人間を壊していくのです。
それにより余計に松永太に依存をすることになり、緒方純子は松永太の内妻になることになりました。
【2】松永太と緒方純子との間に子供を授かる
引用: Pixabay
平成4年には松永太と緒方純子は会社で悪行が表沙汰になり指名手配されることになりました。
罪状は脅迫・器物破損・詐欺でした。従業員の両親から送金させて逃亡生活を送っていたのですが、それも資金が続かずきつくなった生活を立て直す為に、結婚詐欺をすることになりました。
以前に交際していた子供もちの女性をターゲットにした松永太は上手く離婚させ、養育費を自分に送らせるなどしてお金を絞るだけ搾り取りました。やがて女性は生きる気力を失い自殺していまいます。そして子供も謎の不審死を遂げているのです。
ちょうどこの時期に、緒方純子の妊娠が発覚するのです。そして翌年の平成5年には松永太と緒方純子との間に長男の子供が産まれました。
それをきっかけに住居を移し、この時に関わった不動産の男性とその子供を面倒みると引き取り、子供の両親と子供と自分の長男の子供と共に共同生活が始まったのです。
松永太の子供の経歴まとめ【北九州監禁殺人事件】
引用: Pixabay
ここからは、松永太の子供の経歴をまとめていきます。
史上最悪な事件の犯罪を起こした犯人・松永太の子供達は、一体どのような生活を送られてきて、現在はになっているのでしょうか?見ていきましょう。
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引用: Pixabay
現在の北九州監禁殺人事件の概要やググって何処の記事を見ても、松永太の恋愛関係が激しいので子供の人数やいつ、両親は誰の子供なのか、登場人物が多いので分かりずらいと思います。
ますば子供の人数と家族構成をご説明します。
1番最初の子供は、松永太が19歳の時に結婚した女性との授かった子供がいます。息子さんです。この女性とはすぐに離婚が成立しているので子供は1人だけですね。
そして1993年の平成5年に緒方純子との子供を授かります。息子ですね。この息子さんについては後ほどまた紹介します。
そして1996年の平成8年に次男となる息子、2人目の子供を授かります。なので1人目の女性と息子と緒方純子との息子とで松永太には現在3人の子供、しかも息子がいるというわけになります。
1人目の息子については詳細は現在も不明ですね。
【2】子供の幼少期時代は?
引用: Pixabay
松永太の息子の子供時代は本当にひどいもので、松永太と緒方純子が北九州監禁殺人事件を起こしている最中に産まれた息子なのですから、出生届は出ておらず戸籍がない状態でした。当然子供は学校に行くのが当たり前なのに、学校にも行けない息子時代でした。
そして、両親が捕まった9歳の時の子供の時に、養護施設に預けられました。このとき、9歳で初めて子供ながらに両親以外の大人達と話した松永太の息子でした。現在の今では考えられない子供時代でしたね。
北九州監禁殺害事件の時は、息子と子供達だけ残してアパートに住まわせていたそうです。生活も酷いもので、自分の息子と子供達にも平気で虐待し、ろくにご飯も与えなかったそうです。
現在では信じられないほどさらに残酷なのが、息子は子供時代から両親の殺害している姿や、悪行を目の当たりにしていたという松永太の子供時代でした。
【3】養護施設に預けられてから
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引用: Pixabay
両親と別れた息子が養護施設に預けられてからは、小学校に通うことができました。
しかし小学校にあがるも、不幸な子供生活を送ることとなります。子供の事を心配する両親たちは、その子供達に松永太の息子とは関わらせたくなく現在ではありえないですが、当時の親達は北九州監禁殺人事件の話を教えていました。
そのため松永太の息子は、犯罪者の息子としての学生時代が待っていたのです。同級生達に両親の嫌な話を息子本人に直接話してくるものですから、耐えられず子供が子供に椅子を投げるなど、随分荒れた子供時代を過ごしてきたそうです。
もちろん当然それは学生時代ずっと続いていく訳で、子供時代から学生、大人になるまで息子たちは子供なのに楽しく遊ぶ事も出来ませんでした。今現在幸せな子供達からすれば想像もつかないですよね。
そして長男の松永太の息子は小学校に通っていなかったため、就学しているそうです。現在では偽名を使い「石丸」という苗字になっているみたいですね。
長男息子と次男息子は子供時代から悲惨な生活だったようです。現在はも息子達はもう子供から大人にと成人しています。
【4】松永太の子供の大人時代は?
引用: Pixabay
北九州監禁殺人事件から、晴れて嫌な子供時代と学校を卒業した松永太の息子は、ようやく社会人になり「犯罪者の息子」の呪縛から解放されるはずでした。
息子は普通の1人の人間として社会で生きていき、息子は信頼できる人と出会ったおかげで建築会社で働いていたそうです。しかし信頼を寄せていたその人は、反社会組織いわゆる裏社会の交流があった為に引き離されることとなったのです。
そのあとの息子は、現在どうやらYoutuberになったとも噂もあるようです。現在息子がYoutuberなった噂の真相のお話はまたあとで紹介したいと思います。
しかし現在の今の時代も決して甘くはなく、息子は昔の自分の子供時代に味わった虐待や監禁、惨すぎる記憶のトラウマから社会と向き合っていくのが困難でした。そのため息子は人間が持っている当たり前の感情が欠落していて、現在のあるべき姿では決してありませんでした。
当然感情が欠落しているので、人との関わり方や接し方も分からず、社会人としての生活は大変辛くボロボロだったようです。それもそのはず、息子は犯罪者の息子として幼い子供時代からの十字架を背負ってきている訳ですから。
北九州監禁殺人事件は自分の息子に不幸な人生を歩ませることとなりました。
【5】現在の息子は今?
引用: Pixabay
そして今現在はどうなのでしょう。
社会人になってからも、波乱万丈な人生を送ってきた松永太の息子でしたが、現在は当時子供時代の唯一の幼馴染であった女性と結婚をしたそうです。
彼女もまた悲しい生い立ちをしていて、北九州監禁殺人事件ほど酷いものではないですが、彼女の親も息子と同様に現在も両親が捕まっており同じ境遇でした。
その為、国民保険や年金など何も無い状態だった彼女を扶養に入れることで助けたそうです。それが現在結婚したっきかっけになったのです。現在彼女と息子の間には子供はいないそうです。
家賃4万円のマンションで現在は幸せに彼女と息子2人で生活されていりるそうですよ。子供のことは、まだ息子と彼女の間に子供ができたとしても今現在の時点では子供への愛情のかけかたが分からないので、今後に考えていきたいそうです。
そして現在は「ザ・ノンフィクション」などのメディアなどにも息子自ら名乗りでて出演し、北九州監禁殺人事件の背後にあった息子の子供時代から松永太へ気持ち、現在に至るまでなど息子の全てを語っています。
それと同時に息子がYoutuberになったと世間からも騒がれています。
松永太には息子はYoutuber?【北九州監禁殺人事件】
引用: Pixabay
先程も息子がYoutuberになった噂があるとチラッとお話しましたが、本当に現在息子がYoutuberなっているという噂があるのです。本当にYuotuberになったのか、真相はどうなのかといったことを深掘りしていきたいと思います。
実際にYoutuberになっているなら何の動画なのか、何のためにYoutberをやっているのかなど気になっている人も現在実際に多いと思います。そんなみなさのために真相を突き止めていきます。
しかし実際に「松永太 息子 Youtuber」と検索しても北九州監禁殺人事件のYoutube動画ばかりで、Youtuberらしき息子の姿はありません。そもそも「ザ・ノンフイクション」などで姿は現しましたが、息子自体現在もその番組以外には出ていません。
ですが、過去に北九州監禁殺人事件の松永太の息子と名乗る男性がYoutuberとして活動していたのは間違い無いようです。今現在では消去されそのYoutuberの動画を見ることはできないそうです。
現在は観れないものの、そのyoutuberさんの動画を観覧できていた時は、実際にその息子と名乗る男性がネット上でかなりの注目を集めたのは確かですね。その時のYoutuberの名前は「ティッシュの箱」と名乗り活動し、色んなYoutuberさんにリプをしてYoutuber会では一時騒がれてたそうです。
「松永太に偽物がでた」からとそのYoutuberの男性は動画を非公開にしたのですが、今現在彼のユーザーIDを検索するとその投稿内容・ツイート一覧は見れるようです。
結論から言いますと、松永太の息子と名乗るYoutuberは存在していましたが、それが本当にあの松永太の息子なのかは現在誰も分からず本人しか知ることはできません。これが今現在の真相です。
北九州監禁殺人事件犯人の松永太の子供
引用: Pixabay
みなさまいかがっだでしょうか?
時がたった今現在でもこの悍ましい事件を振り返ると、松永太と緒方純子の最も恐ろしい背景がいかに世間を恐怖へと不意立たせたのか分かりますね。
そしてその背後には、子供時代から虐待・監禁されていた息子の凄まじい言葉には表せない程の悲しい生き様がありました。いじめられ現在まで「人殺しの息子」と呼ばれ過ごしてきた幼少期から、社会人となり現在に至るまでのの苦労は計り知れません。
父親に母親の悪口を聞かされて育てられたせいなのか今現在も母親のことは憎いという洗脳が溶けてはいないようです。そして現在、死刑囚となり、刑務所に収監されている父親に面会にいくも「すまない」の一言のなく詫びる様子もなかったと言っています。
母親に関しては「生きて苦しみながらいきればいい。死んで逃げるなんて卑怯だ」といい残したそうです。現在の息子は、両親と同じ血が流れてるという恐怖と、いつか自分も両親みたいにリミッターが切れてしまうのではという恐怖心に怯えながら戦っているそうです。
結婚して幸せなのかと思いきや、心の傷と闇は一生消えないものでした。そして現在、重い十字架を背負いながらも苦しみ戦い社会と世間と向き合って現在の今を生きています。
最後に、両親には親族と被害者・被害者家族・息子達そして世間に心から謝罪をしてほしいと願いましたが、それは現在のいまでも叶っていないようです。