酒鬼薔薇聖斗(少年A)の2019年現在!女性ファンと豪遊生活の真相は? | ToraTora[トラトラ] – Part 2

Nakade Koto(@8d6029)がシェアした投稿 – 2019年 4月月5日午前3時50分PDT

みなさんは酒鬼薔薇聖斗という名前を知っていますか?

この特殊な名前を覚えている方もいると思いますが、日本中で大騒動となった神戸連続児童殺傷事件の犯人の名前です。犯人が14歳の中学生で刑法の対象外の存在であったことから少年法のあり方について論議されるきっかけとなった事件であり、2019年現在においても語られるほど注目された事件でした。

神戸連続児童殺傷事件は1997年に神戸で発生した連続殺人事件になります。事件は、数か月間に渡って複数の小学生が被害者になった凄惨な殺傷事件で、その犯行手口の残忍さと酒鬼薔薇聖斗の名で犯行声明を新聞社各社宛に送り付けるという行為により注目を浴びる猟奇的な事件でした。

この神戸連続児童殺傷事件の犯人である酒鬼薔薇聖斗は「普通の14歳の中学生」であったことにより、社会に衝撃が走った大事件でした。

2019年現在まで語り継がれるほどの事件の犯人である酒鬼薔薇聖斗と言う名前は、神戸連続児童殺傷事件の第三の事件で一躍全国的に有名になります。

第三の事件で被害者となった当時11歳の土帥(はせ)淳くんの切断された頭部に、「酒鬼薔薇聖斗」という名前で犯行声明が残されていたことを発端とし、第三の事件発生後、地元新聞社宛に酒鬼薔薇聖斗を名乗る犯人からの挑発文が送られてきたことで、注目度が上がり一気に酒鬼薔薇聖斗の名前が日本中に広がりました。

当時のマスコミの報道も盛んにおこなわれ「強い暴力性のある特異な事件」として大々的に取り上げられていたのです。

神戸連続児童殺傷事件では複数の小学生たちが犠牲となる凄惨なものでした。1997年3月に第二の事件が発生、被害者となったのは当時10歳の山下彩花ちゃんで、彼女は病院に運ばれて治療されましたが脳挫傷により亡くなりました。

第二の事件から約三か月たった5月27日の早朝に通りがかった通行人によって神戸市須磨区友が丘中学校正門に目立つように置かれていた土帥淳くんの切断された頭部が発見されたのです。子供の切断された頭部が発見された事により事件が明るみになりました。

その後捜査した結果、それ以前の数か月の間に渡り複数の小学生が襲われて事件の被害者になっており、そのうちの3名の児童が襲われた事で重症を負っていることがわかったのです。

事件が明るみになったことにより、この事件が強い暴力的な行動がともなう猟奇的な事件だと言う事実がわかりました。酒鬼薔薇聖斗は第一の事件と第二の事件ではハンマーのような凶器で殴りつけるという犯行を繰り返して被害者を襲っています。

また、第二の事件においては被害者の小学生の女の子をハンマーで殴打した後、もう一人の被害者の小学生の女の子の腹部を刃渡り13cmのナイフで深く傷つけています。幸いなことにこの被害者の女の子の命は助かりましたが、胃を貫通するほどの裂傷を負っていたのです。

猟奇的で注目を浴びた第三の事件だけではなく、全ての事件で酒鬼薔薇聖斗の強い暴力的な行動が見られる事件だったのです。

酒鬼薔薇聖斗(少年A)の残虐な犯行内容まとめ

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引用: Pixabay

ここからは、酒鬼薔薇聖斗が起こした残虐な事件の内容についてまとめていきます。

見ていきましょう。

【1】神戸連続児童殺傷事件の概要

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酒鬼薔薇聖斗が起こした神戸連続児童殺傷事件は最初、猟奇的殺人事件であった第三の事件だけがフューチャーされて注目されていました。

ところが事件の全貌が明らかになって行くにつれて、この事件が2019年現在においても語り継がれるような、日本中を震撼させるほどの特異な連続殺傷事件であったことが判明していったのです。

さらにこの事件の被害者が弱者である小学生ばかりであり、犯人である酒鬼薔薇聖斗が14歳の中学生であったことから、刑法によって裁かれず少年法によって守られ刑に服すことなかった事もあり、2019年の現在においてもこの事件が恐ろしい猟奇的事件であるとされているところです。

【2】酒鬼薔薇聖斗による第一の事件

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酒鬼薔薇聖斗が起こした神戸連続児童殺傷事件の発端となる第一の事件は、1997年2月10日頃に発生しました。

神戸市須磨区の住宅地の路上で歩いていた小学生の女の子がゴム製のハンマーで殴打されて、重症を負ったという事件でした。当初、事件は通り魔による犯行と位置づけられ捜査が行われていました。

この被害者家族である女の子の父親が娘から話を聞き、近所の中学生が犯人なのではないかと疑いを持ち、学校や警察にその生徒の写真を見せてもらい確認をしたいとお願いしていましたが、個人情報保持の観点と警察の捜査方針の違いから開示されることはなかったのです。

後になって警察のこの対応が「ここできちんとこの中学生を捜査していたら、後に続く事件の発生を防ぐことができたのではないか」と批判されることになったのです。また、この第一の事件は被害者の族の要望によって公にされることなく、非公開の事件とされていました。

ここで事件が非公開となったことで事件の事を回りが知ることができず、この後の事件の発生につながってしまったとも考えられます。

元少年Aは5月13日に中学校にて同級生に大けがを負わせる喧嘩をしました。中学校側は相手の歯を折る障害事件を起こした元少年Aに対する措置として停学処分を課していました。第一事件の発生する前の5月15日から、犯人である酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aは中学校を休んでいました。

この時期は母親とともに児童相談所へ通い始めた時期でもあったのです。

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酒鬼薔薇聖斗による神戸連続児童殺傷事件における第二の事件は、1997年3月16日午後0時25分頃に発生しました。

犯人である元少年Aは竜が台の公園で次のターゲットを物色していました。そこで目をつけられた第二の被害者である山下彩花ちゃんに声をかけて近くの学校まで案内してもらいます。そして、学校付近に近づいた所で彩花ちゃんに襲い掛かりハンマーで殴打して逃走したのです。

倒れている所を発見された彩花ちゃんは病院に搬送されますが、事件発生から1週間後に脳挫傷が原因で亡くなってしまっています。

元少年Aは彩花ちゃんを襲った後、午後0時35分頃、次のターゲットに別の小学生の女の子を見つけ魔の手を伸ばします。この女の子に対しては腹部を刃渡り13cmのナイフで刺し、全治2週間の怪我を負わせまいたが幸いなことに命は助かることが出来ました。しかし、手術の際に輸血の血液が1.8リットルも必要になるような重症だったのです。

この時点では第一の事件と第二の事件はそれぞれ別の単独の事件として扱われており、連続殺傷事件としては見られていませんでした。2つの事件とも通り魔による場当たり的な犯行と見られており、有力な目撃情報を得られずに捜査は難航していました。

【4】酒鬼薔薇聖斗による第三の事件

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日本中を震撼させることになる酒鬼薔薇聖斗による神戸連続児童殺傷事件の第三の事件の幕が上がります。

第三の事件は1997年5月24日から事態は動き始めます。事件を重ねる事で犯人の元少年Aの人を殺してみたいという殺人欲求が高まっていました。この日の昼過ぎに自転車で次のターゲットを求めて彷徨っていた元少年Aは神戸市立多井畑小学校の近くで弟の友達であった土帥淳くんと出会います。

もともと顔見知りだった淳くんに「亀がいるよ」と声をかけると、地元でタンク山と呼ばれる近くの高台に誘い出すことに成功しました、山頂近くに建てられたケーブルテレビ用のアンテナ施設の入口付近で人気がないことを確認した上で淳くんを絞殺し、殺害後淳くんの遺体をその付近へと隠すという行動をとりました。

元少年Aは淳くんの殺害後、アンテナ施設を施錠していた古い南京錠を破壊するために近くのホームセンターでノコギリなどの工具を万引きします。工具を調達した元少年Aは犯行現場に戻り、南京錠を破壊して施設内に侵入し、施設の局舎の床下に淳くんの遺体を隠したのです。

淳くんの遺体を隠ぺいし現場を整え終えた後、元少年Aは友達と何事もなかったようにして遊んで帰宅しています。帰宅後は疲れたためかすぐに自室に籠って寝てしまったそうです。

興奮していた事で夜中に目を覚ました元少年Aは、目が覚めると同時に人体の首を切断したいという欲求にかられたのです。日が変わって25日になると、普段通りに昼前に起床し、黒いゴミ袋やナイフを持って外出します。

淳くんの遺体を隠したケーブル施設に到着すると隠してあったノコギリを取り出し、淳くんの遺体の首を切断するという行動にでたのです。

元少年Aは持ってきたナイフで淳くんの両目を突き刺したり、ビニール袋に残された淳くんの血液を飲むという異常行動を行います。

首を切断した後、胴体側は隠してあった元の場所に再び遺棄し直し、首は袋にいれて持ち出して、少し山を下ったところにあった「入角ノ池」の淵の木の根元に開いていた穴に隠します。遺体の切断に使われたノコギリは友が丘公園のとなりに隣接していた向畑ノ池に投げ捨てたのだそうです。

翌26日、元少年Aは隠していた淳くんの首を自宅に持ち帰ります。警察の捜査が進む中でいずれは自分に捜査が及ぶと考えていた元少年Aは警察の捜査を混乱させる目的で、淳くんの首を想像もしない場所に置くことを思いついたのです。

その場所とは土地勘があった元少年Aが通っている神戸市立友が丘中学校で、最も目立つ正門に置くことにしました。昼過ぎに隠してあった淳くんの首を自宅にもち帰った元少年Aは、家で淳くんの首を洗い終えると自室の天井裏に隠しなおします。

首を隠しなおした後、ベッドに横になりながら、警察の捜査をかく乱する方法を考え始めます。このとき偽りの犯人像を警察に植え付けて捜査をかく乱するには手紙が一番だと思いついたのです。

元少年Aは自室にあった「瑪羅門の家族」という漫画から偽りの犯人像として「積年の恨みを持った人間による犯行」を感じさせる文章と、別の本を呼んで覚えていた言葉を組み合わせて一通の手紙を書き上げたのです。この手紙こそが淳くんにくわえさせていた「酒鬼薔薇聖斗」の犯行声明の手紙なのです。

5月27日の未明、準備を整えた元少年Aは午前1時から午前3時の間に隠してあった淳くんの首を持って家を出ます。中学校の正門についた元少年Aは首の放置のしかたを試行錯誤して、最終的には正門前の地面に放置することにしました。

最後に酒鬼薔薇聖斗の名前が見えるようにして手紙を淳くんにくわえさせます。全てを終えた元少年Aは自宅に戻ると、家族に気づかれないように窓から2階の自室に戻り朝まで眠ったのです。

元少年Aが起床するとすでにテレビでは淳くんの首が発見され騒動になっていました。

さらには同時にタンク山に隠してあった胴体までが発見されたおり、ニュースで発見されたの知った元少年Aは「バレるのが早すぎ」と焦りを覚えたそうですが、酒鬼薔薇聖斗の手紙によって犯人像が自分とはかけ離れた人物として報道されていることから捜査をかく乱する事が出来たとほくそ笑んでいたのです。

この時の報道で一部の報道において犯人の名前が「鬼薔薇」と間違えた名前で報道された事に対して元少年Aは怒りを感じていました。

6月4日、神戸新聞社宛に赤インクで書かれた犯人からの手紙が届きました。「酒鬼薔薇」という名前を「鬼薔薇」と間違えて報道したことに対しての犯人からの抗議文章でした。

この段階で警察の捜査班は容疑者として元少年Aの名前が挙がっており、元少年Aが学校で書いた作文の筆跡と犯人による2つの手紙の筆跡鑑定を行っていたのですが、筆跡が一致すると断定できませんでした。

6月28日の朝、警察はついに元少年Aに対して任意同行を求めます。取り調べにおいて、元少年Aは犯行を否定していましたが、第一の犯行声明文を提示して「君が学校で書いた作文の字とこの犯行声明文の字の筆跡鑑定が一致した」とかまとかけると、元少年Aは逃げられないと観念したのか号泣しながら犯行を認めたのです。

同日午後7時5分、元少年Aの自供がとれたことで殺人および死体遺棄の容疑で酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aの容疑が確定し逮捕されました。取り調べの中で第一と第二の事件に関しても犯行を自供したため、これらの事件は元少年Aによる連続殺傷事件として「神戸連続児童殺傷事件」と呼称される事件となりました。

【5】神戸連続児童殺傷事件をめぐるマスコミ報道

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酒鬼薔薇聖斗による神戸連続児童殺傷事件が発生した事で大きく問題視されたのが、被害者家族に対する人権問題でした。

第三の事件で全国的な猟奇事件として注目を浴びたこの神戸連続児童殺傷事件のスクープを取るため、被害者の土帥淳くんの自宅の玄関前には30人以上の報道陣が詰めかけたりしていたのです。被害者家族に対しての配慮のまったくない対応をマスコミは取っていたのです。

スクープをものにしたい報道陣は必死になっており、被害者家族に対する報道も苛烈になっていました。中には僧侶を連れて「供養させてください」と家族に言ってきた記者もいたそうです。

元少年Aが逮捕される前には家族を犯人だと言う声もあがりマスコミの行き過ぎた報道に対する姿勢が「マスコミによる暴力」と言われました。

酒鬼薔薇聖斗(少年A)の経歴は?【神戸連続児童殺傷事件】

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酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aは何故、2019年現在においても語られる犯罪史上に残る凶悪な殺傷事件を起こしてしまったのでしょうか?

日本の犯罪史上に残される残忍な事件を当時14歳の中学生が起こしたことは海外でも報道されるほど衝撃的な事件でした。犯人である酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aの経歴について見ていきましょう。

【1】酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aの本名

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酒鬼薔薇聖斗こと少年Aの本名は東慎一郎といいます。

両親によって「真実を見極める子に育つように」との願いを込めてつけられた名前だそうです。1982年7月7日生まれで、幼少期を神戸市北区の団地ですごしていました。1989年3月に母方の祖母が所有していた神戸市須磨区友が丘の家に転居します。

この時の東家の家族構成は母方の祖母と父親、母親、元少年Aこと慎一郎、弟2人の6人家族でした。この家は一階に台所と6畳の居間と両親の寝室があり、二階は12畳の洋室と6畳と2畳の3部屋がありました。

元少年Aこと東慎一郎は小学校卒業までは次男の弟と一緒に12畳の部屋を使っていましたが、中学の入学をきに一人で6畳の和室を使うようになっていました。

【2】元少年Aこと本名東慎一郎、祖母の他界により死に興味を持つ

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1993年2月、元少年Aこと本名東慎一郎を含めた3人の孫たちを可愛がっていた祖母が肺炎の起こし入院。

その後、治療のかいもなく4月16日に天に召されてしまいました。この祖母の死をきっかけに元少年Aこと本名東慎一郎は死に興味を持ち始め、蛙やナメクジなどの生物の解剖を始めます。翌年の冬には祖母を追うようにして飼い犬が老衰により亡くなります。

この身近な死の連鎖により元少年Aこと本名東慎一郎の生死に関する興味はさらに加速されたのです。このころの元少年Aこと本名東慎一郎は母親から躾という名目で暴力を受けていた形跡があります。

母親からの暴力を抑えていた祖母の存在が無くなったことで母親の防波堤になる存在がいなくなり、母親からのあたりがきつくなり精神的に追い込まれていたと考えられます。

【3】元少年Aこと本名東慎一郎は小6になると動物を殺し始める

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神戸連続児童殺傷事件の犯人である、元少年Aこと本名東慎一郎は小学校5年生のころから動物の殺害を始めました。

最初は蛙やナメクジなどの小動物の解剖からスタートしましたが、やがてその対象が猫へと移っていきます。元少年Aこと本名東慎一郎は友人に20匹以上の猫を殺したと語っています。母親から受けてストレスを自分より弱い存在にぶつけていたのかもしれません。

猫を殺すようになってから、元少年Aこと本名東慎一郎は動物を殺害して死体を損壊する行為に性的な興奮を覚えるようになっていました。

殺害行為に性的な興奮を得ることにつながった元少年Aこと本名東慎一郎は次第に快楽の欲求に飲まれるようになり、最終的に対象が人にまでエスカレートしてしまった結果、神戸連続児童殺傷事件につながったと言えます。このとき母親は子供の行動に対して興味がなく完全に放置状態でした。

元少年Aこと本名東慎一郎の行動を止めるべき母親の存在がなかった事が自体をエスカレートさせたのかもしれません。

元少年Aこと本名東慎一郎の行動や言動を危惧した両親により、中学入学後の1995年11月に元少年Aこと本名東慎一郎は母親に連れられて精神科の病院へと通院させられています。病院での診断テストや脳の検査を行った結果、元少年Aこと本名東慎一郎は注意欠陥・多動性障害(ADHD)との診断を受けていました。

犯罪心理学において述べられている典型的な猟奇殺人班の発生過程とほぼ同じパターンで殺害行為をエスカレートしていってると感じますね。

幼少期から母親の暴力を受けて育った事で、ストレスのはけ口を自分より弱い小動物に向けられた結果、最初に小動物の殺害から始まり、徐々に対象が大きい動物になっていくパターンはずばり典型的なパターンと一致します。

日本において動物の殺害事件は大きく取り上げられませんが、海外では事件がエスカレートする前に犯人を食い止めるため、動物を殺害した時点で逮捕するようにしているのです。

【4】元少年Aこと本名東慎一郎の家族

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神戸連続児童殺傷事件を引き起こした犯人である元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎を取り巻く家庭環境はどのような環境だったのでしょうか。

その父親や母親はどのような人物だったのか。神戸連続児童殺傷事件を引き起こした犯人である元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の家族について考えてみましょう。

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の父親

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の父親は鹿児島県沖永良部島の出身で、8人兄弟だったそうです。女性の多い女系の兄弟だったため、日ごろから息子がほしいと言っていたそうです。

日曜大工や釣り、ゴルフ、スケートなどが趣味でした。中学卒京後に神戸で就職し、30歳で結婚して家庭を持っています。家を空ける事が多く家族内での存在は希薄だったと思われます。2019年現在この父親の消息は不明になっています。

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の母親

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の母親は三姉妹の次女で結婚後ずっと専業主婦をしていました。次男のPTA役員を務めるなど活発で社交的な女性だったようです。

しかし、この母親は専業主婦のわりに育児にあまり興味がなく、子供たち3人は放任主義で育てられたようです。母親の子供の教育に関して一貫性がなく、母親の日頃の行動も非常識は点が見られたのです。

この母親は外面的にはいい人を演じていたのですが、家族、特に子供の教育に関しては暴力的になっていたそうです。母親のもつ二面性により、元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の精神は蝕まれ歪んでいったのかもしれません。

母親から受けた暴力がなければ事件は起きていなかったのかもしれないと思うと、この母親の行動には問題が多かったと感じます。

この母親は元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎に対して、生後間もないころから体罰を与え続けていたという話もありました。2019年現在父親と同様に母親も消息不明になっています。

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の2人の弟

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎には2人弟がいます。

次男は事件当時、神戸市立友が丘中学校の2年生に在学していました。第三の事件の被害者である土帥淳くんの兄と同級生だったそうです。大学に進学したことまではわかっているのですが、2019年現在の消息は父親、母親と同様に消息不明になっています。

三男は元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎より3歳年下で、事件当時は神戸市立井畑小学校の6年生でした。第三の事件の被害者の土帥淳くんと同級生で友達でした。被害者の淳くんは東家に何度も遊びに来ていました。

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎と顔見知りだったことから、事件の際に声をかけられすんなりとついて行ってしまったのかもしれません。三男は高校を中退してしまったあと、父親、母親と同様に2019年現在消息不明になっています。

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎が起こした神戸連続児童殺傷事件により、家族は瓦解し2019年現在も人目を避けて生きて行くことを余儀なくされたようです。

酒鬼薔薇聖斗(少年A)の事件後の生活まとめ

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事件を起こした酒鬼薔薇聖斗は、その後どうなったのでしょうか?

事件後の酒鬼薔薇聖斗の生活についてまとめていきます。

見ていきましょう。

【1】神戸連続児童殺傷事件をめぐる裁判

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神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の犯人である元少年Aこと本名東慎一郎の逮捕により、世間の目はその扱われ方に注目していました。

2019年現在でも語り継がれるほどの日本犯罪史上稀に見る凄惨な殺傷事件であり、その犯人が14歳の中学生であったこと、酒鬼薔薇聖斗の名前でマスコミや警察に対して挑戦状をたたきつけたことから、この神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の裁判に対する注目度を集める結果となりました。

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎への判決

神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の判決について、刑事裁判については当時の少年法により、元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は守られていたため非公開となっています。

事件の犯人である元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は、医療少年院への入院だけで罪を償う行為とは到底言えない結果になっていたのです。

刑事裁判と同時に被害者家族は民事訴訟も元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎に対して起こしています。民事裁判においては神戸市地方裁判所の判決により元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の父親と母親それぞれに約5000万円の損害賠償金の支払い命令がでています。

神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)がきっかけになり少年法改正へ

少年法は16歳以下の子供に適用される法律で、成人に適用される刑法とは異なり、その憲法の趣旨は加害者に対して保護処分を行い、少年の更生を目的とした法律です。

それゆえに、罪を償うという趣旨が含まれていないのです。もちろん懲役刑なども制定されていません。この少年法は制定されて以後長きに渡って改正されることがなかったのですが、神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)がきっかけになり2000年に改正されることとなりました。

その改正内容は、刑事罰をかせることが出来る年齢をそれまでの16歳以上から14歳以上へと2歳引き下げるという内容でした。

神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)が発生した時に刑事処分の対象年齢が14歳以上になっていたら犯人の元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎に対して懲役刑などで罪を償ってもらう機会を作ることができていて、被害者家族たちの気持ちを晴らすことが出来たかもしれません。

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の関東医療少年院への入所

神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)はその性質状世間から大変な注目を集めていた事件だったため、家庭裁判所は例外的に犯人の元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の精神鑑定の結果を公開しています。

精神鑑定結果によると、犯人の元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は完全な責任能力はあるものの、成人の反社会性パーソナリティ障害に相当する行為障害を持っていると判断しています。

精神鑑定を行った鑑定医の所見として「行為障害の原因を排除して性格を矯正して更生を促すためには、長期間に渡る医療的処置が必要」との提案がされていました。

この所見により、1997年10月神戸家庭裁判所は犯人の元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎に対して、医療少年院送致が相当であると判断し、関東医療少年院に移送が決まったそうです。被害者家族たちはこの量刑に関して納得できないものを感じていたと言います。

【2】2019年現在、名前を変えて生活

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1997年10月13日、神戸家庭裁判所は神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の犯人である元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎に対して、医療少年院送致することが相当であると判断し、関東医療少年院に身柄が移されました。

その後、2001年11月27日元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の治療が順調であるとの判断からその身柄は東北少年院へと移されました。

2002年イジメられたことに激高し、暴れて抵抗したことで騒動になりました。この騒動を受けて神戸家裁は元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎を2004年まで少年院収容継続することを決定しました。

その決定があったにも関わらず、2003年3月に関東医療少年院は元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎に対して刑務所における仮出所と同じ意味の仮退院を申請しました。当然のことながら、医療少年院のこの処理に対して被害者家族たちからは批判の声があがりました

被害者家族からの批判の声が挙がる中、神戸家裁の決定や被害者家族の気持ちを無視して、2004年3月10日成人に達していた神戸連続児童殺傷事件の犯人である元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は少年院を仮退院してしまいます。そして翌2005年1月1日本退院が許可されるに至ったのです。

神戸連続児童殺傷事件の犯人である元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は、少年院の退院時に「姓を変えないとその人の社会生活に著しい支障が出る場合に限り、管轄の家庭裁判所に申請して、姓を変える事が可能」という戸籍法における特例事項を利用し、2019年現在は名前も苗字も変わって別人として生活しているそうです。

名前を変えたばかりか2019年現在においては整形までしているという話も出ています。2004年の秋ごろには法務省関係者からの情報として「ある団地の一室で法務省関係者と同居し、現在社会勉強中だ」という話がありました。

また、その後、別の身元引受人と養子縁組を行い名前を変えたほか、ダミーの出生地や学歴などのプロフィールを用意して別人になったという情報も出ました。

【3】酒鬼薔薇聖斗のその後と2019年現在

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神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の犯人である元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は医療少年院を退所後2019年現在はどこでどのような生活をしているのでしょうか。

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎のその後と2019年現在の状況について調査してみました。

被害者遺族への手紙

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は、医療少年院を仮退院した2004年から毎年被害者家族にむけて手紙を送り続けていました。

2005年5月24日には第三の事件の被害者である土帥淳くんの8回忌に際して元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は弁護士を通じて土帥淳くんへの献花を被害者家族に申し入れていましたが、被害者家族はこの申し出を拒否し断っています。

2007年3月には、第二の事件で犠牲となった被害者山下彩花ちゃんの家族へ医療少年院退院後初めて謝罪の手紙が元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎より届けられています。

しかし、被害者家族がこの手紙の内容に対して、「元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の必死に生きようとする姿が見えない」というコメントを発表しています。

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の出版した手記がベストセラーに

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は2015年に「絶歌」というタイトルの手記を突如出版しました。

神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)は2019年現在においても語り継がれるぐらいの日本中を震撼させた猟奇事件だったので、この元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎が書いた手記は世間から注目されることになり、ベストセラーとなりました。

手記の発売から3年後の2018年になって、仮退院時から書き続けていた被害者家族に向けての手紙を書くのをやめてしまいます。

第三の事件の被害者の淳くんの父親のコメントで「被害者家族への手紙を書くのをやめたということは、神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)に向かいあうことを辞めたのだろう」と語っていました。

【4】元少年Aの酒鬼薔薇聖斗は2019年現在までに結婚したのか

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2019年現在、社会復帰している神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の犯人である元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は、法務省によって守られた存在でした。

法務省いわく「彼の更生には世間の暖かい理解と協力が不可避だ。現在の状況を公表することは支障をきたす」とされ、情報がシャットダウンされていました。それどころか法務省によって意図的に偽情報を流されているとも噂されていました。

2019年現在は少年法の改正により、刑法が適用される年齢が14歳になっているのですが、事件当時は16歳までは少年法の適用だったため、報道では犯人の名前が伏せられ少年Aとして保護の対象となっていました。

被害者よりも加害者がより保護される状況になっていたため、世間から激しい問題提起を受け、この神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)がきっかけとなり、少年法が改正されたのです。

刑法が適用されなかった犯人である元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎はすでに少年院を退院し、2019年現在は完全に社会復帰しているのです。

2010年現在の酒鬼薔薇聖斗は結婚しているのか

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は名前を変え、顔も整形し、完全に別人へと成りすまして2019年現在、普通の生活を送っているようです。

しかし、ネットでの噂などで何かをきっかけに「酒鬼薔薇聖斗じゃないか?」と噂が立つたびに、逃げるように各地を転々として生活を送っているようです。

神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の犯人である元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は、2019年現在結婚をしています。お相手の女性は酒鬼薔薇聖斗の大ファンだったと噂がありますが、実際のところは不明です。

驚くべき事に結婚式を行う歳に被害者遺家族に招待状を送るという暴挙にもでています。常識から考えると被害者家族を結婚式に誘うという事はありえない事ですよね。

2010年現在の酒鬼薔薇聖斗に子供はいるのか

元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎には2019年現在では既に子供がいるという話があります。

自分が親になることで自分が起こした神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)について「とんでもないことをした」と反省し、後悔の言葉を口にしたとも言われています。

しかし、元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎の被害者家族に対する言動を見ていると、どこまで本当の事なのか信憑性の乏しい情報であると言わざるを得ません。

少年法に守られた酒鬼薔薇聖斗(少年A)

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引用: Pixabay

2019年現在まで語り継がれるくらい日本中を震撼させた神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)について紹介させていただきました。犯人の元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎がどんな人物だったのかわかっていただけたでしょうか。

事件当時犯人の元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は少年法で守られる年齢だったため、どんな重度の殺人事件を起こしても罰せられる事なく、逆に少年法によって守られる存在でした。殺人事件等の重大事件は少年には起こせないという考え方のもと運用されていた少年法の限界が見えた事件でした。

2019年現在では少年法は改正され刑法の適用年齢が引き下げられましたが、当時の少年法で守られた元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎は2019年現在においても当時の事件については守られる存在で情報統制がひかれて守られています。

確かに2019現在において普通に社会生活を送ろうとすると事件の情報は足かせになります。しかし、殺人という重罪を犯した人間が罰されることなく生活を送るということに関しては再考の余地があるのではないかと思います。被害者加速たちにかかる気持ちが慮られます。

2019年現在において、元少年Aの酒鬼薔薇聖斗こと本名東慎一郎が幼少期に母親から暴力を受けていたように、子供への母親や父親からの家庭内暴力が問題になっています。本来なら子供を守らなければならない母親からの暴力によって歪んでしまった子供の心がどのような犯罪につながるかわかりません。

ひょっとしたら母親からの暴力と受けるという2019年現在の問題が第二の酒鬼薔薇聖斗を生み出す土壌を作ってしまっているのかもしれません。

願わくば、子供達には父親、母親からの愛を受けて育ってほしいと願わんばかりです。