フツ族とは?ツチ族とのルワンダ虐殺の歴史&特徴・現在を解説! | ToraTora[トラトラ]

@myshidalifeがシェアした投稿 – 2015年 9月月26日午後2時58分PDT

「ルワンダ虐殺」という1994年にルワンダという国で発生した大虐殺事件(ジェノサイド)をご存じでしょうか。

戦後最悪とも言われていてるジェノサイドとしては最も有名な事件で、この事件に関係しているのがルワンダの部族にあたる「フツ族」です。

では、フツ族とはどのような部族なのか、そしてルワンダ虐殺にどのような関係性があるのかをご紹介していきます。

また、ルワンダ虐殺に関しては、民族間のみならずルワンダの全国民、そして世界中にも大問題となった事件です。このルワンダ虐殺事件を過去の痛ましい事件であると伝える活動も行っています。

フツ族の歴史

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引用: Pixabay

ここからは、フツ族に関する情報をご紹介していきます。

フツ族にまつわる歴史から、フツ族の生活環境など、様々なフツ族の情報について知ることにより、ルワンダという国のどのような部族なのかがつかめてきます。

歴史から、どうしてフツ族がルワンダ虐殺と関係が深い民族なのかを紐解くことができます。

【1】 起源

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フツ族の誕生の起源は11世紀ごろであるといわれています。

旧チャド(現在のルワンダの領地含む地域)の周辺から、大小沼地域にたどり着き、そこでトゥワ(ピグミー)と呼ばれる狩猟採集民と入れ替わったといわれています。このトゥワという民族も、後にご紹介するツチ族やフツ族と一緒でルワンダ語を使用します。

ここから、複数ある諸説よりフツ族の歴史が描かれていきます。

【2】 ハム仮説

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ハム仮説では、15世紀になるとエチオピアからツチ族が着て18世紀までの間、フツとトゥワを征服したといいます。

この征服という使用理由として、当時フツとトゥワは同じルワンダの民族であることから、中間的立ち位置に置きたかったという理由もあり、完全に制服をしていたかは諸説ある中でも不明です。

当時はドイツ人とベルギー人により、支配下に置いていることを正当化するための対策であったといわれています。

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過去に、この2つの姻族はヨーロッパ人により分断されます。

その中でベルギー領にいたルアンダ=ウルンディ時代になると、所持をしている牛の頭数でフツとツチが分けられます。そして差別が始まります。

ツチが優勢な状態であったことを踏まえ、ツチによる君主政は1960年代となり、ベルギーが占領地域から引きあがるまで続いたといわれています。

【4】 そして分裂

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ベルギーが領地を引き上げてから、「民主化」が進みます。

ルワンダでツチによる君主制が打倒された後に1962年になると、ルワンダとブルンジが独立を果たします。

【5】 ベルギーの後援があったときの歴史

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ベルギーが主体となり、差別を図っていたことから、ツチへのベルギーの支援があったといわれています。その後援も1959年まで続き、キゲリ5世の亡命があったことで終了します。

独立したブルンジは王政の廃止をします。王政廃止後には、ツチ族が軍とルワンダをの政権を維持することとなります。ツチ族に対し、フツ族はその後も民族差別を受けていたというのです。

フツ族の生活地域は?

【1】 農耕民族

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フツ族は、アメリカのルワンダの地域、そしてブルンジに生息する農耕民族と呼ばれる部族です。

ルワンダとブルンジ両国の全体の人口のうち、8割から9割を占める大規模な民族です。

【2】 ツチ族との関係

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フツ族は、長きにわたってツチ族と抗争状態にありました。

フツ族に対し、ツチ族は少数民族にあたります。そのため、人口で言うとフツ族の方がはるかに人口が多いことがわかります。

【3】 人種差別を受ける歴史がある

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人口の8割以上を占めるフツ族ですが、かつてはベルギーによってツチ族と差別的扱いを受けるという屈辱的な歴史があります。

そのことから、長きにわたりツチ族との対立が絶えないことがわかります。

フツ族の特徴まとめ!

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フツ族の人口は、国の全体の役8割以上を占める大規模民族です。

反対にツチ族は、人口の10パーセントから20パーセントの割合で存在する少数民族です。

反対に、少数民族であるツチ族と対立関係にあります。対立関係である歴史の背景には、差別を受けていたことがあります。

フツ族の外見は、民族ほとんどの人に見られる低身長という特徴があります。そして鼻は低く、体系としてはずんぐりとした体格を持つことが特徴と言われています。

フツ族とツチ族

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では、対立関係にあるフツ族とツチ族の関係についてをご紹介していきます。

なぜ対立関係に発展したのか、そしてルワンダ虐殺事件までのいきさつとはどのようなことから始まるのかなどをご紹介していきます。

ルワンダ大虐殺の事件に大きく関係しているのがフツ族とツチ族ですが、この2つの民族対立は、民族同士の対立関係が当初からあったというわけではなかたようです。この2つの民族が対立することとなるきっかけが、他国による差別によるものだとすいさつされます。

ルワンダがヨーロッパによって植民地支配を受けていた時、ヨーロッパの民はルワンダの中でツチ族が優秀であると決めつけ、差別をし始めます。

当時支配をしていたヨーロッパの民は、ツチ族とフツ族を“見分けなければならない”ための判断材料として、鼻の高さや牛の保有している数で見極めていたといいます。つまり、外見に大差はないのです。しかし、ヨーロッパの民は当時フツ族とツチ族の特徴をこうして表しています。

フツ族:背が低い・鼻が低い・ずんぐり体系
ツチ族:長身・鼻が高い・やせ型

ヨーロッパの民は、こうした特徴を勝手に決めつけ、ツチ族の方が民族的に優れているという判断をします。一方で、フツ族は劣っているという身勝手な判断をしてしまうことから、大規模な差別へと発展していきます。

こうした差別は、ヨーロッパの支援の下起きています。そして、植民地支配を進めていくために、ツチ族を官僚として登用したり、政治的特権を与えます。

ここでツチ族と社会的・経済的な差別を生み出してしまいます。

そして、ツチ族の方が優秀であると思っているヨーロッパの民は、ツチ族のことを「半神半人」というほど崇めていたといいます。

こうした差別を受け続けてきたフツ族ですが、ある転機によって逆転の立場になります。それはキリスト今日の影響により起きたのではないかと言われています。キリスト教のカトリック教会がフツ族の下層階級に同情を寄せるようになります。

その理由は、政治的な政策がやりすぎであったこと、そしてカトリック司祭が歴史的にも虐げられてしまう地方の出身であったことが原因と言われています。

そして、第二次世界大戦後に国際社会の声が挙がり、植民地統治体制の在り方や、民主化に伴う自治、そして独立を推す声が挙がり、国際世論が世界中に広まります。

こうした影響から、フツ族の今まで受けていた差別への不満が表面化します。この動きにより、政府から様々な権限を受けることができるようになります。

1959年にルワンダで行われた選挙によって、フツ族が議席の9割を獲得します。その動きを見て、当時植民地支配をしていたベルギーはルワンダから去っていきます。そして、政治的権力は、ツチ族からフツ族へと移行していくのです。

こうした政治的権力がフツ族に移行すると同時に、行政的なポストの確立、そして教育などの優遇措置を受けることが可能となり、立場が逆転していくのです。

フツ族のツチ族のルワンダ虐殺とは?

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そして、ルワンダ虐殺という戦後最大の被害者を出したジェノサイドが起きてしまいます。

では、ルワンダ虐殺とはどのようなことが発端となったのでしょうか。

ルワンダ虐殺が起きたきっかけは、1994年に起きたハビャリマナ大統領の飛行機が墜落してしまうという事件が発端だといいます。現在も、暗殺を実行した犯人は特定できていません。しかし、この事件がきっかけとなり、ルワンダ大虐殺が起きてしまうのです。

ルワンダ虐殺の犠牲者は約800万人と言われています。わずか100日足らずで少なくとも50万人が虐殺されているという計算です。しかし、諸説があり、犠牲者の数は110万人というひともいれば、80万人といわれている人もいるため、正式な被害者の人数は把握できていません。

ルワンダ虐殺の特徴は被害者の人数だけではなく、殺戮するまでのスピードが速いことがわかります。

事件によって虐待を受けた犠牲者は、ほとんどが4月の第二週から5月の第三週までの間で集中して行われていたことから、たったこれだけの短い時間で犠牲者数の約8割が殺害されています。

ルワンダ虐殺の概要

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ルワンダ虐殺事件は、ルワンダの人たちにどのような影響を与えたのでしょうか。ルワンダ虐殺事件の概要をご紹介していきます。

残酷な話になるかもしれませんが、ルワンダ虐殺の被害者として、多くの一般民間人が巻き込まれ殺されてしまったといいます。民族同士の戦いのために、一般民間人を犠牲してまで広まってしまった事件。ツチ族だから、そしてフツ族だからといって殺していいことにはなりません。

かつてフツ族はツチ族との差別を受けてきた人種です。独立後に、キリスト教の布教活動が支援をしたことによって、植民地と化していたルワンダで優位に立っていたツチ族との立場が逆転します。

もともと国の人口の大多数を占めていたフツ族に政治的自由が渡り、独立後にはフツ族とツチ族との差別が拡大していくのです。

そして、今までの歴史で不条理な人種差別をしてきたツチ族に対し憤りを覚えていたのは間違いない現状であったと推察されます。

フツ族とツチ族の差別は政治的にも影響を及ぼしていたといいます。かつてツチ族がフツ族にしていた差別も独立後に逆転して適応されることとなります。そして、当時の政治家も、ツチ族に対する懸念の声を上げているような人物が多かったことが証言されています。

このことから、立場が逆洗する理由の一つにフツ族がルワンダの政治活動に優位になったとも言えわれ、虐殺が起きたのも民族間の問題であると指摘しています。しかし政治的要素が民族間の対立を際立たせる要因になっていきます。

犠牲者を80万人以上出してしまったルワンダ虐殺は、大人だけではなく幼い子供まで被害を受けることとなります。

こうした民族同士の争いは子供の大切な命まで奪う結果となるのです。たとえ民族同士が違っていたとしても、人の命を奪うジェノサイドは二度と起きてはなりません。

フツ族の現在

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そして、ルワンダ虐殺から数十年と経つ現在では、フツ族はどうなっているのでしょうか。ルワンダ虐殺に直接かかわってきた民族として、現在はどのようにして存続しているのでしょうか。

ルワンダ虐殺の際、亡命に成功したり虐殺することを拒否フツ族もいたといいます。そして現在は平和に暮らしているといいます。

当時のルワンダ虐殺を黙認していた政治家がガラッと変わりました。新政府の元、ルワンダの国民に対して、ルワンダ虐殺の事件に関する想いを大切にしていき、伝えていかなければならないと懸念します。
大虐殺を行った大多数のフツ族は新政府によって逮捕されています。

ルワンダの住民は、あることを懸念します。それは再犯です。ルワンダ虐殺で殺人の罪に問われたものは、現在釈放されているものもいれば、重罪行為を行い現在も収容されているものもいます。

しかし、いくら重罪だったとしても、あと数年経てば釈放されてしまうのです。このことから、再び人種差別から始まったルワンダ事件と類似する事件が再発してしまうのではないかという声があるのです。

全てのフツ族がこのような凶悪犯罪を起こす人々ばかりではありません。ルワンダの将来的な在り方として、平和に安心して過ごせる国を目指しますが、実際に「和解」までに発展するのかというと、可能性はあるものの難しいと懸念されています。

また、ルワンダは貧国であることから刑務所の心のケアーまで到達していないこも問題であるといいます。もしこのままルワンダの情勢が悪化してしまえば、ルワンダ虐殺が再犯されてしまうのです。

何も違いのない民族同士の起こした悲惨な事件、決して再犯してはいけません。

フツ族まとめ!

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ルワンダ虐殺事件は戦後最悪の事件と言われています。

ジェノサイドとして有名なのはナチス・ヒトラーが起こした数々の政治的確執から生まれた事件等々ですが、これらの虐殺で共通した点は「人種差別」にあります。

決して比べて卑下にしてはいけないはずの民族同士であるにも関わらず、殺してしまうという発想はまさに冷戦状態であったともいえます。では、こうした一連の事件をどのように対処すればよいのでしょうか。

答えは、「和解」にあります。新政府がルワンダを平和にするために、お互いの民族同士で和解をすることによって再犯を撒逃れることができるのです。

二度とこうした事件が起きないことを願います。

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