三毛別羆事件の概要!ヒグマによる惨殺事件の真相&生き残り証言まとめ!

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ヒグマが人を襲う?三毛別羆事件

みなさんは三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)という事件をご存じでしょうか。

この事件は1915年の12月9日~同月14日にかけて北海道苫前郡苫前村(現在は苫前町古丹別)三毛別(現在は三渓)六線沢で起きた日本で起きた羆の獣害事件で史上最悪規模を引き起こした事件です

戦前の獣害事件で、被害を受けた人々は開拓地での被害者となります。この事件は数回にわたり民家を羆が遅い、開拓民のうち7名が死亡し、3名が重傷を負いました
事件が起きて羆の盗伐隊が結成され、事件を起こした羆は盗伐隊により射殺され事件は収束しました。

獣害史上最も最悪な事件ということで、近年でもテレビで再現VRが放送されるほどの語り継がれる事件でもあります。
そこで、今回はこの羆(ヒグマ)に関する三毛別羆事件とはどのような事件だったか、そして被害者はどのような事件に巻き込まれたのか、そして生き残った方についてなど、事件の概要についてをご紹介していきます。

また、三毛別羆事件が現在も様々なメディアで報じられている情報などもご紹介したり、現代でもヒグマの事件と関係があるのかについてもご紹介していきます。過去の事件から、現代もヒグマと人間との関係があるのかどうか、今後ヒグマの事件は起こりうる可能性があるのかどうかについても、様々な証言や情報からご紹介していきます。

 

三毛別羆事件当時の生活様式

そもそも現代では聞きなれない言葉であるのが「開拓地」でしょう。

開拓地というキーワードが、今回ご紹介する三毛別羆事件の被害者である開拓民の生活状況と関係が深いともいえます。

では開拓地とは、開拓民とはどのようなものなのでしょうか。
事件が起きた1915年の大正時代、北海道は広大な土地が広がる地域であったことから現在とは違い森林が渦巻く未開拓の地だらけでした。

そのため、人々が新しい土地で生活を求めるために土地を開拓しなければなりません。開拓地として決めた場所に家を建て、その土地で農作を育てて生活環境を整えて子孫を残していくという生活様式が、開拓民にはあったといいます。

当時の開拓民の生活は、もちろん今とは違い電気や水道、ガスはありません。ライフラインを整えるためにも川へ水を汲みに行ったり、農作物を育てたり、魚を取ったりと、今で言う「自給自足の生活」をしていたといわれています。

家の様子としては、開拓民の生活は農家と同じであるとイメージしていただくとわかりやすく、家は藁と木で作り上げたものでした。家の中では火を焚いたりして明かりを灯し、家の中で農作物をつるして様々な方法で食していたという記録も残されています。

開拓民の生活の中で、当時家の軒につるしてあったトウモロコシなどの農作物が食べられていたという被害もあったといいます。

その痕跡をたどると、足跡などからヒグマの足跡ではないかと発見し、ヒグマがまた家にきてしまうことに警戒をしていたといいます。

また、今回ご紹介している三毛別羆事件のほかにも、別の開拓地で1923年の夏ごろ、三毛別羆事件に次いでヒグマの獣害事件となった「石狩沼田幌新事件」という事件があり、この事件では開拓民が5名命を落としています。

開拓民にとって、ヒグマは身に潜む最も怖い生き物であったと推察され、当時は各開拓民の農家でも銃を所持する家が限られていたことからおびえる生活を余儀なくされたと考えられます。

 

三毛別羆事件の概要

引用: Pixabay

では、ここから三毛別羆事件の概要についてをご紹介していきます。

事件の概要から、ヒグマの特徴がよくわかり、現代でもヒグマの生息地では厳重に対処しなければならないと痛感してしまいます。

 

【1】 事件を起こしたヒグマについて


引用: Pixabay

三毛別羆事件を起こしたヒグマの特徴は、推定7~8歳の雄と言われています。

体長は2.7メートル、体重は340キロあったといわれています
ヒグマの中でもかなり大柄な熊だったこともあり、被害の状況からも想像できるほどです。
このヒグマは三毛別羆事件を起こしてから「人食い熊」と呼ばれています。

事件を起こしたヒグマがなぜこのように人里を襲うのか、という説としては「穴持たず」という言葉が浮上します。

「穴持たず」とは、通常ヒグマは冬を越すために冬眠をします。ですが、中には冬眠に失敗してしまうヒグマもいることから失敗したクマを「穴持たず」というそうです。

「穴持たず」となってしまったヒグマは空腹から凶暴化してしまい、今回の事件を引き起こしたのではないかと考えられます。上記でもご紹介した「石狩沼田幌新事件」は夏に起きていて、今回の三毛別羆事件は冬に起きています。

つまり、三毛別羆事件は「穴持たず」のヒグマが起こした残酷な獣害事件と断言できるでしょう。
一説では、事件を起こしたヒグマは巨体のため、自分に合う穴を見つけることができなかったことから

「穴持たず」になってしまったのではないかともいわれています。

 

【2】 事件の発端は、12月9日より前に起こった


引用: Pixabay

三毛別羆事件は、12月9日に起きました。

人的被害がなかったものの、初めに三毛別羆事件の発端となった出来事は池田家でした

事件が起きる前の11月、夜明け前にヒグマが池田家に現れました。当時飼っていた飼い馬が驚き暴れたことで、その時は保存食として取っておいたとうもろこしだけでした。

当時、開拓民の中では野生動物が家を襲来することは珍しいことではなかったものの、主である池田富蔵さんは足跡の大きさに懸念を示したといわれています。

そして、そこから2度ヒグマが現れます。その時には仕留めることができなかったため、長男の富吉さんと次男の亀次郎さんを連れてヒグマの追跡を試みるものの、当時は冬で吹雪が荒れていたこともあり断念したといいます。

 

【3】 そして悲劇が起きる

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引用: Pixabay

そして12月9日、三毛別川上流に家を構えていた太田家では、冬にかけて農作物を出荷するために男たちの多くは家を出払っていた時でした

長松要吉さんと、主であった太田三郎さんは材木などを伐採するために仕事に向かっていました。当時、三郎の内縁の妻であった阿部マユさん(34歳)と太田家に養子として迎える予定をしており、蓮見幹雄さん(当時6歳)の2人が留守をしていたといいます。

その日の昼、長松要吉さんが食事をするために自宅に帰宅すると、土間の暖炉裏に幹雄がすわっていたといいます。長松要吉さんは、寝ていると思いのぞき込んでみると、蓮見幹雄さんの顔の下からから流れ出ている血と、喉元が何かでえぐられている様子であったことを発見したそうです。

発見した時にはすでに息絶えていたといいます。

そして、一緒にいた阿部マユさんの安否を心配した長松要吉さんでしたが、いくら呼んでも返答はありませんでした。

家の中は事件を物語っており、ヒグマはトウモロコシを食べようと近づいてきた際、阿部マユさんと蓮見幹雄さんと接触したと思われ、阿部マユさんが最後までヒグマに抵抗したと思われるかのように血の付いた柄の折れたマサカリがあったといいます。

しかしそこに阿部マユさんはいなかったものの、ヒグマは最後に阿部マユさんを引きずりながら窓から屋外に逃げたとみられ、窓枠に阿部マユさんと思われる頭髪が数十本残されていたそうです。

 

【4】 この事件が大騒動となる

引用: Pixabay

この事件が大騒動となり、事件が発覚した当日に対策を練ろうとするものの、時間的にも都合がつかず、その日男性たちは下流の明景安太郎さんの家に泊まり、翌日以降の対策を練ることにしたそうです。

まず、この事件を役場や駐在所などに報告しなければならないこと、そして蓮見家に連絡をしなければならないことで、仲介役を斎藤石五郎さんが引き受けたといいます。

さらに、太田家より上流に家がある斎藤石五郎さんは、家を所用で開けるため明景家に妊娠中の妻のタケさん(34歳)三男の巌さん(6歳)春義さん(3歳)を非難させ、男手が必要として要吉さんも同泊することとなりました。

 

【5】 阿部マユさんの捜索

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引用: Pixabay

事件を起こしたヒグマと、未だ見つからない阿部マユさんの捜索をするため、仲介役として村を出た斎藤さん以外の男性は森へ捜索に出ました。

事件で見つかったヒグマの足取りを追うと、そこから150メートルほど進んだあたりでヒグマと遭遇したといいます。男性たちはヒグマに持っていた鉄砲を取りだし銃口を向けましたが、開拓地での銃の常備は普段から手入れが行き届いていなかったことから発砲できていたのは一発だけだったといいます。

そして、怒り狂うヒグマでしたがその後逃走し、ヒグマの下あたりにあったのが血に染まった雪の一画だったといいます。

そこを掘り起こしてみると、阿部マユさんの遺体がありました。遺体の状態は、頭蓋骨の一部しか残されていないままだったといいます。

そのことから、男性たちはヒグマが人間の味を覚えてしまったこと、そして阿部マユさんが食肉として冬の保存食として隠されていたことも踏まえ、危機感をあらわにしました。

 

【6】 ふたたび太田家に

引用: Pixabay

阿部マユさんの遺体を発見した男性たちは、その日に幹雄さんとマユさんの通夜を執り行いました。しかし、村人たちはヒグマの襲来に恐れてしまい、参列する人数も限られていました。

その時、午後20時頃大きな音とともにヒグマが太田家に再び現れましたヒグマは阿部マユさんの遺体を取り返そうと襲来した様子でしたが、この騒ぎからヒグマに対抗しようとするために石油缶を投げて対抗しようとし、銃を持っていた人がヒグマに打つなどしました。

また、騒ぎを聞きつけた村人たちが物音や叫び声に気づいて駆けつけたのですが、その時にはヒグマはすでに姿を消していたといいます。

ヒグマの襲来から、この瞬間犠牲者が出なかったことに安堵し、一同で下流の明景家に避難しようと向かいます

 

【7】 下流の明景家が・・・

引用: Pixabay

太田家に襲撃があったとき、明景家では非難したタケさんとその子どもたち、そして明景家の妻ヤヨさん(34歳)長男の力蔵さん(10歳)長女ヒサノさん(6歳)三男金蔵さん(3歳)四男梅吉さん(1歳)がいました。

ちょうど護衛が食事に出かけ、太田家のヒグマの出没のため、男手として要吉さんが残っていただけの状態でした。この手薄の状態を、ヒグマは狙っていたようです。

太田家の襲来から20分もたたないと思われていたころ、ヤヨさんが盗伐隊の夜食を作っていたときにヒグマは襲来しました。

ヤヨさんはヒグマに襲われ、背負っていた梅吉を噛みつかれました。そしてヤヨさんの足元にすがりついていた勇次郎と3人がヒグマに引きずり込まれヤヨさんの頭部をかじりました。しかし、ヒグマは戸口に走り逃げようとする要吉さんに目を向け、母子を放しました。この隙に、ヤヨさんは2人を連れて脱出します。

要吉さんは逃げて物陰に隠れようとしましたが、ヒグマの牙を腰に受けました。その直後、ヒグマは攻撃対象を変え、残り7人が取り残されている屋内を目標にしました。

金蔵さんと春樹さんを一撃で殺害した後、巌さんに噛みつきます。野菜置き場に隠れていたタケさんが顔を出してしまい、その瞬間にタケさんに襲い掛かります。タケさんは妊娠していたためお腹の子だけはと懇願しましたが、ヒグマに上半身から食べられてしまうのです。

 

【8】 悲惨な光景

引用: Pixabay

太田家から戻る一同が、下流から聞こえる絶叫に不審に思い足早に戻ると、そこには重症の傷を負ったヤヨと子どもたちが合流しました。そして事件についてを話し、男性は明景家を取り囲みました。

そこでは屋内で肉を咀嚼している音や、タケさんと思われるうめき声、そしてヒグマの鈍い音がしていたといいます。男性たちは銃を構え、家の裏手に回った男性が空砲を2発撃ちこむとヒグマが屋内から外へ出てきました。そこで男性がヒグマを仕留めようとしますが不発弾に終わり、ヒグマはその場を去ります。

明景家の家の中は、悲惨な光景が広がっていました。天井裏まで飛び散った血、先ほどのうめき声をあげていたと思われるタケさんの食い散らされてしまった残骸、そして春義さん、金蔵さんの遺体でした。

タケさんのお腹は引き裂かれていましたが、中にいた胎児は引きずりだされていたものの無事でした。発見当初は動いていたものの、その後死亡が確認されています。

ここで何とか生存していた力蔵さんは、物陰に隠れて難を逃れていたそうです。そしてヒサノさんは失神して倒れており、二人は無事でした。そして遺体を収容して家を後にしようとすると、男児の声が聞こえ、むしろの下に隠されてしまっていた巌さんを発見しました。

しかし、巌さんは左大腿部から臀部は食われて骨だけとなり、肩や胸を噛みつかれて重傷の状態でした。
その後、巌さんは母・タケさんを呼びながら亡くなり、今回の事件を含め7人の命がヒグマによって奪われてしまったのです。

 

ヒグマ討伐隊の戦い【三毛別羆事件】

引用: Pixabay

一連の事件を踏まえ、ヒグマを討伐するために盗伐隊が結成されます
果たして、この事件の収束は見えてくるのでしょうか。

 

【1】 討伐隊が結成される

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12月11日、このヒグマの事件が村だけではなすすべがなく、三毛別地区区長の大川与三吉さんに協力を依頼しました。

そして、ヒグマを討伐するために警察や行政に願い出ることを決定します。
この時、仲介役として出ていた斎藤石五郎さんは自身の妻子の事件についてを知らされ、倒れ伏した状態で絶句していたといいます。

そして12月12日に討伐隊の組織が結成されます。
討伐隊の本部は大川興三吉さんの家に置かれました。そのころ亡くなった方の検死をするために医師が現地に先に入りヒグマのフンを確認すると、そこには人骨や髪の毛、そして人肉が混じっていたことで絶句します。

討伐隊結成をしてすぐに森林に討伐隊を向けましたが、この日はヒグマを見つけることができませんでした。

待ち伏せをして、ヒグマの修正である夕暮れ時に餌を取り戻そうとする習性を利用しようとしました。実際に家に入る寸前までヒグマが現れましたが、警戒をして森の中に戻っていきます。

その後何度も侵入するように試みますが、ヒグマはあらわれませんでした。

 

【2】 翌日も捜索をする

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翌日も討伐隊が増員され森林を捜索します。

ヒグマはそのころ、不在の家を荒らしまわっていたといいます。鶏を食い殺したり、保存食を荒らしたりしていたり、村人の服や寝具を引き裂いたりしていたといいます。発見した時の特徴としては、女性が使用していた枕や湯田んぼ代わりに使用していた石に執着している様子がうかがえたといいます。

その日の夜8時、切り株の影が明らかに1本多く、かすかに動くものがあり大声で声を上げても返答がなかったため、銃を放つと影が姿を消したといいます。
そのことから、討伐隊ヒグマ討伐に手ごたえを感じたといいます

 

【3】 そしてヒグマを仕留める

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討伐隊は、12月14日にヒグマの足跡と血痕を見つけ、ヒグマの捜索と討伐に向かいます。

討伐隊には山本兵吉さん(57歳)という熊打ちがいました。この山本兵吉さんは若いころに包丁一本でヒグマを倒したことがあるという異名の持ち主で、ロシア製のライフルで数多くの獲物をしとめたことがある人物です。

山本兵吉さんが事件についてもっと早く知っていたら、より一層の悲劇を生むことがなかったのではないかと誰もが悔しい思いをしたといいます。

そして討伐隊は山本兵吉さんと別れ、山本兵吉さんは単独で捜索します。そのころ、ヒグマは山頂付近で体を休めていました。ヒグマは討伐隊を意識している一方、山本兵吉さんの存在に気づかない様子だったといいます。

そして、山本兵吉さんが音を立てずにヒグマに地下好き、銃を打ち込みました。素早く2発目も打ち込みます。山本兵吉さんと別れていた討伐隊が銃声に気づき駆けつけると、そこにはヒグマの死骸があったといいます。

 

【4】 討伐後

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ヒグマの死骸は複数の大人の手によって下山していきました。討伐隊の隊員たちは、今回の事件の悔しさや無念の怒りがお和えきれず、ヒグマの死骸を棒で殴ったりけり上げたりしていたといいます。

そして、討伐隊の人数は12日から14日の3日間の間で累計600名前後と言われています。
また、ヒグマの死骸を引きずっている最中に雲行きが怪しくなり、ヒグマを撃つと天候が悪くなることを、この事件から「熊風」と呼んでいたそうです。

そしてヒグマの解剖が始まりました。

解剖が始まる前、アイヌの夫婦が「数日前に雨竜(アイヌの夫婦が住んでいる地域)で女を食害した熊」だと証言し、腹から赤い肌着の切れ端が出るといいました。そして別のマタギは「旭川で女性を食べたクマであれば」と、腹から肉食の脚絆が見つかるといいます。

そして山本兵吉が以前三人のマタギに追われていた熊であれば天塩で飯場の女性を食い殺した熊ではないかというのです。

そして解剖されると、胃の中から赤い布・肉食の脚絆・阿部マユさんが着用していたと思われるブドウ色の脚絆が見つかったといいます。

その後、ヒグマの肉を犠牲者の弔いのために食します。そして肝などを販売し、売れたお金は被害者に送られたといいます。

 

三毛別羆事件の生き残りの証言まとめ

引用: Pixabay

そして、今回の事件でいきのこっている人たちがどうなってしまったのかをご紹介していきます

子どもたちを連れ脱出できたヤヨさんは順調に回復の兆しを見せたそうです。しかし、背中に背負っていた梅吉さんは後遺症を抱え、苦しながら2年8か月たつ頃に亡くなったといいます。

そして、一緒に脱出することができた勇次郎さんは、事件から27年たったころに太平洋戦争で徴兵され、そこで戦死されたそうです。

襲われた要吉さんも回復しましたが、川に転落する事故が起きてしまい、死亡されています。この事件はヒグマとは関係がないものと思われ、不運な事故であったと推定されるそうです。

事件が起きた開拓地である村は、ヒグマの事件が解決してからも事件の恐怖を残し、早々に村を去るものが後を絶ちませんでした。事件が起きた冬も、荒らされた家の中を修復するなどして何とか冬を越したものの、その後事件の爪痕は大きく春先でも村人たちの活力は元に戻ることはありませんでした。

家族を亡くしてしまった太田三郎さんは自分自身の家を焼き払い羽幌へ戻ったといいます。そしてその先で早くにして亡くなったと聞きます。その後も村を去るものは後を絶ちませんでした。

今回討伐隊を結成するために尽力した大川与三吉さんの息子にあたる大川春義さんはヒグマ撃ちとなったそうです。ヒグマの犠牲者一人につきヒグマを10頭仕留めるという誓いを立て、102頭の盗伐をしたところで引退したといいます。

その後春義さんの息子さんである高義さんも量子となり、親子ともに数々の功績を挙げています。

 

三毛別羆事件の復元地がある!

 

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https://www.jalan.net/kankou/spt_01483aj2200023178/

三毛別羆事件は獣害史上最も最悪な事件ということもあり、事件が起きた場所に復元された場所が現在も存在しています。

現在は、苫前町字三渓にあり、開設時間等は得に決まりはないといいます。
ですが、インターネットなどで調べてみると、現在も復元された現地の場所ではヒグマの出現情報が挙がっているとのことで、決して安全ではないことがわかります。

注意書き等がされており、夜間の観覧は危険であること、そしてヒグマが出没する危険があるため注意すること、それに対する対策を講じることなどが明記されています。

注意書きを見るだけで、非常に近寄りがたく、とても行きたくない場所です。

そして、来場者へのお願いとして、復元住居内に「来訪者受付簿」が設置されているといいます。そこに記帳するようお願い書きがされています。

つまり、これは危険な状況になった際に個人が特定できるようにということでしょうか。危険ではなく恐怖を覚えてしまいます。

 

恐るべき三毛別羆事件

 

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この非常に恐ろしい結末となった三毛別羆事件ですが、事件が発生してから数十年と経つ事件にも関わらず、テレビなどのメディアでは多くの情報が報道され、特集が組まれています。

 

【1】 NHK「ダークサイドミステリー」

引用: Pixabay

2019年というと、今年になりますが、NHKの「BSプレミアム」の「ダークサイドミステリー」で「三毛別羆襲撃事件の謎に迫る」というタイトルで放送されました

テレビでは、事件の内容にそぐわない街の景観に驚きますが、街中では至るところに開拓者の家を襲うヒグマのポスターが張られているなど、三毛別羆事件の真相を物語る様子が描かれています。

テレビでは、一連の三毛別羆事件についての紹介から、これらの事件がなぜ起きたのかについての真相をたどっていました。この事件から人の集落が一つヒグマによって消されてしまったことで、野生に対する認識の甘さを再認識しています。

そして、ヒグマと人間が共生していくことは難しいこと、そもそも野生と共存するためには動物の生態を知った上での正しい知識を得て世間に普及していく以外に方法はないこと、これらを踏まえて事件の発生した原因が人間にあることが結論付けされました。

このテレビでは、実際に現在も仕事をされているハンターの方々の生の声を聴くことができます。ハンターの意見としては、野生動物の掟を破り、よそ者である人間が掟破りをすることでこうした事件が起こる可能性があることが原因ともいいます。

そのことから、人間である立場として、消費者であるハンターの方々は狩猟に対しての価値観や考え方は人それぞれあっても実際にクマの生態系等の情報をはっきり答えられない時点で無責任であり、そのことから狩猟する行為を理解して見守っていただきたいという希望を添えています。

クマという生態が人間にとってどれほど恐ろしいものか、そしてクマが人間を食肉として対象を持つことも懸念するという恐怖や危険を踏まえ、これからの自然についてを事件をモデルとして語っています。

 

【2】「奇跡体験!アンビリーバボー」で放送される

そして皆さんがよく目にするミステリー事件を紹介しているテレビが「奇跡体験!アンビリーバボー!」だとおもいます。こちらのテレビでも、2011年8月に三毛別羆事件が放送されています。

このテレビで話題になったのが、三毛別羆事件で仕留めたヒグマの写真です。

この写真は横に立っている人と比べあまりにも大きすぎるヒグマであったことから虚偽の写真ではないかと噂になっていましたが、テレビで紹介された以上本物ではないかという話になり、この事件の恐怖を震撼させることとなりました。

大きさは体調2.7メートル、たいじゅうは340キログラムのヒグマを捕らえたときの写真と思われますが、人と比較してもかなりの大きさで、後にヒグマを解剖して胃袋の中から様々な人の残骸が発見されたという情報が、この大きさから何となくわかってくるほどの恐怖を覚えます

 

【3】驚くべきは、現在もヒグマの事故が起き続けている

引用: Pixabay

これだけ各メディアで再現VTRとして紹介されている事件。「こんな悲惨な事故があっても過去だから今はないよね」という考えを持つ方も多いでしょうか、現在もヒグマに関係する事件は後を絶ちません。

この三毛別羆事件が起きて以降も、事件を起こしたヒグマ以上のサイズのヒグマが発見察れています。体重が400~520キログラムのものまで。とても人一人が太刀打ちできる生態ではないことがよくわかります。

そして、近年では北海道札幌市内などで発見されるという情報も上がってきています。その理由は様々ですが、一説では2000年前後あたりかヒグマを駆除する規模が小さくなったかからと地元住人は証言します。

そして、人里を降りてくるという理由は、ヒグマの生息地である森林が伐採され、生態の住処のエリアが減少し、食料も減少することで豊富な人里を降りて食べ物を探すという行動を起こすのではないかという説が浮上しています。そのため、人里にヒグマが現れやすくなってしまい、人々も安心して生活することが困難になっています。

そんな中、三毛別羆事件の詳細を語ってきた、当時林務官として勤めていた木村盛武さんが当時の事件の様子や、現在の様子への不満についてを語っています。

事件の詳細を鮮明に記録することは「天命」であるといい、犠牲者となった方の遺族に詳細を聞くことはつらく悲しいことであると証言しています。

その上で、現在のヒグマの生態状況について危惧しています。その理由は、ヒグマの駆除を禁止して以降、ヒグマの生態が増加傾向にあり、それに伴って農業被害や人間との軋轢が増加しているということです。

もちろん、駆除をして対策を練ることや、森林生産能力の低下をさせることによってヒグマを現象することも可能ですが、過剰な対策から過去にニホンオオカミを絶滅させてしまった悪しき過去をぶり返してはいけないことも懸念されています。

その上で、自然の摂理を反してはいけないことや、「生き物は神様」であるというアイヌ民族のカムイ信仰からなる言葉を用いて、無駄な殺生をしてはいけないことを話しています。

この三毛別羆事件から、人間の生活とヒグマの生活が事件からわかるように様々な原因から生まれてしまった事件であることがわかります。

その上で、二度とこういった悲惨な事件を起こさないように、人間である私たちがどのようにしてヒグマと向き合い、事件と向きあうかが今後獣害を起こさないための大切なことになるのではないかと考えられます。

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