コミンテルンとは?意味をわかりやすく解説!スパイ?朝日新聞と関係は?

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コミンテルンとは?

引用: Pixabay

「コミンテルン」という言葉をご存知でしょうか。

コミンテルンとは、わかりやすく言えば”共産主義の国際的な組織”です。「第3インターナショナル」とも呼ばれます。ロシアの共産党を中心に、世界の共産党を統べる組織として設立されました。

ロシアだけでなく、中国やヨーロッパ諸国への影響が強かったことでも知られています。また、日本共産党はコミンテルンとは深い関係にあり、コミンテルン日本支部と呼ばれているほどです。

今回の記事では、コミンテルンという言葉の意味、由来、時代背景をわかりやすく解説しています。また、コミンテルンのスパイ思想についてや、コミンテルンと朝日新聞の関係についても調査しました。

 

コミンテルンの意味をわかりやすく解説!

引用: Pixabay

まずはじめに、コミンテルンとは何か?ということと、コミンテルンの意味についてわかりやすく解説します。

また、中国・日本共産党をはじめとしたコミンテルンの加盟国・加盟国への指導体制などもご紹介します。

 

コミンテルンとは?


引用: Pixabay

まず知りたいのが、「コミンテルンとは何か?」「コミンテルンとはどういう意味か?」です。ここでは、コミンテルンとは何かをわかりやすく解説します。

コミンテルンとは、“ロシア共産党を中心に作られた国際的な組織”という意味です。わかりやすく言えば、共産主義をロシアだけでなく他国にも広めるために作られたグループと言えます。コミンテルンでは、ロシアの共産党が、各国の共産党を直接指導する体制をとっていました。

コミンテルンの活動地域はヨーロッパ諸国、特にドイツが有名ですが、中国や日本共産党などももちろんコミンテルンの指導の下にありました。

コミンテルンの正式名称は『共産主義インターナショナル(Коммунистический Интернационал)』です。英語ではCommunist Internationalで、日本語では『第三インターナショナル』とも呼ばれています。

 

コミンテルンの目的は?


引用: Pixabay

コミンテルンという言葉の意味とは、わかりやすく言えば”共産主義を推し進める国際的な組織”であることを解説しました。では、コミンテルンを組織した具体的な目的とは、どのようなものなのでしょうか。

コミンテルンの目的をわかりやすく言うと、加盟国の共産革命運動を支持することで、世界中に共産主義を広める(世界革命を起こす)ことでした。このように、当初は”加盟国それぞれが共産主義の社会を目指していく”という目的がありました。

しかし指導者・レーニンが死んだ後、新指導者となったスターリンは「一国社会主義論」を打ち出します。一国社会主義論とは、わかりやすく言うと”世界で革命を起こさなくても、ロシア一国だけで社会主義が可能”という考え方です。

一国社会主義論によってコミンテルンの方向性が変わったため、コミンテルンはロシア(ソ連)の外交政策を擁護する活動が中心となりました。わかりやすく言うと、コミンテルンは”ソ連という社会主義国だけを支援する支援機関”になってしまいました。

ソ連を有利な位置づけにするための活動が中心になってしまったので、ソ連から各国にスパイが投入されたのではないか?というスパイ疑惑が持ち上がるほどで、現在もこの「スパイ説」はまことしやかに伝えられています。

 

コミンテルンの加盟国は?

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引用: Pixabay

コミンテルンとは、わかりやすく言えば”1918年に「ロシア共産党」に改名したボリシェヴィキ”であることをご紹介しました。また、コミンテルンの目的は、加盟国各国の革命を指導することにありました。

そのため、加盟国はロシアだけに留まりません。コミンテルンに参加していた加盟国は、どのような国があるのでしょうか。

コミンテルンの加盟国として有名なのが、「ヨーロッパ諸国」です。加盟国のヨーロッパ諸国は、コミンテルンの活動の中心地になっていました。次に挙げられる加盟国が「植民地の地域」です。これは、ヨーロッパ諸国の植民地でも積極的に活動していたということで、アフリカも加盟国となっています。

「ラテンアメリカ」も加盟国だったほか、「西欧諸国」もコミンテルンの加盟国となっている地域がありました。「アジア」地域にももちろんコミンテルン加盟国があり、中国や日本などが代表的な加盟国です。

このように、地球の各地にコミンテルン加盟国がありますので、実質ほぼすべての地域をカバーしているようにも見えますね。

コミンテルンでは中央集権体制をとっていたので、1921年まではレーニンが、以降はスターリンが、直接的に加盟国の共産党を指導していました。

 

コミンテルンの由来をわかりやすく解説!

引用: Pixabay

ここまで、コミンテルンの意味や加盟国についてわかりやすくご紹介しました。

コミンテルンは突然発生したものではなく、1864年にイギリスで結成された労働者組織「第一インターナショナル(国際労働者協会)」、1889年にパリで結成された組織「第二インターナショナル」に由来しています。

ここでは、コミンテルンの由来についてわかりやすく解説していきます。

 

第一インターナショナル

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コミンテルンの由来となった最初の団体は、「第一インターナショナル(国際労働者協会)」です。1864年にロンドン及びヨーロッパの労働者、特に社会主義者によって作られた組織でした。ドイツの共産主義思想家・マルクスが創立宣言を起草しています。

第一インターナショナルをわかりやすく言えば、”労働組合の国際的な連帯のための組織”です。また、第一インターナショナルが設立された意味は”労働者の開放”で、ストライキなどを起こした際の資金援助を相互的に行えるようにしたものです。

第一インターナショナルは国を超えて活動した、はじめての国際組織と言えます。ロンドン(イギリス)、ジュネーブ、ローザンヌ(スイス)、など、各地で集会を開催し、国家の枠組みを超えて社会主義を提唱しました。

また、世界初の革命と言われているパリコミューンを支持したことでも知られています。

1872年以降は、権力を否定しつつ権力者として第一インターナショナルを統べたマルクス(マルクス・エンゲルス派)と、マルクス派の権力を否定して「無政府主義(アナーキズム)」を提唱したプルードン・バクーニン派の2つで対立があり、内部分裂してしまいました。

ニューヨークに本部を移して統一を図りましたが上手く行かず、1876年に解散しています。

 

第二インターナショナル

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引用: Pixabay

解散した第一インターナショナルですが、社会主義者や労働者は組織を必要としていました。

そこで1889年に発足されたのが「第二インターナショナル(国際社会主義者大会)」です。パリに集まった20ヶ国・400人ものマルクス主義者によって設立されました。

第二インターナショナルが設立された意味をわかりやすく言うと”社会主義政党を中心にした、国際連帯のための組織”です。

第二インターナショナルでは、

・フランスの社会主義者を統一する

・”8時間労働制”の推進

・常備軍を批判し、民兵制を推進する

・社会主義者への普通選挙権を認めさせ、議会へ参加させる

・メーデー(労働者の日)を休日にする

・労働法の整備

・国際的な組合運動の組織化

という主張を推し進めていました。

第二インターナショナルは、ドイツ社会民主党を中心に活動していました。また、欧米・アジア各国の社会主義の党派の連合組織でもありました。

国際的な組織ゆえに、第一次世界大戦が始まると「戦争支持派」「平和派」「革命派」などに分裂してしまいました。同じ志を持っていても、国が違えば考えも違ってくるということでしょうか。

大戦開始による分裂はすなわち”戦争の肯定”ということでもあります。そのような状態に意義を唱えるべく、社会主義・反戦主義者によってスイスで開催されたのが「ツィンマーヴァルト会議」でした。

ツィンマ―ヴァルト会議に集まった者たちの中でも、特に左派が主張したキーワードが「革命的祖国敗北主義」です。これは、”反戦活動によって国力を弱体化させ、革命を起こし政権を転覆させる”という主張です。この極左主張の中心に居たのが、後のコミンテルン指導者になるウラジーミル・レーニンでした。

第二インターナショナルは1914年に消滅しています。

 

コミンテルン

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第一インターナショナル、第二インターナショナルを経て、1919年に創立されたのが「コミンテルン(第三インターナショナル、国際共産党)」です。

コミンテルンの特徴は”共産主義”を推進する団体であることです。ツィンマ―ヴァルト会議の参加者の中でも、極左の思想「革命的祖国敗北主義」の考えを持っていたウラジーミル・レーニンたちによって設立されました。

なお、ツィンマ―ヴァルト会議の参加者のうち、穏便な思想を持った者は「労働社会主義インターナショナル」を創立しました。労働社会主義インターナショナルの特徴は”社会主義”を推進していることです。

コミンテルンをわかりやすく言えば、”ソ連の共産党を中心にした世界的な共産党組織”となります。

 

コミンテルンが生まれた時代背景

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コミンテルンのような共産主義が生まれた時代背景に、資本主義の台頭があります。

イギリスの産業革命を通じて、一部の資本家たちは巨万の富を得ました。しかしそれは、未成年の子どもや女性にまで重労働を課して得た富でした。

そんな中で生まれたのが「社会主義」です。社会主義の考えは、資本主義の一方的な搾取に反対する意味がありました。最初の社会主義はイギリスの資本家・オーウェンによって提唱されました。

オーウェンの他にも、フランスでサン・シモン、フーリエ、ルイ・ブラン、プルードンらが社会主義の考えを表明していきましたが、意味や定義があいまいなものでした。

「社会主義」の意味・定義を体系的にまとめたのが、ドイツのマルクスとエンゲルスです。マルクスとエンゲルスが1848年に発表した「共産党宣言」以降、社会主義運動が活発化していきました。

マルクス率いる団体「第一インターナショナル」などを経て生まれたのが、コミンテルンです。

 

コミンテルンはスパイ思想?

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コミンテルンについて調べていると、コミンテルンによるスパイ説や、スパイ思想という単語を見かけます。スパイ思想とはどういう意味なのでしょうか。

 

コミンテルンの裏の目的

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ロシア共産党を主軸とする団体・コミンテルンですが、国際的な組織とあって、世界中に共産主義を根付かせようという構想を持っていました。

コミンテルンの目的が書かれた文章中には、共産主義化させたい国として「日本」「ドイツ」「ポーランド」などを選定していることが明文化されています。

つまり、”日本、ドイツ、ポーランドにスパイを送り込んで内部から破壊させる”というのが、コミンテルンの目的の一つでもあったのです。

 

中国を重用(利用)する

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コミンテルンには「日本を共産主義化させる」という目的を持っていたことをご紹介しました。

その上で、日本を中心とする共産主義化のために「コミンテルンは中国を重用する」という施策をとっていることも文章中に書かれています。

中国ではマルクス主義が受容され、1921年に中国共産党が設立されました。中国共産党もまた、コミンテルンの指導のもとで作られた団体です。そして中国共産党といえば、世界最大の共産党でもあります。

コミンテルンが世界最大の共産党・中国共産党を利用し、日本を共産化するというのは、具体的にはどのような意味だったのでしょうか?それは、中国共産党にスパイ活動をさせる・工作活動を行なわせるという方法でした。

日本政府は、日本共産党への監視は熱心でした。しかし、中国から仕掛けられたスパイ活動には目が行き届かなかったとされています。そのため、中国共産党員たちは、日本共産党と連携しながら、日本の大学や軍部などに工作を仕掛けていた・スパイを送り込んでいたとされています。

 

スパイを送り込んでいた?

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中国を利用した活動の他にも、コミンテルンから直接派遣されたスパイも活動を行なっていました。最も有名なのが「ゾルゲ事件」のリヒャルト・ゾルゲによるスパイ活動です。

コミンテルンのスパイ活動に従事していたゾルゲは、ナチス党員かつドイツの新聞記者を装って来日し、駐日ドイツ大使館などでスパイ活動を行なっていました。

この時スパイ活動をしていたのは、ゾルゲだけではありません。近衛文麿内閣のブレーンの一人であり、満州鉄道の嘱託だった朝日新聞記者「尾崎秀実」という日本人もその一員でした。これについては詳しく後述します。

 

日本共産党の役割

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上記で、コミンテルンの目的の一つが”日本にスパイを送り込んで内部崩壊させる”、”日本を共産化させる”というものがあることをご紹介しました。実際には、どのような活動が行なわれているのでしょうか。

日本で共産主義思想を持つ団体と言えば「日本共産党」です。日本共産党は代表的な政党の一つであり、とても有名ですよね。一般的なイメージとしては、反戦や平和主義、平等主義、弱者救済などが挙げられると思います。

しかし日本共産党とはもともと、コミンテルンの日本支部として誕生した組織であることをご存知でしょうか。日本共産党とは、コミンテルンの第4回大会で正式に”コミンテルンの日本支部”として承認された団体なのです。

戦争に反対するという立場も、決して平和主義の意味で主張しているのではありません。他国の共産党の指示に従うことで、日本の国家転覆を狙っていただけに過ぎないのです。

このような理由から、日本共産党はコミンテルンのスパイ組織とも言えるのです。

日本共産党は、コミンテルンから大金の資金援助を受け、コミンテルンの指示を受けながら活動していた団体です。指示は絶対であり、革命のためなら何でもやるという方向性です。

日本共産党がコミンテルンに指示された事柄として、特に有名なのが「32年テーゼ」と呼ばれるものです。32年テーゼの内容をわかりやすく言うと、

・天皇制を転覆させる

・武装で警察を倒す

・共産党の軍を作る

・国家権力を奪い取る

という内容でした。つまり日本共産党は、革命(クーデター)を支持されていた危険なスパイ団体だということになります。

これを受け、日本共産党の党員を取り締まるために「治安維持法」が制定されたとされています。治安維持法は”宗教団体・市民運動を取り締まる”という名目でしたが、当初の目的は日本共産党の党員によるクーデターを防ぐために作られたものです。

その他に、日本共産党は日本初の銀行強盗事件「赤色ギャング事件」(1932年)も起こしています。革命のための資金集めという名目で、コミンテルンの指示の下、犯行に及んだのではないかと言われています。

日本共産党がコミンテルンの指示によって動いていたことを証明する事柄に、日本共産党の党員がコミンテルンから金銭を授受していた事件もありました。受け渡されたのは6500円で、現在の貨幣価値にするとおよそ1300万円となります。

日本共産党がスパイ組織として国家転覆を指示されていた事を証明するには、十分な資金額ではないでしょうか。

 

コミンテルンと朝日新聞の関係は?

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コミンテルンのスパイ活動を語る上で切り離せないのが、朝日新聞との関係です。正確には、朝日新聞に記者として所属していた「尾崎秀実(おざきほつみ)」との関係です。

朝日新聞の記者・尾崎秀実は、1901年に東京都港区に生まれました。新聞記者の父親のもとに生まれた尾崎秀実は、東京帝国大学に進学するとマルクス主義に染まり、大学院に進学すると完璧な共産主義者になりました。

1926年に朝日新聞に入社しました。朝日新聞に入社したこのとき、尾崎秀実は共産主義者であることを隠していました。

1927年から朝日新聞の上海局に転勤となりました。英語・ドイツ語が堪能な尾崎秀実は、朝日新聞の上海局では外交に関する分野を受け持つようになります。このとき上海の書店に通い、中国共産党員や左翼作家と知り合ったと言われています。

朝日新聞記者・尾崎秀実は、1928年になると、コミンテルンと直接関わるようになり、スパイ活動を開始します。その後ゾルゲと出会い、コミンテルンの一員として活動することになりました。

1932年に朝日新聞本社から帰国命令を受けて日本に戻ると、尾崎は朝日新聞外報部に配属されました。ゾルゲから”朝日新聞記者という立場を利用してスパイ活動をしてほしい”と依頼されて承諾したのはこの頃だと言われています。

1934年には東京朝日新聞に配置換えとなりました。尾崎秀実が執筆した朝日新聞の記事では、日中の緊張関係に対し、日中戦争拡大方針を主張するなど、煽るような記事が見受けられます。

1941年、尾崎秀実はゾルゲ事件の犯人の一人として逮捕されました。そして、1944年に国防保安法違反などの罪で、ゾルゲと共に絞首刑となりました。

以上のように、尾崎秀実は朝日新聞の記者という立場を利用して、スパイ活動を行なっていた人物です。

 

コミンテルンまとめ

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今回の記事では、ロシア共産党率いる「コミンテルン」とは何か、コミンテルンという団体の意味、どのような活動をしているのか等、わかりやすく解説しました。いかがだったでしょうか。

日本に住んでいると、社会主義・共産主義の思想にあまり馴染みがないかと思います。しかし、日本共産党がコミンテルンの日本支部として誕生した団体であることや、朝日新聞記者・尾崎秀実がスパイ活動を行なっていた事件を知ると、日本の中にも社会主義者が多く存在することを認識させられます。

日本は”スパイ天国”と揶揄されることがあります。これは、スパイ的な活動を規制する法律が未だに存在しないためです。

現在コミンテルンは消滅したと言われています。しかしコミンテルンのような他国の組織から、日本へとスパイが送り込まれている可能性や、世論を捜査されている可能性はあるかもしれませんね。

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