引用: Pixabay
みなさんは、岡村靖幸さんという存在をご存知でしょうか?30年以上前から現在まで長きに渡って、芸能界で活躍されています。岡村靖幸さんは、知れば知るほど話題につきない存在です。
そんな、現在も大変興味をそそられる岡村靖幸さんについて、その経歴や現在までの活動内容などをご紹介していきます。
岡村靖幸さんは、1980年代後半頃から現在まで活躍されているシンガーソングライターです。1980年代といえば、テクノミュージックが知名度を上げ、現在でも人気を誇る松田聖子らのアイドルブーム、そしてバンドブームと、様々な音楽が溢れていた時代でした。
矢沢永吉、サザン、ボウイ、RCサクセションなど、現在でも人気の名だたるアーティストが、数々の名曲を世に送り出し、活躍していた時代だったのです。
ちなみに、海外でいえば、現在は亡きマイケルジャクソンやプリンスなどが代表的です。この時代を彩ったミュージシャンはとてもバラエティに富んでおり、現在でもファンの心を掴んで離さない有名人が多数おられます。
そして、1980年代後半といえばバブルです。現在復活を遂げたマハラジャが代表的ですが、ディスコで女性はボディコン、男性は高級スーツに身を包み、毎夜踊り狂っていたのです。現在で言うところのクラバーのようなものです。
引用: Pixabay
そんな1980年代後半に異彩を放ち、現在まで天才と呼ばれ続けているシンガーソングライターが、岡村靖幸さんなのです。
様々な音楽や文化が入り乱れた1980年代でしたが、まだまだ現在のようにインターネットで探せば何でもわかるような、情報社会ではありませんでした。携帯電話がティッシュの箱くらいの大きさだったのですから、現在とは様子が違います。
そんな時代に、誰よりも新しく、誰も思いつかない、誰にもマネできないような表現で、現在まで音楽活動をされていたのが、岡村靖幸さんだったのです。
異彩を放ってはおられましたが、その才能によって現在までの音楽活動での経歴はとてもしっかり確立されており、その場限りの流行ものではなかったのです。では、そんな岡村靖幸さんの幼少期から現在までの経歴を順を追ってご紹介していきます。
岡村靖幸の幼少期
引用: PAKUTASO
岡村靖幸さんは1965年8月14日に神戸市にて生まれています。なかなかのお坊ちゃまだったようで、両親のことを「お父ちゃま」「お母ちゃま」と呼んでいたそうです。現在ではなかなか聞かない呼び方です。
父親はエールフランスに勤務しており転勤が多かった為、住居は転々としており、兵庫の夙川、福岡、新潟、東京、ロンドンと、様々な地域に頻繁に引っ越したようです。現在活躍中のタレントさんにも帰国子女は多いですが、岡村靖幸さんもそうだったのです。
ロンドンには4歳から6歳まで住んでいたようで、ロンドンでは小学校に1年通い、日本に帰国後に幼稚園に入園しなおしたのだそうです。ロンドンでの生活が、現在の岡村靖幸さんの音楽性に多少なりとも影響しているかもしれません。
岡村靖幸の学生時代
引用: photoAC
岡村靖幸さんの学生時代は、父親の転勤で頻繁に引っ越しており、小中学校時代に7回も転校しているそうです。最短では1ヵ月程度で転校したそうですので、おそらく寂しい思いを何度かしたのかもしれません。
小学校3年生の頃に現在の楽曲にも影響を与えることとなる、洋楽を聴き始めたそうで、特に両親からの影響などではなく、自分から好んで聞いたのだそうです。
岡村靖幸さんは学生時代、ポップス、ロック、フォーク、歌謡曲と様々な名曲を聴いていたそうで、その名曲を聴きながらライナーノーツや歌詞カードを熟読するのが大好きだったそうです。
現在では放映されていませんが、「ベストテン」「夜のヒットスタジオ」などのテレビの歌番組を好んで見ていたそうで、中学生時代にフォークバンドを結成し、文化祭でライブをしたそうです。
これが岡村靖幸さんにとって始めてのライブ経験だそうで、この時に演奏したのは、岡村靖幸さんご本人が作曲した曲なのだそうです。
岡村靖幸さんご本人は「思い出したくもない」と言っておられるように、現在のご本人にとっては名曲とはいえない曲だったそうですが、なかなか評判が良かったそうで、この経験が現在の岡村靖幸さんの活動のきっかけとなっているようです。
岡村靖幸さんは高校生になると新潟県立新潟東高等学校に通い、バスケットボール部に所属していたそうです。大変厳しい部活だったそうで、バスケットボールづけの日々だったようです。
この頃の甘酸っぱい思春期の経験や想い出が、岡村靖幸さんの現在に至るまでの楽曲制作にも影響していたようです。岡村靖幸さんの名曲の中には、このバスケットボールを歌詞に盛り込んだものがあります。
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そして、岡村靖幸さんが本格的に音楽活動を始めたのは高校3年生で、新潟市内で一人暮らしをしていたそうで、その頃に機材を買い込み、オリジナルの楽曲を制作していたそうです。これが現在の岡村靖幸さんの原点となります。
この頃に好きだったのは現在でも大変人気のあるビートルズ、ポールマッカートニーや、スティービーワンダーで、彼らのような名曲を作りたいと楽曲制作に没頭されていたようです。
岡村靖幸さんは、この高校生時代に、新潟市内のナイトクラブのハコバンで、ベーシストとしてのアルバイトもしていたようですが、高校自体は中退してしまっています。
高校生でナイトクラブでのアルバイトができるのも、現在ではなかなか想像し難いですが、当時はそういう時代だったのです。
22歳までに、現実的ではない事から挑戦していきたいとの思いから、まずは音楽の道に進むという道を選んだそうですので、なかなか独特な考え方なところが現在の岡村靖幸さんに、通じているようです。
実る可能性が低いと考えていた音楽家への道ですが、デモテープをレコード会社に送ったりした活動が実を結び、岡村靖幸さんは若干19歳で作曲家デビューされ、現在に至るまで名曲を世に送り出していく事となるのです。
現在に至るまで名曲を多数作られている岡村靖幸さんには、そもそも作曲家としての才能があったのでしょう。高校2年生の頃には、岡村靖幸さん自身の感覚的に、自分の作る音楽には特別なものを感じていたそうです。
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引用: Pixabay
岡村靖幸さんは、自身がシンガーとしてデビューするまでの作曲家デビュー以降、渡辺美里さん、吉川晃司さん、鈴木雅之さんら大物シンガーに数々の名曲を提供されています。
渡辺美里さんへの楽曲提供は、「GROWIN’UP」、「虹をみたかい」、「BIG WAVEやってきた」などの名曲や、現在でもカラオケで人気の楽曲が多数あります。「GROWIN’UP」では、岡村靖幸さんがコーラスも担当されています。
現在ご自身でもシンガーとして活躍されている岡村靖幸さんのデビューのきっかけは、渡辺美里さんのレコーディングの空き時間に踊っていたダンスがプロデューサーの目にとまった、というのはとても有名な話です。
ここからが、現在の岡村靖幸さんのシンガーとしての活動の始まりとなったのです。岡村靖幸さんのダンスはとても個性的で独特ですので、プロデューサーが輝いて見えたと言って、デビューを持ちかけたのも当然なのでしょう。
現在大人気のデュオ、ドリカムの吉田美和さんも好きなアーティストの一人として岡村靖幸さんを挙げているそうです。
この岡村靖幸さんのダンスパフォーマンスについては、デビュー後も賛否両論あったようです。独特なくねくねしたダンスや、服をはだけさせてのパフォーマンスが気持ち悪いとの悪評もあったようなのです。
確かに現在見返してみても、大変独特で強烈な個性のあるパフォーマンスですので、当時そのように受け取られるのも当然かもしれません。
しかし、岡村靖幸さんのこの独特さに加えて圧倒的な詩の独自性と曲のクオリティの高さで、気持ち悪いと感じつつも見てしまう、見ているうちにどんどん好きになってしまうという中毒性があったのです。
個性的でありながら、名曲が多い事もあり、次第に熱狂的なファンになってしまう現象が巻き起こったのです。現在でもファンになる方にはその傾向があり、俗に言う病み付きになるという現象です。
そのようにプロデューサーに見初められ、自身がスーパースターへと駆け上がった岡村靖幸さんですが、シンガーとしてデビューをされた岡村靖幸さんの、デビュー以降の音楽活動は、現在に至るまで大変幅広いものです。
まずは順を追って、岡村靖幸さんがデビューして以降1990年頃までをご紹介いたします。
デビュー曲は1986年の「OUT OF BLUE」という楽曲で、日本武道館で行われたテレビ局主催のロックフェスティバルでのライブがデビューライブとなります。
その後に現在でも岡村靖幸さんの楽曲の中で大変人気のある名曲を、次々に生み出し5枚のアルバムを発売されています。
この頃の岡村靖幸さんは現在に比べると、自身の歌う楽曲を中心に積極的に制作、発表、ライブ活動を盛んに行われていた時期です。
1990年には、シンガーソングライターの活動にとどまらず、岡村靖幸さん主演の映画が作られています。この時代、チェッカーズや吉川晃司さんなど人気歌手が主演の映画が製作されています。
現在でいうと星野源さんも、ミュージシャンでありながら主演を務めるなど人気がありますが、岡村靖幸さんも人気アーティストであったことを物語っています。
岡村靖幸さんの名曲は多数あるのですが、このデビューしてからシンガーとしての活動を積極的にされていた頃の、代表的で知名度の高い名曲をいくつかご紹介します。現在でも大変新鮮に感じる名曲揃いです。
【1987年】
岡村靖幸さんの3枚目のシングル、「Young oh!oh!」は広島でのコンサートで、親友でもあった尾崎豊さんと共演、熱唱された名曲です。尾崎豊さんも現在でも大変人気のある、カリスマ的アーティストですので、コンサートは盛り上がったでしょう。
【1988年】
岡村靖幸さんの5枚目のシングル「イケナイコトカイ」は、そのクオリティの高さから音楽ファンの支持を得ました。岡村靖幸さんのバラードの名曲として、現在でも高く評価されています。
岡村靖幸さん6枚目のシングル「SUPER GIRL」は、現在でも人気のアニメ「シティハンター2」のエンディングテーマとして起用されています。
岡村靖幸さん7枚目のシングル「聖書」では、その歌詞の内容から世間に衝撃を巻き起こし、その独特なくねくねしたダンスを含め、岡村靖幸さんの存在を世間に認知されたともいえる名曲となっています。現在でも岡村靖幸さんといえば、この曲を挙げる方多い楽曲です。
岡村靖幸さん8枚目のシングル「だいすき」は、かわいい詩にキャッチーなメロディで、車のCMにも起用され、岡村靖幸さん最大のヒットソングとなった名曲です。現在でも特に女性ファンの中で、この曲が一番好きだと言われる方が多い名曲です。
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【1990年】
岡村靖幸さん13枚目のシングル「あの娘ぼくがロングシュートきめたらどんな顔するだろう」は、非常にピュアで繊細な思春期の感情と情景が表現されている名曲です。歌詞のタイトルが長いことでも有名で、現在の文章型タイトルブームの先駆け的名曲です。
岡村靖幸さんのオリジナルアルバムの最高傑作とも言われる「家庭教師」も1990年に発表されています。現在でも衝撃的な作品となっており必聴の名曲揃いな作品です。
全体的には、ファンキーなギターやピアノ、現在では主流の打ち込みでのサウンドでまとめられていますが、その内容は、現在でもなかなかないような異色の作品となっています。
特にアルバムタイトルにもなっている「家庭教師」という曲は、岡村靖幸さんの一人語りと喘ぎ声が特徴的な異色の名曲です。現在でも、聴くと大変斬新な印象を受ける作品なのです。では、その他のアルバム「家庭教師」の収録曲をご紹介します。
「どおなっちゃってんだよ」「カルアミルク」「(E)na」「家庭教師」「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」「祈りの季節」「ビスケットLOVE」「ステップ UP」「ペンション」 の9曲となっており、それぞれ名曲ばかりです。
「カルアミルク」は現在の国民的スターであるミスチルの桜井和寿さんや、クラムボンにもカバーされた名曲です。
また、全曲に対しての独特なタイトルの付け方にも、岡村靖幸さんの天才的で独特な個性を垣間見ることができます。現在改めてそのタイトルを見ても、全く古さは感じられません。
この「家庭教師」のアルバムは、音楽界をまさに震撼させ、岡村靖幸さんを現在に至るまでの唯一無二の天才だと知らしめる作品となっているのです。
1991年以降は、現在でも積極的にされているような、他のアーティストへの楽曲提供やプロデュースを、メインに活動されています。ここからは1991年から2002年頃までの岡村靖幸さんの活動をご紹介いたします。
この間、岡村靖幸さんのオリジナルアルバムは1枚しか発表されていません。1980年代に発表した3枚のアルバムを再発売し、1991年から1992年はライブ活動にいそしんだりしておられました。
そして1995年末に、5年ぶりに岡村靖幸さんのオリジナルアルバム「禁じられた生きがい」が発表されますが、1991年、1992年、1995年発売のシングル数曲と、未発表曲中心の収録となっています。
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この頃、岡村靖幸さんの前作のアルバムである「家庭教師」を超えなくてはと、大変楽曲制作に苦悩されていたようで、アルバム制作遅延報告を岡村靖幸さん自らがするなど、試行錯誤の末に仕上げた、名曲揃いのアルバムとなっています。
ご本人も楽曲が宝石になるまでリリースできないとおっしゃっておられたそうで、名曲を生み出す為のモチベーションの高さがうかがえます。才能や個性だけで現在まで活躍し続けられた訳でもなく、努力もされていたのです。
岡村靖幸さん自身名義の作品ではなく、他アーティストへの楽曲提供などに関しては、川本真琴さんのデビュー曲「愛の才能」の作曲、編曲、プロデュースをはじめ、CHARAさんやSOPHIAにも楽曲提供をされています。
楽曲提供しているのは現在でも人気のある、個性的なアーティストが多く、岡村靖幸さんのPOPで独特なイメージともリンクします。
この頃、そんな岡村靖幸さんの名曲に影響を受けたとする、朝日美穂さん、直枝政太郎さん(カーネーション)ら、若手のアーティストらが岡村靖幸さんのトリビュートアルバムや、シングルカバー曲を発表しています。
岡村靖幸さん自身の個性や、岡村靖幸さんが作曲、提供された名曲の数々が、当時の若手アーティストに多大な影響を与え、尊敬されていた事がうかがえます。
そしてその後の2003年には、現在でも活躍中の電気グルーブの石野卓球さんとのユニットを組み、シングル、アルバム共に発表されましたが、直後に発売が中止となっています。 人気アーティスト同士のユニットでのシングル、アルバム発表ですから、楽しみにしていたファンも多かったようですが、一体どうして発売中止となったのでしょう?
岡村靖幸が覚せい剤で1回目の逮捕!
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なんと、岡村靖幸さんは覚醒剤を所持、使用していたとして、覚醒剤取締法違反で逮捕されたのです。
岡村靖幸さんの代表的な名曲の部分でも先述しましたように、岡村靖幸さんは尾崎豊さんと大親友だったようです。その大親友が覚醒剤取締法違反で逮捕され、1992年には覚醒剤中毒による肺水腫で亡くなっているのです。
ちなみに、この大親友だったとされる尾崎豊さんも10代で一世を風靡し、数々の名曲を世に送りだされました。若者のカリスマ的存在として、現在に至ってもなお数多くのファンが支持し続けています。
当時20代になった尾崎豊さんは名曲を生み出せない苦悩から無期限の活動休止を宣言して渡米し、その後帰国しても低迷期が続きます。
現在の若い世代でも聞いた事があるような名曲を多数生み出された尾崎豊さんにも、やはり低迷期の苦しみがあり、その矢先の1987年に覚醒剤取締法違反で逮捕されています。
尾崎豊さんの死因はとても奇妙な経緯で、現在でも語り継がれています。東京都足立区の路上で泥酔状態で発見され、その後も訳の分からない態度をとっており、自宅で急遽危篤状態に陥ったというものでした。
搬送先の病院で死亡されたのですが、覚醒剤中毒による死亡だと診断されており、自宅で奇妙な言動を繰り返していたということからも、覚醒剤使用による影響がうかがえます。
尾崎豊さんの名曲や存在そのものに魅了され、死自体や、死因を現在でも信じたくないという熱烈なファンの方がいらっしゃる程、衝撃的な死を遂げられました。
そんな大親友の死を目の当たりにしたにも関わらず、岡村靖幸さん自身も覚醒剤に手を出し逮捕までされてしまったのですから、当時大変な事件であったはずです。
では岡村靖幸さんの覚醒剤取締法違反での逮捕について、その真相をみていきましょう。
【2003年】岡村靖幸が覚せい剤で逮捕!真相は?
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岡村靖幸さんは覚醒剤取締法違反で逮捕された時には、レコード会社主催のコンサートへの出演が決まっており、チケットも発売されていたのですが、出演をキャンセルしています。
岡村靖幸さんのこのコンサート出演に関しては、スタッフ間でも協議がなされたそうですが、さすがに覚醒剤所持だけでなく、使用の疑いもあっての覚醒剤取締法違反となると、出演キャンセルは妥当だと判断されたようです。
現在の感覚からすると当然のように思いますが、それだけ当時、人気と話題性があったという事なのでしょう。
そして出演をキャンセルしたそのコンサートの翌月には、東京地裁に於いて、懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受け、デビュー以来所属していたEPICソニーを脱退しています。
しかし、この岡村靖幸さんが覚醒剤取締法違反で逮捕されたという事実は、世間にはほとんど認知はされていなかったのです。現在では考えられない事ですが、一体どういうことなのでしょう?
岡村靖幸、服役中の様子は?
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岡村靖幸さんは、この1回目の覚醒剤取締法違反の有罪判決では、3年の執行猶予が与えられており、服役はしていません。
服役をしていない為、この2003年の夏には野外ライブで活動を再開、秋には全国ツアー「フレッシュボーイツアー2003」まで公演されています。
また、2004年秋には約9年ぶりとなる岡村靖幸さんオリジナルのアルバムを発表し、全国ツアー「Me-imi Tour」も敢行されています。
そして、音楽だけでなく「純愛カウンセリング」という対談本書籍の出版もされ、テレビの生放送でライブを披露するなど、現在では考えられない程、活動の幅を広げておられました。
ありとあらゆる情報がリアルタイムで飛び交っている現在からすると、とても考えられない事ですが、人気も知名度もある岡村靖幸さんが、このように幅広く活発な活動ができるほど、現在のようには情報が共有されていない時代だったのです。
もし現在このような事件が起こったら、すぐさま週刊誌やニュース、SNSなどのありとあらゆるツールで、世間に知らしめられることでしょう。
岡村靖幸が覚せい剤で2回目の逮捕!
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1回目の覚醒剤取締法違反での有罪判決後も精力的に活動をされていた岡村靖幸さんですが、3年の執行猶予を待たずして、またしても覚醒剤取締法違反で逮捕をされてしまったのです。
1回目の覚醒剤取締法違反での逮捕では執行猶予が与えられ、岡村靖幸さん自身、現在ではあり得ないほど積極的に音楽活動を行っておられました。
ではこの2回目の覚醒剤取締法違反での逮捕ではどうだったのでしょう?2回目の覚醒剤取締法違反での逮捕の真相をみていきましょう。
【2005年】岡村靖幸が覚せい剤でまた逮捕!真相は?
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岡村靖幸さんが覚醒剤取締法違反で2回目の逮捕をされたのは、2005年でした。渋谷のレコード店内のトイレで覚醒剤を使用し、数日後に警察官から職務質問を受けた際の薬物検査で発覚したそうです。
この時の覚醒剤使用の罪での逮捕では、岡村靖幸さん本人も覚醒剤使用を認め、東京地裁に於いて覚醒剤取締法違反の実刑判決を受けています。懲役は1年6ヶ月で、執行猶予期間中の再犯として猶予が取り消しになり、服役を余儀なくされました。
やはりファンの方々はこの岡村靖幸さんの覚醒剤取締法違反の発覚と、これが実は覚醒剤使用の再犯であったとの事実に、大変がっかりされたことでしょう。しかも今回は服役までする事になったのですから、その間岡村靖幸さんは音楽活動すらできないのです。
現在のように、リアルタイムでの情報が入手しにくかった当時、覚醒剤取締法違反での逮捕歴があったという事実を、再逮捕で服役するというニュースで知ったのですから、岡村靖幸さんのファンにとっては相当な衝撃だったのです。
その為、所属事務所との契約は終了、ファンクラブも閉会、岡村靖幸さんのオフィシャルサイトも閉鎖することとなりました。岡村靖幸さんのファンサイトには、本人からの謝罪文が掲載されたようです。
岡村靖幸、服役中の様子は?
引用: Pixabay
岡村靖幸さんは、この2回目の覚醒剤使用での逮捕では刑務所に服役しています。北海道の月形刑務所というところに服役していたようで、その時の様子を同じ刑務所に服役していた元受刑者が語っています。
まず服役中の岡村靖幸さんの容姿の面では、とにかく暗い様子で、分厚いめがねをしていたそうです。また、二重あごが相当目立つくらいとても太っていたようです。
服役していた最中は、当時世間から認知されていたような、数々の名曲とセクシーなダンスで一世を風靡した岡村靖幸さんのイメージとも、現在の岡村靖幸さんとも全く別人のような容姿だったようです。
刑務所内では通常、覚醒剤で服役中の受刑者同士での連帯感があるそうで、この元受刑者の方も岡村靖幸さんの名曲を替え歌にしてからかうなど交流を持とうとしたそうですが、岡村靖幸さん本人は常にぼーっとして一人で過ごしていたのだそうです。
岡村靖幸が覚せい剤で3回目の逮捕!
引用: Pixabay
岡村靖幸さんは、1回目の覚醒剤取締法違反での執行猶予中に再度覚醒剤を使用をし、2回目の逮捕では実刑判決を受けていますので、2年程度は服役の為刑務所内で過ごしています。
しかし、服役後の2007年には小林武史さんが主催するイベントにて音楽活動に復帰されました。小林武史さんも現在でも腕をふるう音楽プロデューサーでいらっしゃいます。
そして、アルバム発売と岡村靖幸さん自身の全国ツアーも敢行されています。また、テレビのニュース番組内で「覚醒剤との決別、歌手岡村靖幸の生きる道」という岡村靖幸さんの特集も組まれています。
この頃発表したシングルのタイトルが「はっきり もっと 勇敢になって」というものである事から、覚醒剤使用での自分の罪を世間に対して認め、岡村靖幸さん自身が覚醒剤への依存を乗り越えていこうとされていたのでしょう。
そして、そんな2007年中に始まった岡村靖幸さん自身の全国ツアーの名古屋での最終公演を、なんと公演延期としてしまったのです。
理由は、その前夜の大阪公演での左腸脛靭帯断裂、全治2ヶ月との診断によるものだそうです。この時、靭帯断裂だけでなく、左腓腹筋の挫傷もあったようで、岡村靖幸さんのオフィシャルサイトでは診断書の公開もされたそうです。
やはり、覚醒剤取締法違反の罪で2回の逮捕、服役もされた岡村靖幸さんですから、服役後もファンでいてくれる方々へ、覚醒剤に関わる理由での公演延期ではないという事を伝え、安心してもらいたかったのかもしれません。
では岡村靖幸さんは、2回の覚醒剤取締法違反での逮捕と、1回の服役を経て、本当に覚醒剤との決別を成されたのでしょうか?その真相をみていきましょう。
【2008年】岡村靖幸が覚せい剤でまたまた逮捕!真相は?
引用: Pixabay
2回目の覚醒剤取締法違反での逮捕、服役を経て、音楽活動を再開し順調に復帰の道が開けているかのような岡村靖幸さんでしたが、全国ツアーの公演延期発表の数ヵ月後に、なんと覚醒剤取締法違反容疑で3回目の逮捕をされてしまったのです。
岡村靖幸さんの3回目の逮捕は、覚醒剤所持の容疑でした。自宅での所持発覚で、「のどの薬だ」などとごまかしていたようですが、あえなく所持を認め、またも服役しています。密売人には岡村靖幸さん自らが連絡をとり、覚醒剤を入手したのだそうです。
覚醒剤にまたも手を出した理由として、岡村靖幸さん本人は、「山のようなオファーと、ファンからの期待に応えたい一身で、覚醒剤への依存が完治しないまま音楽活動を再開させてしまった。連日の自分の覚醒剤についての報道もあり、プレッシャーに負けてしまった」と語っています。
岡村靖幸さんの知人の精神カウンセラーの方の後押しがあり、若干の酌量はあったものの、東京地裁に於いて懲役2年の実刑判決を受け、服役する事となってしまいました。
もちろん岡村靖幸さんの服役の為、公演延期をしていたツアーの追加、振り替え公演は中止となり、発足間もなかったファンクラブも解散してしまいました。
2007年に服役を終えた後、刑期満了直後で覚醒剤所持での再々犯でのまたも服役となった訳ですから、岡村靖幸さんがいくら才能や個性があり、数々の名曲を世に送り出してきたとはいえ、ファンの方々もさすがにそうせざるを得なかったでしょう。
この公判での最終意見陳述で、岡村靖幸さんはファンへの謝罪の詩を朗読したのだそうです。現在分かっている内容は以下のようなものです。
引用: Pixabay
「裸足で氷の上を歩くようにしか人を愛せない」「なぜだろう みんなはスラッスラッとプロスケーターのようなのに」「嘘をついて 嘘をついて 嘘をついて」「裏切って 逃げて」
「これは本当のぼくじゃない」「ぼくは寂しい」「ぼくは生まれてよかったのだろうか」「時代とうまくやっていけない」「友達とうまくやっていけない というか友達がいない」
「大事なことがやっとわかった」「本当にやりたいことは 君と川を泳ぎたい」「いっしょに真夜中の川を泳ぎたい」
100パーセント正確ではありませんがこのような内容の詩だったそうで、詩を朗読する事自体が大変独特な発想ですが、現在振り返ってみれば、これは岡村靖幸さんらしい謝罪の意の表現なのでしょう。
岡村靖幸、服役中の様子は?
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2回目の覚醒剤使用での逮捕時の服役中は、岡村靖幸さんと同じ覚醒剤で服役中の受刑者達とは交流を持たず、ほとんど一人で過ごしており、反省と後悔をしていた様子の岡村靖幸さんですが、3回目の覚醒剤所持での服役中も同じく心底反省をしていたようです。
岡村靖幸さん本人は、公判の際に「音楽活動を通じて償っていきたい」と語っていたそうです。2年の服役を終えた後、岡村靖幸さんは2010年に「パラシュート ガール」という曲のデモ音源をSNSにアップしています。
服役後も音楽活動を続けられる事を、心から願っていた様子がうかがえます。天才的な才能と強烈な個性が、岡村靖幸さんを現在まで「音楽活動で償うこと」へと導いたのでしょう。
岡村靖幸は現在何をしている?
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3回も覚醒剤取締法違反の罪で逮捕された岡村靖幸さんですが、3回目の逮捕での服役を終えてから今現在は、どうされているのでしょうか?
さすがに3回の覚醒剤取締法違反で、2回の服役経験まであるとなると、現在の感覚からすると、大多数の芸能人はその活動の道を絶たれてしまうはずですが、岡村靖幸さんはどうなのでしょう。
現在もシンガーソングライターとして活動中!
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なんと、3回の覚醒剤取締法違反と服役を経て、デビューから30年以上も経つ今現在でも、岡村靖幸さんはシンガーソングライターとして、活躍されているのです。
現在10代、20代の若者や、30代、40代前半くらいの方にとっては、岡村靖幸さんの全盛期の衝撃や、名曲の数々をご存知ない方が多いでしょう。
しかしながら、これだけの覚醒剤関連の逮捕歴があるにも関わらず、常に服役後短い期間で音楽活動に復帰できているのは、やはり岡村靖幸さんの天才的な音楽性とカリスマ的個性を、現在に至るまで周りがほおっておかなかった事が理由のひとつです。
岡村靖幸さんのデビュー以降から現在までの、音楽シーンにおける立場、存在価値を改めてご紹介いたします。
岡村靖幸さんは、現在に至るまでの日本の音楽市場でも、唯一無二の存在だといわれています。それは、特に音楽ファンの間で顕著で、今現在でも、好きな方は熱狂的にもなってしまうような、カリスマ性があるのです。
独特な歌詞のセンスや天才的なメロディー、アレンジ、特徴的な歌い方に、気持ち悪いとまでいわれるパフォーマンスなど、好きではなくても気になってしまう、色んな意味で現在まで人を惹きつけた魅力があるのです。
今現在でこそ、個性が多様化しており情報が溢れている世の中ですが、岡村靖幸さんがデビューした当時は、現在のように手軽に未知のものに出会える時代ではなかったのです。
それこそ、岡村靖幸さんの個性は天然の逸材で、影響は幼少から少年時代の洋楽に受けていたかもしれませんが、真似ごとではなく、岡村靖幸さん独自に昇華された個性だといえます。
その強烈な個性に、様々な音楽、ミュージシャン、アーティストに触れてきた音楽業界人が、今現在もなお新鮮さ、唯一無二性を感じて魅了されるのも、納得のいく話です。
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岡村靖幸さんが3回もの覚醒剤取締法違反での逮捕、服役にも関わらず、短期間での音楽活動の再開を果たせているのは、そんな音楽業界人の熱狂的な支持が当時から現在まで継続してあったからといえるのです。
様々な有名アーティスト達も、岡村靖幸さんの存在感に魅了され、関わってみたい、気になると感じるからこそ、覚醒剤という大変リスクのある看板を背負った彼とでも作品を作りたい!と、オファーするのでしょう。
そして、もちろんファンの方々の支持がなければ、どれだけ音楽業界で推したとしても、活躍は難しいでしょう。なぜ、一般的な音楽ファン達にも岡村靖幸さんは現在も支持され続けているのでしょうか?それは、岡村靖幸さんの強烈な個性が現在までの時代を超えたものであるからなのです。
デビュー当時の岡村靖幸さん自身がシンガーとして活躍していた頃、たくさんの名曲を発売されていますが、現在では日本にも定着しつつあるブラックミュージックの風を吹かせたのが、岡村靖幸さんともいわれています。
プリンスを代表とするブラックミュージックのエッセンスを、岡村靖幸さん独自の個性として完全に取り込み、当時の若者を熱狂させたのです。
また、岡村靖幸さんのパフォーマンスと詩の独特さ、メロディーのPOPさとクオリティ、そしてなんと言ってもセクシャルさが、当時とても画期的であった事も若者を熱狂させた理由です。
現在ほど性に開けた時代ではなかった当時、若者の性に対する感覚をストレートに、POPに表現した岡村靖幸さんは、まさに若者のカリスマ的存在となっていたのです。
当時の若者のカリスマ、尾崎豊さんと親友であったそうですが、常識に捉われず若者の感覚をストレートに表現した名曲を生み出したという意味では共通していますし、岡村靖幸さんは、尾崎豊さんの次世代の若者のカリスマだったともいえます。
その後、楽曲提供やプロデュースに力を入れていた1990年からは、川本真琴さん、CHARAさん、電気グルーブ、HALCALI、氣志團、KICK THE CAN CREWなど、その時代を彩り、現在も人気のある個性派アーティストに楽曲を提供したり、プロデュースしたり、共演したりしています。
大手レコード会社からデビューし、現在まで超有名アーティストとも関わってきた岡村靖幸さんですが、その強烈な唯一無二な個性は、アングラ、サブカル的要素が満載です。
自身の著書も出版するなど文化人的側面も併せ持っており、現在まで人の興味を惹きつける岡村靖幸さんの個性は、まさにどの時代でも新たなファンを次々に生み出していくのです。
ではそんな岡村靖幸さんの、3回目の逮捕、服役後から現在までの岡村靖幸さんの活動内容をご紹介してまいります。
岡村靖幸さんは、2008年の覚醒剤所持での逮捕と2年の服役を経た後の2010年から、早い段階で活動が活発になっています。そして今現在に至るまで、活動は続きます。
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【2011年】 服役後1年ほどでFMラジオ局主催のイベントへの出演を果たしています。また、岡村靖幸さん自身2枚目のリアレンジアルバムの発売と、ライブツアーまで実施されており、本格的に音楽活動を再開されているのです。
同年には、スタッフによるツイッターアカウントも開設され、新曲「ぶーしゃかLOOP」を無料配信しています。
【2012年】 岡村靖幸さん自身の全国ツアー「2011 岡村靖幸LIVE『エチケット』」を、同年、東名阪ホールツアー「岡村靖幸 LIVE TOUR 2012 『スポーツ』」を敢行されています。 また、岡村靖幸さん自身の全国ツアー「岡村靖幸 LIVE TOUR 2013 『むこうみずでいじらしくて』」を同年後半に公演されています。
岡村靖幸さんは、ライブツアーのみならず、廃盤となっていたEPICソニー時代の名曲を収録した、アルバム6作品が再発され、ファンクラブも復活されるなど、音楽業界人や音楽ファンの多大なる支えもあり、現在までの様々な活動が活発化されていったのです。
【2013年】
この年、岡村靖幸さん27枚目のシングル「ビバナミダ」がテレビアニメ「スペースダンディ」の主題歌に起用され、そのPVはアニメスタッフによって制作されています。
また、現在でも人気のある木村カエラさんのアルバムの曲にも演奏、編曲、プロデュースとして参加されており、カーネーションのトリビュートアルバムでも2曲でボーカル、編曲、プロデュースに携わっています。
現在の大御所でいうと、実力派シンガーの大貫妙子さんのアルバムでは、坂本龍一さんとの共同名義で「都会」という名曲を歌い、編曲、プロデュースをされています。
【2014年】
この年、「ビバナミダ」が国内外の主要配信サイトより世界一斉配信されました。そしてFMラジオ局主催の夏フェス「SWEET LOVE SHOWER」にも出演されています。
現在熱烈なファンを持つ氣志團の「氣志團万博2014」や、早稲田大学の学園祭にも参加、テレビ番組の「SMAP×SMAP」では現在は解散してしまいましたが、カリスマアイドルグループのSMAPとも共演されており、まさに引く手あまたな状況だったのです。
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【2015年】
岡村靖幸さん自身の全国ツアー「岡村靖幸 LIVE TOUR 2015『This is my life』」10カ所11公演、ツアー「岡村靖幸 2015 FALL~WINTER TOUR 『愛の意味』」3カ所4公演を敢行されています。追加1カ所1公演がありました。
そして現在世界でも大人気ブランドの「BAOBAO ISSEYMIYAKE」のインタラクティブムービーの音楽を担当されるなど、岡村靖幸さんのアーティスティックな才能が求められ、多方面での活躍をされていました。
【2016年】
アルバム「幸福」の発表に伴って、ツアー「岡村靖幸2016 SPRING tour『幸福』」12カ所14公演を敢行されています。また、ツアー「岡村靖幸2016 FALL~WINTERtour『運命』」4カ所で5公演もされています。
このアルバム「幸福」では、現在に至るまでの岡村靖幸さんの覚醒剤関連での服役という経歴も含めた岡村靖幸さんの人生観、そしてその独特な個性と天才的な才能をさらに高めた名曲揃いの作品といわれています。
このアルバムの収録曲は事前には知らされておらず、発売を以って解禁とされました。ちなみにその収録曲は
「できるだけ純情でいたい」「新時代思想」「ラブメッセージ」「揺れるお年頃」「愛はおしゃれじゃない」「ヘアー」「ビバナミダ」「彼氏になって優しくなって」「ぶーしゃかLOOP」
の9曲となっています。岡村靖幸さんの濃い世界観は30年以上経った現在もなお、古さを感じさせないものなのです。
【2017年】 岡村靖幸さん自身のツアー「岡村靖幸2017 SPRINGツアー『ROMANCE』」13カ所14公演を敢行。「氣志團万博2017」にも、再度出演されています。 また、ミュージックステーションにも初出演され、現在話題の若手シンガーDAOKOさんとのコラボシングル「ステップアップLOVE」をTV初披露されています。
このように、3回目の覚醒剤取締法違反での服役を終えた後も、岡村靖幸さんは現在に至るまで怒涛の復活を成し遂げているのです。
現在まで、覚醒剤取締法での逮捕暦や、覚醒剤や反社会勢力などと何らかの関わりがあったとされる芸能人は多数おられます。
しかし岡村靖幸さんのように、覚醒剤での罪を何度も繰り返し服役までしても尚、活動を再開し現在まで第一線で活躍するのは稀な例です。
まさに、岡村靖幸さんの唯一無二の天才的な才能と、独特な個性が音楽ファンのみならず、音楽業界人たちを魅了してやまず、ほおっておけない存在価値があるからなのでしょう。
ではそんな岡村靖幸さんは、その後現在までをどのように過ごされているのでしょうか?今現在の岡村靖幸さんの活動についても、ご紹介していきます。
楽曲制作やライブ活動に積極的!
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昨年2018年から2019年現在も、岡村靖幸さんの活動はとどまるところを知りません。その現在の活動の一部をご紹介いたします。
【2018年】
岡村靖幸さん自身の全国ツアー「岡村靖幸2018 SPRINGツアー『マキャベリン』」16カ所17公演を敢行されています。
日本武道館で行われたイベント「Hot Stuff Promotion 40th Anniversary MASAKA『Ultra Boy Meets Super Girl』」では現在は解散してしまった伝説的ロックバンド、ジュディマリのボーカルだったYUKIさんと共に出演されていました。
「西日本豪雨復興チャリティコンサート ~空に星が綺麗プロジェクト~ 斉藤和義with Friends」に出演と、岡村靖幸さんは現在も名だたる今をときめくアーティストとのライブ活動も盛んに行われています。
TV番組では、なんと、NHK「お休み、日本の眠いいね!」のvol.20にゲストとして出演。現在放映中の情報番組「王様のブランチ」には、テーマソングとして「少年サタデー」を書き下ろされています。
ミュージックステーションの出演では、現在は大御所ともいえるHIPHOPグループのKICK THE CAN CREWとのコラボシングル「住所feat.岡村靖幸」をTV初披露をされています。
また、Ameba TVのオリジナル恋愛リアリティショー「恋愛ドラマな恋がしたい2」の主題歌に「スーパーガール(エチケット2019ver)」が決定しました。
【2019年現在】
岡村靖幸さんは現在、自身のツアー「セレブリティーツアー」を敢行、書籍「あの子と、遅刻と、勉強と2」をツアー販売用に作成し、本屋さんでも発売予定だそうです。
SPA、週刊文春WOMAN、バイラなどの現在人気の雑誌にも対談や特集などで登場されており、「岡村靖幸のカモンエブリバディ!」という特別番組をNHK FMで放送されるそうです。
また、ジョルジオ アルマーニを着用してのモデルのような活動もされるようで、現在でもありとあらゆる分野から注目されています。
そして、現在の日本HIP HOP界の重鎮ともいえるライムスター主催のフェスにも2019年5月に参加されるようで、相変わらず現在も様々な音楽業界から引く手あまたな様子です。
岡村靖幸さんの現在の活動内容については、公式サイトからもご覧いただけますので、ぜひ岡村靖幸さんの世界観を覗いてみてください。
岡村靖幸さんの強烈な唯一無二の個性は、覚醒剤での服役や、現在までの時代の流行の波も全てをものともしない確固たるものなのだと分かります。
3度の逮捕から復帰した岡村靖幸に今後も注目!
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いかがでしたか?このように岡村靖幸さんの現在に至るまでの活動や経歴を振り返っていくと、まさに、岡村靖幸さんは唯一無二のスーパースターだということが分かります。
覚醒剤取締法で逮捕された芸能人は現在まで数多く、大麻を含めると大変な数になります。特にミュージシャンで振り返ってみると、井上陽水さん、桑名正博さん、内田裕也さん、長渕剛さんなどの現在でも知名度の高い大物ミュージシャンが挙げられます。
また、現在でもまだ記憶に新しい、槙原敬之さん、ASKAさんなども覚醒剤取締法違反での逮捕歴があります。特にASKAさんの覚醒剤での逮捕の報道は非常に衝撃的で、ASKAさんも2014年の逮捕後に4年の執行猶予中の再犯、服役をしています。
ASKAさんは、ご存知のようにCHAGE&ASKAとして1979年にデビューして以来現在まで、実に40年間に渡り第一線の音楽家として活躍されてきました。過去40年間今現在に至るまでの名曲は、本当に数え切れないくらいたくさんあります。
ASKAさんは、その伸びやかで独特な歌い方と安定した歌唱力、名曲の数々で現在まで人気を博していましたが、楽曲制作も担っており、やはり制作の低迷期に覚醒剤に手を出してしまわれたようです。
2009年にCHAGE&ASKAでの無期限活動停止を発表してからも、現在までソロでも活躍されていたASKAさんですが、かねてから暴力団関係者との関わりがあり、その筋から覚醒剤を入手していたとされています。
やはりASKAさんほどの有名ミュージシャンともなれば、そのような誘惑が周囲にたくさんあるのでしょう。そして、有名で実力派であるからこそ、期待を裏切れないプレッシャーから楽曲制作に思い悩み、開放されたいと感じたのでしょう。
ミュージシャンは制作活動で低迷期に陥ったり、マスコミなどからのバッシングがあったりする、非常にストレスの多い側面のある職業ですから、そんな時期に覚醒剤に手を染めやすいのです。
また、覚醒剤を勧めてくるような人たちとの関わりも、知らず知らずのうちに出来てしまいやすいようです。
心が大変強くないと、どうしても覚醒剤のような逃げ道に走ってしまいがちなのです。岡村靖幸さんも、服役を終えた後、ご自身で「自分の心が弱かった」と語られていました。
そして、現在の音楽関係で最も話題となったのは、ピエール瀧さんが覚醒剤取締法違反で逮捕された事です。
ピエール瀧さんといえば、現在は俳優としての顔のほうが、世間の認知度が高いかもしれませんが、もともとは電気グルーブの一員であったミュージシャンです。
電気グルーブも現在まで大変人気のある、サブカル的要素を持つカリスマグループですから、ピエール瀧さんも、この覚醒剤での不祥事を乗り越えて、復活される可能性は十二分にあります。
岡村靖幸さんのように、覚醒剤という反社会的な理由での不祥事が続いたり、服役で席を空けてしまった芸能人の場合、芸能界への復帰はやはり、業界とファン達が待ち望んでいるかどうかが、ポイントとなるのです。
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覚醒剤での逮捕で服役などし、席を空けた芸能人のそのポジションがいつまでも空いている訳ではなく、服役などしている内に、次から次へと新しいスターがその席に座っていくものなのです。
しかし、岡村靖幸さんが3度の覚醒剤での逮捕、服役の後も音楽業界で活躍されている理由は、岡村靖幸さんのポジションに席を置けるような、他のミュージシャンがいない事が挙げられます。まさに、今現在でも唯一無二の存在なのです。
そんな岡村靖幸さんも現在は50歳を過ぎ、容姿もシックなスーツと黒縁めがねで、大人の余裕をかもし出しておられます。
そして今現在もなお、若手のアーティストと共演をしても、その独特な個性は全く色あせず、むしろその個性が現在の音楽シーンに非常にマッチしているかのようです。
なんといっても、現在80年代ブームがきており、それは岡村靖幸さんが最も活躍されていた時代です。現在活躍中の音楽に関わりのある人達が注目するのも、現在の音楽シーンにマッチするのも当然の事かもしれません。
岡村靖幸さんの存在や経歴は、現在でも見逃せない大変話題性のあるものです。情報が溢れている現在に於いて、その唯一無二の個性や才能、覚醒剤での逮捕や服役暦さえも、現在の活動の後押しになっています。
そして、岡村靖幸さんのような存在は今現在でも現れていないのではないでしょうか。だからこそ、現在もなお新たなファンを生み出し、現在の音楽シーンにもマッチしているのではないでしょうか。
岡村靖幸さんの最後の覚醒剤取締法違反での服役から、10年以上が経とうとしています。現在は、岡村靖幸さんに覚醒剤との関わりがあるという事実は、報道などされていません。
3回の覚醒剤取締法違反、2回の服役を経て、現在もなお音楽業界に求められ続け、新しい時代にも次々に新しいファンを生み出しておられる、岡村靖幸さんからは目が離せません。
現在も、そしてこれからも唯一無二の天才ミュージシャン、そしてアーティストであり続ける岡村靖幸さんの活動に、ぜひ注目してみてください!