三菱銀行人質事件の概要!梅川昭美の経歴や女子行員肉の壁の真相まとめ!

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三菱銀行人質事件とは?

引用: Pixabay

皆さんは三菱銀行人質事件をご存知ですか。

有名な事件なので耳にしたことがあるという方も多いと思います。三菱銀行人質事件とは、1979年(昭和54年)1月26日に三菱銀行北畠支店に、猟銃を持参した三菱銀行人質事件の犯人である梅川昭美が押し入り、客そして行員30人以上を人質にした銀行強盗および人質・猟奇殺人事件のことを指します。

この三菱銀行人質事件については、その後、後述で紹介しますが、ただの銀行強盗と比較すると、人質を始めとする被害者への対応など、非常に猟奇的な部分が多く、今現在に至るまで、非常に多くの人の関心を集めていると耳にします。

今回は、この三菱銀行人質事件について、その概要はもちろんのこと、三菱銀行人質事件の犯人梅川昭美の経歴や動機その犯行内容についても徹底的に調査致しましたのでご紹介していきます。それでは、皆さんどうぞ三菱銀行人質事件の本編をご覧ください。

 

三菱銀行人質事件の概要

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ここからは三菱銀行人質事件についてその概要を時系列でご紹介していきます。どうぞご覧ください。

 

三菱銀行人質事件【1】1月26日(1日目)


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まずは、三菱銀行人質事件が起こった1日目、すなわち、1979(昭和54年)1月26日の概要を、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美が犯行を起こす前の部分からご紹介します。

彼は午前10時に大阪市住吉区の自宅を出ます。その後、散髪屋に行ったり、正午頃には行きつけのスナックで昼食を取ったり、続けて近くの飲食店で、なまこを肴に日本酒1合を飲むなどし、随分と余裕を見せていたと耳にします。

その後、午後2時前には店を後にし、彼はマンションの駐車場から自身の愛車に乗り移動を開始します。移動しその後、変装するために用意していた衣服に着替えました。

さらに彼は前の日の夜に、三菱銀行の近所に乗り付けておいた車に乗り換えます。恐らく、犯行の足がつかないようにする為でしょう。

その後すぐさま事件現場となる三菱銀行北畠支店に乗りつけ、西側にある駐車場前の路上に停車し、午後2時30分頃 三菱銀行人質事件の犯人梅川昭美は三菱銀行北畠支店1階に侵入。その後まもなく猟銃を2発、天井に向けて発砲します。これが三菱銀行人質事件発生の瞬間です。

彼はナップサックをカウンターの中に投げ込み「10数えてる間に5000万円を出せ」と要求します。まもなく2階で作業していた支店長がけたたましく鳴り響いた銃声を耳にし、階下に下りました。

梅川は「早く出せ。出さんと殺してまうぞ」と脅迫、カウンターにいた窓口係の行員Aが2階に電話しようとしたのを見つけると容赦なく2発発砲しました。そのうちの1発が行員Aに命中し、その後この行員は死亡します。

最初の被害者です。もう1発も他の行員Bの後頭部に命中し、重傷となります。

しかし、この間にうまく抜け出せた方も数名いたと言います。そして、逃げ出した主婦の一人が、自転車で通りかかったパトロール中の警官に三菱銀行人質事件の一報を受けます。その後、その事件を耳にした警官は東にある通用口から同店に入ります。

警官は意を決して「銃を捨てろ」と梅川を威嚇。彼の「撃つなら撃ってみろ」との返答に1発天井に威嚇射撃を行います。威嚇射撃なので弾丸は当然当たりませんでした。

この行為に激高した梅川が警官に向けて1発発砲し、警官は死亡してしまいます。こちらが2人目の被害者となります。

その後、脱出した男子行員と女子行員がそれぞれ外部から110番通報を行い、支店内の行員も彼に気づかれぬよう非常ボタンを押しました。通報を耳にした警察は周辺の警察にも協力を依頼し、なんと、警察側の総計車両150台以上、人員1000人以上が事件現場を包囲しました。

その後、2人の警官が三菱銀行に入り、彼に近づきますが、容赦のない梅川はまたもや発砲し、その後まもなく被弾した2人のうち1人の警官が死亡します。3人目の被害者です。

その後梅川は行員にシャッターを閉めるよう命じ、彼らはその指示通りにシャッターを降ろし始めます。ここから、三菱銀行人質事件の立てこもりが始まります。

しかし、梅川昭美は時折ほんの少しだけ人質に対し、優しさのようなものも見せるのです。

そのエピソードとしてカウンター陰に伏せていた主婦と2人の子供を見つけた梅川昭美は「ぼく、立てや」と言い、3人を解放してあげたということがあります。鬼の目にも涙というところでしょうか。

しかし三菱銀行人質事件の犯人である、梅川はやはり鬼畜な側面を持っている人間のようで、行員をカウンター内に一列に並ばせ「責任者は誰や」と訊ねたその後、その発言を耳にした支店長が「私が支店長です」と名乗り出ます。

「金を出せへんからこうなるんじゃ。お前の責任や」と言い放ち、猟銃を発砲します。右肩に被弾した支店長は、その後間もなく死亡しました。4人目の被害者です。

その後、彼は、人質を取って立てこもるために男子行員に命じて2階に通じる階段の前にスチール製の机を並ばせバリケードを築き上げます。

一連の犯行が終わったその後も、彼は興奮しており、警察に対し、「もう4人も死んどるんやぞ。警官1人でも入ってきたら人質を殺すぞ」などと言ったり、その後、後述しますが、行員に対し無茶な要求をしたりやりたい放題でした。

これが、三菱銀行人質事件の1日目の様子です。

 

三菱銀行人質事件【2】1月27日(2日目)


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三菱銀行人質事件2日目の様子をここからはご紹介します。

2日目に突入した午前0時、警察はまだ動いていました。実は1日目にのぞき穴を人工的に作成しており、その穴から、内部の様子を確認し突入するチャンスをうかがっていたのです。しかし、三菱銀行人質事件の犯人である梅川昭美はなかなか隙を見せませんでした。

内部では、夜分にも関わらず、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美から2階にある支店長室に階段の下に要求書を置いてあるから30分以内に持ってこいと電話で要求が入ります。

要求書の内容は、ラジオと、栄養剤、そして人質の食事を差し入れろ。室内の暖房をもう少し強めろ。というものでした。その末尾には男子行員の追伸として、(梅川は)極悪非道そのものであり、要求を飲んでほしいと記載があったと言います。

要求を耳にした警察側から午前1時にカップ麺10個とお湯の入ったポットが差し入れられます。全裸にされ肉の壁となった女子行員が熱湯の入ったカップ麺を同僚に差し出そうとすると『何しとるんじゃ。お客さんを先にせんかい。それが当たり前やろ』と三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美が怒鳴りました。

そして「最初の差し入れがカップ麺や。えらいお粗末やのう。警察もケチなことをしよるで」「ええか、お前らこれで分かったやろ。警察なんてこんなもんや。俺を捕まえることに必死で、お前らのことなんて微塵も考えてへんのじゃ」そんな捨て台詞をその後吐きます。

さらに午前2時頃、震えている人質に梅川昭美は「寒かったら、その辺に転がってる死体に灯油をかけて火をつけて温まったらええんや」と言う。女子行員は全裸、裸足。男子行員は上半身裸の状態でした。この行為は、女子行員を肉の壁として利用することで警察に攻撃させない意図があったようです。

寒いもん、疲れたもん、おったら手を上げい」思わず2,3人が手を上げますが「文句の多いやっちゃな。いっそのこと死んでもうたら寒くも辛くもないで」と恐ろしいことを口にします。

そんな様子ですから「小便したいもんはおらんか?」との問いに誰も手を上げず。三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は笑って「耳かっぽじって聞けや。今後は便所の使用を許可する。ただし、1人20秒だけじゃ。1秒でも遅れよったら誰かが死ぬことになるさかい、よう覚えとけや」などとまさに言いたい放題、やりたい放題です。

その後も食料や栄養剤が差し入れられます。「こいつは疲労回復に効くさかい、皆必ず飲むんやで。まだまだ先は長いんやからな」と三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美がこの先も立てこもりを続けると言わんばかりに言い放ちます。

そして、午前2時40分には「便所に行かせてくれ」と言った76歳の会社員の発言を耳にした梅川昭美は「お前は帰ってもええわ。ごくろうさん。長生きせえよ」と言い解放しています。また、その後も、「ビールのお返しや」と言い、来店客の女性も解放しています。

しかし、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の要求のひとつであったラジオがなかなか届きません。それに腹を立てた三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美が発砲。すると、その跳弾が行員の顔に命中します。この行員はそのまま死んだふりをしていたそうです。その後、午前6時15分にようやく警察側からラジオが届きます。

午前7時40分にはラジオ差し入れの見返りに主婦を1人解放します。そんな優しさを見せたのもつかの間、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は行員には「最後は皆殺しや」と言い放ちます。しかし、続く午前9時5分にも客の無職男性(当時57歳)を解放します。

時には残酷な面を見せ、時には人質を解放するなど人間的な面を見せており、一体彼は何を考えていたのでしょうか。

そして午前10時には三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美が全裸にされ肉の壁となった女子行員にようやく着衣を許可します。肉の壁として利用されただけでなく、羞恥を晒され、全裸にされ肉の壁となった女子行員の気持ちを思うと胸が痛くなります。

その後、酒の要求、差し入れが続きますが、午前11時48分またもや主婦をビールの見返りに解放しました。

午後0時30分に三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美が「お袋への遺産として500万円を残し、俺の借金500万円を返したいんやが、あとで警察に没収されては何にもならんねん。没収されんような合法的な方法を考えろや」と男子行員3人に検討させ始めます。

本来の目的はこっちの資金調達だったと言われています。しかし、いろいろ彼の計画の歯車が狂っていき、三菱銀行人質事件という凶行になってしまったのです。

彼の要求を耳にし、検討していたある行員から「銀行が融資したという形にしてはどうか」との意見が出たので、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は「人質を解放する謝礼として、三菱銀行が自発的な意思で金を出すということにして、上司の決裁をもらってこい」と行員に指示を出します。

行員は2階に上がり、その内容を支店次長の耳に入れます。そして相談を重ねた結果次長は了承します。

そしてその後、食料や酒などの要求、それを耳にした警察側から差し入れが行われるたびに次々と人質が解放されていきました。そのやり取りは午後11時過ぎまで続き、この時点での人質は男子行員7人、全裸にされ肉の壁となった女子行員18人の計25人となっていました。

これが、三菱銀行人質事件2日目の様子です。

 

三菱銀行人質事件【3】1月27日(3日目)

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続いて、三菱銀行人質事件3日目の様子についてご紹介していきます。

その後、午前2時3分に行内に放置されたままの4人の遺体が腐臭を発したため、男子行員が「外に出してください」と懇願し。三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美はこれを了承します。

捜査員が階段下に担架を置き、男子行員が支店長とA行員の遺体を乗せ、2階に運び上げました。その後、支店西駐車場に待機していた救急車で住吉署3階講堂の安置室に搬送されることになります。

午前4時45分になると、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美もさすがに2日間徹夜でいた為疲れてきたのか、人質に「メシを食おう。お前ら、何でも好きなもん注文せえ。豪華メニューで行こ」と言い、全裸にされ肉の壁となった女子行員にメモを取らせました。

そして、午前5時10分に三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美が電話をし、ステーキやメロンなどの注文を読み上げます。それを耳にした警察側の人間が「ステーキなんかできるわけない。今、何時や思うてるんや」と拒否します。これを耳にした梅川昭美は気に入らないと言い、1発発砲します。そして「眠気覚ましの一発や」と言い放ちます。

さらに、午前5時14分三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美が「7時15分なのに、なんで朝刊を差し入れんのや」と電話をかけると、対応し、それを耳にした警察側の人間が「いま5時すぎやないか」と答えると「俺の間違いや」と電話を切ります。

一般的に人間が不眠と緊張に耐えられるのは40時間程度とされています。だからそれ以上は正常な判断力を失い、幻覚や幻聴が出てくるのです。

先述にもありますが、すでに二昼夜にわたる籠城で、さすがの三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美も疲労を隠し切れなくなっていました。警察側はいよいよ「その時」が迫ってきたとこの時感じていたそうです。

そしてのぞき穴から三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の行動を秒単位で記録していた警察は、1~2秒というわずかな隙を突いて狙撃を成功させようと企てますが、こんな記録が残されています。

「梅川は差し入れの味噌汁を飲む時は、まず左手で椀を取り、口に近付けてから右手で箸を取る。この間、1.5秒」

「ラーメンやメロンは、一口入れては左右を眺める。隙なし」

「新聞は人質に読ませる。自分が読む時も銃を手放さず、ひっきりなしに顔を上げる。まったく隙なし」

「飲み物を飲む時はコップに口をつけながら目は左右に配っている。隙なし」

「電話は支店長席の下に置いてある。かける時は電話係にダイヤルを回させておいてから受話器を受け取る。せいぜい0.2秒の隙しかない。自分でかける時は机の陰に隠れてしまう」

「小便は銃を人質に突き付けながら床に敷いた新聞紙の上にやる。まったく隙なし」

三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は非常に慎重に行動しており、その隙はほとんどありませんでしたが、警察はわずかな行動パターンの隙をついて三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美を狙撃するいくつものパターンを立案し、その訓練をこの三菱銀行人質事件の最中に行っています。

午前8時になると、その後、いよいよその行動が実践へと移されます。まず、のぞき穴から見ていた捜査員が「チャンスあり」と特捜本部に報告を入れました。その報告により、突入隊の6人が臨戦態勢に入ります。余計な物音を消すため靴を脱ぎ、動きやすくするためヘルメットは被らず防弾チョッキのみという装備でした。

そして午前8時40分ついにそのチャンスが訪れます。三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の傍で机の上に座らされて、つい先ほどまで全裸にされ肉の壁となっていた女子行員が、茶を汲みに行くよう命じられ、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美から離れます。これにより突入隊と三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美との間に人質がいなくなったのです。

その後間もなく、午前8時41分のぞき穴から監視していた警官が無線で突入隊の司令官に報告。司令官は「突入」と隊員に伝え、5人がカウンター越しに計8発発砲します。三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は頭と首にそのうちの3発を被弾し、「殺すぞ」と呻きながら床に倒れましたその後、捜査員が一斉に突入し、人質全員を確保。

午前8時49分には血まみれの三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美が担架で行内から運び出され、救急車で搬送されました。同日午後5時43分に三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の死亡がその後確認されました。

こうして長かった3日間にも及ぶ、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美による三菱銀行人質事件は幕を下ろすこととなります。ここまでが、三菱銀行人質事件の顛末です。

 

犯人、梅川昭美の経歴は?【三菱銀行人質事件】

 

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三菱銀行人質事件については、お分かりいただけたでしょうか。ここからは、三菱銀行人質事件の犯人である梅川昭美の経歴についてご紹介していきます。

 

梅川昭美の経歴【1】幼少期

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三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は1948(昭和23)年3月1日にこの世に生を授かります。出身地は広島大竹市とのことです。大竹市は、山口県との境に位置しており、同市は瀬戸内工業地域と共に発展していったことなどをよく耳にするという方も多いでしょう。

三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美生誕時、父親が46歳、母親が42歳でした。ということで両親ともに40代の時の子供ということになります。今でこそ40代の出産は珍しくなくなったのですが、この時代においてはかなりの高齢出産ということになります。

幼い頃は極貧の生活だったようで、欲しいモノを買うどころか、生活すらままならない状況だったようです。これは三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の生家が特別そうだったということでもなく、生まれた年が戦後すぐですから、時代的なこともおおいに関係していると言えます。

その後、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美が8歳の頃には、父親が脊髄を患ってしまい、歩行困難となりリストラにも近い退職をします。そして、そのことが原因となり、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美が小学校5年の時に両親は離婚して、母親は三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美を残し、家を出て行ってしまったそうです。

母親ではなく父親に引き取られた三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は、父の故郷である香川県大川町に引っ越しをしますが、実家でも冷遇されてしまいます。その理由は、父親が長男だったのにも関わらず家を継がず、若い時に家を飛び出してしまった事が原因であると言われています。

三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美はそんな生活に嫌気が指し、父親と暮らし始めてからわずか半年余りで母親のいる大竹市で暮らし始めたそうです。しかし、そこでも母親が朝から晩まで仕事をしており、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は全く構ってもらえなかったそうです。

三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は非常に貧しく、寂しい幼少期を過ごしたと言えます。

 

梅川昭美の経歴【2】青年期

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三菱銀行人質事件の犯人、梅川 昭美はもともと粗暴な性格だったようでしたが、中学校でさらにエスカレートします。それは母親が三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美を全く構ってやれなかったことも原因かもしれません。

そして中学を卒業し、その後、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は工業高校に入学します。三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美が通った高校は広島工業大学附属工業高等学校(現在の広島工業大学高等学校)というところです。

しかし、学校はサボっていてばかりで、暴力事件がきっかけで、1学期で中退します。ですので、出身高校とはいえないでしょう。その後、母親は息子の為に復縁をしたのですが、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は気に入らなかったようで家出をしてしまいます。

家出し、その後は、広島県大竹市内の土建会社にて作業員として働くのですが、こちらも自身の不遜がきっかけで会社をクビになってしまいます。さらに、辞めた会社に侵入して窃盗をおかし、15歳にもかかわらず中等少年院に送られたそうです。要は三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は不良少年だったということです。

1年あまりで三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は中等少年院を仮出所します。その後は、父親の遠縁を頼って大阪でバーテンダーの仕事をしたり、飲食代取り立て人などをしながら生計を立てて生活していたそうです。定職に就くこともなく、今でいうフリーターのような生活を三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美はどうやら送っていたようです。

ご覧いただいた通り、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の人生の序盤は相当辛いものだったと思います。そこで培われてしまった性格や性質は、三菱銀行人質事件における行動や発言などと繋がっている部分も多いのではないでしょうか。

 

犯人、梅川昭美の犯行動機は?【三菱銀行人質事件】

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ここまでは、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の経歴をご覧いただきました。

次は三菱銀行人質事件における犯人、梅川昭美の犯行動機についてご覧ください。

 

梅川昭美の犯行動機【1】金銭目的

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三菱銀行人質事件における犯人、梅川昭美の犯行動機の一つ、主たる目的として、金銭目的というのが挙げられます。

三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は、どうしても大金を手に入れたかったようで、それが単なる遊興費や借金の工面であるという説も存在しますが、一説には、自身を育ててくれた母親へどうにかしてお金を残してあげたいという思惑もあったと耳にします。

事実、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は、上述の通り、「おふくろへの遺産として500万円、俺の借金500万円を返したいが、あとで警察に没収されては何にもならん。没収されんような合法的な方法を考えるんや」という発言をしています。

経歴のところにも記載しましたが、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は父親のところから逃げ出した際、その後母親を頼ってきます。しかし、仕事に追われていた母親には、全く構ってもらえませんでした。にも拘らず、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は母親の為にお金を残したいとは思っていたようです。

不思議ですが、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美本人は、母親に対して強い愛情を持っていたことが分かります。

 

梅川昭美の犯行動機【2】銀行員に対する強い恨み

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三菱銀行人質事件における犯人、梅川昭美の犯行動機として他に挙げられるのが、銀行員に対する強い恨みというものがあったからだというものです。

三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の中には銀行員=エリートという図式が出来上がっており、自身の不遇や経歴の貧相な部分を比較してしまい、要は逆恨みのような内容で、銀行員に対し、強い恨みを抱いていたようです。

そして、その銀行員の中でも、その後に全裸にし、肉の壁にした女子行員に対しては特段強い恨みを持っていたとされ、事実、男子行員については、上半身裸を要求するも、女子行員に対しては全裸を要求しています。

さらに、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は、その後に全裸にし、肉の壁にした女子行員を始めとする銀行員へのあたりは相当強かったようですが、一般人の客として来店した人質については、比較的大人しいどころか優しかったようで、事実、要求を聞き入れてもらい、それを耳にした警察側から差し入れが入ると次々に解放するという行動を取っています。

また、病人や子供、老人に対しては比較的早い段階で解放しており、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の中では、何か線引きがあったようです。要は、自身より弱いと判断した者に対しては強い態度を取ることは一切せず、自分を上回っている、または反抗的であると判断した者に対しては強い当たりを見せています。

他にも、こんなエピソードがあります。行員に対して「片親のもんはいるか?」と尋ね、手を上げた女子行員に「お前は脱がんでええ」と言っています。その後、唯一この女子行員のみ全裸になることもなく、肉の壁になることも回避できました。

その後その肉の壁にならずに済んだ女子行員に対して「自分みたいな子を持ったら、母親としてどうするか?」と加えて尋ねると、それを耳にした、肉の壁にならずに済んだ女子行員が「叱ります」と答えます。すると「それがええ!」と嬉しそうな表情を見せたそうです。

この肉の壁にならずに済んだ女子行員に対しては自身の境遇と重ね合わせたのでしょうか。他の行員とは一線を画す対応を取っています。

三菱銀行人質事件の犯人である梅川昭美の犯行動機は大きく分けてこの2点であるとされているようです。

 

犯人、梅川昭美の犯行内容が残虐すぎる?【三菱銀行人質事件】

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三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の犯行動機についてはお分かりいただけたでしょうか。

最後に三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美によるその犯行内容の残虐性についてご説明していきます。

 

梅川昭美の犯行内容とその残虐性【1】4名射殺

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三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の残虐すぎる犯行内容について、まず挙げたいのが、何といっても4名を射殺していることです。4名の詳細については上述の三菱銀行人質事件の概要でご紹介しているので、割愛しますが、その射殺の経緯がとにかくすさまじいです。

最初に電話をかけようとした行員に対しては有無を言わさず、見つけた瞬間に射殺していますし、その後、警官たちも、威嚇射撃を行うや否や、即射殺。支店長に至っては、因縁をつけ右肩に猟銃をぶっぱなし、射殺しています。

何がすさまじいのかと言うと、普通と言っては語弊がありますが、まずこういう事件の犯人は「殺すぞ」等の脅し文句を言って相手が、ひるむかどうか判断してから次の行動に移るものです。

しかし、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美に至っては4人全てにおいて聞く耳を持たず、そして有無を言わさず、自身の意に反する行動をしたものを即射殺しています。これが非常にすさまじいと感じさせる点です。

また、この三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美については、上述の通り、ある一定の条件下では非常に人間らしい一面を見せることもあるのです。この二面性が非常に不気味かつ残虐性を高めている一因となっていることは間違いないでしょう。

何にせよ、人を4人も殺害するのですから、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は尋常な精神状態の人間ではないといっても過言ではありません。

 

梅川昭美の犯行内容とその残虐性【2】女子行員に対して

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三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の残虐すぎる犯行内容について次に挙げたいのが、その後全裸にし、肉の壁として利用した女子行員に対しての数々の非道とも言えるふるまいです。

その詳細については記載していくのもはばかられますが、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は、男性行員に対しては上半身裸という要求をして、それに対して、女子行員は全員全裸で肉の壁になれという要求をしています。

これについてはいろいろと言われていますが、一つの目的として、肉の壁として全裸の女子行員を利用し、警察の攻撃や突入をこの肉の壁を利用し、抑止するものだったということが挙げられています。

また、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美本人の口から、決して性的な意味で、女子行員を全裸にしたのではなく、自身を支配者と位置付ける為であるということが、言われています。

そして、その後に肉の壁として利用した女子行員を全裸にする際、下着を脱ぐ順番を指示するなど、まるでストリップを楽しむようであったとも言われています。さらに、後に全裸にし、肉の壁として利用する女子行員を三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は自分自身の周りに外向けに配置させ肉の壁を形成したのです。

それだけではなく、その後全裸にし、肉の壁として利用したある女子行員には、カウンターに座り、股を開き性器を見せるように指示したり、「トイレに行きたい」と言った肉の壁である女子行員に対しては「あかん。新聞紙敷いてるからそこにせえ」などと、最低な指示を出していたようです。

他にも、肉の壁である女子行員に全裸のまま新聞を大声で自分自身の為に朗読させたり、「寒い」と訴えた肉の壁になっている女子行員に対しても、それを耳にした梅川昭美は「死んだら寒さ感じんようになんぞ。死ぬか?」と暴言を吐いたりと、とにかくやりたい放題でした。

しかし、肉の壁となった女子行員を犯すなどはしておらず、そこは、本人の口から語られたように、性的な意味合いで女子行員を全裸にしたのではないことが見て取れます。文字通り肉の壁としての利用にとどまっていたようです。

けれども、この肉の壁となった女子行員たちが受けた凌辱はすさまじいものだったに違いありませんし、その後も心の傷になったかもしれません。

何にせよ、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美が行った女子行員を全裸にし、肉の壁として利用するなどの一連の行為は極悪非道なものであることには変わりありません。

 

梅川昭美の犯行内容とその残虐性【3】残虐な命令

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三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の残虐すぎる犯行内容について他に挙げたいのが、残虐な命令についてです。

三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美が行員の1人に、金のありかや銀行内の構造を聞きましたが、行員は少しでも皆に有利に働くように、あいまいな返事をしてはっきりとは答えませんでした。その後、梅川昭美はこの態度に腹を立て、「お前、落ち着き過ぎて生意気なんや!」と行員に向かって猟銃を発砲します。

行員はとっさによけましたが、右肩に散弾を受け、その場に倒れてしまいます。三菱銀行人質事件の犯人、梅川は持っていたナイフを別の男子行員に渡し、「まだ生きとるやろ。お前が首を突いて、こいつにとどめを刺せ。キモをえぐり取るんや。」と恐ろしい内容を命じます。

ナイフを受け取った男子行員がとっさの機転で「もう、死んでます。」と答えると、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は「お前らソドムの市(いち)(映画)を知っとるか。」とうすら笑いを浮かべ、「ならそのナイフでこいつの耳を切り落とせや。ソドムの市で死人の耳を切る、あの儀式をするんや。」とその後、更に同僚の耳を切断することを命じたのです。尋常な精神状態ではないのでしょう。

「切れません、切れません・・。」と泣きながら懇願(こんがん)するが、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は「お前も死にたいんか!」と銃口を向けます。

言われるまま男子行員は倒れている行員の左耳にナイフを当て「すまん・・すまん・・、生きててくれ、助かってくれ・・。」と謝りながら、その後、行員の左耳の上半分を切り取ってしまいます。耳を切られたあまりの痛さに負傷している渋谷行員は気を失ってしまいました。

三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美はその切断された耳の破片を持って来させて、口に入れて噛んでみせます。そして「堅い。まずい。」といって耳を吐き捨てます

いかがでしょうか。まず、同僚に耳を切らせるという行動自体が考え難いですし、その耳を自身の口に入れ吐き出すという行為は残虐としか言いようがありません。

そして耳を切られた方の行員の痛みもさることながら、耳を切った方の心の痛みも相当なものであったことが容易に推察できます。

 

梅川昭美の犯行内容とその残虐性【4】その他ムチャ振りなど

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三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の残虐すぎる犯行内容について最後に挙げたいのが、その他ムチャ振りなどについてです。上記3つの犯行内容の他に、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は、人質だけでなく、警察に対しても相当なムチャ振りをしています。

例えば、警察に電話していろいろな物品、要は食料品や、酒、ラジオ、新聞等の要求を行っています。その際に、要求に応じないと肉の壁となっている女子行員を殺す。とか肉の壁になっている女子行員の死体が並ぶことになるなど脅しをかけています。

そして、その要求に対しての差し入れが遅くなるたびに、肉の壁となっている女子行員の髪の毛を掴んで振り回したり、発砲したりと八つ当たりをしていたようです。

さらに、要求も、朝5時にステーキを持ってこいなど常軌を逸した内容のものがかなりあり、警察も相当に手を焼いたようです。

また、朝のラジオ体操を提案し、実行に移しますが、数日間の籠城により、疲労困憊で居眠りをしていた行員に対して「お前以外の行員はみんな逃がしたけど、お前だけ殺したる」など猟銃を突きつけながら脅し、からかったりもしていたようです。

とにかく、三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は自分のすべて思い通りにいかないと気が済まなかったようです。籠城中は時折見せる優しさを除けば鬼畜ともいうべき人間だったと言えます。

 

三菱銀行人質事件まとめ!

引用: Pixabay

いかがだったでしょうか。三菱銀行人質事件について今回はご紹介していきました。それでは以下にまとめていきます。

  • 三菱銀行人質事件とは、1979(昭和54)年1月26日に発生した梅川昭美によって起こされた、銀行強盗・猟奇殺人事件である。
  • 三菱銀行人質事件は3日間に及び続いた。その間犯人である梅川昭美は、人質をとり、4人を殺害し、行員や警察に無茶な要求や非道な犯行を繰り返した。
  • 三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美は幼少期は貧しく、両親は小学生時代に離婚。その後、父親に引き取られるが、待遇の悪さから母親の下に身を寄せる。中学時代以降は不良少年となり、数々の非行を繰り返した。そして青年期には職を転々としその日暮らしで生計を立てていた。
  • 三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美の犯行動機は主に金銭目的であり、遊興費や、借金返済の為ももちろんあるが、母親に金を残したいという思いもあったという。その他には、当時エリートの象徴とされていた銀行員に対する逆恨みなどもあったとされる。
  • 梅川昭美の行った犯行内容は4人を射殺、女子行員に対する全裸の強要、および肉の壁としての利用、行員に同僚の耳を切断させ、その耳を口に含み吐き捨てる、その他にもムチャ振り行為を行うなど、傍若無人かつ、残虐な犯行であり、筆舌に尽くしがたい内容である。

今回の三菱銀行人質事件は、本当にいろいろな意味で、救いようのない事件だと言えます。今からちょうど40年前に起こった事件ですが、今耳にしてもなかなかにショッキング内容なので、当時はもっと世間に衝撃を与えたことでしょう。

では、なぜ、梅川昭美はこのような筆舌に尽くしがたい事件を起こし、惨憺たる結果を招いてしまったのでしょうか。いろんな要因があるとは思いますが、まず言えるのは、梅川昭美の育った家庭環境の悪さがあったのは間違いありません。

もちろん、家庭環境がいくら悪くとも、立派に成長し、社会貢献をなさっている方も多くおられると思いますし、自身の心の持ちようもかなり重要な要素であると言えますが、果たして私たちが梅川昭美と同じような環境で十数年間育ったらどうなるでしょうか。

人は環境が作っていくともいわれています。それくらい環境というのは人間形成に大きな影響をもたらします。ですから、今回の記事でまず、感じ取っていただきたいのは、生育環境の重要性という部分です。

私たちのほとんどが恵まれた環境で育ってきた、あるいは育っていると言えるのではないでしょうか。まずそのことに対し、親に感謝してほしいと願いますし、お子さんがおられる方は、次は自分がそうしてもらったようにお子さんに素晴らしい生育環境を用意してあげて欲しいです。

次に今回の三菱銀行人質事件で注目していただきたいのが、梅川昭美が時折見せる人間的な部分についてです。この記事を作成している時、私は妙な違和感に襲われました。

それは、三菱銀行人質事件の顛末だけ見ると残虐かつ非道、救いがたい事件だという風にほとんどの方が捉えられるでしょうが、調査すればするほど、梅川昭美の時折優しさに似た人間的な部分に触れてしまうからでしょう。

もちろん、言わずもがな結果として、4人も人を殺して、その他にも残虐な行為を繰り返していますから、許すことは到底かないません。

しかし、人質の中でも、まず客に対して、そして病人、子供、老人に対しては割とすぐに解放しているし、母親の為にお金を残そうとしたり、そこだけ切り取ってみればまるで善人のようなのです。

何が言いたいかと言うと、要は梅川昭美はベクトルが180度変わっていたならば、もしかすると別人のような人間になっていた可能性をはらんでいるということです。

これは、梅川昭美だけに言えることでは決してありません。私たち自身にも言えるのではないでしょうか。人はちょっとしたきっかけや出来事で簡単に善にも悪にもなってしまう可能性を持っています

ですから、「自分は大丈夫」「そんなことは絶対にしない」と思っていてもあるちょっとしたきっかけで犯罪に手を染めてしまったりすることは十分にあり得るのです。そして逆もしかりです。

それを抑止する方法は2つあります。1つは心の持ちようです。気持ちを悲観的な方向ではなく楽観的な方向に向けることで見える世界、ものの感じ方などは180度変わります。もう1つは、他者に対して寛容になることです。他者を認めてあげることが大切だと言えます。

人は誰しも認められたい、肯定されたいという心を持っています。ですからそれを否定するような行動、言動は決してしてはいけません。

それを心がけて生きていくことで、自分が良くなるのはもちろん、相手も良くなりますし、今回の三菱銀行人質事件のような悲しい事件は起きにくくなると思います。

皆さんも是非そういったことを心に秘めて生きていってほしいです。それでは明日も頑張っていきましょう。

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