田口八重子(拉致被害者)の現在!飯塚耕一郎との関係は? | ToraTora[トラトラ]

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田口八重子さんの名前を聞いたことはありませんか?北朝鮮による日本人拉致被害者の1人で、拉致された後は北朝鮮で大韓航空機爆破事件の犯人である金賢姫の日本人化教育の教育係だったと言われている人物です。

拉致被害者の状況について北朝鮮による報告によると死亡したと報告されていますが、現在も生存している事が濃厚で拉致被害者家族たちは、日本への帰還を待ち望んでいます。

息子の飯塚耕一郎さんは、八重子さんの兄である飯塚繁雄さんと共に母親である田口八重子さんを取り戻すために、拉致被害者家族会の事務局長次長として救出活動を必死におこなっているのです。

ここでは、そんな拉致被害者である田口八重子さんについて紹介していきたいと思います。

田口八重子さんの経歴

【1】田口八重子さんのwiki風プロフィール

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名前:田口八重子

拉致当時の年齢:22歳

職業:キャバレー「ハリウッド」勤務

拉致された月日:昭和53年6月29日

本籍:埼玉県川口市

【2】田口八重子さん拉致時の状況

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1歳になる息子の田口耕一郎(後の飯塚耕一郎)さんと3歳になる娘と3人で暮らしていました。この頃夫とは離婚してシングルマザーとして生活を行っていました。

生活を維持するために、池袋にあるキャバレー「ハリウッド」にホステスとして勤めて日々の暮らしを支えていたのです。そんな田口八重子さんは美人で評判がよかったそうです。

ある日ハリウッドに向かう途中、2人の子供を預けたまま姿を失踪してしまった田口八重子さんは当時拉致という概念がなくただの失踪事件として取り扱われたのです。

そして、大韓航空機爆破事件の実行犯である金賢姫によって、北朝鮮による事件の存在が明るみになり、田口八重子さんも拉致事件の被害者となったことが明らかになったのです。

大韓航空機爆破事件の詳細についてはwikiがありますので詳細はそちらで確認してみてください。

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小泉純一郎首相の北朝鮮への電撃訪問により、拉致被害者の帰還への道が開かれて、日本への帰還する機会をえられましたが、日本に帰還した5人の拉致被害者の中には、田口八重子さんの姿は見られなかったのです。

【4】北朝鮮人としての李恩恵

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田口八重子さんは、北朝鮮人李恩恵(リ・ウネ)という名前になっていると言われています。wikiでも田口八重子と検索すると李恩恵の名前でwikiが検索結果に出てきます。

李恩恵は、大韓航空機爆破事件の実行犯である金賢姫のの日本人化教育の先生であったとされる女性で、その名前の由来は金日成に恩恵をあたえられたからと言われています。日本人化教育の場では北朝鮮の美人部隊として様々国で工作活動に携わるために美人な女性たちが数多く教育されていたといいます。

海外の北朝鮮が経営するレストランなどにいる美人の店員さんたちは、このような教育機関で教育を受けた美人さんたちなのかもしれません。

李恩恵の正体が、日本人拉致事件の被害者となった田口八重子さんであると見られているのです。

北朝鮮では、同じように大阪から拉致されてきた調理師である原敕晁さんと結婚したとされ、その後自動車事故で死亡したとされているのです。

しかし、北朝鮮側は洪水による被害で遺体が墓ごと流れ出してしまい失われたとして、遺体の確認作業はされていないのです。また、李恩恵なる人物の存在自体を否定しているのです。

しかし、2009年に飯塚浩一郎さんと面会した金賢姫によって田口八重子さんが生きているとの発言を受けています。

田口八重子さんの拉致事件の概要

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つづいては、田口八重子さんが拉致された際の事件の概要についてご紹介します。

田口八重子さん以外にも拉致費事件の被害者となった方々がいますが、wikiでは日本人拉致事件としてひとまとめにして扱われています。

個々の事件の詳細もwikiに紹介されていますので、他の人の拉致事件の詳細を知りたい方はぜひ、wikiで調べてみてください。

【1】田口八重子さん拉致事件の概要

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当時、田口八重子さんは東京の池袋のキャバレー「ハリウッド」でホステスの仕事をしていました。ハリウッドには美人のホステスが多く在籍しており、八重子さんもそんな美人ホステスの1人でした。

昭和53年6月に高田馬場のベビーホテルに3歳の娘と1歳の息子である田口耕一郎(後の飯塚耕一郎)を預けると、勤務先であるキャバレー「ハリウッド」に向かう途中で北朝鮮の工作員によって拉致されたのです。

ハリウッドの支配人は当時、田口八重子さんが仕事に来ずに幾重不明になった時、ただハリウッドを辞めてどこかへ行ってしまったのだと思ったのだそうです。キャバレーハリウッドでは、突然行方不明になってしまう人が多く、ハリウッドへの出勤途中で拉致されたとは思わなかったのです。

当時の水商売を取り巻く状況では人の出入りが激しかったといいます。それはハリウッドでも例外ではなく、突然出勤せずにいなくなってしまう人が多かったのでしょう。そのため、ハリウッドの支配人もさほど大きな問題と感じていなかったのだと思われます。

ハリウッドの出勤途中で行方不明になった田口八重子さんの捜査をしていた警察から田口八重子さんの兄であり、拉致家族会の代表でもある飯塚繁雄さんは、こんな事を聞かれたそうです。

「北朝鮮はある計画のために役立つ人物を探していたようだ」と言われたのだそうです。つまり、ハリウッドからいなくなった田口八重子さんの失踪を北朝鮮による拉致事件という可能性を疑っていた可能性があるのです。

しかし、当時は明確な証拠もなく、北朝鮮による拉致を立証する事はできませんでした。そのため、ハリウッドからの失踪事件として行方不明になったというままで処理されたのです。

【2】金賢姫によって明かされた真実

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そして時が流れて、大韓航空機爆破事件が起きその実行犯である金賢姫が昭和63年にソウルで記者会見を開き、日本人拉致事件についての証言がされました。八重子さんが美人だったため、美人の女性を求める北朝鮮のターゲットにされたようです。

その中で、田口八重子さんは、金賢姫の日本人化するための教育の先生として教えており、名前を李恩恵と名乗っているという事がわかったのです。そこでは、北朝鮮の美人工作員部隊を育成するために多くの北朝鮮の美人女性が集められていたのです。

しかし、田口八重子さんがハリウッドから拉致されて以降、3歳の娘と1歳の息子(飯塚耕一郎)さんを養子として育てていた田口八重子さんの兄と姉が子供に対する影響を考えて申し出ることをせずにいたため、田口八重子さんの拉致を特定するのに時間がかかってしまいました。

その後、警察庁より捜査官がソウルへ渡り、金賢姫に田口八重子さんの写真を見せ確認を行ったのです。その結果李恩恵と田口八重子さんが同一人物であるという確証を得たのです。

平成3年5月15日に埼玉県警は記者会見を開き、匿名での報道を条件に李恩恵は、埼玉県出身の田口八重子さんだと判明したと発表を行い、「李恩恵が船で日本から船で連れてこられたと金賢姫に伝えている事から、拉致された可能性も含め、刑事事件として捜査を開始する」と発表したのです。

その5日後には北京で第3回日朝国交正常化交渉があり、日本側は「李恩恵」の消息調査を求めたのですが、その要求に対して北朝鮮は激しく反発したのです。その後も日本は調査を求め続けたが北朝鮮側はそれを不満として会談は決裂するに至ったのです。

【3】北朝鮮による拉致の手口

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現在、北朝鮮が拉致に用いた手口としては以下のような手段があったと考えられています。

・福井や新潟などの日本海沿岸や鹿児島などの東シナ海沿岸に工作員をひそかに上陸させ、付近を通りがかった人間に襲い掛かり有無を言わさず拉致する。

・日本国内に潜入している工作員が目を付けたターゲットに接近し、言葉巧みに誘い出し誘する。ターゲットにされた相手は専門的な職業についている人はもちろん、そういった人たちへの嫁とするための美人な女性も選ばれていたのです。

・日本国外に在留や居住する日本人に仕事を紹介するといって、北朝鮮に誘拐する。この場合は北朝鮮に入国するまでは本人の同意のもと連れてきていると考えられています。

・日本沿岸で工作活動中の工作員の姿を見たために、目撃者を連れ去ってしまう。

・現地に土地勘のある在日朝鮮人を使い、潜伏先や監禁場所、移動手段を確保して拉致行為を行っていた。このタイプの犯行はじっくりと計画を立て綿密な計画に基づいて拉致が行われていたと考えられています。ターゲットの選定もしっかりと行われ、専門家や美人女性などの身辺調査まで行われていて足がつきにくい状況を作っていたのです。

田口八重子さん(拉致被害者)のその後の情報は?

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北朝鮮に拉致されたしまった田口八重子さんはその後どうなってしまったのでしょうか?

拉致された後の田口八重子さんの足取りについて調べてみました。

【1】北朝鮮側の説明:入国経緯

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身分を盗用する相手を探していた工作員が、「青島海岸まで行こう」と田口八重子さんを誘い出し、拉致を敢行したと報告にはありました。

そして、拉致の実行犯はもう死亡しているとされたのです。

【2】北朝鮮側の説明:生活経緯

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1978年6月~7月までの間は地方の招待施設で休息した後、平壌市内の施設で生活をしていたそうです。

その後、日本語教育に従事していたのです。その間に、金賢姫の先生として教えていたのだと推測されます。ここで日本語を学んだ生徒たちが、美人ウェートレスとして喜び組などを初めとした政府機関で働いているようです。

外貨獲得のための朝鮮レストランの美人店員たちもこういった施設で教育を受けていたと考えられます。

1981年には、同じ拉致被害者の横田めぐみさんと一緒に生活を送っていましたが、夫の原敕晁さんが入院してからは、近くの施設に移り、原さんを見舞っていたと言います。

【3】北朝鮮側の説明:結婚

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1984年に同じ拉致被害者である原敕晁さんと結婚したとされています。

初めは年齢差から躊躇していたそうですが、何回も会ううちに魅かれていき結婚に至ったのだそうです。この事実は拉致の調査委員会の人が特殊機関内に入って、関係者から話を聞いた内容だそうです。

【4】北朝鮮側の説明:死亡

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夫である原敕晁さんが亡くなった後、精神的な披露のために元山に行って休息をとったあと、家に帰宅する途中で車と衝突して死亡したとされています。

【5】北朝鮮側の説明:事後処理

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軍が事故後被害者を引き上げ、病院へと搬送したのです。軍から連絡を受けた当該機関は、遺体の引き渡しを受けた上で葬儀を行い夫と同じ墓所に埋葬したとされました。

遺体は、豪雨により、貯水池ダムが決壊し、流出したとされたのです。

正直言って、北朝鮮からの報告には不可解で納得できな部分が多く信用できないないようでした。これらの報告をしてきた北朝鮮に対して当然、日本側は反論を行っています。

【6】日本側の反論

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北朝鮮による発表では、拉致被害者の1人である原敕晁さんは病死。

田口八重子さんは死後わずか11日後に交通事故死となっています。この夫婦ともに死亡という北朝鮮の発表は、帰国を果たした蓮池さんご夫妻、池村さん夫婦、曽我さんご夫妻以外の拉致被害者たちは、全て夫婦共に死亡しているという点を不自然な点だと指摘しています。

元工作員である安明進さんによると、金正日政治軍事大学の複数の教官からの情報として、「金賢姫に日本語を教えた教官は処罰されていない」という話がでているのです。

また、工作員の誘いによって田口八重子さんが青島へ行ったとされているが、当時仕事場であるキャバレーハリウッドへ向かっている途中でいきなりそんな誘いに乗るとは考えづらく、北朝鮮の言い分はあまりにも不自然と指摘しています。

そういった指摘に対して、北朝鮮側は苦しい言い訳ばかりしており、真実はまったく明らかになっていないのです。

田口八重子さんと飯塚耕一郎との関係は?

『拉致問題を考える川口の集い』田口八重子さんの長男、飯塚耕一郎氏が「田口八重子さんは20代〜50代の長い期間、自由を奪われています。拉致は外交問題ではなく犯罪。犯罪解決なんです」育ての母を母ちゃんと呼び、八重子さんを母と呼べない気持ちを考えると胸が張り裂けそうです。早い帰国を! pic.twitter.com/0rJOYgShDG

— 半井小絵(Nakarai Sae) (@SaeNakarai) January 29, 2017

つづいては拉致被害者家族会の事務局次長を勤めて活動をしている飯塚耕一郎さんと田口八重子さんの関係について説明していきましょう。

【1】田口八重子さんの息子と娘の存在

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田口八重子さんは拉致された当時娘と息子が存在していました。母親が拉致され姿を消してしまった後、残された息子と娘はどうなったのでしょうか?

田口八重子さんが姿を拉致されたあと、2人の子供は、田口八重子さんの兄である飯塚繁雄さん夫妻が養子に迎えて世話をすることになったそうです。

【2】飯塚繁雄さんの養子となった娘と息子

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八重子さんの兄である飯塚繁雄さんが娘と息子育てる事になった背景には、飯塚繁雄さんの妻の英子さんの強い後押があったからだそうです。そして、後に2人とも養子として迎え入れたのです。

養子となった娘と息子のうち、娘さんの方は名前を公表されておらず、不明のままですが、息子さんのほうは飯塚耕一郎となり、拉致被害者家族会に参加し、母親の田口八重子さんの救出に力を注ぐことになるのです。

現在でも、娘さんと息子との飯塚耕一郎さんは、母親の田口八重子さんの帰りを強く望みまち続けているのです。拉致されて親子が引き離されて41年の時が立ちます。今では田口八重子さんも63歳を迎えているのです。

【3】飯塚耕一郎さんが真実を知った日

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飯塚耕一郎さんが1歳の時に田口八重子さんが拉致されているので、飯塚耕一郎さんには、母親の記憶はほとんどなく、飯塚家の人間だという認識でいました。

飯塚耕一郎さんが真実を知ったのは、彼が21歳の時でした。パスポートを取得するために、戸籍謄本を取った際に自分の続柄を見て「養子」になっているのに気が付いたのです。そこには実の母として「八重子」さんの名前が書かれていました。

その事実に、驚き理解することができなかったといいます。激しく動揺し、冷静になって事態を理解するために1週間の時間を必要としました。

落ち着いた飯塚耕一郎さんは、養父に思い切って聞いてみたのだそうです。するとそこで初めて、養父の繁雄さんが実母の兄であり、実母が拉致によって失踪した経緯と金賢姫や北朝鮮の拉致事件の事をゆっくりと話してくれたそうです。

飯塚耕一郎さんの経歴

【11月6日(日)/北朝鮮拉致問題解決を願う都民集会】東京国際フォーラムのホールD7にて。被害者等家族の飯塚繁雄さん、飯塚耕一郎さん(田口八重子さんの兄・長男)、藤田隆司さん(藤田慎さんの甥)、宮澤新平さん(宮澤康男さんの父)が参加 pic.twitter.com/9EmdiBfp0I

— 東京都人権部 (@tocho_jinken) October 28, 2016

田口八重子さんの2人の子供のうち、娘さんは表立っていないので情報がありませんが、息子の飯塚耕一郎さんは拉致被害者家族会として積極的に活動しているので、その情報は明らかになっています。

ここでは、息子である飯塚耕一郎さんの経歴についてご紹介します。

【1】拉致事件は家族までも苦しめている

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北朝鮮による拉致事件は、被害者だけでなく、その家族までも苦しめ続けているのです。親や兄妹だけでなく、子供までもが北朝鮮との対峙を強いられている現実があるのです。

母親の田口八重子さんが拉致されてから、43年がたち、3歳だった娘さんは46歳に、1歳だった息子の飯塚耕一郎さんは44歳にまでなっています。

田口さんの兄である飯塚繁雄さんの養子となり、21歳まで実母の存在を知らずに育ったため、母の記憶がなく実母を「八重子さん」としか呼べないのです。

本人いわく、「お母さんと呼びたいのだけど、心の底からそういう実感がわいてこないので、実際に会ってみないと何も始まらない」と語っています。

【2】母親の死を突き付けられた時

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実母が拉致されたという事実と自分が養子であったという事実を少しづつ受け入れてきた飯塚耕一郎さんに衝撃は走る出来事が発生しました。

2002年9月、小泉純一郎総理と金正日との電撃的な日朝首脳会談により、5人の拉致被害者の帰国が実現したのです。期待してまっていた八重子さんの兄の飯塚繁雄さんと娘さん、そして息子の飯塚耕一郎さんでしたが、そこに実母の田口八重子さんの姿はなかったのです。

しかも、北朝鮮の発表で「田口八重子さんは死亡」と発表したのです。

飯塚耕一郎さんがこの事を知ったのは、当時勤務していたヨーロッパでの出来事でした。すぐにこの事を受け入れられず、すぐに実家に電話をかけて確認したそうです。

電話口では、八重子さんの兄の養父である飯塚繁雄さんは気丈に振る舞っていましたが、電話の向こう側では養母の鳴き声が聞こえてきたのだそうです。「母さんに一言声をかけてやって」と言われて、電話を代わったそうですが、お互いに涙を流して会話にならなかったのです。

実母の死亡」という衝撃的な情報を得て以来、途方もない無力感、虚無感に襲われると同時に激しい怒りが沸いてきたのだと言います。

北朝鮮の発表の内容が精査され、検証が重ねられた結果。北朝鮮の「死亡報告書」に虚偽の内容が多く含まれている事がわかってきたのです。そして、彼らに振り回されるのは相手の思うつぼだという事に気づいたのです。

そして、飯塚家では家族会議が開かれたのです。八重子さんの兄の養父が「拉致被害者家族連絡会」への参加を希望し、拉致問題解決を世間に訴えていく方向に飯塚家全体で関わっていく事になったのです。

【3】拉致被害者家族連絡会への参加

「拉致問題を考える埼玉県民の集い」に参加。拉致被害者家族連絡会、特定失踪家族会の皆様は、もう何十年も待ち続けておられます。田口八重子さんの兄、飯塚繁雄さんの「絶対に諦めない!」との言葉が胸に突き刺さります。全拉致被害者の即時一括帰国の実現へ、とにかく全力を尽くします。 pic.twitter.com/a0RZxZO1CF

— 西田まこと (@m_nishida) September 14, 2019

2004年2月、飯塚耕一郎さんは拉致被害者である田口八重子さんの息子であることを公表し、八重子さんの兄であり養父の飯塚繁雄さんと共に拉致被害者救出活動に参加することにしたのです。

それから、15年の月日が経ちましたが、今どこでどうしているのかわからずに不安な日々を過ごしていると語っています。

最近になって、安倍総理と金正恩との日朝首脳会談の可能性が模索されている中、拉致被害者家族として強調していることがあるのです。それは「全拉致被害者の即時一括帰国」だけを求めていくという事なのです。

加速会の代表であり、拉致被害者である田口八重子さんの兄である飯塚繁雄さんと息子の飯塚耕一郎さんの気持ちは一つであり、拉致問題の解決について被害者家族を無視した形にするような雑音が多く存在していると感じていると言います。

そんな現状の中で、家族会として拉致被害者全員の即時一括帰国という命題だけは「絶対に譲れない」という事を掲げているのです。北朝鮮の過去からの言動により、虚偽の報告や証拠を示してきた事により、余計な事は必要なく被害者自身だけを求める態度へと代わっていったのです。

だからこそ、家族会の先頭に立って、八重子さんの兄の繁雄さんと息子の飯塚耕一郎さんが必死になって思いをぶつけているのです。

兄である飯塚繁雄さんと息子である飯塚耕一郎さんの思いは書籍として発売されています。この書籍は李恩恵のwikiにおいても参考文献として紹介されています。

拉致問題の変遷はwikiで確認することができます。拉致被害者家族会がどのような活動を行ってきたか、日本と北朝鮮の間でどのようなやり取りがなされてきたかwikiにて確認してみてください。北朝鮮がしてきた虚偽にまみれた報告の詳細もwikiにて確認することができます。

田口八重子さんの現在

【1】平壌で生活している

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韓国の北朝鮮拉致被害者家族で作る「拉北者家族会」の崔成龍代表によると、田口八重子さんは現在、平壌市内にあるアパートで暮らしていという情報を北朝鮮関係者から聞いたと明らかにしました。

【2】これまでの北朝鮮の発表

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北朝鮮はこれまで、田口八重子さんは拉致後、同じ拉致被害者の原敕晁さんと結婚し、そのご交通事故で死亡したと主張してきました。

しかし、崔代表は北朝鮮の情報屋から田口さんは韓国人拉致被害者と結婚したと聞いたそうです。

【3】真実はどこに

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北朝鮮が信用できる国家ではなく、限られた情報しか得られない現在の状況では、真実の状態を知る事は難し状況です。しかし、気は朝鮮の情報を否定できるのであれば、少なくとも生存している可能性は残されているのです。

生存している情報も存在している現在では、生存を信じて行動していくしかないのです。

拉致問題解決の糸口

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田口八重子さんの拉致によって兄である飯塚繁雄さんや息子の飯塚耕一郎さんを初め娘さんも含めて被害者家族の皆さんは大変苦労を強いられている現状です。

拉致問題を解決するための糸口はどこにあるのでしょうか?北朝鮮が真実を口にしてくれるような日本政府の対応を願うばかりです。現在までの拉致問題の変遷は日本人拉致問題のwikiにて詳細がまとめれれています。田口八重子さんの件以外にも拉致に遭われた被害者の方々はそれぞれに事件を抱えています。それら各事件の詳細はwikiをご覧になって確かめてみてください。

拉致被害者家族連絡会の詳細はwikiでも見ることができるので、興味を持たれた方は一度wikiの方を見てみても良いかもしれません。

一日も早く拉致被害者の方たちの帰国が実現して、拉致事件に関係して人生を狂わされた人たちに平穏な日々が戻る事を願います。

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