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熊谷連続殺人事件とは、2015年9月14日から2日間にわたって起こった連続殺人事件です。たった2日の間に女児を2人を含めた6人を犯人は殺害しました。
逮捕されたのはペルー出身のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン。今回はこの熊谷連続殺人事件の謎と影を追います。
熊谷連続殺人事件の概要
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まずは、熊谷連続殺人事件の概要について紹介していきます。
時系列に沿ってまとめていきますのでわかりやすいものになっております。
見ていきましょう。
【1】熊谷連続殺人事件前日
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2015年9月13日、熊谷連続殺人事件が起こる日の前日、外国人がある民家に侵入しました。その民家の住人は外国人から話を聞き警察に助けを求めました。外国人は民家の住人に警察に電話してくれと頼んだようです。
この外国人は警察署に連れていかれ、聴取を受けました。しかし、この外国人は現金や携帯電話が入った荷物を置いて逃走、警官は捜索を行いませんでした。
同日、別の民家に外国人が侵入しました。住人が外国人に事情を聞こうとしたところ、外国人は逃走。警察は警察署から逃げた外国人がその人物だと早々に把握していたものの、市の住民には注意喚起を行ないませんでした。
【2】熊谷連続殺人事件の発生
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そして、9月14日から16日に起きた、熊谷連続殺人事件。計6人が惨殺されました。その中には子供も二人含まれています。殺人事件のすべてが、衝動的犯行の様相を呈していました。
第一の事件の被害者は熊谷市見晴町の住宅に住む夫婦でした。発見者はその妻の知人の主婦。現場の部屋には血で不可解なアルファベットの文字がかかれていました。
次の被害者は上と同じ市の石原のアパートの自宅にいた女性が殺されました。
その次の被害者はまた同市の住宅に住んでいた、母、女児二人でした。
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第三の事件が発生し、その住宅に警察が聞き込みに行ったところ。二階の住宅の窓から刃物をもった男が顔をだしました。男は警察の説得を無視し、自分の腕を刃物で数回切り付け、窓から飛び降りました。
飛び降りた人物は頭部を骨折し、意識不明の重傷を負いました。その人物こそ、熊谷連続殺人事件の犯人ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン。事件前日に警察署から逃走したり、住宅に侵入したりした外国人の人物です。
ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンは飛び降りをしてから意識不明の状態が続きましたが、9月24日に回復し、事件の容疑者として逮捕されました。
【4】熊谷連続殺人事件の裁判
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第一審、2018年1月26日さいたま地裁の裁判員裁判で、熊谷連続殺人事件の刑事裁判、第一回公判が行われました。検察側に対し、被疑者の弁護人は心神喪失を訴えました。
熊谷連続殺人事件の裁判は第十三回公判まで続きました。弁護士側が主張していた容疑者の心神喪失の件については、責任能力有りという結果が出、弁護側の主張は退けられました。そして、ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンにはさいたま地裁で死刑が言い渡されました。
裁判官は死刑判決の主文を後回しすることなく冒頭で言い渡しました。裁判の間、奇妙な言動を繰り返していたナカダ氏は、その死刑判決の主文を無言で聞いていたそうです。被害者遺族への謝罪の弁は最後まで聞かれませんでした。これについて被害者遺族は裁判後の会見でナカダ氏を批判しました。
犯人のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンについて
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熊谷連続殺人事件の犯人、ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンは1985年に生まれ、2005年の時、20歳で日本にやってきました。
その後、彼は工場を転々として働き、2015年に熊谷連続殺人事件を起こしました。彼は事件前から精神異常の兆候がみられていたと、精神鑑定を行った医者は結論付けています。、
【1】ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンの出身は?
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ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンはペルー共和国の首都リマ出身といわれています。
リマという場所は古代文明の文化や遺跡が多く残っている地です。ちなみに、リマの旧市街「セントロ地区」はユネスコ世界遺産に登録されています。リマにはペルーの中枢機関が集中しており、とても栄えています。日本との文化交流も盛んなようです。
【2】ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンの生い立ちは?
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上に書いたようにナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンはリマ出身と言われています。彼の家庭環境は悪く。アルコール中毒の父親がよく母親を虐待していたといいます。
ちなみにナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンの兄はペルーで「死の使徒」と呼ばれるペドロ・パプロ・ナカダ・ルデーニャという人物で、彼は計25もの人を殺害したといわれています。そして、弟と同じく、精神疾患をもっていました。
ちなみに、彼の姉の一人も熊谷連続殺人事件の犯行現場にあったような不可解な血文字を残して自殺しています。
【3】ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンの経歴は?
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ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンは1985年生まれ、兄弟は10人ほどいました。
2003年に日本国籍をもつ人に金銭を渡し、日系二世の身分を手に入れたそうです。そして、2005年に来日、工場などを転々とし働きました。
【4】ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンの犯行動機は?
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まず、兄のペドロ・パプロ・ナカダ・ルデーニャの事がありました。
「死の使徒」と呼ばれた兄の事があり、ナカダ氏は日系ペルー社会から孤立していきました。それに彼の姉が語るところによると、ナカダ氏は兄の殺人を目撃したことがあるようなのです。その衝撃か、社会からの孤独感からでしょうか、ナカダ氏はどんどんと精神を病んでいったのです。
いや、もっと病巣は深いのかもしれません、ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンの生い立ちのところに書いたのですが、アルコール中毒の父が母を虐待していたことから、もっと小さい時から病んでいたのかもしれません。姉の一人が自殺したことも加わっていたでしょう。
しかしながら、熊谷連続殺人事件の表向きの動機は金銭や食料品目的の強盗と思われています。
【5】ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンの犯行後は?
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ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンは飛び降りを起こした後、病院に搬送され、その後、熊谷連続殺人の容疑者として逮捕されました。
彼は熊谷連続殺人事件の件について否認していました。しかし、事件の証拠はそろっており、熊谷連続殺人事件の犯人であることはあきらかでした。
ナカダ氏は精神的に異常があることが明らかだったので、精神鑑定を受けました。精神疾患はあるということでしたが、その後、地裁の裁判では責任能力有りと判断されました。
【6】ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタンの現在は?
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ナカダ氏は現在も塀の中で暮らしています。
2019年の6月10日に弁護側が心神喪失による無罪を訴えて控訴しました。ナカダ氏は今でも意味不明な言動を繰り返しているそうです。
熊谷連続殺人事件の判決は?
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判決は上に書いた通り死刑でした。
最後まで心神喪失の責任能力の有無が争われたのですが、責任能力有りとなり、2018年の3月9日、検察の求刑どおり、さいたま地裁で死刑が言い渡されました。
【1】判決の過程
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熊谷連続殺人事件の第一回公判では、冒頭陳述が行われました。
その中、弁護人側はナカダ氏の心神喪失を主張。検察側は責任能力有りを主張、両者真っ向から争う姿勢を見せました。その裁判の中、ナカダ氏は返事をしないなどの反抗的な態度を取っていました。
それから、第八回の公判まで証人尋問が続きます。第二回、第三回の公判では熊谷連続殺人事件の遺族が出廷し、ナカダ氏に厳罰を求めました。それから、第八回までは熊谷連続殺人事件について証人が次々と証言しました。そして、事件の犯人がナカダ氏であることが確定的となりました。
第九回公判では被告人質問があったのですが、ナカダ氏は意味不明な言動を繰り返すだけでした。
第十回公判では、精神鑑定を行った精神科医が証人尋問されました。彼はナカダ氏は「統合失調症の状態」であると述べました。その後第十一回公判で、その精神科医は引き続き、証言をし、「統合失調症であっても、人を殺すことは悪い事だと認識していた」ということを証言し、実質公判は終了しました。
【2】そして死刑判決
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論点は責任能力の有無でしたが、精神科医の判断と、犯行後に財布を漁ったり、死体を隠したりという行動から責任能力が有るという判決が下りました。
死刑判決を受けたナカダ氏は無言でありました。被害者遺族に対する謝罪は聞かれませんでした。
熊谷連続殺人事件での埼玉県警の対応に物議
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熊谷連続殺人事件では、警察の対応に物議が醸されたことでも有名なのです。
その警察は埼玉県警でした。埼玉県警は一体どのような対応をしていたのでしょうか?見ていきましょう。
【1】警察の不手際
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9月13日の午後一時頃、住民から警察署に外国人が自宅に侵入したと通報がありました。
警察はその外国人、ナカダ氏に任意で話を聞きましたが、ナカダ氏が署から逃走。警官は彼を追いませんでした。これがのちに熊谷連続殺人事件に発展します。
また、同日に住居侵入事件が発生し、その住居に侵入した外国人が警察署から逃走した人物だと把握しているのにも関わらず、警察が周辺住民に注意喚起しなかったという不手際もありました。
これらの件に関して、事件後に埼玉県警は大きな批判を浴び、今後の対応策をまとめました。
【2】今後の対応策
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その対応策については、外国人の聴取についての迅速な通訳の手配や、110番案件と関連性が疑われる事案については積極的に本部に連絡するなどということが案に盛り込まれました。
その中には、当然、犯罪が起こった際の住民への注意喚起などもありました。また、不審者や凶悪事件などの情報をTwitterで発信するという案もまとめられました。
熊谷連続殺人事件の被害者遺族の現在
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熊谷連続殺人事件の被害者遺族の方々は悲しみを乗り越え、現在もいきていらっしゃいます。
どのような生活を送られているのでしょうか?まとめていきます。
【1】事件後の被害者遺族
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熊谷連続殺人事件の第一の事件で殺された夫婦の長男は、ナカダ氏について一番重い刑、つまり死刑をもとめました。第三の事件の妻と娘たちを殺された夫も、犯人に対し「絶対許さない」とし死刑判決を求めました。
そして、判決が下された後、第三の事件の被害者遺族の男性は当然の結果と受け止める発言をしましたが、ナカダ氏から最後まで謝罪の言葉がなかったため、「怒りや憎しみがまだある」と話しました。
【2】被害者遺族の現在
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妻と娘2人を殺された第三の事件の遺族は2018年に第三の事件の遺族が埼玉県に国家賠償請求訴訟を起こしました。それは、警察の上に書いた不手際の件についてでした。その不手際がなければ事件は防げたかもしれないと、この遺族は語りました。
2019年4月にはさいたま地裁で準的口頭弁論が行われたました。
熊谷連続殺人事件まとめ
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今まで書いてきました熊谷連続殺人事件について、不可解な点があります。
犯人の本当の動機についてです。動機の件については、一応、金銭や食料目的であると書きましたが、実は、いくら調べてもそれしか記録にないのです。しかも、それを推測したのは検察です。犯人の口からは動機に対する意味不明な供述もあったのですが、一度も筋が通った動機について語られていないのです。
第三の事件の後、ナカダ氏は腕を自分で傷つけ、二階の窓から飛び降り、自殺をはかりました。そして、意識不明で病院に入院し、8日後に意識を回復しました。医者の話によると、その時が一番ナカダ氏の頭がはっきりしていた時だそうです。しかしナカダ氏は犯行の動機を語りませんでした。
今も、本当にナカダ氏が精神錯乱を続けているのであれば、今後、事件のはっきりとした動機についてはもう語られないのかもしれません。いや、そもそも明確な動機などないのかもしれません。
しかし、それこそが、この熊谷連続殺人の内奥に奇妙な影を落としているのです。
熊谷連続殺人事件が起こった前日の13日に外国人が自宅に侵入してきたと住民から通報があり、ナカダ氏は警察署で初めて聴取を受けました。そして、ナカダ氏は警官の制止をふりきって、警察署から逃げています。
その後、また別の住宅にナカダ氏は侵入し、逃走しました。この件について、警察は犯人はナカダ氏だとわかっているのにも関わらず、周辺の住民に注意喚起を行いませんでした。
それらの不手際がなかったならば熊谷連続殺人事件を防ぐことは可能だったと思います。先に書いたように署から逃げた外国人が手配されているということが、住民に通達されていれば、住民も警戒して戸締りなどをしたでしょう。しかし、手配された時から第三の事件が発生するまで、警察は注意喚起を行わなかったのです。
それについて被害者遺族は怒り、国家賠償訴訟を起こしています。
しかしながら、警察は事件後の警察対応を変えたものの、熊谷連続殺人事件の被害者遺族が起こした民事裁判においては適切な判断をしたという結論を覆していません。もし警察が非を認めれば、熊谷連続殺人事件に関わった捜査官・警察組織の人間が世間に引きずり出され、叩かれることは必然だからです。
熊谷連続殺人事件にはいくつもの要素が絡まり合っています。犯人の出自の問題、家族との関係、事件の動機、精神病の問題、そして、警察の不手際。
それらが絡まり合い、この熊谷連続殺人事件を形作っています。事件の影を作っています。精神病による責任能力の有無。警察の不手際による民事訴訟。それらの件はまだ決着がついていません。まだ犯人の責任能力の有無の裁判、被害者遺族の民事裁判が行われています。事件の影はどんどんと濃くなるばかりです。
熊谷連続殺人事件の全容解明と、事件の決着がつく日を願うばかりです。